第32話 ブレストボアのレザーアーマー 《黒龍伝説》⑤

 次の日、自分は現実世界の早朝から人気の無いチームの拠点の方で早速ブレストボアのレザーアーマー作成に勤しんでいた。


 水色の体毛を持つブレストボアはファイラビットの毛皮と比べるのもおこがましいほど強靭な防刃性能を持つ、その為裁断するだけでその労力は格段に跳ね上がり、パーツを切り分けるだけでファイラビットのレザーアーマーを制作する時間を超えていた。


(裁断するハサミもそうだけど、ランクが釣り合っていなそうだな)


 今工房に用意されている器具は全部クラフトツリーの一番上、初期段階の物でありブレスボアの獣革を裁断するには無理があると考えた。


 自分のステータスのごり押しで裁断したその断面はぐちゃぐちゃでこの時点で評価が下がるのは間違いないだろう、しかも無理に切ろうとしたため器具の刃先も潰れダメになっており修理もしくは上位の器具を用意する必要がある。


 工房専用のアイテムボックスを覗いてみれば昨日とは比べ物にならないほど潤沢にアイテムが納入されており、ブレスボアの素材は勿論、上位の器具制作に必要な鉱石類も充分に入っていた。


 その中から幾つかの鉱石を取り出し、現時点で最も性能の良い器具を制作する。小さな炉を灯し、決められた手順で制作していけばクラフトという分類上、装備品を作るような手間暇は関係なく各種器具が揃った。


 多少もったいないかなとは思いつつも最初に裁断したブレストボアの獣革を廃棄する。そして新しいのを作業台に乗せ裁断を始める。


(うん、まだ引っかかりはあるけど十分そうだ)


 力任せに切ろうとした結果、刃先が潰れてしまったが新調したハサミは強靭なブレストボアの革をしっかりと裁断し、先ほどとは比べ物にならないくらい奇麗な断面をしている。


(そういえば……)


 型を取り、パーツごとに分け作業台に並べる。何十とあるパーツは一つの作業台に収まらなかったのでまだ使われた形跡の無い隣の作業台も使わせてもらうことにした。


 早朝の澄んだ空気の朝、人気は全くなく薄暗い、夜は夜で騒がしくその雰囲気も好きなのだがこうやって集中して物事に挑む際はこのような空間が好ましかった。


 そんな中、裁断したパーツを見ながらふと思った。これにこの前調合したアイテムを使ったらどうなるのだろうと


 主に塗装という形になるが、単に表面に塗るだけじゃない、現実世界では様々な建物や機械に塗料は塗られそれぞれ耐食性や耐候性を備えている。更には戦闘機と言った航空機に至っては、塗装によって燃費の低減からステルス性能の向上といった重要な役割を持つ


 それが予想以上に長い戦いの始まりだとは思いもしなかった。









 塗装という魅惑に取りつかれ軽く一週間は立った。その途中草原兎のレザーアーマーを納品しつつ、表向きはブレストボアのレザーアーマー製作は難易度の高さ故失敗続きという形になり、いつの間にか一週間が経った。


 八月丸々ある黒龍伝説のイベントの四分の一をこの塗装技術に費やしてしまったのだが、予定にあった自分以外の鍛冶プレイヤーがいつまでたっても現れず。鍛冶が出来るプレイヤーが自分しかこのチームに居ないのもあってか見逃されている感じがあり心苦しさもあった。


 鍛冶プレイヤーの深刻な不足はランキングにも如実に表れ始め、最初の2~3日はランクインしていたシュタイナー達もランキング外、七万組あるチームランキングでも下位に位置する事態となっていた。


 正直言えば自分が素直に塗装を施していないブレストボアの装備を作れば遠征班はもっと奥地へ探索を伸ばせるだろうし、ボスも倒せるだろう


 ただ自分のエゴで最低限の働きをしていない自分でも遠征班の人は腐ることなく素材を納入してくれる。






「ついにできた」


 イベント8日目の朝、その結果は想像以上の性能を持って生まれた。


〈冷炎纏う息吹猪の革鎧〉    レア度C

 制作評価  4

 種類    特殊革鎧

 装備条件  無し


 追加効果  物防+33 魔防+20 〈火耐性・中〉 〈氷耐性・中〉

     〈行動阻害低減〉〈MPを消費することで基礎性能上昇〉


「おぉ……」


 これは誰が見てもFW界隈を揺るがすほどの防具だと確信するだろう、胴、肩などの人体を覆う黒い革に青い毛並み、そこからは前に作ったカエンタケとコオリタケにツヅレ草を水8と毒沼の毒水を2の割合で混ぜた塗料を塗っては乾かしつつを何十にも重ね塗装した。


 失敗した防具は両手では数えきれない程だろう、消費した素材はトッププレイヤーでも躊躇してしまう程の金額になったかもしれない、しかしそれらを吹き飛ばすほどの防具が完成したのだ。


 相変わらずの早朝に人気の無い工房で一人喜んでいると


「できたの?」


 わーいと小躍りしながらその革鎧を眺めていると後ろから少女の声が聞こえた。


 ん?と振り返ってみると朝焼けの光に照らされる銀色の髪、うっすらと見える顔は忘れることのできない程整った美貌


 防具完成に喜んでいた自分は感情の異常な振れ幅により一時的なショートを起こした。




「そう、完成したの」


 早朝の人気のない拠点、一週間のうちにほとんどの重要施設は建設が完了し、その中の一つギルド会館のテーブルには完成した革鎧が置かれ、それを挟むように自分に姫騎士が椅子に座っていた。


 自分はまるでこれから怒られる人間のような、それに対し姫騎士は対して感情を表に出さず。そう、なるほどと端的な言葉で返していた。


「ユナでいいわ」


 最初姫騎士に話そうと思い名前が分からないと思いどうしようかと思った所、それを察した姫騎士はそう言うと同時に非公開にしていた名前が表示されYUNAと書かれていた。


「私、あまり名前で呼ばれたくないの」


 そう彼女は言うと表示されたプレイヤー名は先程と同じように非表示になりplayerとなった。そういえばコロシアムでもみな彼女の事をユナとは呼ばずに姫騎士と呼んでいた。最初は気にならなかったもののよくよく考えれば不自然だ。


「興味の無い人から気安く呼ばれたくない、色々と面倒だし」


 彼女はそう言うと気怠そうにはぁとため息をつく、彼女曰くリリース当初から始めているがその顔立ちから何かと面倒な事が多かったらしい、最初の頃は野良でパーティーを組んだりして遊んでいたもののその後に個人的なお誘いだったり、同性であればいらぬ嫉妬を買ったりしたそうだ。


 最初は偶々そういう人たちと当たったと思っていたのだが、毎回毎回似たような事が起こり辟易していたところ、リリースから一週間後にコロシアムが実装、ソロでも楽しめるコンテンツというのもありそれに熱中していたようだ。


 その後流石に装備がきつくなったという事もあり、それでもパーティーを組むのは面倒事が起きるから嫌だ。そんな中ソロでプレイしていたら今回のイベントがあったようだ。


 彼女も生粋のゲーマー、イベントによる希少な素材や強力なモンスターが出るイベントに出ない訳もなく、仕方なく遠征班としてプレイしていたようだ。


 そんな中、早朝一人でモンスターを狩った帰り拠点によってみれば人気の無い拠点で一人あーでもこーでもないぶつくさ独り言を言うプレイヤーが居たそうだ。


(それが自分と……)


 彼女から経緯を聞いてみると早朝で誰もいないから素の自分を出していたところを見られていたらしくそれがかの有名な姫騎士、その事実に気が付いた時は思わず顔から火が出るほど恥ずかしかった。


「ところで」


 早朝の誰もいないギルド会館の酒場、薄暗い店内の中で切り出すようにユナは述べ始めた。


「あなたが作ったそのレザーアーマーを譲って欲しい、勿論お金は払う」


 彼女は真剣な面持ちで、まぁ予測していた言葉を述べた。


「幾らぐらい出せるんですか?」

「全額……といっても250万ぐらいだけど」


 ほぉ、と彼女から出された金額に驚いた。250万も出せるとは幾ら彼女が実力がありリリース開始日からのスタートプレイヤーだとしても第一大陸で250万も貯めるのは難しい、それこそコロシアムのファイトマネーがあったとしてもだ。


 驚きはしたものの、正直言えば自分がお金にがめついプレイヤーであったならこの提案は即座に却下するだろう、彼女自身容姿端麗でコロシアムでもトップに位置する有名プレイヤーだ。下心を持ってたとしてもこの防具をオークションに出品すれば彼女が提示した金額の10倍は軽く払う人、クランはいるだろう


 前にこのレザーアーマーの制作を依頼してきた男性プレイヤーも言っていたがレザーアーマーの素材となったモンスターは大陸最終盤に出現するブレストボア、最終盤に出るとあってモブモンスターでもそれ相応に強い、イベントエリアという特殊環境下だからこそ素材は多く集まるが、イベント外の通常マップで集めようとしたらキルザとバルバトを隔てる山脈を越えていかなければいけない


 この前作った魔剣や大剣、杖と言ったものと訳が違い素材自体が貴重なのだ。そうして制作難易度と遂に完成した塗装技術による価値は計り知れないだろう


 ただ自分自身、幻想世界で引き継いだ使い切れないぐらいの大量のお金がありお金自体には困ってない


(こんなものおいそれと出せないしな……)


 メイクと偽の名前で出品した魔剣と違い今回はがっつり自分の情報が出ている。こうやって遠征班から資材提供をしてもらい完成したわけだが、この防具はいささか性能が良すぎる。


「正直に言うと250万じゃ足りない、少なくとも10倍以上出して最低価格って言った感じだ。あとこの防具で使った素材も欲しい」


 今回この防具で使った素材はチームで集められた共用のアイテムだ。彼らは自分の練習の為大量の素材を納入してくれているが、それを使って売買するのはまずいだろう、その為にお金以外にも条件を付け加える。


 自分がそういうと彼女は眼を見開き驚いた様子だった。無論彼女自身MMOプレイヤーであるから高性能アイテムの価値は分かっているのだろう、それも含めて個人で出せる中でも破格の値段を出してきた。


 それは個人としてでは最大の評価ではあるものの、彼女はオークションの状況を知らないようだ。単純に取引したことが無いのだろう、自分だってこの前高性能なアイテムのオークションでの価値を知ったばかりなのだから


 10倍と言われて流石に無理だと思ったのだろう、彼女の凛々しい表情は曇り残念そうな顔をしている。しかし、と自分が加えたことで彼女は俯いていた顔を上げる。


「この防具はおいそれと知られるのはまずい、いらぬ騒ぎを起こすことは間違いないしその面倒さは知っているだろう?」


 自分の問いに彼女はコクコクと頷く


「今回提示した金額に付け加えてこの防具の性能を他人に見せない、教えない……これが守れるなら譲ってもいい」

「わかった」


 さぁどうでるか、と思って聞いてみれば彼女は間髪入れず即答した。えっと内心驚きはしたが予想の範囲内だ。


「そして、この防具……性能の良い炉が出来れば武器もそれ相応の物を作る。そしてイベントが終わったら解禁されるだろうからこれでコロシアムを頑張って欲しい」


 これは自分個人の気持ちだ。コロシアムと言えば人外魔境の世界、NPCのキャラクター自体ステータスが高いのは勿論、通常モンスターとは違ったアルゴリズムを持ち、時には奇襲を仕掛けまた狡猾だ。


 幻想世界では何度辛酸を舐めたか分からない、開始数秒で何も出来ずに負けたことだって多々ある。


 しかし彼女は碌に装備も揃っていない中でゴールドまで到達した。自分がゴールド到達したのは第2大陸終盤、装備の差は語るまでもない


 つまりは彼女に期待している訳だ。自分は膨大な時間と厳選された良質な装備、そして膨大な敗北による経験だ。けど彼女は第一大陸の中盤、そしてリリースしてまだ三か月と少しでこの域まで到達した。


 勿論下心が無いとは言わない、彼女は息を飲むほど美しい女性だしFWきっての有名人だ。お近づきになりたくないと言えば嘘になる。それでも彼女にはこの防具を渡すだけの実力はあるし実績もある。


 自分の思いが伝わったのか彼女は一瞬驚いた様子を浮かべるも、少し柔らかい表情で


「はい」


 と答えるのだった。答えた瞬間の彼女は今まで驚いても起伏の乏しい無表情に近かったが初めて見る笑みは朝焼けの光と合わせて何やら神々しさすら感じた。






 ギルド会館を出ると彼女は早速貰った装備を装着する。大人用に想定されて作った大きめのレザーアーマーは彼女の装着と同時に装備者に合わせたサイズになるので、防具が彼女専用に作られたかのような感じだ。


 まぁ単なる便利な機能の一種なのだが、それでも彼女にぴったりのサイズではあるものの装着した装備を前後左右確認する。塗装付加技術によって追加された効果は様々あるが使っているうちにわかるだろう


(まぁ何とも……)


 自分のトレード履歴を見てみれば防具の見返りとして貰った金額は2,615,999Gと細かい桁だった。本当に彼女の全財産なのだろうなとは思いつつ正当な報酬だ。返すつもりもないし彼女自身も望んでいないだろう、少ない時間ではあるもののなんとなく彼女の考えていることは少しわかった気がする。


 まるで新品の玩具を貰った子供のようだなと柄に無く思う、最近ゲーム機で遊び始めた親戚の甥っ子に誕生日プレゼントでゲームソフトを送った時のような雰囲気をしている。


「まぁ、装備の効果は使いながら試してみてくれ、自分は他の人の分も作らないとだから」

「あっ……」


 それじゃ、と自分は工房へ戻る。一瞬彼女は何か言いたそうだったが肝心の成功品を彼女にあげてしまったので代わりの物を作らねばならない、先ほど小躍りを見られてしまった恥ずかしさもある。


「流石に性能を落としてと……」


 気持ちを切り替えて臨もうとする。未だこそばゆい恥ずかしさは残るものの今は心待ちにしているであろうブレストボアのレザーアーマーの量産だ。


 よし、と気合を入れなおした所でピコンと通知音が鳴る。視界ウィンドウに映るメールアイコンを見てみれば


【YUNAからのフレンド申請】


 先程の彼女からフレンド申請が来ていた。まさか、と思った。彼女は先程の会話の中であまり人付き合いが好きなタイプでは無いとのことだったからまさかフレンド申請が来るとは思ってもいなかった。


 断る理由もないので了承のボタンを押す。すると追加でメッセージもあり


【メッセージを他人に送ったことないから変かもしれないけど、ありがとう、そしてこれからもよろしくお願いします。】


 彼女らしいぶっきら棒な短いメッセージだったが気が付けば自分の口から笑みが零れていた。


 一週間もやり続けた工程に淀みは無い、最初は苦戦していたレザーアーマーの裁断も今では慣れたもんだ。


 確かに彼女の今後の行く末は気になるが、その他にもシュタイナーを含め多くの人がこの防具を待っている。流石にユナにあげたような装備はまずいがそれでも一つでも評価を上げようと気を引き締めて作業を行う





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