北方よりの参戦者

 東京スカイツリー。

 2012年より開業された、世界で一番の高さを誇る電波塔。634メートルのその巨塔は、人口の建造物としても世界二位の高さである。東京タワーに代わり、新たな東京のシンボルとして開業当初は注目を集めた。

 だがそのスカイツリーも今は、世界一の高さから東京を展望する人間もなく、ただの廃墟と化している。


 しかし、景色を楽しむ者が完全にいなくなったわけではない。


 銀髪の悪魔王サタンは、スカイツリーの頂上からの眺めが好きであった。

 墨田区から見える、東京の全貌。地獄の大穴が開き、悪魔達が際限なく湧き出て、首都の空を自由に飛び回っている。廃墟と瘴気に満ちた光景はまさに、平和だった世界に顕在した煉獄。

 サタンはその景色を見るのが好きだった。

 たった七日で変貌した都市。日常が変わりなく続くと思っていた人類が、絶望と狂気に飲み込まれた。今の東京は、その象徴。

 世界一高い鉄塔から見下ろす町並みはやはり何度見ても、サタンにとって何にも変え難い絶景であった。


「……またここにいたんですか、サタン様」


 スカイツリーの頂上から東京を見下ろしていたサタンに、可愛らしい悪魔の声が掛けられる。

 露出度の高い、服とも呼べないような衣装を身に着け、ピンク色の頭髪をした少女の悪魔は、空からサタンの脇へと降り立つ。

 サタンはちらりとその悪魔を視認するだけで、また無表情のまま、景色を眺めることに専念する。


「この場所は……飽きたと思っても、また来てしまえば、時間を忘れられると再確認できるからね。『アスモデウス』」


「もういっそ、ここに屋根と壁付けて住んだらどうです?」


「それも悪くない」


 アスモデウス。それが、少女のような悪魔の名前である。

 旧約聖書外典『トビト記』に記された悪魔。その罪は『色欲』。世の男共を釘付けにする豊かな肢体を晒すような恰好をしているのは、その罪状故か。

 しかし悪魔王のサタンはその身体つきに誘惑されることもなく、景色ばかりを見つめている。


「ところで、私を呼び戻したのはお前だろう? 早く用件を言いたまえ」


「そうでしたそうでした。ベルゼブブが倒されたのは……もう知っているんでしたよね」


「ああ。ベルゼブブを倒した者に会いに行ったのだが、中々面白い連中に出会えた。日本の英雄神に、ローマカトリックのエクソシスト……それから天使」


 天使。その言葉がサタンの口から出た瞬間、アスモデウスの目つきが変わる。

 周囲の瘴気が吹き飛ぶほどの殺気を放ち、周囲にいた低級の悪魔達は、スカイツリーの周辺から急いで離れていく。

 逃げ惑う低級悪魔達を見下ろしながら、それでもサタンは表情を崩さない。


「……その天使の中に、『ラファエル』はいましたか?」


「いいや、私が会ったのはウリエルだけだ」


 すると。周囲を威圧する殺気はどこへやら。アスモデウスは再び可愛らしい口調と声質に戻り、笑顔を浮かべてサタンの肩をツンツンと小突く。


「何ですか~もー。それならそうと言って下さいよ~」


「ラファエルに出会ったら知らせるよ。キミから『サラ』を奪った天使だからね」


 そうして再び、アスモデウスは笑顔に狂気を宿す。

 媚びを売るような声と表情は変わらずだが、その裏には悪魔らしい、氷のような冷酷さを隠している。

 やや低い声で「お願いしますよ」と言うアスモデウスの言葉には、他の悪魔すらも裸足で逃げ出す殺意が込められていた。


「……それで、本題は?」


 サタンは話を戻す。

 アスモデウスからの通信と、巨大な『神力』を感じたからスカイツリーまで戻ってきたのだ。スサノオやシスター・マリアンヌという、面白そうな逸材達との戦いを中断してまで。


「サタン様を呼び戻した用件でしたね、スイマセン。……警戒網を張っていた使い魔達から、『神聖存在』がこの国に突入したとの報告がありました。報告というか、したんで察知しただけなんですけど」


「天使か?」


「いえ、天使以上の存在……『神』と思われます。それも、この国の土着神じゃない。気配からして恐らく、アブラハムの宗教系ですらないです」


 そう語りつつ、アスモデウスは一枚の写真を渡す。

 使い魔達が撃破された時に撮影されたものだという。しかし写真は黒い影と真っ白な逆光だけが映し出されており、何が何だか分からない。

 その写真をサタンが受け取った――瞬間。

 サタンの手元で、写真は激しい光と炎を放って爆発した。そしてサタンの右手を粉々に砕いてから、写真は消滅してしまった。


「きゃあっ!?」


 驚愕するアスモデウスの隣で、サタンは何事もなく微笑みながら、右手を再生させる。


「……面白い」


 サタンは写真が爆発する瞬間、その神力を読み取った。どうやらこれは、『挑戦状』のようだ。宣戦布告と言っても良い。そしてその写真に撮られていた、送り主の存在も感知した。


「北極圏からわざわざ極東まで出向くとは、ご苦労なことだ……。……全同胞達に知らせろ、アスモデウス。『アースガルズから、奴らがラグナロクを起こしにやって来る』とな……!」


「ハッ!」


 サタンは笑みを堪え切れなくなる。世界はまだまだ面白くなりそうだ、と。これから起きる大戦を予想し、胸が躍る思いだった。


「さて、それでは……」


 アスモデウスが羽ばたいていった後、サタンは指先で宙に魔法陣を描く。三角形の魔法陣が紫色の光を放つと、そこから雷光と共に一体の悪魔が召喚された。


「……お呼びでしょうか。サタン様」


 白い外套に身を包んだその悪魔は、フードで頭をすっぽり隠して、顔も見せない。

 しかしその素顔に隠された残虐性や恐ろしさは、禍々しいオーラとして白装束の外側にまで漏れ出している。

 召喚者であるサタンはその威圧感を満足げに眺めながら、命令を下す。


「来客をもてなせ。地獄の34番軍団長よ。パーティーだから、なるべく派手に盛り上げると良い。……あぁ、後それから。この国では、初対面の相手にまず自分の名前を告げるのがルールだそうだ。気を付けたまえ」


「……仰せのままに」


 そして悪魔は高速で大気を切り裂き、西の方角へと向かっていった。

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