7
始業式の翌日、部屋に用意されていたブレザーに初めて袖を通した。
これは神罰を戦う生徒のためだけに作られたもので、一見ただの学生ブレザーであるが実は相当な強度を持っているのだとかなんとか。
それからアクセサリー類も全て着用自由という校則があったため、右手に時計と左手にリストバントをはめて準備完了。
ホウキにも餌をやり、天羽々斬を手に寮を出る。
「よぉ、おはようさん」
「おはよう」
寮の部屋を出ると、そこでは玲次が待っていた。
「これからしばらくは午前の授業が特殊でな。ちょっと説明が面倒だから迎えに来た」
「面倒って何が?」
「だからそれが面倒なんだって」
そうでしたね。
玲次に連れられて寮を出て、美榊高校へと向かっていく。
七海は先に行っているらしく、心葉は聞きづらかったのでわからない。
玲次は校舎には入らずに、そのまま校舎の反対側へと歩いていく。
美榊第一高校の造りは門から入り校舎、中庭を挟んでまた校舎、巨大なグラウンド、そのさらに向こうに体育館という風になっている。他にも細々とした建物が結構な数存在しており、中には武器庫なんかもあるという話だ。
それらの施設を森のような木々が囲っており、さらに周囲を数メートルの高い塀に閉ざされた要塞のような構造になっている。
美榊第一高校は三年生だけの高校とは思えないほど巨大だ。
それはおそらく、神罰のとき戦いやすいようにと広く造っているのだろう。
中庭を横切るときに、校舎と校舎の間にそびえ立つ黒い石碑のようなものに目が留まった。
ただでさえ高い校舎の中程まで届きそうなほどの高さを持った石碑で、おそらく黒御影石でできている。太いしめ縄が中程に巻かれ、取り替えたばかりのように新しい語弊がいくつも垂れている。周囲は大きなサカキによって囲まれており、切ったものを備えるのではなく、地面に植えたサカキを丁寧に育てているようだ。
そこだけ明らかに空気が違う。澄んでいるというより石碑を中心として気のようなものが満ちているように見える。
「玲次、あれなんだ?」
「ん? ああ、あれはな、神に許してもらうためにって、大昔の人が作った祭器だよ。しめ縄やサカキでずっと祭ってあるんだ。神罰が始まった当初は校訓が大きく彫られてたらしいんだけど、今はそれもなくして祝詞が彫ってある」
「へぇ……なんか凄いな」
目を凝らすと確かに石碑には祝詞のようなものが見えている。この島の人の許してもらいたい気持ちの表れなんだろう。
中庭を通り過ぎ、生徒棟の向こうにあるグラウンドに行くと、そこには不思議な光景が広がっていた。
グラウンドには早朝だというのに多くの生徒がいたのだが、なにやら不思議なことをやっている。
「皆、何をしてるんだ?」
広いグラウンドの至る所に、複雑な模様の陣が描かれている。幾何学模様の魔方陣のようなものではなく、神道か陰陽道に則った陣のように見える。
その中心に立っている生徒はなにやら呪文、いや祝詞のようなものを唱えていた。
「お前はさ、お前の持っている天羽々斬や、俺の持っていた銃、七海の炎がどこから来たか不思議に思わなかったか?」
「当然思ったさ」
とはいえ、今まで驚きの連続で聞きそびれていたのも事実だ。
「あいつらが今やってるのは【神降ろし】っていう儀式だ」
「神降ろし? 昨日天堵先生が言ってたやつか?」
「そうだ。俺たちが使っている特殊な武器は全て、あれで呼び出すんだ」
俺が玲次の言葉に怪訝な顔をしていると、一番近くでその神降ろしというものを行っていた生徒を中心に、眩い光の柱が現れた。
十秒ほど続いた光が収まると、陣の中心には鞘に入った一振りの刀が現れていた。
「成功だ! 【宗三左文字】だ!」
その生徒が叫ぶと同時に、歓声と拍手が辺りから響く。
「なんだ今の……」
陣の中には生徒が一人、何も持たずに立っていただけだったにも関わらず、光の柱が立ち消えると同時に刀が現れたのだ。
刀を手に喜ぶ生徒の元に、傍で見ていた天堵先生が歩み寄った。
天堵は生徒から刀を受け取ると、鞘から刀を抜いて様々な角度から観察した。
「よい刀ですね。頑張って修練に励んでください」
「はい! ありがとうございます!」
刀を返された生徒は嬉しそうに頷き、他の生徒から激励を受けていた。
「あれが神降ろしだ」
再び歩き出しながら、玲次は説明を再開した。
「神降ろしっていうのは、あんな風に儀式的に神の武器、【神器】を呼び出すことなんだ。本当は禁術なんだけどな。俺たちが神罰で戦い生き残るための一番の武器だ」
「呼び出すってどこから? 博物館からか?」
俺のボケた質問に、一瞬虚を突かれたように呆けた玲次だが、すぐに笑い始めた。
「ははは! そんなわけねぇだろ。言いたいことはわかるけどな。正解は、この世ではない、時間、時空、世界から呼び出す、だ。だから、この世界に実在しているものと同形同名であったとしても、能力の有無や力の大小が同じとは限らない。実際、さっき呼び出された宗三左文字は、この世界ではどこかの神社に奉納されていたはずだ」
「なるほど、通りでね」
昨日、神刀という天羽々斬のことが気になり、ノートパソコンで天羽々斬について調べてみたのだ。寮にインターネット環境が完備されていて助かった。
調べてみると天羽々斬とされている刀は、日本のどこだかの神社に祭られていることになっていた。
俺が子どもの頃からずっと傍で見てきていたものなのに、祭られているなんておかしな話だと思っていたのだ。
「じゃあ、この天羽々斬も誰かが神降ろしで?」
「聞くところによると、凪の親父さんらしいな」
それを聞いた俺は校長が言っていた、昔父さんが使っていたという言葉を思い出す。
「出てくるものも様々で、弓や刀、槍に剣に斧、最近じゃ俺のみたいに銃まで出てくる」
「……なんでそんなもんまで出てくるんだ?」
「神降ろしで降ろした神器には一部降ろした人間の意識が反映されるんだ。実際、俺の神器は俺たちが知っている歴史では弓だけど、俺のは銃の形をしてるんだ。ちなみに今年は大抵が刀剣だな。重火器が出てくる方がイレギュラーなんだ」
「へぇー。じゃあお前銃好きなのか?」
「あーいや、別に……そういうわけじゃないんだが……」
玲次はしどろもどろになりながら目を泳がせる。
「ま、それは置いておいて……」
はぐらかした。まあ、別にいいけど。
「他にも変わったのは七海だな。あいつの場合も特殊でな。あいつの降ろしたものは【レーヴァテイン】。災いの杖や裏切りの枝とかって意味だ。元は剣って言われているんだけど、解釈は様々。あいつは左腕に細い枝が巻き付いた形になっていて、炎を操ることができるんだ」
炎を操る能力。攻撃力的にも十分強そうだし、超常的な力を象徴するような武器だ。
それから聞いた話をまとめると……。
俺たちのような島の一部の人間が持つという神力。実は俺が使っている仙術もこの神力を使って行うものらしく、神力を多く持っている人間でしか仙術は使えないとのこと。
つまり実感はないが、俺は相当量の神力を持っているそうだ。
神降ろしを行うにはその神力が必要不可欠で、降ろした神器を使い続けるにも神力が必要だ。
そして神力はそのまま人の生命力となっているため、過度な使用しすぎると寿命を縮めることに繋がりかねない。
俺が持つ天羽々斬を父さんが使っていたのは十八年くらい昔のことで、これほどの時間降ろした神器が残っていることは前例がないそうだ。
とはいえ、神降ろしは禁術であるため、何度も使用することは許されない。また、使用し続けると持ち主の命に関わる可能性もあるため、生徒は二年生の三月から神降ろしを始め、自らの神器を得て、神罰が終わると同時に手放すことが決まりとなっている。
だが、この術は中々に難しいらしく、一ヶ月経っても自らの神器を得られない生徒もいる。それが今、グラウンドで神降ろしを行っている生徒というわけだ。
妖魔と戦う力を身に付けるために、全員必死なのだ。
「俺も神降ろしってできるのか?」
「あー、できるだろうけど止めとけ。お前は天羽々斬を持っているだろ? 何度も言うが一応禁術なんだ。天羽々斬以上の神器が得られる確率なんてほぼないから、無理にやる必要はない」
「そうなのか」
でも確かに玲次の言う通り、この天羽々斬は相当な力を持っているようなので、わざわざ面倒な手順を踏んで武器を増やす必要もないだろう。
「興味本位で聞きたいんだけど、あれってどんな仕組みで発動するんだ?」
これは本当に興味本位の質問だった。術などという、少なくとも俺にとって曖昧なものが、どういう原理で発動しているのかが気になった。
それはな、と言って玲次は答える。
「地面に書いている術式があるだろ? あれに、集めた神力を流し込み、祝詞を読み上げる。それで、神力の量や性質に応じた神器を降ろすことができるんだ。神力はそれに必要な生贄みたいなもんだ」
「い、生贄?」
不意に出た不穏な言葉に、喉から上ずった声が出た。
「そんな驚くことでもないだろ?」
玲次は小さく笑って続ける。
「何かを得るには必ず代償がいる、なんてことは言わないけどな。神降ろしは、神に願って神器を授けてもらう術だ。それなのに、何も差し出さないのはおこがましい話だろ。生贄なんて言ったけど、お供え物って考え方もあるな。今は神力のコントロールの方法がある程度確立されているから捧げものは神力で賄えるが、大昔なんて自身の生血や体の一部を生贄としてやっていたこともあったらしいぜ」
「うわぁ……」
そのときの光景を想像して、頬がひくひくと引きつった。
なんだかんだの会話を経てようやく、広いグラウンドを横切ることができた。
「あ、あの!」
グラウンドの隅辺りまで歩いてくると、急に呼び止められた。振り返るとそこには一人の女子生徒がおり、俺は転校してきたばかりなので自分に用ではないだろうと思っていたのだが、女子生徒の二つの目は玲次ではなく俺に向けていた。
「ん? 俺ですか?」
女子生徒は少し離れたところに立ち、恥ずかしそうに頬を染めながらこちらを見つめていた。
「き、昨日は、助けてくださってありがとうございました!」
女子生徒は大声でそう言いながら頭を下げた。
一瞬人違いか何かかと思ったが、昨日という単語で思い出した。この学生は昨日の神罰で俺が助けた内の一人、しかも腕を食いちぎられていた槍使いの女の子だ。
「あー、いえいえ。昨日はもう一杯一杯で。そっちも無事で……」
目の前の女子生徒のことを思い出し、同時に昨日命を落とした生徒の姿がよみがえってきた。
顔をしかめ表情を暗くする俺に、女子生徒があたふたとし始め、慌てて笑顔を取り繕った。
「すいません。あなたたちが無事でよかったです。転校生の八城凪です。よろしくお願いします」
「私はCクラスの青峰梨子です。あの、同級生なので、そんなにかしこまらなくても……」
「そういう青峰もがちがちじゃねぇか。でもま、助けてくれた転校生ヒーローの前じゃ、緊張もするわな」
「も、もう片桐君余計なこと言わないで! すいません八城君。あんなこと言ってるけど気にしないで。私のことも呼び捨てで敬語もいいから」
顔を赤くして一生懸命話す姿に、苦笑を浮かべながら頷いた。
「わかった。何か世話になることがあるかもしれないから、そんときは青峰もよろしく」
「う、うん! こちらこそ!」
青峰は嬉しそうに手を振りながら、神降ろしを行っている友達のところへと戻っていき、他の生徒に囲まれてなにやら賑やかに会話をしていた。
「凪よかったなー。いきなりモテモテじゃねぇか」
玲次がニヤニヤと笑いながらからかってくる。
「やかましい」
脇腹を肘で突いてやると、玲次は呻きながらまた歩き出した。
案内された場所は、グラウンドの一角だった。
神降ろしをしている人たちからある程度の距離が空いており、周りに人気もない。
「今も見たと思うけど、ここしばらくは神降ろしを先生たちもフォローしながらやるんだ。少なくとも今週いっぱいな。だから午前の授業はない」
「だからこの時間を使って天羽々斬に慣れろってことか?」
「察しがいいな。そういうことだ」
玲次は宙を掴むように手を握った。すると、一瞬の光を放ってそこから巨大な銃が現れた。
銃と言ってもそのフォルムは近未来的な造りをしており、見たこともない濃い青の金属が重厚な光を放っている。銃身は上下が二つに分かれており、その間には神力と思しきエネルギーが光を放ちながらバチバチと音を立てている。全体にとんでもなく重そうでアンバランスに見える。普通の銃器に比べても明らかに大きいそれだが、玲次は軽々と手の中で跳ねさせている。
だが俺としては、そんな銃より玲次が今行った意味不明な行動にしか目がいかなかった。
「……あの、何したんすか?」
「ん? 隠してた神器を出しただけだけど?」
玲次はまじめに答えているようだったのだが、当然俺にそんな言葉を理解できるはずもなく、じとっとした目で見ていると、玲次が説明を始めた。
「降ろした神器限定なんだけどな、こうやって神力に分解して消しておくことができるんだ。降ろした神器が神力で構成されてるからこそできることだな」
そう言って玲次は銃を消したり出したりを繰り返してみせる。青い粒子に砕けては集まる神秘的に光景にただただ目を見張ったが、手の中にある自分の刀に目を向けた。
「それ、俺もできるのか? 元々俺が降ろしたものじゃないけど」
「んー、たぶん大丈夫だ。神器が所有者として認めてくれてるんならできるはずだ。俺だってできているわけだし」
「え? 玲次の神器も玲次が降ろしたわけじゃないのか?」
俺の問いに、玲次がしまったという顔をする。言いたくなかったことを言ってしまった、そんな顔だ。
玲次は困ったように頭を掻きながら肩を落とした。
「まあ、そうだ。でもそんなわけだから、お前もやろうと思えばできるはずだ。その内練習してみるといいよ」
言いたくないから聞くなという意味が込められているように思った。さっきも似たような反応をしていた。
それなら深くは聞くまい。
「今度やってみるよ」
天羽々斬を鞘から抜くと同時に鞘から白い煙が溢れだし、体中に纏わり付いた。
「昨日はスルーしたけど、何それ?」
「それを俺に聞くの?」
昨日神力なんてものの存在を知ったばかりの、あまつさえ初めて刀身を見たばかりの俺にわかるはずもない。
「超高密度の神力、様々なことに応用が可能」
説明してくれたのは、どこからともなく現れた、タバコを咥えた無精ひげの人。
「あ、黄泉川先生。天羽々斬のこと知ってるんですか?」
突然現れた黄泉川先生。
白衣に咥えタバコは昨日と同じだが、目の下に薄ら隈があり、口周りは無精ひげが生えている。雰囲気もどことなく疲れが見えた。
「昔、似たようなもの見たことがある」
黄泉川先生はそれだけ言うと、紫煙を吐き出しながらどこかへ行ってしまった。
「あの人もよくわからないんだよな。この高校の養護教諭って、神罰でその、死んだ生徒を扱うことも兼ねてるから、少し妙な人が多いんだ」
俺は昨日、原の遺体確認を行っていた黄泉川先生の姿を思い出した。淡々と仕事をこなしているように見えたが、あんな仕事、普通の人間の神経でできるものではない。
「ともかく先生のおかげで天羽々斬の能力がわかったな。ちょっと適当に練習していてくれ。教えてやりたいのは山々だけど、さすがに人の神器はどうしようもないんでな。他に何かわからないことがあったら何でも聞けよ」
玲次はそう言うと銃を手に離れて行き、そこで何もない空間に弾丸を撃ち始めた。
俺はそんな玲次を尻目に、天羽々斬の白煙に意識を集中してみる。
黄泉川先生の話では、白煙は高密度の神力で様々なことに応用ができるとのこと。意識させると、白煙は空気中を自由自在に動き始めた。
白煙で空中に様々なオブジェクトを作り出せる。ほとんど考える必要もなく、少し意識するだけで手足のように動く白煙。
試しに携帯電話を投げて白煙を動かしてみると、落ちる前に落下点に白煙が滑り込み拾うことができた。
「おお、これってもしかして!」
多くの白煙を出すことを意識すると、瞬く間に白煙は増えた。
さらにその上に飛び乗ってみると、俺の体は落ちずに空中に留まった。硬質化を意識して作ったものだが、まるで座布団にでも座っているような心地良い感覚だ。
「玲次ー、キントウンー」
「うわ何やってのお前!」
宙に浮かんで空を飛びまわる俺を見て、玲次が驚きの声が上げている。
人一人の体重を支えてもものともしない力と強度、十分に使えそうだ。最高レベルの神器と言われているだけあり、変わった能力ではあるが非常に使いやすい。
神の力、奇跡の技、異能力。言い方は様々だろうが、この世界には知られていないだけで科学を超越する力が確かに存在する。
だが今俺の手の中にあるのは、常識が通じない能力を持つ神の武器なのだ。
白煙の硬化を解くと、体は危なげなく地面へと降り立った。
物理現象をいとも簡単に凌駕する神の力。その力に、ただ感嘆するしかなかった。
「玲次、七海には笑い飛ばされたんだけど、刀がしゃべるなんて、あり得ると思うか?」
突然の不可解に問いに、玲次は怪訝な顔でこちらを見返す。
「刀? その刀がか? んー、そんな話は聞いたことがねぇな。でも、神降ろしで降ろした神器だからあり得ない話ではない気もする」
「そっか……」
とりあえず前例はないようである。話せるか話せないかは別として、今は間違いなく話せない状態にあるようで、昨日から幾度となく話しかけているのだが一度たりとも反応がなかった。
「まあいいや。今のは忘れてくれ」
そして、なんだかんだで天羽々斬の能力を掴み始めた頃、神罰が始まるという正午になった。
グラウンドにいると危険だということで、一旦全員がグラウンドから離れて校舎の側まで移動している。
広いグラウンドのど真ん中で、突然現れる妖魔たちに囲まれでもすれば、それは絶望的状況だからだ。
生徒たちが緊張の面持ちで待つ中、大きなチャイムが鳴り響いた。正午を知らせるチャイムだ。
鳴り響くチャイムがひどく長く感じる。いつもなら気にせず聞き流す一音一音が、こんなにも不安を駆り立てるものになるとは思わなかった。
やがてチャイムが鳴り終わり、しばらく経ったのだが結局何も起こらず、そよ風に揺られる木々の葉が擦れる音だけが響く。
十分ほど待機したが結局何の変化もなく、妖魔も現れることはなかった。
今日は来ないという幸運で高校全体がゆっくりと動き始める。昼食を食べ行く生徒や、グラウンドに戻る者など様々だ。
「俺らも飯食いに行くか?」
「うーん、それでもいいけど」
玲次と話していると、五人くらいの男子生徒が俺と玲次のところに近づいてきた。
「よっ、転校生」
「どちらさんで?」
嫌いなわけではないが、馴れ馴れしい態度に返事が自然とぞんざいになる。
「同じクラスの柴崎雄馬だ。お前に剣道の指導をしてやろうと思ってきたんだ。刀を使うんだから、剣道くらいできないとダメだろ?」
柴崎と名乗る男子生徒は、両手に一本ずつ竹刀を握っている。
「いや、別に剣道はできなくても構わないけど。やったことないしやる気もないし興味もないし」
あっさりと断ると、柴崎が笑いながら手に持っている竹刀を振る。
「いやいや、お前は余所から来たからわからないだろうけど、刀を持つには剣道やってなきゃダメなんだって」
そんな話は初耳だ。どこ情報だ一体。
聞き返してもよかったのだが、無意味な関わりはしたくない。
「柴崎、お前な……」
食い下がる柴崎に玲次が呆れたように仲裁に入ろうとするが、俺は手でそれを制した。
「要するに、転校生だから揉んでやろうってことなんだろ? そういう面倒くさいのどうでもいいんだけど」
ストレートな言い回しに、柴崎取り巻きはあからさまに顔をしかめたが、柴崎だけはニヤニヤと笑っていた。
「別にそういうつもりはねぇよ。こっちは良心でやってるんだぜ? この島じゃ何か武道が納めてるもんなんだよ。お前は刀を持ってるんだから、剣道がいいだろ?」
そう言って柴崎は、持っていた竹刀を一本投げてよこした。危なげなくキャッチした竹刀は、使われた形成がない新品のものだった。倉庫かどこからか引っ張り出してきたものなのだろう。
竹のいい臭いが鼻を懐かしくくすぐる。
「それとも何か? 島の外に逃げた男の息子だから、腰が引けてんのか?」
「……」
胸の内から一瞬にして熱いものが込み上げてきた。手の中の竹刀が無意識にミシミシと音を立てる。
煽り耐性がないと思われるのも酌だが、それでも家族のことを悪く言われて黙っているような人間でいるつもりもない。
「凪、相手にしなくていい。大体お前は」
「でも、ここで拒んでもどうせ、後で何かと因縁をつけられるんだろ」
聞こえるように言ったにも関わらず、柴崎は笑みを崩さない。
「いいよ。やってやろうじゃねぇか」
拒んでもダメ、了承してもダメと言うなら、手短に終わらせるだけだ。何より父さんのことを持ち出されて引くわけにはいかない。
「ははっ! いい度胸してんな。なるべく怪我はないように手加減してやるよ」
「好きにしてくれ。面倒くさいから早く終わらせてくれよ。面倒くさいから」
大事なことなので二回言ってみる。
さすがの柴崎も表情が崩れた。頬をひくひくと引きつらせている。
柴崎は踵を返すとグラウンドの中央に歩き始め、俺は玲次の肩を叩いて後に続く。
「にしても、いい度胸してるって、自分から吹っかけておいてよく出る言葉だよな」
なんでもかんでも相手に聞こえることも構わず言うので、吹っかけた本人たちは前で肩を震わせ、周りからも鋭い視線が飛んでくる。
「……お前なんでそんな余裕なの?」
「え? 何の話?」
首を傾げながら聞き返すと、玲次は呆れたようにため息を吐いていた。
「大体お前に剣道って――」
「ああ、今日はいい天気だな」
適当にはぐらかしながら簡単に体をストレッチする。
昼食を食べに行った生徒が多くいたため、今はグラウンドの所々に広い空間ができており、中央は人がいない上に神降ろしの陣も描かれていない場所だった。
わざわざ中央の人目に付きやすいところでっていうのがわかりやすいやつらである。
「さて、始めるか。とりあえず、適当に実戦形式で行くぞ」
柴崎が目配せをすると、残り四人の内の一人が俺の前に立った。
頭を茶色に染め耳にピアスを付け、ブレザーを崩して着ている、不良の典型のような生徒だ。どこの時代からやってきたのやら。
「ならジャッジは俺がするぞ。お前らに任せてたんじゃどうなるかわからん」
玲次がやれやれといった様子で柴崎たちに言うと、渋々そうではあったが了承していた。
「初心者相手だからな。気楽にやってくれ。手は抜く」
相手は意地の悪い笑みを浮かべて竹刀を構える。剣道で一般的な中段の構えだ。
「お手柔らかに」
苦笑して答えながらも、真似事で相手と同じ構えを取る。右足で少し地面の表面を掻き、砂をいじる。
周りに人たちは何が始まるのかと集まり始め、柴崎はそれを見て笑みを浮かべていた。
元々神罰があることで血の気のある生徒が多いのだろう。
断れば根性なしのレッテルを張られ、逆に断らず剣道を教えるようなことになっても、叩きのめせば今後逆らえない。
一見バカなことをやっているように見えるが、おそらく柴崎の考えは別にある。
道化を演じてはいるが、こいつらはただ自分たちの戦力を増やしたいのだ。
天羽々斬なんて大層な神器を持つ俺を味方に取り込んでおけば、自分の周囲に置いておけば、自分たちの生存率を上げることができる。
全体での犠牲者を減らすことも当然だが、自分たちの身を守ることがやはり最優先というわけだ。
中々堂々と狡猾なことをする。
「じゃあ二人とも、無茶はするなよ」
間に立った玲次がそう言い、俺たちの準備ができたのを確認した。
男子生徒は笑みを返し、俺は長々と息を吐きながら頷く。
「では……始め――!」
真っ先に動き出したのは相手。開始と同時に地面を蹴り、振り上げた竹刀を俺の頭目掛けて振り下ろした。シンプルなだけに素早く力強い一撃だ。
玲次や周囲からあっと言う声が上がり、竹刀を振り下ろしている相手の口が歪んだ。
振り下ろされた竹刀は、グラウンドに強く打ち付けられる。
静止画像のように止まる周囲。
「遅いね」
振り下ろされた竹刀は体をずらした俺を掠め、地面に叩け付けられ止まっている。
俺の竹刀の切っ先は相手の首元に添えられている。
相手の視線がのろのろとこちらに動く。
「どう見ても初心者相手にする攻撃じゃないんですが」
言って、動けないでいる相手の顔面目掛けて足を振るい、当たる直前で足をピタリと止めた。
「がっ!」
足に乗せていたグラウンドの砂が飛び、それを目に受けて相手が怯む。
どうやら砂埃を吸い込んだらしく、相手は咳き込みながら後退し、目を庇いながら苦しそうな視線を俺に向けた。
手を抜くなんて言っているが、体の力の入れ具合や視線、構えなどから手を抜く気がないのは一目瞭然だった。
「そ、そこまで!」
少し遅れて玲次が止める。
そして、周囲から見ていた生徒たちから小さな歓声が上がった。
「な、何やってんだ!」
柴崎は咳き込んでいる生徒を掴むと後ろに突き飛ばし、生徒は地面に転がった。
「おい凪、仙術は使うなよ? こいつらは使えないからな?」
玲次が小さな声で確認を取ってきたが、その声はしっかりと柴崎の耳にも届いていた。
「せ、仙術!? お前仙術使えたのか!」
柴崎が目を剥いて叫んだが、うんざりして否定する。
「そんなの使うわけないだろ。仙術はこんなことのために使う力じゃない」
使う必要がなかったというのもあるが、父さんに仙術を好きに使っていいと言われた今でも、俺にとって仙術は必要に迫られ使うものだ。
「次は俺だ!」
「おいおい、ちょっと待てよ」
こっちに進もうとする柴崎を、俺は制した。
「まさかお前ら全員といちいち戦えって言ってんじゃないだろうな? 面倒くさいから早く終わらせろって言ってるだろ」
「……何が言いたいんだ?」
柴崎が凄ませた目で俺に向けながら言う。
俺は口元をニヤリと歪め、竹刀を柴崎たちに突き付けた。
「面倒くさいから、全員まとめてかかって来いって言ってんだよ」
その言葉に、ジャッジをしていた玲次だけでなく、柴崎までもたじろいた。
「俺を島から逃げた男の息子、腰が引けた余所者つったよな? そこまで言っておいて、今更逃げたりは、しないよな? 剣道もできない余所者なんだぜ?」
柴崎は一瞬怯んだように後方に足を引いたが、何かを振り払うように無理矢理前に踏み出した。乾いた笑みを浮かべていたが、それは次の瞬間には鋭いものへと変わった。
「ははっ、そうかい。なら、お望み通り……」
柴崎が目配せをすると、柴崎の後方にいた生徒も竹刀を握りしめた。
「叩きのめしてやる!」
柴崎たちは玲次の開始の合図もなしに、一斉に俺に向かってきた。
「おい!」
玲次がすぐに止めようとするが、既に柴崎の竹刀は振り下ろされている。
俺は落ち着いて竹刀を横にし、柴崎の竹刀を一瞬だけ受け止め、そして受け流した。
「――ッ!」
竹刀が空を切り、勢いあまった竹刀はその先の誰もいない地面を打った。
素早く竹刀を踏みつけ地面に固定したとき、背後に回り込んできた生徒が俺の背中に竹刀を振るう。
後方を一瞥し、背中に回すように竹刀を置いて攻撃を受け止めた。
そのまま体を回転させ、柴崎の竹刀を押さえつけていた足を背後の生徒に頭目掛けて振り上げる。
「ひっ――」
情けない声を上げ、先ほど砂で目をやられた仲間のことを思い出し目を閉じたしたところで、足が鼻っ面を掠めた。つま先に微かな衝撃が伝わってくる。
足からは放たれた衝撃が生徒の茶色の髪を揺らす。蹴りが直撃しなかったことを安堵する生徒だが、真っ赤な血が鼻から流れ出していることに気付く。
へなへなと地面に座り込んだ生徒に構わず飛び退くと、先ほどまで立っていた場所を柴崎の竹刀が通り過ぎていった。
「どこに振ってんだよ」
嘲笑したとき、柴崎の背後から竹刀の切っ先が顔を覗かせた。
気づいたときには竹刀が俺の首元目掛けて飛んできた。
それを下から竹刀で打ち上げる。さらに、生徒の足元に滑り込むと足払いでバランスを崩し、襟首を掴んで投げ飛ばした。背中から落ちた生徒は激しくむせている。
残るは、柴崎だけだ。
自分一人になったにも関わらず柴崎は竹刀を降ろす気はなく、忌々しげに俺を睨み付けて竹刀を突き出し、薙いできた。
幾度も振られる竹刀を、同じく竹刀を用いて捌いていく。避け、受け流し、受け止め、弾き返し、様々な方法で防御に徹する。
「て、てめぇ……何かやってたな……」
苦々しく顔を歪める柴崎に、笑みを浮かべて言葉を返す。
「ご明察。俺ができるのはあくまで剣術だけど。剣道の試合のようにどう勝つかを重んじるんじゃなくて、どうやって相手を倒すかを重視する方。だから――」
右手で竹刀を逆手で持ち直し、上段から振り下ろされた竹刀を捌く。そして空いた左手を柴崎の首元に突き付けた。
「剣以外も使う」
「お、俺は十歳から毎日のように剣道やってんた! おめぇなんかには負けねぇよ!」
柴崎は一度距離を取ると素早く間合いを詰め、竹刀を首に突き出してきた。
それをバックステップで躱すが、柴崎はそこからさらに乱暴に竹刀を振り下ろし、再び突き出してくる。
避けるか竹刀で捌くかして柴崎の攻撃を凌いでいく。その攻撃の一つも俺に掠ることもない。
「悪いけど俺は三歳から竹刀を握ってる」
今となっては納得である。まだこの島にいた頃、父さんはほとんどの時間を島の外で過ごしていた。
しかし島にいるときに、自然と俺に剣術を教え始め、俺自身も剣術を好いたため、父さんが島にいない間も別の人に指導してもらっていた。
島を出た後も父さんに教わり続け、それはつい先日前まで続いていた。
そんなことを父さんが俺に仕込んでいたのも、神罰のことを見越した上でのことだったのである。
「くそッ! 余所者のくせに!」
柴崎はさらに滅茶苦茶に竹刀を振る。もはや剣道もあったもんではない。これではただのチャンバラだ。
姿勢を低くしてすっと間合いを詰めると、少し力を入れて柴崎の左腕を叩く。
柴崎の竹刀から左手が離れたところで、下から柴崎の竹刀を思いっきり打ち上げた。柴崎の竹刀は手からもぎ取られ、回転しながら空高く昇っていく。
「ぐぅっ」
柴崎は右手を押さえて膝を突き、俺はすかさず竹刀を柴崎の喉元に突き付けた。
周囲の音が一瞬完全になくなったが、上空に舞い上がっていた竹刀がグラウンドに落ちると同時に、音が戻ってきた。
「俺の勝ち、でいいよな?」
確認を求めたが結果は明らかであった。
柴崎は手で竹刀を払い退け、苛立ちの怒りを込めた目で俺を睨み付けると、他にいた連中とともにグラウンドから出て行った。
「「「「おおおおおお!」」」」
周りからどっと歓声が上がり、たくさんの拍手をもらった。
「どうもどうもー」
少し照れながら歓声と拍手に応え、ぺこぺこと頭を下げる。
転校二日目からかなり目立ってしまったが、後々大丈夫だろうか。
そんな心配をしていると、周囲の生徒の中から小柄な女子生徒が飛び出し、凄い速さで近づいてきた。
人間離れした動きは間違いなく仙術のもので、咄嗟のことに竹刀を構えたがその女子生徒は一メートルほど離れたところで急停止した。
「凄かったっす!」
息がかかるほど近くまで顔をよせて女子生徒は叫んだ。
美榊第一高校にいるのだから高校三年であるとは思うのだが、まだ中学生でも通用しそうな童顔と小柄な体型。
あどけなさを残す顔には黒い目が興味深そうにキラキラと光っていた。
「噂の転校生っすよね!? なんでそんなに剣が使えるんすか!? と言うか、なんでこの島に来たんですか!? あなたは一体何者なんですか――!」
矢継ぎ早に質問を重ねる女子生徒の右手には最新機種のスマートフォンが握られており、残像が見えるほどの速さで画面をタッチしている。
「お、おおう……」
あまりの剣幕にたじろいていると、見かねて近づいてきた玲次が苦笑しながら女子生徒に言う。
「おい理音、初めてのやつにそんな質問責めするなよ。引かれてるぞ?」
おっと、と声を上げ、理音と呼ばれた女子はぴょんと俺から距離を取った。
「これは失礼!」
左手で敬礼しながら声のボリュームは一切落とさずに少女が叫ぶ。
「僕は白鳥理音と言うっす! 同い年には見えないかもしれないっすけどきちんと十七歳っす! 初めましてっす!」
まさかの僕っこの登場と、その異常なテンションの高さに顔を引きつらせて後ずさる。短く切り揃えられた黒髪がボーイッシュさを助長しており、好奇心の塊はまさに元気少年を彷彿とさせる。
このまま逃げ出そうかと考えていると、玲次が白鳥の頭にチョップを入れた。
「ああ、こいつはいつもこうなんだ。初対面だと驚くよな。俺も同感だよ」
言いながら玲次はビシビシと白鳥にチョップを続ける。
「ちょ、痛いっすよ玲次! 暴力生徒会長って記事書きますよ!」
「ちなみにたった一人の新聞部だ。なんかあるとすぐに記事にされるから気を付けろ」
この高校ではほとんどまともに活動している部活はないらしい。神罰なんてものがあるから当たり前ではあるのだが、それでも正しく活動している部活はある。それがたった一人の部長が務める新聞部というわけだ。
スマートフォンを連打する指を一切止めることはなく、白鳥は詰め寄ってきた。
「えっと、八城凪君っすよね? 今度の新聞は転校生のことを載せるつもりなんですよ! 見出しは、【天才転校生! 妖魔だけでなく高校の悪も叩きのめす!】。洗いざらい話してくださいっす!」
「や、やめろバカ! そんな記事を書くんじゃない!」
そんなことをされてしまえば、この高校どころか島自体で居心地が悪くなってしまう。もっと平凡に過ごしたいのに、転校生の記事など溜ったものではない。
走り出そうとした俺の腕を玲次が掴んで止める。
「止めとけ凪。さっきのでわかったと思うけど、こいつも仙術使いだ。しかもスピードに特化した面倒くさいやつでな。絶対に逃げ切れないから諦めろ」
玲次の目には悲しみがこもっており、それが経験談であることを察した。
白鳥の目も嘘を言っているようには見えず、白鳥の目は逃がさないと決意の意志が宿っていた。
諦めてため息を一つ落とすと、げんなりとして了承した。
ただ、話すは話すが大きな記事にはしないことを条件にしてだ。昼休みになったこともあり、食堂で昼食を取りながら取材という運びになった。
そこで取材料ということで白鳥が俺の分の昼食代を出すと言い張り、断ろうとしたのだが、白鳥はこの島での有力者の娘で金持ちらしく、取材料ということできっちり払われてしまった。
白鳥は小食らしく、自分が頼んだかけうどんはさっさと食べ終わってしまい、沈んだ面持ちでカレーをつつく俺に次々と質問をしていた。
「なるほどなるほど。八城さんは神罰の戦力強化で戻ってきたと」
「ああ、そうなんだ」
力なく答える俺を、横から玲次と七海が憐みの目で眺めていた。
玲次はグラウンドからそのまま一緒に来て、途中で会った七海も一緒に昼食を食べている。
「こんなに早く理音に捕まるなんて、凪も運がないわね。さすが幸薄男」
「「そこ失礼なこと言わない!」」
ビシッと指を差しながら、俺と白鳥は同時に抗議する。
「俺は好きでこんなことになってるんじゃない! 大体幸薄って、俺はそんなに不幸体質じゃないぞ!」
「いやいや、俺も七海に賛成だ。小学校の頃遠足でお前だけ……」
「うああああ! それ言うなよ! つーかそんなことよく覚えてんな!」
「そんな黒歴史はどうでもいいっすけど、僕がしてることは重要なんっすよ! こんな殺伐とした高校には、娯楽の一つでもないと皆やってられないんすよ!」
そんなことを言う白鳥に、俺は内心感心していた。
血生臭い神罰という戦いの中でも、白鳥のように学生生活を楽しく過ごそうと考えている生徒がいることに驚き、その考えを貫いている白鳥は単純に凄いと思った。
白鳥はスマートフォンを操作しながら眉を下げて言う。
「高校生は人生で一度しかないんすよ? 死ぬかもしれないこの高校でも、卒業した後のことも考えとかないといけないっすよ」
そこまで言うとスマートフォンを切ってポケットに突っ込み、空になったどんぶりを持って席を立った。
「八城さん、お話ありがとうございましたっす。言われた通り記事は少し小さめにして載せますので安心してくださいっす。ではでは」
白鳥はぺこりと頭を下げ、軽快なステップで食堂から去って行った。
「あんなでも神罰のときは頼りになるんだよ。仙術使えるし、戦闘技術も相当高いんだぞ」
「軽いところさえなければいいやつね。確かに」
散々な言われようである。
俺は残っていたご飯を口に押し込み、箸を置いて食器を持ち上げた。
「じゃあ俺も行くわ。昼からの授業はサボるから、もし先生になんか言われたらよろしく」
「サボるってお前……授業初日からよくそんなことできるな。まあ問題はないんだけど」
授業は基本的に自由参加という話なので、授業に出なかったとしてもなんら問題はない。
それをわかっての行動ではあったが、普通の学校のように授業に出ないといけないとなっていたとしても、結果として行動は変わらなかっただろう。
「どこに行くの?」
「んー、まあちょっとな。大したことじゃないから気にしないでくれ」
適当にはぐらかしながら食器を片付け、食堂を出て行く。
校内を適当にぶらぶらと歩きながら、目的の場所を探す。
玲次や七海に部屋の場所を聞いてもよかったのだが、ある程度教室の場所を把握しておきたかったので、適当に歩き回りたかったのだ。
美榊第一高校には教室や道場などがある生徒棟と、職員室や事務室などがある教員棟に別れている。
目的の部屋は教員棟にあることはわかっていたのだが、場所までは知らなかったので適当に彷徨っていると、角から出てきた人とうっかりぶつかりそうになった。
「あ、芹沢先生」
「おお、凪君。授業は出なくてもいいのかい?」
彷徨っている間にいつの間にか授業が開始していたようだ。そういえばチャイムも鳴っていた気がする。
一瞬咎められているのかと思ったが、校長でもあるにも関わらず芹沢先生は特に悪いとは思っていないようで、本当にただの確認で聞いてきたようだ。
「ええ、多少なら問題ありません。それよりお伺いしたのですが、図書室ってどこにありますか?」
目的の場所、図書室の場所を尋ねると芹沢先生は少し眉を下げた。
「図書室……何か用があるのかね?」
「ああ、えっと、神罰のことについてもっと知っておく必要があるので。図書館ならそれくらいの資料が揃っているかなと思いまして」
俺はこの島のことや神罰のことについてほとんど何も知らない。だから自分で調べようと思ったのだ。
玲次や七海に聞けば教えてくれるだろうが、二人にとっては今更なことだし、あまり聞き過ぎるのも気が引ける。
「それなら最上階の一番端だが……」
芹沢先生は言いにくそうに口ごもっていたが、俺が首を傾げているとぎこちない笑みを浮かべた。
「いや、なんでもないよ。それなら私が案内するよ」
わざわざ芹沢である芹沢に案内をさせるなんてと断ったが、芹沢先生に遠慮しないでと諭され、そのまま案内されていく。
「何が知りたいんだね?」
「なんでもです。神罰、神力、この島のこと、神降ろしのこと。今の俺は、この高校の誰よりも無知ですから」
前を歩く芹沢先生はため息を吐いて首をすくめた。
「数年前までなら神罰のことなら何でも知っている人がいたんだけどね。その人がいたら凪君の質問にも簡単に答えてくれていただろう」
「芹沢先生より詳しかったんですか?」
「志藤天樹先生と言ったんだがね。その人は神罰が始まったときからこの高校にいたから、誰よりも詳しかったんだ。数年前、神罰で亡くなったがね」
「神罰で? 先生たちも神罰で亡くなるんですか?」
「それはそうだよ。神罰が起きるときも我々は校舎内にいるからね。基本的に戦闘には参加しないが、それでも運が悪ければ、ね……」
神罰中、教職員は避難しているものだと思っていたが、生徒たち同様に命の危機にさらされているようだ。戦う必要がないのに、それでも一緒にいてくれる。この高校の先生は、全員死の覚悟とともにいるのだ。
最上階の図書室に案内され、芹沢先生が司書の先生に事情を説明している最中に図書室に目を通した。
さすが、蔵書の数も大したものだ。もし神罰なんて厄介なものがあったらゆっくり読む時間もあったろうに。
「ではそういうことでよろしくお願いします。じゃあ凪君、私は用があるのでこれで。ここは自由に使ってくれていいからね」
芹沢先生は帰っていき、俺と司書さんだけが残された。
司書の人は眼鏡をかけた年配の方で、おそらく七十を超えたくらいの年齢だろう。
「えーと、八城君、だったね」
「はい、八城凪です。よろしくお願いします」
俺が頭を下げると、司書のおじいさんは皺の多い顔をくしゃっとさせて微笑んだ。
「私は円谷惟茂。この高校の教頭兼司書だよ。ああ、君があの八城君の息子か」
「あなたも知っているんですか?」
もはや知らない人に会うことの方が少ないんですけど。というか知らない人がいただろうか。
「もちろん。たぶんちょっと昔からいる人なら知らない人はいないよ。それほど有名人だから。なにせ、その代の神罰の死亡者を、ほぼ零で終わらせたという伝説を持っているから」
「零!?」
あんなことが一年間続いたのに、誰一人死者を出させずにその年の神罰を終えたっていうのか。
父さんってそんなに凄かったのか……。
まさか父さんがそんな壮絶な高校生活を送っていたとは知らなかったため、まったく実感が湧かない。
「おっと、つい脱線してしまった。悪いねぇ、歳を取るとどうにも。神罰関係の資料だったね」
のんびりと話す円谷先生は、神罰関係の本の場所を教えてくれた。
「あの辺りの本は基本的に持ち出し禁止だけど、君なら好きに持ち出してくれて構わないよ」
「では、必要なときはそうさせてもらいます。それであそこの本を全部読んで神罰博士になれるように頑張ります」
俺の言葉に一瞬不思議そうな反応を示した円谷先生だったが、すぐに楽しそうに笑い始めた。
「あははは! そうだねぇ。もし君が神罰の全てを紐解くようなことができれば、原因となった人たちも報われると思うよ」
「はい。頑張ります」
神罰関係の本がある場所は、図書館の隅の方の部屋だった。古い本の甘い香りが漂ってくる。
壁に一面に並べられた本棚に、最近の本と思われるものから紐で束ねられた古いものまで様々なものが詰め込まれていた。
「さーて、勉強勉強」
授業をサボっている手前、遊び呆けているわけにもいかない。隅の机に何冊かの本を持ってきて、読み始める。
神罰。
――一九六×年より、美榊島の高校に起こった。突然の事態に対応することができずに初年の生徒は多大な被害を受けた。。
――開始から数年後、毎年始業式に始まる神罰の対策として、高校から人を排除するという方法を採る。成功し、その年の神罰は起きることがなく、死亡者はなし。
――翌年、島全体に神罰が発生し、生徒のみならず、島民全体に甚大被害が出る。その年の神罰はその一度切ではあったが、さらに翌年から高校に生徒を残すと、高校のみに限定した神罰に戻った。
高校から生徒を逃がすというのは俺も考えたが、その策を講じない理由はこれにあったのだ。高校生だけを戦わせないという方法では効果があるが、リスクがあまりに高過ぎるし生徒を危険にさらすことになったとしても、戦う技術を持たない一般人までを巻き込む戦いに発展させるわけにはいかない。
――この件を境に、美榊島は様々な行動を起こしていく。
――高校を二つに分け、第一高校に三年生、第二高校に一、二年生を置く。これは問題なく成功し、第一高校の三年生だけで神罰を迎えることになる。
――島に伝わる術や武器だけでは限界もある。力不足と判断されたため、禁術である神降ろしの術を使用し、戦力強化を図る。
――これも成功し、神の怒りを買うことはなかった。
日記のようにまとめられた本の最後は、こう締めくくられていた。
――これからも我々は、我々の子どもたちを守るために行動をしていくが、忘れてはならない。これは島の人間が神を攻撃するという大罪を犯したことが原因なのだ。
――我々は、神の罰を受け続ければならない。
「はぁー……」
短く息を吐き、読み終わった本を棚に戻す。
神罰で生き残るために、どうにかできないものかと考えてこれを読んでいたのだが、やはり昔から色々と試されてはいるようだ。いくつもの失敗の上に、現状が成り立っている。神罰が始まってから何十年も経っていてこの形なのだから、おそらく現状一番いい形ではあるのだろう。
「さて、お次は……」
さらに読書を再開する。次に手に取った本はずいぶん昔のもので、この島について書かれた本だった。
『神が遊びに来る島 美榊島』。
そういうタイトルで書かれてある本だった。
――一八二×年、クニトコタチ様と思われる神様が少年の姿で現れる。自らをクニトコタチと名乗り、笑顔で街を歩き、そのまま満足したように笑って消えて行ったと言う。
――一九六×年、神隠しが起きる。何人かの島民が忽然と姿を消す。
――一八五×年、タノカミ様と思われる神様が老人の姿で現れる。広がる田を前に一人佇み、田の主に「よい米ができる。このまま精進せよ」と言葉を残して去った。その年、田の主はこれまでにないほど豊作となった。
――一八九×年、ヤマビコ様と思われる神様が現れ、一日中山で声が跳ね返り続けるという事件が発生。後に面白かったという手紙が声の主に届く。
な、なんてお茶目な神様なんだ。ちょっと笑ってしまった。
物騒なこともたまに起きているが、これだけの情報があり全て事実とするなら、神が遊びに来るというのは事実だろう。
だとすれば神罰が起きた原因、神を攻撃したというのもあり得るのか。
「うーん」
次にどの本を読もうか悩んでいると、誰かが近づいてくる気配を感じた。
「凪君、いる?」
やってきたのは、校舎内で春だというのにショールに手袋という厚着全開の心葉だ。
「ああ、いるよ。どうしたんだ?」
「えっと、円谷先生がもう図書室閉めるけどどうするかって」
言われて右手の腕時計を見ると、既に午後七時を回っていた。
「おお、つい夢中になっちまったな」
数冊の本を鞄に入れ、読み終わった本は棚に戻していく。
「でもなんで心葉が円谷先生に言われて来たんだ?」
「私も午後はずっと図書室にいて本読んでたから。帰るついでにもしいたら言ってやってくれって」
「そうか。ありがとな」
それから二人は円谷に挨拶をして、寮へと帰っていく。
もうほとんど日が沈んでおり、廊下から見える空はほんのりと赤みを残すだけになっている。
「あれ? じゃあ俺が図書室にいたとき、ずっとたのか?」
「うん。私は奥の方で本読んでたからね。誰か来たのは気づいていたけど」
「てことは心葉も午後の授業サボったのか?」
ちょっと意地悪っぽく言うと、心葉は小さく苦笑しながら視線を逸らした。
「私が授業受けていたら先生や皆も迷惑だろうからね。図書室で一人勉強してた方がいいんだよ」
吹っ切れているような言葉とは裏腹に、表情や声色から少し寂しさのようなものを感じた。
「何かあったのか?」
顔を覗き込みながら尋ねると、心葉は驚いたように顔を強張らせていた。
その反応に怪訝な顔をしていると、心葉は何かがわかったのか、そっかと呟いた。
「ごめん、二年生の終わりに色々あってね。いや、大したことじゃないだけど」
「ふーん、ならいいけどさ。何かあったら言ってくれよ? 力になるかさ」
視線を前に戻しながら言うと、心葉はくすっと笑って頷いた。
「うん。ありがと」
「何笑ってるんだよ」
「いや、凪君全然変わってないから。ふふっ」
お前もお前で、笑うと本当に……って違う違う。
「お前だって変わってないだろ。昔から寒がりでもうとっくに春なのに今もショール巻いて」
「だ、だって寒いんだもん! 私はまだこたつ使ってるよ」
「いやいや! いくらなんでも寒がり過ぎんだろ! どうなってんだよお前の体!」
ほとんど誰も残っていない校舎を二人で騒ぎながら外へと出て行く。
「そういえば、お前は神罰のときはどうしてるんだ?」
途端に心葉の表情が曇った気がしたが、疑問に思ったときにはすぐに先ほどまでの顔に戻っていた。
「私は、基本的に戦わないんだ。先生たちと同じでね、そういう人たちは校舎の中に残るの。校舎の中って比較的安全だからね」
「校舎の中に妖魔が出る可能性は?」
「それはまずないよ。妖魔は広いところにしか現れないからね」
空間が歪んで現れていたから、周りが建物で囲まれていると出てきにくいのかもしれない。だとしたら一番多く出るのはグラウンドか。
部屋の前まで帰ってくると、心葉に少し待っていてと言われ、しばらく部屋の前から見ることが校舎を眺めていると、心葉が弁当箱を手に戻ってきた。
「お弁当、本当に美味しかった。ありがと」
「いえいえ、お口に合ったのなら幸いです」
恭しく弁当箱を受け取ると、心葉がおかしそうに笑った。
「なにそれ、ははっ。でね、お礼にクッキー焼いたから食べて」
差し出された水色の包み。ピンク色のリボンが結ばれており、女の子らしいかわいい包装がされていた。
「おお、マジか。サンキュー」
お礼を言いながら包みを受け取ると、その手を心葉が両手で包み込むように握った。
「心葉……?」
一瞬体に火が付いたように熱くなったが、俯いて少し悲しそうな表情をしている心葉に、それも氷を当てられたように引いていく。
「ごめんね。私が戦えれば、凪君を戦わせることもないのに……。私に勇気がなくて……」
「なに言ってるんだよ。俺はどっちにしても戦うぞ? そのためにこの島に来たんだからな」
「……そうだよね、凪君なら」
心葉は乾いた笑いを浮かべ、今度は真剣になって顔を上げた。
「私は力になれないけど……凪君は、絶対に生きてね」
日が暮れ、夜の空に輝き始めた星空の下で、俺ははっきりと告げる。
「ああ、絶対に死なないよ」
そして、それから数日後……。
今年二日目の神罰が来た。
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