16

 気を付けろ。

 父さんが言っていた言葉が、苦しく、重くのし掛かる。

 苦しい。息が……。

 胸がうまく上下せず、吐くことはできても、吸うことができない。

 注意しておくんだ。

 再び父さんの言葉が響く。

「ぐっ……あ……」

 肺から空気とともに呻き声が漏れる。

 体もなぜか思うように動かず、寝返りを打つこともできない。

 か、金縛り、か……?

 金縛りは声を出せばいいと聞いたことがあるが、息が吸えないので声もまともに出ない。

 無理矢理目をこじ開ける。

 目の前が真っ白だった。さらに、黄色のくちばしと二つの目が真っすぐ向けられていた。

「グァ?」

「っておまえかーいっ!」

 胸の上に座っていたホウキを持ち上げ、新鮮な空気を肺に取り入れる。

 彩月さんにも確認を取ったが、やはりホウキはコールダックという種類のアヒルだ。だが、その体は普通のコールダックより大きく、胸に乗ればそれは立派なおもりになる。

「ぜぇ……ぜぇ……。なんだお前、年寄り呼ばわりされた復讐かこら。危うくいけない扉をくぐるところだったぞ」

 ホウキは首を傾げてこちらを見返し、足をぶらぶらとさせている。

「くっ……そんなかわいい仕草をしても許さないからな。罰として今日はペレット以外はやらん」

 それでも、俺がペット用の皿に盛ってあげたペレットを、ホウキは美味しそうに頬張っていた。

 俺はふわふわの羽毛を突きながら呻く。

「ぐぬぬ、幸せなやつめ……」

 寝起きの体を慣らしながら、スリッパを履いてベランダへと出た。

 涼しい風と赤い光が山々を包んでいた。

 どうやら夕方まで寝てしまったようである。手すりに寄りかかり、大きな欠伸をしながら目じりの涙を拭う。

 しばらく山を眺めていると、食事を終えたホウキが専用の入り口を通って外に出てきた。そのまま手すりに飛び乗ると、じりじりと俺に近づいてきた。

「なんだ。まだ足りないのか。あんまり食べると飛べなくなるぞ」

 嫌味を理解したのかどうかは定かではないが、ホウキは見せつけるように手すりから飛び立った。

 俺の前で大きく旋回すると、寮に沿うように飛んでいき、一番奥の部屋の手すりで止まった。

 俺の寮がある階の一番奥の部屋は、心葉の部屋である。

 ホウキはその手すりで、迷惑なほど大きな声を上げて鳴き始めた。

「おいおい、人様の部屋の前で鳴くなよ……」

 身を乗り出して心葉の方の部屋を覗き込む。すぐに心葉が出てくると思ったが、いつまで経っても心葉は出てこなかった。

 ホウキはしばらく鳴くと、飽きたのか再び飛び立ってどこかへ行ってしまった。

「心葉は留守か。よかった」

 それにしても、と考える。まだ完全に日は暮れてないが、もうすぐ日没のこの時間に、心葉はどこに行っているのだろう。てっきり心葉も今日はこのまま休んでいるのかと思っていたのだが。

 もしかして先ほどの俺と同じように眠っているだけかもしれない。

 だが、父さんに電話越しに言われた内容がよみがえった。

 そのせいか、胸がざわざわと揺らめいた。

 まだ寝るには早い時間だし、今の今まで昼寝をしていたこともあるのでちょっと散歩がてら外に出ることにした。

 熱いシャワーで汗を洗い流し、ポロシャツにジャケットを羽織って部屋を出た。

「あら、凪君。こんな時間からお出かけ?」

 玄関を出る際に、ばったり寮へと戻ってきた彩月さんと出くわした。手にはいくつかの清掃道具を持っており、どこかの掃除をしていたようだ。

「ええ、連休も今日で終わりですからね。今日の内に食材でも買っておこうと思いまして」

 こちらの要件はついでだが嘘ではない。連休中も高校にいてばかりで買い物をしてなかったから、まともに夕食を作ることもできないのだ。

「寮生活で毎日自炊するなんて本当に立派ね」

 感心したように唸りながら彩月さんが言う。

「それほどでもないですよ。自分しか食べない分、手の込んだものは作りませんしね」

 頻繁に夕食を食べにくるやつらが二人ほどいるから、手の込んだものもよく作るけど。

 心の中で付け足しながら、俺は聞きたいことを尋ねる。

「あの、ちょっと心葉探してるんですけど、見てないですか?」

 彩月さんの眉が一瞬下がった気がしたが、瞬きをすると同時に普段通りの笑みに戻っていた。

「心葉ちゃんなら、一時間くらい前に出て行くのを見たわよ。電車に乗ってたからたぶん、街の方まで行ったんじゃないかしら」

「そうですか。ありがとうございます」

 彩月さんに頭を下げ、丁度駅に停留していた電車に飛び乗る。

 電車に乗って走行中に擦れ違いでもすればわからないが、それはそれで構わない。

 携帯電話を使えば、連絡は簡単だ。

 だがそこまですることなのかと疑問な部分はあるし、何もなければそれでいいと考えている。ただじっとしていられなかっただけだ。

 擦れ違う電車、必死に目を凝らしながら見ていたが心葉の姿は見つけられず、街に辿り着く。

 心葉もおそらくは買い物が目的だろう。ずっと修練に付き合ってもらっていたため、買い物などができていないのはお互いのはずだ。

 買い物をするなら以前勧められた店などを回るだろう。俺はそう考えて歩き始めた。

 毎度のことながら、街はいつも賑わっている。それは本土の街々と遜色はない。

 ここにいると、美榊第一高校で起きている非日常が遠くに感じられて、俺はあまり好きになれない。

 神力を持っているというだけで神罰で戦わされる生徒と、神力を持たないと言うだけで神罰とは無縁の人たち。

 せっかくこの世に生を受けたというのに、過去の人が起こした問題が理由で、まだ先にある、普通の人が誰しも当たり前に得られる人生を生きられない。そんな生徒がこの島にはこれまでも、そしてこれからも、まだまだいるのだ。

 理不尽だ。

 俺は、理不尽が嫌いだ。世の中、理不尽なことは腐るほど存在している。まだ十七年と少ししか生きていないとしても、それは理解しているつもりだ。

 だがだからといって、理不尽は理不尽だ。道理に合わないことを受け入れられるほど大人ではないし、そんな大人になるつもりはない。

 だから、この島で戦うことを選んでいる。

 ともあれ、今はそんなことはどうでもいい。雑念を振り払い、周囲に意識を配って心葉の姿がないか探す。

 こんな広い街で一人をこれまた一人で探すなんて存外無茶な話ではある。それも連休最後ということもあって、いつも以上に人が多い。

「あ、八城君」

 一時間ほど歩き回っていると、ばったり他のクラスの青峰と出くわした。青峰は友人たちと遊びに来ていた最中だったようで、一人歩いている俺に声をかけてきた。

「八城君、今日は一人?」

 少し上ずった声で青峰が言う。

 いつも緊張したように話すのは元からなのか、はたまた別の理由があるからか。

 そこに込められている意味合いを頭の中で濁しつつ、俺は苦笑して答える。

「まあね。連休最後だからちょっと街をぶらついてたんだ」

「そうなんだ。私たちこれからカラオケに行くんだけど、よかったら一緒に行かない?」

「それは……」

 誘ってくれたのは嬉しいが、青峰は女子で他にいた面々も全員女子だ。心葉を探していることを別にしても、この中に入っていく気にちょっとなれない。

「ごめん。せっかくで悪いんだけど、別の用事があってさ」

 手を合わせながら謝ると、青峰は残念そうに肩を下げたが、他の友人たちは少し安堵したようだった。青峰が先走ってしまっただけなようで、いきなり男子が加わるとすれば気が引けるのも無理はない。

 それに、他の女子たちの内の二人ほどは、おそらく美榊第一高校の生徒ではない。一ヶ月も経てば大抵の生徒の顔には目を通しているが、一度も見た覚えはない。

「べ、別の用があるなら仕方ないね! 梨子、どんまいだよ!」

「そうそう! また頑張ればいいって!」

 あからさまに落ち込んでいる青峰を、友人たちが必死に励ます。この二人の顔は見覚えがある。確か青峰と同じクラスの女子だ。

 その中で、場の空気を和まそうと、女子の一人が俺に話を振ってきた。

「八城君の用っていうのはなんなの?」

「ああ、ちょっと人探し。この辺りで見てないかな、椎名なんだけど」

 一瞬にして空気が変わった。青峰を初めとした美榊高校の生徒だけが、表情を凍らせた。

 しかし、美榊高校に通っていないと思しき二人の女子はそんな様子で顔を見合わせた。

「椎名って、椎名心葉さん?」

「それなら、さっき市場の方に歩いているところ見たよ」

 あっさり答えた二人に、他の女子はギョッとして肩を震わせる。

「あ、で、でも見たのは結構前だからもう他のところに行ってるかも!」

「きっとそうよ。だから行っても、無駄になるかもしれないよ」

 焦りで顔を引きつらせて説明する女子たちに、俺は笑みを取り繕う。

「それでも助かるよ。ありがとう。それじゃあ俺は行くから」

 女子たちに軽く手を振りながら、その横を通り過ぎていく。

「八城君!」

 青峰の声に呼び止められ、後ろを振り返る。

 何を言おうか迷っているように口ごもり、やがて青峰も作ったようなぎこちない笑みを浮かべた。

「また、明日学校で」

「ああ、また明日」

 人混みに紛れ、青峰たちの前から消えた。

 神罰に関わるものは誰しも、心葉と俺が、というより心葉が他の誰かと関わることを恐れているような振る舞いをする。全校生徒が心葉のことを避け、心葉自身もそれを受け入れているようなのだ。

 それとなく他の生徒や教師たちに話を振ってみても、その答えを聞けることはなかった。言葉を濁すばかりで、それを口にすることすら恐れているような反応なのだ。

「まったく、嫌になる」

 吐き捨てるように独りごちながら、足早に市場の方へと進んでいく。

 市場は都市中心部から少し離れた、海寄りの場所にある。フェリーでこの島に来た港とは別に、物資などを専用に運び込む港があり、市場はその港に隣接して造られてある。

 デパートやスーパーのように整備をして造られているわけではないが、食材が溢れ返って並べられている光景が心葉は好きだと言って、以前街を案内してもらっときにもここに来ている。

 俺も料理が趣味のようなものであるか、安くて新鮮な市場の食材は魅力的で、少々距離はあるがよく通っている。

 市場は他の場所より狭い分人口密度が高く、買い物客でごった返している光景はむしろ好きではあるが、今はそれがもどかしい。下手をすれば擦れ違っても気が付かないかもしれないほど人が行き交っている。

 一ヶ月足らずで親しくなった市場の人たちと二言三言交わしながら、市場の中を進んでいく。

 だが、あちこち回ってみたものの、心葉の姿を見つけることはできなかった。

 青峰の友人が言っていた通り、もうここにはいないのか、それとも元から市場に寄らなかったのかはわからない。

 額の汗をリストバンドで拭う。まだ五月だというのに、美榊島は十分暑い。常夏とまではいかないが、南方に位置しているためそれは仕方ないことだろう。

 右腕に付けている腕時計で時間を確認しつつ市場の外に目を向けると、もう日がすっかり沈んでおり暗くなってきている。

 明日から高校だということを考えると、たとえ心葉が市場にやってきていたとしても既に帰っているだろう。そう考え、踵を返し来た道を戻っていく。

 そのとき、視界の隅で小さな女の子が転んだ。五歳くらいの女の子だったが、コンクリートの地面に尻餅を付き、目をぱちぱちとさせた後、途端に泣き始めた。

「ひでぇやつ」

 女の子の近くにいたおじさんが、人混みを睨み付けながら呟き、女の子の横に膝を突いた。

 周囲の人たちは何だろうと視線を向ける中で、俺は女の子と男性に近づいた。

「どうされたんですか?」

「ん? いやね、あいつがこの子にぶつかったんだよ。それなのに謝るどころか見向きもしないで行っちまいやがった」

 おじさんの視線の先には、ふらふらと人にぶつかりながら歩く後ろ姿があった。俺と同い年くらいの男子のようだ。ぼさぼさの髪によれたシャツを着た清潔感のない姿は周囲の視線を集めていたが、本人は意に介さないように歩き続けていく。

「迷惑な人ですね」

「まったくだよ」

 おじさんは嘆息を吐きながら、泣きじゃくる女の子をあやしている。怪我などはしていなかったようで、女の子はすぐに泣き止んだ。

 そこへ、買い物袋を下げた女性が駆け寄ってきた。

「ごめんなさい。この子がどうかしたでしょうか」

 どうやら女の子の母親のようである。

 おじさんは女の子の相手をしていたので、代わりに俺が答える。

「通っていた人にぶつかって転んだそうですよ。特に怪我などはないようですが」

 おじさんにされた説明をそのまま答えながら、先ほどの男子が歩いて行った方向に再び視線を向ける。

 離れた場所に、未だふらつきながら歩く男子の姿があった。

 そのとき、男子よりさらに向こうの人混みに、一瞬見慣れた小さなものが、街灯の光を受けて映った。

 クローバーの髪飾り。

 すぐに目を凝らすが、人混みに紛れて見えなくなってしまう。

 同時に、先ほどまで小さく映っていた男子の背中も見えなくなった。

「……すいません。俺は失礼します」

 おじさんと母親に頭下げ、俺は人混みの中を足早に進んでいく。

 クローバーの髪飾りが見えた辺りに辿り着くが、そこには持ち主の姿は既になかった。

 見間違いか、同じようなものを付けていた人がいたという可能性もあるが、胸にかかっているもやもやが歩みを止めない。

 やがて、人気のほとんどない場所に出た。海運によって運ばれてきたコンテナが山のように積み上げられている。とっぷり日が暮れて薄暗くなり、コンテナが光を遮ってさらに暗さを増している。所々街灯があるから何も見えないわけではないが、それでも注意しなければ足元に何かが転がっていても気づかないほどの暗さだ。

 こんな場所に心葉がいるわけがない。当たり前のことに今更気づいた俺は、元来た道を戻り始める。

「はぁ……何やってんだか」

 馬鹿馬鹿しくなった俺はポケットから携帯電話を取り出した。画面から溢れた光に目を細めつつ、心葉の番号を呼び出し選択した。

 携帯電話を耳に当てるとコールが響いてくる。

 これといって用があるわけではないから携帯電話を使うことは避けていたが、ここまで来て心葉がどうしているかわからないというのも間抜けな話である。

 だけど心葉が出たら何を話せばいいんだろう。何してるの、か……って彼氏でもないのになんだよこいつって話だな。

 苦笑しながら空いている手で頬を掻く。

 コール音が続くが繋がらない。コール音の数だけ不安が募っていく。

 一度携帯電話を耳から離し、呼び出し中になっている画面を見る。通話中になることを祈るが、呼び出し中の表示は変わらない。

「出ないか……」

 携帯電話を置いているのか、眠っているのか、とにかく電話には出られないのだろう。

 諦めて携帯電話を閉じようとしたとき――

「なんだ……?」

 携帯電話ではない別のところから音が聞こえてきた。耳を澄まさなければ聞こえないほどの小さな音が、海風に乗って聞こえてくる。

 それは、着信音のように聞こえた。

 俺の携帯電話は、まだ呼び出し中を表示したままだ。

 気が付けば、走り出していた。

 聞こえているのが着信音だとすれば、それほどの距離ではない。

 山積みにされたコンテナの間を駆け抜けていくと、急に音が大きくなった。

 コンテナによって作り出された通路の先に、二つの黒い人影がある。

 一つの影はコンテナに寄りかかるように座り込んでおり、その前にもう一つの影が立っていた。

 直後、振り上げられた手。その手に握られていたものが、コンテナの上から照らすライトに当てられて光る。

 それは、銀色に輝くナイフだった。

「――おいッ!」

 鋭く声を発するが、ナイフは振り下ろされた。

 人影は反射的に避けたようで、ナイフはコンテナに打ち付けられた。

 火花が散り、一瞬人影の顔が見えた。

 座り込んでいた人影は、心葉だった。

 再びナイフが振り上げられる。

 だがそのナイフが振り下ろされるよりも先に、俺はナイフの持ち主に跳び掛かった。

 体当たりをし、もつれ合いながら地面を転がり、すぐさま飛び退く。

「な、凪君……?」

 震えている声が背中にかけられる。

 影はのそのそと動き、立ち上がった。

 通話を終了し開いたままにしていた携帯電話を男の顔に向ける。画面のライトに照らされて、影の顔が見えた。

「お前は……」

 よれたシャツに紺のジーンズ、ぼさぼさで清潔感のない髪。影は先ほど市場にいた女の子にぶつかっていた男子だった。顔はやつれ頬骨が浮き上がっており、目は虚ろで生気がない。

 しかし、その顔に少し見覚えがあった。神罰の途中で何度か見たことがある。

 目の前に立っていた男子は、美榊第一高校の生徒だった。

 名前は確か、吉田。

「何やってんだよお前……」

 呼びかけにも、吉田はまったく反応を示さない。

 握られたナイフは、今もこちらに向けられている。

 しかしそれは俺にではない。

 ナイフの切っ先も虚ろな双眸も、俺の後ろ心葉から一ミリも外れない。

 心葉も腰が抜けているのか、立ち上がらずに震えている。

 舌打ちをしながら左手に天羽々斬を生み出す。消せるようになってから高校以外で持ち出したのは初めてだ。

 天羽々斬を見ても、吉田は怯むどころか反応すらしない。

 親指を使って鞘から少しだけ刀を引き抜き、刃から溢れ出す白煙を体に纏わせる。

 薄く光る白煙は辺りを照らし出す。

 後ろにいる視線を向けると、体を抱えるようにして心葉が震えている。地面には白い携帯電話が落ちており、ランプがちかちかと点滅している。先ほど俺の着信があったからだろう。買い物をしていたのは間違いないようで、袋に入っていたであろう食材がコンクリートの上に散乱している。

「一体何考えて――」

 俺の問いに聞く耳も持たず、吉田は走り出す。

 手のナイフを振り上げ、狂ったように向かってくる。

 俺は微動だにせず、体に纏っている白煙だけを操り叩き付けて吉田を吹き飛ばした。

 吉田は地面を転がり、コンテナに体を打ち付ける。

 白煙は俺が何もしなければ一切重さを持たない空気のような存在だが、足場に使っていることからもわかるように物質化をすればそこに金属と同等の重量を得ることができる。

 吉田にぶつけた白煙も加減はしており、木をイメージして打ち付けたので大した怪我は負っておらず、吉田はふらふらしながらも立ち上がった。

「止めとけよ。そんなナイフじゃ、神器に敵うわけないだろ」

 特殊な能力を有する天羽々斬に、ナイフどころか通常の刀剣の類いでは勝負にならない。

 警告したにも関わらず、吉田は再びナイフを心葉に向ける。

 舌打ちをしながら、天羽々斬を抜き放った。

 そして、仙術を使用し瞬間的に間合いを詰めると、こちらに向いていたナイフに天羽々斬を振り下ろした。

 甲高い金属音の後で、カランと音を立てて地面の上を滑っていく。

 吉田の視線がナイフへと移った。吉田の手に握られているのは柄だけなったナイフの残骸。刃はただの金属片となって地面に転がっている。

 飛び退いて心葉の前に戻りながら天羽々斬を鞘に戻す。残しておいた白煙だけを漂わせながら吉田を睨み付ける。

「おい、いい加減にしろよ。お前自分が何やってるのかわかってるのか?」

 吉田は俯いたまま肩を震わせている。

「聞いているのか?」

 再び呼びかけると、吉田は近くにあった鉄パイプを拾い上げた。

「俺は……!」

 ぎりっと歯を食いしばり、走り出した。

「うわあああああああ!」

 俺は顔をしかめながら再び白煙を操る。

 やむを得ない。手荒いやり方になるが、仕方ない。

 しばらく動けなくなってもらおう。

 天羽々斬の柄を握りしめる。

 だがそれを行動に移す前に、空気を振るわせる轟音が響き渡った。

 その場の全員の視線が上に行った。

 積み上げられていたコンテナが、俺たちの頭上に崩れ落ちてきた。

 吉田は愕然としながら動きを止め、真上に落ちてくるコンテナを見上げている。

 天羽々斬を消すと仙術を使用しながら体を返し、心葉を担ぎ上げた。

 何も考えず、全力で跳び退く。

 直後、先ほどまでいた場所に大量のコンテナが落下した。

 動けずにいた吉田の姿は、落ち行くコンテナに包まれて見えなくなってしまう。

「――ッ!」

 受け身のまで考慮して跳ぶ余裕はなかったため、背中から地面に落ち、体勢を立てなしながら制止する。

 やがて衝撃と轟音が収まり、砂埃が辺りを覆い尽くした。

 もうコンテナが崩れ落ちてこないことを確認すると、抱えていた心葉から体を離す。仙術を使っていても体がひどく痛んだ。

「心葉、大丈夫か?」

 ゆっくりと地面に降ろすと、心葉はふらふらとした足取りで立ち、呆然と崩れたコンテナの山を見つめる。

「あ……ああ……っ」

 あの中心に立っていた吉田。助かって、生きているはずがなかった。

「あああああああああああっ!」

 港に悲痛な叫び声が響き渡る。心葉は膝から崩れ落ちた。

「おい心葉……」

 内心俺も動揺していたが、心葉の取り乱し方は異常だった。

「私が……私がぁ……っ」

 頭を抱えるようにして項垂れ、うわ言のように呟き痛哭する。

「しっかりしろ心葉。一旦ここから離れるぞ」

 肩に手を置きながら呼びかけるが、心葉は耳に入っていないようで泣きじゃくるだけだ。

 何が起こったのかはわからないが、ここが安全とは限らない。

 心葉の腕を掴んで立ち上がらせると、崩れたコンテナから離れていく。

 そんな俺たちの前に、二つの影が落ちてきた。

「一体何があったんすか!?」

 現れた片方は、白鳥だった。黒いシャツに短いスカートという私服スタイルで、驚愕したように目を見開いている。

「……」

 もう片方は、御堂だった。赤い髪から覗く目は鋭く、険しい顔でコンテナを睨み付けている。

「お前ら、なんでこんなところに……」

 先ほど吉田が心葉を襲っていた件もある。

 俺は心葉を背中に隠すように立ちふさがりながら警戒する。

 神罰中でさえ軽い調子だった白鳥だが、今は別人とも思える鋭い空気を纏い、俺たちに視線を向けている。

「それより説明してくださいっす。何があったんすか?」

 有無を言わせぬ物言いに、少し考えた後、あったことを話した。

 白鳥の顔はますます険しくなり、御堂は俺たちには視線を向けず顔を歪めた。

「……やっぱりそういうことかよ」

 御堂は忌々しげに舌打ちをして、ポケットからスマートフォンを取り出して操作を始めた。画面の光に照らされた御堂の表情はどこか憤りを覚えているように見えた。

「そうっすか。吉田君が……」

 白鳥は悲しそうに目を落とし、崩れたコンテナを眺めている。

 騒ぎを聞きつけて周囲に少しずつ人が集まり始めた。それを見た白鳥は、俺たちに向かって言う。

「騒ぎになってきましたっすね。ここは僕たちでどうにかするっす。もうすぐ車が来ますから、二人はそれで帰ってください」

「帰れって、それより状況を説明してくれよ。どうして心葉が襲われたんだ?」

「別段珍しい話じゃないっすよ。この時期は美榊島の生徒が色んことが起こるってのは知ってるっすか? この件だけじゃなく、この連休だけでも既に生徒が何件かトラブルを起こしてるんすよ」

 今回の件だけではない?

「お前らは一体……」

 再び質問を投げようとしたところで、数台の黒塗りの車が港に現れた。中からはスーツ姿の男たちが流れ出てきて、周囲の野次馬たちを遠ざけ始めた。警察ではないようだが、どう見ても一般人ではない。

 スマートフォンを操作していた御堂は大きくため息を吐き、視線は俺たちにくれずに言った。

「いいからお前らは帰れ。処理が面倒になるんだよ」

「処理? 何の話を――」

 言い終わるより先に、御堂が俺の胸ぐらを掴んだ。ポロシャツを引きちぎらんばかりに締め上げ、御堂は食いしばった歯から言葉を絞り出す。

「帰れっつってんだよ」

 突き飛ばすように手を放すと、御堂はそのままコンテナの方に歩き出した。

 白鳥は肩をすくめながらぎこちない笑みを浮かべ言う。

「すいません。でも准の言う通り、今日は帰ってくださいっす」

 そして視線を、俺にしがみつくようにして未だ体を震わせている心葉へと移した。

「心葉はこちらに任してくださいっす」

 白鳥がそう言うと、スーツ姿の女性が現れた。白鳥と同じ綺麗な黒髪を長く伸ばし、かなりの童顔だが雰囲気が大人びており、年齢は俺たちの数歳ほど上に感じる。

「心葉、大丈夫? 怪我はしてない?」

 女性は心葉のことを知っているようで、心葉を気遣いながら優しく肩を抱いた。

 目を赤く腫らした心葉は、すがるような目で女性を見上げた。

「琴音先輩……っ」

 琴音と呼ばれた女性は、心葉の背中を擦りながら優しげな笑みを浮かべた。

「もう、大丈夫だから」

 その笑顔に安堵したのか、心葉は再び涙を流した。

「僕の姉なんすよ。美榊高校のOGっす」

 それはつまり、あの地獄のような神罰を生き残った生徒ということか。

 琴音さんに支えられながら、心葉は力のない笑みを俺へと向けた。

「ごめん……。助けてくれて、ありがと……」

 心葉は車に乗せられ、港から去って行った。

「八城君もほら、送りますから帰るっす」

「……いや、もうしばらくいるよ」

 俺は崩れたコンテナの山に向ける。

 吉田がどうなったのかを確かめるまで、帰ることなんてできない。

 その後白鳥が幾度も帰らせようとしていたが、聞く耳を持たずに港に居座った。

 心葉が帰った後、建設機械などに使われる重機が運ばれ、すぐに作業が始まった。積み上げられた鉄筋の上に腰を下ろし、崩れたコンテナが撤去されていくのをただただ見つめる。

 潮風に乗って流れる排ガスの嫌な臭いが鼻を刺す。さらに大量の重機が集まっているせいで、周囲は相当蒸し暑くなっており、額から顎を伝って流れていった。

 だがそれでも、視線はコンテナに向けたままだった。

 吉田の遺体が見つかったのは、作業が開始されてから二時間と少しが経った頃だった。

 発見者が大声で周囲に知らせ、担架や治療具を持った人たちが慌ただしく駆け寄っていたが、治療が行われることはなかった。

 コンテナによって押し潰された吉田の体は、もはや生きている可能性が欠片もないほど、損傷していた。頭部だけは潰されず綺麗な状態で残っていたと聞くが、首から下は完全に潰れていたそうだ。

 その状態はさすがに見る気はなかったし、見せてもらえるはずもなかった。

「吉田が死んでくれて満足か?」

 いつの間にか近くまで来ていた御堂から乱暴な言葉が叩き付けられた。

「……満足なんて思うわけないだろ」

「そうか? てっきり邪魔な生徒が死んでくれてラッキーぐらいに思っていたのかと思ったが」

「人が死ぬのは、どんなやつでも嫌だ。たとえ心葉や俺を殺そうとしたやつだとしても、そいつに文句の一つすら言ってやれないって考えると、それだけで虚しくなる」

 吉田の遺体が運び出されていくのを眺めながら呟くと、御堂は目を細めながら横目で俺の方を見ていた。

「じゃあなんでまだここにいる。吉田が死んだのを確認したかったからじゃないのか?」

「それもあるけどな」

 鉄骨から腰を浮かせながら、ズボンについた土を手で払う。

 そして崩れたコンテナを見渡す。今いる場所からはコンテナの辺りが一望できる。

 吉田を運び出していく集団から白鳥が出てくるのが見え、こちらに歩いてくる。

「なんでコンテナが落ちてきたかわかったか?」

 作業を近くで手伝っていた白鳥に尋ねると、少し戸惑った後、首を横に振った。

「いえ、何もわかっていないっす。近くに他に人はいなかったみたいっすね。それなのにコンテナが崩れてきたのは確かに不思議っすけど、不幸な事故っっすよ」

「不幸な事故か……」

 呟きながら手で頭を押さえる。

 はっきり言ってそれは、何もわからないということと同義だ。

 直後、ポケットが小さく音を立てて震えた。新着メールが来たようだ。

「心葉からっすか?」

「ああ、今寮に帰ったって」

 それから俺がまだ帰っていないことを心配しているようだった。それくらいには落ち着いてくれたようだ。

 もうすぐ帰るから気にしないでくれと返信し、携帯電話を閉じる。

「なあ、白鳥、さっきこの連休だけで既に何件かこんなことが起きてるって言ってたよな? 他にはどんなことが起きてるんだ?」

「それは……」

 咄嗟に答えようと口を開いた白鳥の前を、御堂の腕が遮る。

「理音、余計なことを言うな」

「あ、うん。ごめん」

 その短いやりとりだけでも、少し違和感を覚えた。

「お前ら、やけに親しげだな。学校じゃそんな風には見えなかったけど」

「黙れ。お前には関係ない」

 御堂は踵を返すと、片付けを続けている人たちの方へと歩いていった。

 その背中に何も声をかけられずに立ち尽くしていると、白鳥が口を開いた。

「この島には、色々な団体があるんすよ」

 その言葉は俺に向けられているようで、誰にも向けられていないようだった。視線は空に彷徨わせたままだった。

「玲次や七海も僕たちとは違うっすけど、高校側の組織に所属しているっす。高校側とは言っても、別に対立してるわけじゃないすけど、考えは違うっすからね。高校側は神罰でいかに犠牲者を少なくするかを目的として活動しているっす。今まで行われてきた対策は全て彼らが行ったものっす」

 そして僕と准は、と白鳥は続ける。

「島側の組織に所属しているんす。一般的に評議会と言います。一種の政治組織みたいなもんすね。組織全体の役割は多岐にわたるんですけど、僕らの役割は美榊高校外で生徒が問題を起こさないようにすることと情報の規制っすね。神罰全体を取り仕切っているのが僕らの仕事っす」

 他にも神罰や術の類いの情報が島外に出ないように情報統制を敷いている組織や、美榊高校の建物や武器の管理を行う工作班のようなものまで存在するそうだ。

「僕と准は幼い頃から才能を認められ、中学生のときから所属しているんすよ。幼馴染みですしね」

 白鳥は御堂の背中を見ながらくすりと笑う。

「今僕が言えるのはこれくらいっすね。悪いけど今日は失礼させてもらうっす。色々やらないといけないことが増えたっすから。明日は遅刻するかもしれないっすねぇ」

 いつもの軽い調子に戻りながら、白鳥は御堂を伴って港から出て行った。

「……」

 俺はしばらくその場で考え事をした後、崩れたコンテナの山へと、再び歩き出した。

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