15

 本年度が始まっていたいの連休に入った。

 休みに入って今日で四日目だが、神罰は一度も起きてはない。

 携帯電話を操作し、一つの番号を選択する。一ヶ月近くも呼び出していなかった電話番号だ。

 機会はいくらでもあったが、瞬く間に終える一日の連続で電話をすることなど考えもしてなかった。

 数回のコールの後、相手が電話に出た。

「もしもしー」

『凪か?』

「そりゃあ俺の携帯電話からかけてるんだから俺だろ。他に誰がこの電話から父さんにかけるんだよ」

『もしかしたらお前が神罰で死んで、誰かがお前の携帯電話からかけているのもしれない』

「……止めてくれその嫌な冗談」

 不吉な想像をしてしまい、体を震わせた。

『ふふっ。すまない。元気そうで安心したからつい、な』

 父さんは楽しそうに笑っていた。

『今はどうしてるんだ』

「自分の部屋でアヒルと遊んでる」

 リビングの椅子の一つに腰掛け、携帯電話を片手に、もう一方の手でキャベツの葉を振っている。

 同居動物のコールダックもどきは、振られるキャベツをつつき、千切っては咀嚼している。

『……アヒルって、まさかホウキか?』

「あれ? なんでホウキのこと知ってんの?」

 キャベツを嬉しそうに食べながらコールダックもどきことホウキは、名前を呼ばれて鳴き声を上げた。

 電話の向こうで父さんは押し黙り、それからは驚いていることが伝わってくる。

『……私が寮に住んでいた頃に子どものアヒルを飼い始めた生徒がいた。そのアヒルと同じなら相当長生きだな』

「そんな昔からいるのかこいつ」

 父さんが寮に住んでいた頃からだと考えると、このホウキは俺より年上なのだ。

 なんて長生きなやつ。

 呆れを通して畏怖すら感じる。

 だが、アヒルは環境さえよければかなり長生きすると聞いたことがある。これまでお世話をしていた人たちがお世話をし続けていたおかげだろう。

『それより』

 電話の向こうで父さんの声色が変わる。

『先月はどうだった?』

 今はもう五月だ。四月の最後の週は鎧武者の神罰を最後に次の神罰を来なく、ゴールデンウィークに入っている。

「……四月最後の神罰で、二人死んだ」

 父さんに先月あった神罰のことを説明した。暗い話になるのは致し方なかったが、父さんは静かに聞いてくれた。

『そうか。四月から相手が悪かった。いや、こんなことを言ってはいけないな』

 父さんはやりきれないように唸ると、小さくため息を吐いた。

「聞いたよ。父さんの代の神罰では、一人も死亡者が出なかったんだろ?」

『……』

 電話の向こうで父さんの言葉が詰まった。

『……ああ、そうだったかもな』

 沈黙の後開いた父さんの口から出た言葉は、驚くほど冷たいものだった。

『お前はそれを目指していたのか?』

 しかし次に出た言葉は、普段通りの落ち着いた声に戻っていた。

「ああ、それができたらどんなによかったか」

『止めておけ』

 鋭く遮られる。息を呑む俺に、父さんは重ねて言う。

『そんなところをしたところで、意味はない。お前が無用に苦しむだけだ。ただ何も考えずに戦っていた方が楽だ』

 それは、妙に気持ちのこもった言葉に感じられた。

「何もしないわけにいかないだろ……」

 苦々しげに呟いた俺に、父さんは何も答えなかった。

 長い沈黙が続き、ため息を吐いてキャベツを床の皿に落とした。

「グァー」

 ホウキは一度鳴くと、再び嬉しそうにキャベツを食べ始めた。

 携帯電話を耳に当てたまま椅子から腰を浮かせ、キッチンでグラスに冷たい水を注ぐ。

「それよりもさ」

 沈黙を破ると同時に一口水を飲み、一つの疑問を父さんにぶつける。

「なんで俺に法術教えてくれなかったんだよ。仙術は教えてくれたのに」

 若干嫌味を込めて言う。

 仙術と同様に昔から教えてくれていれば、確実に戦闘の役に立ったはずだ。

『お前、初めて法術を使ったとき、どうなった?』

「どうなったって……」

 質問の意図は理解できなかったが、初めて法術を使ったときのことを話した。

 父さんは呆れたように息遣いが聞こえてきた。

『それが理由だ。下手に本土で法術なんて使わせたらどうなるか、わかったもんじゃない』

 言われて気づく。確かにそうだ。

 一ヶ月程度この島で過ごしただけなのに、既に本土での生活が遠いものになってしまっている。この人が死ぬ日常すら、たったこれだけの期間で俺の日常になってしまっていた。

 先ほどまで水で潤っていた口に苦いものが広がった。

『法術も神罰に有用な手段だが、お前はもっと天羽々斬を使えるようになった方がいい』

「天羽々斬を? 俺は別に天羽々斬はそれなりに使えると思うんだけど」

『なら、お前が天羽々斬でできることを言ってみろ』

 尋ねられ、天羽々斬を最初父さんが使っていたということを思い出した。

 言われるがまま、現在俺が行っている天羽々斬での戦い方を答えた。

 天羽々斬は切れ味や強度が高いことは言うまでもないが、一番の特徴は白煙状の神力を操れることにある。白刃から生み出される白煙は、俺の神力を基に作られているらしいが、自由自在に操れる白煙を足場や壁、刃に変え使えるのは他の誰にも負けない力だと思っている。

 聞き終えた父さんは再び押し黙ってしまった。

 その沈黙に、呆れたような感情が含まれていることが感じ取れた。

『お前は、天羽々斬をまだまだ理解していないな』

「まだまだって、そんなにか?」

『ああ、過去の私に比べたらミジンコみたいなもんだ』

 ミジンコて。

 微妙なたとえに苦笑した。

『天羽々斬はお前が思っているような単純なものではない。天羽々斬は数多の神器の手が届かないほど高みに位置している存在だ。それを口で言っても理解できるものではないが、お前が願うなら、天羽々斬は必ず答えてくれるだろう』

 願いに答える。正しく神様というわけだ。

「答えると言えば、確かに一度天羽々斬に答えてもらったことがあるな」

『本当か?』

 少し驚いたように父さんの声音が少し変わった。

「一番初めに天羽々斬を使ったときにそんなことがあった。誰も信じてくれてないけど」

『私は信じるぞ』

「……それは、父さんも聞いたことがあるってことか?」

『さあ、どうだったかな』

 そうは答える父さんはとても懐かしそうに笑っていた。

『他に聞きたことはあるのか?』

 追及させないようにするためか、話を変える質問をした。

「聞きたいことはたくさんがあるけど、自分の目で見ろって教えてくれないだろ?」

『まあな』

「おい……」

『だが凪、私はお前なら、私が話すまでもなく辿り着けると信じている』

 何に、と聞き返す前に、再び次の質問を投げられた。

『島はどうだ? 昔の頃の友達には会えているんだろう?』

 自分のペースに持ち込むのは父さんの得意技であり、俺が最も苦手とする部分だ。

「ああ、会えてるよ。玲次に七海に、心葉。父さんは覚えてるか? 毎日世話になりっぱなしだよ」

 ゴールデンウィークはあまり玲次や七海とは会っていないが、心葉には毎日法術を教えてもらっている。

 心葉の法術についての技量は素人の俺から見ても素晴らしいというべきものだった。  様々な術を巧みに扱い、術に関する知識の深さにも感嘆した。本を読むだけでは得られない多くのことを教えてもらっている。

 おかげで法術のことを学び始めてからまだ一週間も経っていないが、戦いで使えるだろうというところまで来ていると、心葉が言っていた。

 本当に感謝している。

『仲がいいのはいいことだが……』

 父さんの声色が一オクターブほど下がる。

『神罰が一ヶ月ほど経ったこの時期は、生徒の状態が不安定になる。如何なるときも気を抜くな』

「……五月病みたいなものか?」

『そんな甘いものじゃないが、似たようなものだ。辛い日々の後の長い休みは、再び辛い日々を意識したとき毒になる。何が起こるかわからないから、注意しておくんだ』

 毒、か。

 あれだけの辛い現実も、休日という他の学校と変わらない日常に長く浸れば、現実に帰るときに高校に出てくるのが嫌な生徒が出ることは予想している。

 気になるのは、それが許されるかどうか、だ。

『お前は別に今すぐ帰ってきていいんだぞ? 如月校長との約束はまだ生きているだろう』

「冗談言うなよ」

 笑い飛ばすように一蹴する。

「今父さんに帰れと言われても、絶対に帰らないよ」

『はは……そうだな』

 父さんは既に俺の答えをわかっていたようだが、そこには少しの悲しみが混じっているように思えた。

「じゃあ、また何かあったら連絡する」

 長電話もそろそろに切り上げる。

『ああ、重ねて言うが、この時期は気を付けておけよ。特に心葉君はな』

「心葉? それは気を付けてるけど」

『ならいいが……。それでは、また』

「おう。また電話をする」

 通話を終え携帯電話を机に置くと、食事を終えたホウキが膝に飛び乗ってきた。

「グァー」

 ホウキはそのまま座り込むと、体を丸めてくつろぎ始めた。

「お前本当は俺より年上なんだって? 実はもうお婆さんか?」

「ガァガァッ!」

 年寄り呼ばわりされたのが気に入らなかったのか、抗議するように鋭い声を上げるホウキ。

 これほど元気ということは、もしかしたら二代目ホウキなのかもしれない。

「それにしても……」

 ホウキの頭を撫でながら、父さんの言葉を思い出す。

 この時期は生徒が不安定になる。何かが起こる可能性がある。

「何もなければ、それでいいんだけどな」


  Θ  Θ  Θ


 ゴールデンウィーク最終日、休みだというのに、俺は高校のグラウンドにいた。理由は当然、法術の修練である。

 連休の毎日を修練で潰すというのは普通の学生がすることではないように思うが、それは俺だけではない。

 心葉は毎日付き合ってくれているため、今日も指導してくれている。毎日ではなくてもいいと遠慮していたのだが、律儀に毎日指導してくれている。

 最終日ということでこれまでよりも少ないが、ちらほら自らの修練に来ている生徒もいる。その生徒たちは、法術を使っている俺や、それを指導する心葉を遠目に、稀有なものでも見るような目で眺めていた。

 俺が巨大な法術を放っているからか、心葉がいるからかはわからなかったが、二人とも大して気にせず修練を続けていた。

 昼を挟んで三時くらいまで修練を続けたとき、少し離れたところで見ていた心葉が近づいてきた。

「もうかなり使いこなせてきたね。数日でこれだけ使えるようになるなんて本当に凄いよ」

「師匠がいいからな」

 俺の前にいくつもの的が並んでいる。人が少ないのをいいことに、倉庫から運び出した的を並べられるだけ並べているのだ。

 いくつかの円が描かれた頭に、三本の足で支えられている簡易的に造られた木製の的である。この的は高校側が大量に用意しているもので、修練などに自由に使ってよいことになっている。

 今やっていたことは、横一列に並べた的を、法術を用いて正確に打ち抜いていくというものだ。

 初めの内は数個の的をまとめて消し飛ばしてしまうような惨状であったが、今では一つ一つを打ち抜く程度にはコントロールができるようになった。

 また、神力のコントロールも身に付き始め、当初のような神力切れを起こすようなこともなくなってきている。

「今日はこれで終わりにしようか。明日からまた高校が始まるから、神罰が来るかもしれない。今日はしっかり休んで明日に備えた方がいいだろ」

「だね。それに凪君はもう相当法術が使えるようになってきてるから、私が教えられることも少なくなってるよ」

「そうか。そういえば、俺父さんから天羽々斬をもっと使いこなせって言われたんだよな。そっちもやるようにしないと」

「それも重要なことだね。神降ろしで得た神器は、所持者次第で様々な能力を発現することがわかっているから、天羽々斬ほどの神器となると、どんな能力があるのかわからないよ」

「何かプレッシャーだ……」

 顔を引きつらせる俺を見て、心葉はおかしそうに笑いを噛み殺していた。

 天羽々斬の力がまだ不明な部分が多いのは事実だ。今使えている力は、ただ使えているから使っているに過ぎない。

 父さんなら知っているのだろうが、教えてくれる気がしない。

「自分で掴み取るしか、ないか」

 残骸と化した的を片付けた俺と心葉は、そのまま帰路に就いた。

 俺の寮と入り口の前で、心葉と別れる。これがここ最近の日課のようになっていた。

「じゃあまた明日ね」

「おう、今日までホントに悪かったな。せっかくのゴールデンウィークだったのに」

「ううん、大丈夫。私授業とかあまり出てないから、毎日休日みたいなものだよ」

 心葉は笑いながらそう言ったが、俺はそれを笑うことなどできなかった。

「そんな顔しないで。凪君がいてくれてるから、高校もそれなりに楽しいよ」

 寮から見える山々を眺めながら、心葉は少し寂しそうな笑みを浮かべる。

「あと、十一ヶ月……」

「そうだな。あと十一ヶ月を終えれば、俺たちも後は普通の人間と変わらない生活を送れる。それまで……」

「うん……それまで、頑張ろう」

 言葉とは裏腹に、笑みは変わらず、寂しそうなままだった。

 しかし、途端に晴れやかに笑う。昔の心葉の記憶で一番印象深い、太陽のような笑みだ。

「じゃ、また明日ね。連休明けだから神罰が起きやすいとかはないっていうけど、いつまた起きても、おかしくないから」

「ああ、わかってるよ」

 心葉は数部屋隣の自分の部屋まで歩いていき、カードキーで扉を開けた。部屋に姿を消す直前、こちらに笑いながらぴょこぴょこと手を振る姿がかわいらしく、俺も笑って手を振り返しながら、自分の部屋へと帰った。

 ホウキは部屋にはいなかった。おそらく窓の扉から外出しているのだろう。夜は必ず帰ってくるのだが、昼間はよく外に遊びに行っている。

 鞄を机の上に投げ出し、寝室にあるベッドに倒れ込む。

 いくらコントロールできるようになったとしても、法術は神力の消費が激しい。朝から何時間も続けていれば、当然へとへとになる。

 シャワーを浴びることも忘れ、ブレザーのまま仰向けに天井を見上げる。柔らかいベッドに体が沈み込んだ。

 明日からまた、神罰……か。

 他人事などではない。俺はこの島に戦力強化として呼ばれている。だが、俺だって命を落とす可能性は十分にある。

 明かりを灯していない蛍光灯を見上げながら、嘆息を吐く。

 重たい瞼が視界を閉ざしていき、薄暗い部屋が真っ暗になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る