ゴー・ウエスト
サタンの襲撃を逃れ、ようやく新横浜駅へと辿り着いた、明治神宮の避難民達。
全員が息も絶え絶え、体力も精神力も尽きていた。だがついに、彼らは到着したのだ。
新横浜駅のホーム。そこには、堅牢な装甲に覆われた『列車』が待っていた。地獄との前線基地であるこの横浜から、京都までを直通で繋ぐ列車だ。
『出雲丸』と名付けられたこの列車は、悪魔の襲撃を想定し、特別に設計された車両だった。新幹線ほどの速度は出ないものの、対戦車擲弾RPGの攻撃すら耐える防御性能は、絶望に包まれた民衆に安心を与える。
人々は今からこの出雲丸に乗り込み、東京を離れて西へと向かう。未だ悪魔の勢力が及んでいない、安全圏に逃げるため。
しかしこの場において、ツクヨミだけが出発を拒んでいた。
「――何も、ずっと待機しろとは言わないわ! ただ、もう少しだけ待ってと言ってるだけでしょう!?」
「し、しかし、もう日没の時間です……! これ以上の停車は危険です……!」
先程から装甲列車の運転手達は、ツクヨミの迫力に気圧されながらも反論していた。
それでもツクヨミは食い下がる。
何故ならまだ、神子とスサノオが戻ってきていない。サタンの手によって崩落した丸子橋に取り残され、ツクヨミ達とは別行動になってしまったからだ。
だが神子は確かにあの時、「先に行ってて」と言った。必ず後で追いつくからと。
ツクヨミはその言葉を信じている。信じているからこそ、この場で待っているのだ。このまま列車を出発させては、本当に神子が東京に取り残されてしまう。
「どうしてこう、出雲の連中は融通が利かないのよ! 本ッ当、嫌になるわ……!」
そうは言っても、出雲丸の運転手達の言い分も理に適っている。
既に日は没し、もうじき夜が来る。悪魔達の活動時間だ。横浜が東京中心部から離れているとはいえ、充分に悪魔達の勢力圏。
人間が密集しているこの場所に、いつまでも留まっているわけにはいかない。可能なら今すぐにでも出発させたい。それが彼らの本音だった。
「だいたい、あと二柱の神はどうしてんのよ!? スサノオが先に来たからって、そろそろ追いついて来ても良い頃合いでしょう!?」
「そ、それは……」
「どうやら道中で悪魔と遭遇し、交戦状態に入ったそうでして……」
「あの御方達の支援がない以上、尚更ここは危険なのです……!」
本来はスサノオと一緒に来るはずだった残り二柱の神。足の速いスサノオに置いていかれ、更に悪魔達と戦っているのだという。
つまりは、戦闘要員による護衛役がいない。故に、今すぐ横浜から離れなければならなかった。
ツクヨミは状況を理解している。だからこそ、もどかしい。全体の安全を優先させるなら、すぐに列車を出すべきだ。だが神として、そして個人的感情としても、神子を置き去りにはできない。
どちらの選択が正しくて、間違いかは分からない。そもそも正解など無いのかもしれない。
しかし選択の時は迫る。
避難民を出雲丸に乗せ、出発するべきか。危険を承知で神子の到着を待つか。どちらかを選ばなければならなかった。
「――出発しましょう、ツクヨミ様」
苦渋の表情を浮かべるツクヨミに、天神は提案する。
明治神宮からの避難民達を列車に全員乗せ、その人数を確認してきた。いないのは神子と白峰神、そしてスサノオだけ。
欠員が出ている状況でそれでも尚、天神はこの場から離れるべきだと判断した。
「天神……! でも、神子はどうするのよ……!」
「榊原君にはスサノオ様がついています。ある意味、今の我々よりも彼女は安全な状態です。ですが我々には戦う術がない。もう日も暮れています。……すぐに東京を発つべきです、ツクヨミ様……!」
はっきりとした口調で、天神はツクヨミに進言する。
天神とて、神子を置いて行きたくないのは同じ想いのはずだ。明治神宮での授業には出ていなかったものの、神子はいつも『湯島先生』と呼んで天神のことを慕っていた。彼女は白峰神の巫女ではあるが、天神も自分の巫女のように思って、優しく接していたのだ。当然、天神にとっても苦しい決断なはずだった。
「……よろしいんですね、天神様」
「お待たせして申し訳ない。……行きましょう」
天神は運転手達と話を付け、自身も出雲丸に乗り込む。
そしてホームに佇むツクヨミに、手を伸ばす。
「……ツクヨミ様」
「………………」
俯くツクヨミは、最後まで苦しそうだった。だがそれでも、行かなければならない。人々の命を護るのが神の使命。大多数を守る為には時として、少数を切り捨てなければならない時もある。
「……ツクヨミ様!」
「……あぁ、もう!」
ツクヨミは苛立つように言葉を吐き捨ててから、天神が伸ばした手を掴み、列車に乗り込んだ。
出雲丸の動力が回り始め、伝達し、ゆっくりと車輪を回転させる。次第に速度が速くなり、横浜が――東京が、遠く後ろに流れていく。
列車内では、移り変わる車窓の景色を見て、「ようやく危険地帯から離れることができた」と安堵する者がほとんどだった。
だが中には、故郷が、そして帰るべき場所が遠くなったことを辛く思う者もいた。次は一体いつ、東京に戻って来られるのか。何年後か、何十年後か。
そしてツクヨミと天神も、暗い闇に沈んでいく街の姿を目に焼き付ける。
この闇の遠く向こうで今も、スサノオと神子は歩いているのだろう。そうであると、信じたい。
「……天神」
「はい……」
「……必ず、戻ってくるわよ」
車窓に映る自身の顔を見て、ツクヨミは相変わらず気に食わない顔だと思った。愛想の欠片もない、目つきの悪い顔。ツクヨミは、自分の顔が本当に嫌いだった。
だが今は、強く見つめる。己の瞳に宿る決意を見つめ、その覚悟を再認識する。
こんなことになってしまった状況を、こんな状況にさせた悪魔共を、許しはしない。双眸に秘めたその想いを、ツクヨミは忘れはしない。
「……必ず守るわよ……! 人を、国を……! 悪魔達から……!」
「……はい!」
そしてその想いは、天神も全く同じであった。
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