3章 東海道新幹線上電撃戦

癒しの天使

 熾天使のウリエルは一人、草花の生い茂る平原を歩いていた。平原には常に祝福の音色が奏でられ、白百合の香りが満ちている。

 穏やかな、人間の邪心を全て洗い流してくれそうなその理想郷を、ウリエルは『ある場所』を目指し歩く。

 その腕の中には、血まみれのシスターが抱えられていた。ウリエル自身もあちこち傷つき焼け焦げているが、シスターの容体の方がもっと酷かった。

 全ては悪魔王サタンとの戦闘によるもの。サタンの残していった分霊――黙示録の獣との戦いで負ったダメージだ。

 シスターは虫の息で意識もなく、自力で呼吸をするのも辛そうであった。


 そしてようやく、ウリエルは目的地にたどり着く。

 小さな、それでいてどこまでも澄んだ泉の前に立つ。

 泉の傍では別の天使が、楽器のハープを演奏していた。

 背中に三対六枚の翼を生やした、金髪の青年。天使の例に漏れず、その美貌は大地の白百合すらが賞賛する程。美しき音色を奏でるその艶やかな青年は、この楽園において随一の存在感を放っていた。


「『ラファエル』……」


 名を呼ばれたその天使は、ウリエルの存在に気付くと、すぐに演奏を止めて椅子から立ち上がる。

 そして驚いたようにウリエルに歩み寄ると、腕の中に包まれた人間の姿を見て、再び驚いた。


「ウリエル、これは……!」


「……どうか、彼女を癒してあげて下さい……」


 熾天使セラフィムラファエル。『神の癒し』を意味する天使である彼は、あらゆる怪我や病気を治療する力を持っている。

 故にウリエルはこの場所に来たのだ。神の敵との戦いで傷ついたシスターマリアンヌを、癒すために。


「……しかし本来、この場所に人間が訪れることは……!」


「分かっています。責任は全て私が取ります。貴方には迷惑をかけません」


 ウリエルの言葉には、強い意思が秘められていた。それが分からないラファエルではない。

 少しばかりの躊躇の後、ラファエルはウリエルからシスターを受け取る。

 そして腕に抱えたままの状態で泉に足を進めて、入水していく。

 透明な水に腰まで浸かり、聖なる泉にシスターを浮かばせる。するといくらかは、シスターの顔色も良くなったように見えた。


「内臓破裂に粉砕骨折、各種血管の断裂……。筋肉繊維もズタズタではないですか……。生きているのが不思議なくらいですよ」


「彼女はサタンやサタンのしもべと戦い、そして退けたのです。我らが主の教えに従い、立派に戦いました。このエデンに立ち入って癒しを受けるどころか、生きながらにして聖人の認定を受けても当然なくらいです」


 S級エクソシストとして、シスターはこれまでに数多の悪魔を討ち滅ぼしてきた。

 そして今回、神の軍勢が相手をするべき敵に対しても、一歩も退かず戦った。彼女がいなければ、ウリエルだけでは危なかったかもしれない。

 それほどまでに、シスター・マリアンヌという聖職者の働きは大きいものだった。

 しかし――。


「……ですが、この方が聖人として公文書に名を残すことはない」


「………………」


「熱心党はカトリック教会の秘密組織。天使や悪魔の実在が世に知れ渡った後も、その存在は機密であり続ける。『シスター・マリアンヌ』の戦いが、英雄のように賞賛されることは、未来永劫ないのでしょう……」


 泉の効果とラファエルの力で、シスターの怪我はみるみる回復していく。しばらくすれば、シスターも意識を取り戻すだろう。

 その安らかな顔を見つめ、ラファエルもウリエルも、いたたまれない気持ちになる。

 恐らく、彼女は満足している。肉体を改造され薬物で身体を強化し、幾度となく血を流そうと。神のために戦えることを、神の敵を討ち滅ぼせることを、心からの満足で受け止めるだろう。たとえその身が、塵に還ろうと。


 それを哀れと思うか、誇らしいと考えるか、幸福な人生だと評するかは各人によって異なるかもしれない。

 しかし天使達は、シスターの生き様に対して、何かを口にすることを避けた。

 全ての人間の善い悪いを判断するのは、創造主だけなのだから。


「……ラファエル。それでも私は……!」


 ウリエルが口を開きかけた途端――穏やかな音色鳴りやまない楽園に、突如斬り裂くような高音が奔る。

 人間が住む下界における、戦闘機や航空機が通っていったような音。

 ウリエルは音のした方を見上げると、そこには一筋の光輝く『雲』が描かれていた。


「あれは……」


「……天界から『出撃』したのでしょう。いよいよ完成したようです。しかし実戦に投入するには、些か早いのではと僕は思うのですが……」


 話には聞いていた、天界勢の新たな『兵器』。それが下界の、それも日本国に投入されるのだろう。

 ウリエルはかき消えていく飛行機雲を見上げながら、人間も天使もやっていることはそう変わらないのだなと思った。

 そうして言いかけた言葉を呑み込み、また押し黙る。


 そんな天使達を見守る、泉のほとりに生える生命の樹。その樹から溢れ出る命の源が、聖水となって泉を形作っている。

 その泉に浮かぶシスターは、ぼんやりと意識を取り戻した。身体が温かい液体に包まれ、まるで母親の胎内にいるかのような感覚を覚えた。

 そして目を開けて最初に見たのは、熾天使ウリエルの尊顔だった。その顔は天使らしくない、どこか悲しそうな表情をしているようにも見えた。


「……主を褒め称えよ。その天使よ……皆、主を褒め称えよ……。その万軍よ、皆主を褒め称え、よ……。……アレルゥヤ……!」


 シスターが小さく唱えたその言葉は、楽園の泉に溶けて消えていった。

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