第4話 亜人界にて

 二週間ほど亜人界に滞在することに決めたテルン達は、まず食料集めにとりかった。人間界から持ち出せたものだけでは、それだけの時間食い繫ぐことは不可能だったからだ。


「というわけで、役割分担をしようと思う。山菜収集と狩りをする係と、川にいって魚を捕る係、それと、荷物や火の番をする係だな」

「俺は火の番でもやってるよ。荷物は必ず死守してやる」

「グリー、あんたさ。いい感じに言ってるつもりかもしれないけど、楽したいだけなのが見え見えだよ」

「いやー、ばれちまったか。流石は鬼ババ——」

「ぬん!」

「がふぁっ!」


 鉄で殴りつけた鈍い音と共に、グリーは頭にお星さまを浮かべた。


「山の方はとりあえず俺が行こう。近くに他部族は見当たらなかったが、念のためだ」

「私も山の方にしようかな。フェガさんについてくよ」

「メロンさんは水の中苦手なんでしたっけ?」

「苦手ってほどでもないけど、なんとなく……ね」


 メロンは頬をポリポリと掻きながら、あははと小さく笑った。猫人族と人間の半亜人ハーフである彼女には、動物の猫の本能、能力が少なからず備わっている。水の中に入っても何の問題もないのだが、やはり頭のどこかで避けてしまうのだ。


「では私は川の方に行きますね。大したお手伝いは出来ませんけど」

「じゃあ私も川の方だ。魚の手掴みって、一回やってみたかったのよね!」


 テルンはリオが力強く拳を握る様子を見て、魚を握り潰すつもりなのではないかと心配になった。


「あとは俺とテディだな。どうするテディ?川で魚を捕まえるか、山で茸とかを集めたり、動物を追いかけたりするか。ああ、一応荷物番っていう仕事もあるぞ。荷物の傍でじっとしているだけの、簡単なお仕事だ」

「荷物番ってグリーおじさんがやるお仕事だよね?」

「おじ、さん、だと……」

「え?おじさんのお名前ってグリーおじさんだよね?間違ってる?」

「ぐはぁっ!」


 おじさんという単語はまるで放たれた矢のように、グリーディアの心に突き刺さっていった。


「い、いや、確かに俺はグリーだが、俺と同じような歳のおばさんがここに——」

「ぬん!」

「ぶぉふぇ!」


 グリーディアの頭の上には、たんこぶの雪だるまが完成していた。


「荷物番はつまんないからやだな。うーんとね……川がいいかも!」

「川か。でもなんで川にしたんだ?」

「えーとね。うん、暑いからかな。水で遊んだら涼しいでしょ?」


 テディは小さな手を団扇代わりに、パタパタと扇いで見せた。


「なるほどな。人間界に比べたらマシだけど、やっぱり暑いもんは暑いよな」


 テルン達は山の森の中にいるためさほど日光を浴びずに済んでいるが、亜人界の夏は蒸し暑く、纏わりつくような熱気だけはどうにも出来ないでいた。


「それじゃあ俺は山に行くか。人数的にもそれで——」

「えっ!テルン兄ちゃん一緒に来てくれないの⁈」


 テディはテルンの腕に抱き着き、潤んだ瞳でテルンを見つめた。


「心配しなくてもリオ姉が付いてるって。それに山の方がやることも多い」


 テルンはこういうことに弱いのか、気まずそうな顔でテディに説得を試みる。


「でも、テルン兄ちゃんと一緒がいいもん……」

「テルン。私たちは大丈夫だから、テディと一緒にいてあげて」


 メロンは愚図るテディを宥めるために頭を撫で始めた。


「でもなあ……本当に大丈夫か?」

「大丈夫だって!なに?私ってそんなに信用ないかな?ショックだなー」


 わざとらしく頬を膨らませ、テルンにぐっと迫っていく。テルンはメロンの顔が近づくと赤くなり、照れて大きく顔を逸らした。


「わかったわかった!俺もテディと一緒に川に行くよ」

「そうそう、それでよろしい!それじゃあ、早速行ってくる!テディも頑張ってね」

「うん!いってらっしゃい!」


 メロンは満足気に微笑むと、収集用の袋を持ってフェガと二人で森の中に消えていった。


「俺たちも行くとするか。正直、あんまり戦果は望めないと思うけど」

「なんだい。私の力を信じていないのかい?ショックだなー」


 リオは先ほどメロンがしたように頬を膨らましてみせた。


「あー、はいはい。すみませんでした。暑苦しいので寄って来ないでくださいねー」

「えー?冷たいねえ。さっきはあんなにいい反応だったのに」


 テルンをからかってケラケラと笑うリオの様子はとても子供っぽく、歳よりもずっと若く見えた。


「それにしても、テルンさんはどうして分かるんですか?魚があまり捕れないだろうだろうって」

「私も気になる」


 プシノとテディは心底不思議だと、ちょこんと首を傾げた。


「行けばわかるよ。さあ、俺たちも出発だ。場所はフェガさんから聞いてるからな」

「ちょっと待って。私も準備しなくちゃ」


 テディはテルンの手を握り、プシノはテルンの頭の上に着地した。リオはテディが見ていないのを確認すると、荷物の中からナイフと拳銃式武装魔道具を取り出し、そっと上着の中に忍ばせた。


「リオ姉、早くしないと置いてくよ」

「ごめんごめん。そんなに焦らないでよ」


 テルンの後を追って、メロンたちが進んだ方向とは逆に進んでいく。

 先ほどまでは騒がしかった場所も人がいなくなってしまえば静かなものである。本来の自然の状態に戻り、心地よい鳥のさえずり、風に騒めき、擦れる木々の葉音。それに調和するような、グリーのいびき。

 暇になったグリーの意識は、あっという間に夢の世界へと誘われていた。


 *     *     *


 フェガとメロンは収集を始める前に、一度山頂まで登りきろうとしていた。集めながら登ってしまうと、山を下る時に荷物を全て持って降りなくてはならない。無駄に体力を使う必要もないので、登りながら目ぼしいものを見つけておき、場所を覚えておく。そうすれば、山を下る時もスムーズに動くことが出来る。


「メロン、大丈夫か?」

「はい!なんとかついていけます!」


 ほとんど走るようにして、山の道なき道を二人は突き進んでいく。

 亜人の身体能力は、部族や個体によっても差がでるが、標準的な力は平均的な人間の力の二倍以上と言われている。その中でも犬人族と猫人族は特に高い身体能力を持っていて、対人間戦の主力となっている。

 フェガは犬人族であり、メロンも半亜人ハーフとはいえ猫人族の血を引いている。通常の人間を上回る力を持つ二人は、人間と同じようなことをしても訓練にならない。だからフェガは自分についてこさせる形で山を登りつつ、メロンを鍛えようとしていた。


「それにしても、本当に良かったのか?」


 フェガは少しスピードを落としながら、後方のメロンの表情を、向こうから悟られない程度に確認した。


「何がですか?」

「グループ分けのことだ」


 ピクッとメロンの耳が動いたのを、フェガは見逃さなかった。


「テディのことがあったから仕方なかったが、メロンはテルンと一緒の方が良かったんじゃないか?」

「……どうしてそう思うんですか?」


 お互いに登り続けてはいるが、フェガはメロンの足の動きが悪くなっていることに、すぐに気が付いた。それに合わせるうちに、次第にペースは落ちていく。


「それは——お前がテルンのことを好きだからだな」

「……随分とストレートですね」

「俺は回りくどいことは苦手だ」


 足の動きであるとか、疲れたからであるとかそういう問題ではなく、二人は完全に立ち止まっていた。


「もちろん、そう見えるというだけの話だ。お前の口から直接聞いたわけではないからな。もし違うというのなら、その時は謝罪する」


 フェガはメロンと正面から向き合った。メロンは俯いていて、フェガに顔を見せないようにしていた。


「……確かに、私はテルンのことが好きです。フェガさんがわかるくらいだから、私ってかなりわかりやすいんですね」


 メロンは顔を上げた。わざと皮肉った言葉を、照れ隠しとして混ぜながら。


「だからって、別にいつでもテルンと一緒に居たいってわけじゃないですよ。テルンは強いです。私を守ってくれます。どんな敵でも大抵倒しちゃいます。でも、私は頼り切りなんて嫌なんです。自分のことくらい、自分で守り切れるようになりたい。一人でも生きていけるようになりたいんです」


 小さな頃から胸に抱えている、の感情。


「でも、今回のことはそれとは別です。ああしないと話が進まないと思ったから、ら、テルンにはテディと一緒に行ってもらいました」

「そうか。そういうことなら構わない。余計なことを言ったな」

「いえ、気にしてません。それにしても、フェガさんとこういう話をするとは思いませんでした」

「そうだな。自分でも意外に思っている。……そろそろ行こう。日暮れ前に戻らないと厄介だ」

「了解です」


 フェガは頂上に向かって再び走り出す。


「亜人界で生活していた時も、フェガさんはよくこういうことやってたんですか?」


 フェガの背中を追いながら、メロンはふと質問した。


「そうだな。まだ幼いころはこうして山の中を飛び回って、この環境に順応するように育てられた。何も教えてはもらえないからな。全て自分の経験の積み重ねだ。一人前だと認められると、ようやく狩りをする許可が下りる。そうなれば、もう遊びではなくなる。一歩間違えば死ぬかもしれないからな」

「遊び?」

「そうだ。亜人界の生き物は、人間界とは比べ物にならないほど——」


 突然現れた鼻頭に吹き飛ばされたメロンは一瞬、目の前が爆発したと錯覚した。進んできた道を転がり続け、巨木にぶつかったところで漸く停止する。

 一歩踏み出せば、地震のように地面は震え、鳴き声はまるで竜の咆哮の如く。木々が次々となぎ倒され、土埃が舞い上がる。

 その様子は獣というより、『怪獣』そのもので。

 メロンは飛んでしまいそうになる意識を必死に引き戻し、痛みをこらえながらゆっくりと立ち上がる。


「……なるほどね。こりゃ遊んでなんかいられないよ」


 二週間のおかずの為、命懸けの食料調達が始まる。


 *     *     *


「これ……本当に川なんですか?」

「そりゃもちろん。正真正銘、川そのものさ」

「川なのに、向こう岸が見えないんですが……」

「まあここは本流らしいからな。支流に行けばもう少し風景も見られるかもしれない」


 プシノの言う通り、対岸は遥か遠くに存在していて、豆粒程度にしか見えていなかった。


「でも水自体は相変わらず綺麗だね!底までしっかり見えそうだよ」

「ねえテルン兄ちゃん!早く泳ごうよ!」

「待て待て。まずは浅瀬を探さないと。こんな深いところ、そのうち溺れて泳げなくなっちゃうぞ」


 急かすテディをたしなめながら、足場に気を付けて川縁を進んでいく。


「見て見てあそこ!水の色が違うよ!」


 テディの指差す先は赤、青、黄色と次々に色を変え、川の中を自由に動き周っていた。


「ああ。あれは全部魚。群れになって泳いでるんだ」

「光っているのは鱗ですよ。光の反射でああいう風に見えているのではないかと」

「いーや、あれは本当に身体の色が変わってるのさ。昔調査した時は、私もびっくりしたけどね」

「調査?」


 テディはリオの言葉に首を傾げる。リオは誤魔化すように肩を竦めた。


「なんでもないよ。ほら、あの辺りならちょうどいいんじゃない?どっちが先に着けるか競争!」

「あ!待って!リオ姉さんずるい!」


 テディを急かすように、少し先に見え始めた浅瀬に向かって走り出した。

 早速水遊びを始めたテディとリオを横目に、テルンは食料調達の準備を始める。


「プシノはテディの面倒を見といてくれ。間違って深いところに行かないように」

「わかってます。テルンさんも気を付けてくださいね」

「ああ。リオ姉!そろそろ始めよう!」

「オーケー!じゃあテディ、お姉さん行ってくるから、プシノの言うことをよく聞いて、いい子にしていてね?」

「はーい」


 テディは川の中を覗いたり、遊ぶのに夢中で、完全に上の空の返事になっていた。

 

「それにしても、どうやって魚を捕るんです?浅瀬にいるような魚では、食べられない気がするのですけど……」


 テルンはプシノの言葉にツッコむべきか迷ったが、彼女の様子が素であると判断して、そっとしておくことにした。


「ああ、それは心配ない。ちゃんと食べられるサイズの奴がいる。ただ、捕まえられるとは思えないけど」

「え?そんなに素早いんですか?いや、そうですよね。水の中だと動きづらいですし……」

「まあとりあえず、のお楽しみだ。リオ姉!はやく準備しないと日が暮れるよ!」


 そういうテルンはというと、既に下着一枚となっていて、いつでも飛び込める状態になっていた。


「ちょっと待ってよ!それとも何?テルンは私の下着姿を見たくてうずうずしてるのかな?」


 リオはセクシーポーズ!などと言いながら様々なポーズをとって見せたが、テルンは冷めた目でそれを見つめ、最後には溜息をついた。


「ねえリオ姉。ちょうどいい機会だから言っておくけど。風呂上りとか全裸で出てくるのやめなよ。俺やフェガさんは気にしないからいいけどさ。普通の感性を持ってる人からしたらただの変態だ」

「別にいいでしょ?私たち親子みたいなもんなんだし!変に気を遣うなんてことしたら鳥肌が出来そう」


 腕を抱えて震えるふりをしているリオをスルーしながら、テルンは川に足を踏み入れた。


「それじゃあ行ってくる。プシノ達はゆっくり遊んでてくれ」


 大きな水しぶきを上げながら、テルンは勢いよく水の中に飛び込んだ。川の流れに逆らいながら上流に進み、獲物を探し始める。


「そいじゃ、私も!」


 リオはテルンに負けじと派手に水しぶきを上げながら後に続いた。


「なんだか手持ち無沙汰です……」


 テディの遊んでいる様子を眺めながら、プシノはポツリと呟いた。

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