カンナギの巫女

 大地を揺るがす咆哮を上げ、ヤマタノオロチは赤い竜へと襲い掛かる。

 八本の頭はそれぞれ、鮮血よりも紅い口内を見せている。そして鋭い牙とその大顎で、竜の喉元に噛みついた。


「ギャオォ゛オォォォオオオオオッッ!!!」


 終末を告げる竜は苦しそうな鳴き声をあげ、その叫びだけで多摩川の流れに波紋を起こす。衝撃波にも近い絶叫は、小さな瓦礫など粉砕し、風に舞う粉へと変えた。

 痛みに悶えて怒り狂う竜は、噛みついてきた大蛇に向かって、炎の息吹きを吐き出す。

 ヤマタノオロチはその高熱にたじろぎ、噛みついていられず、竜から離れてしまった。


 ――しかしそんな炎の嵐の中を、英雄神は嬉々として駆け抜ける。

 サタンが戦場から離脱したことで瘴気が薄くなった。今なら空も飛べる。

 スサノオは高く跳躍し、赤い竜に聖剣を振り下ろした。竜の眼球を、剣で突き刺して破裂させるために。

 そしてまた、絶叫が響く。


 サタンの化身である竜と戦うスサノオ、ヤマタノオロチ。

 不本意ではあるもの、ウリエルは「竜のことは日本勢に任せよう」と判断した。

 そして天使である自分とシスターのキリスト勢は、獅子のような四足の獣に立ち向かう。

 一つの胴体に七つの顔を持った怪物。本来なら、神の軍勢が総出で相手をするレベルの存在だ。


「ふふふ……。滾りますね‥…!」


 だというのに。小さな人間であるシスターは臆することなく、両手の鎖鎌で巨大な獣を狩らんとする。

 注射した薬物の効果で、身体能力が何倍にも増幅しているのだろう。獣はシスターの動きを捉えることができず、小さな、それでいて確かな傷を着実に刻まれていく。獣は全身が血まみれになり、苦しそうな唸り声を上げていた。

 攻撃してくるシスターを吹き飛ばすために咆哮を放ったり、足で踏み潰そうとしても、それはウリエルの炎が許さない。最大火力の聖火を放ち、獣の身体を焼き焦がしていく。


 サタンが残していった分霊相手に、スサノオ達は互角以上の戦いを繰り広げていた。

 ――だがやはり、黙示録の獣達の力は強大で、他のことに構う余裕はないようだった。

 無謀にも襲い掛かるバフォメット程度なら、片手間で倒せる。それはスサノオもウリエルもシスターも、そしてヤマタノオロチも同じ。障害にはなりえない。


 だが問題は。危機的状況なのは、この戦場で唯一の『一般人』である神子だった。

 非力な彼女にはバフォメットを倒す手段がなく、逃げ惑うことしかできない。

 少し前までなら、スサノオが庇ってくれた。しかし彼は今、赤い竜と戦うのに忙しいようだ。自力でどうにかするしかない。


「ひいいぃぃぃぃぃ! だ、誰かああああ!!」


 今にも崩落しそうな丸子橋の上を、神子は悪魔達から全速力で逃げ回る。

 しかし神奈川方面へは橋が落ちており、多摩川にダイブすることになってしまう。

 だが東京方面へ逃げようにも、そこは人外の連中が人外と戦っている大怪獣バトルゾーン。

 結局、神子の逃げ場などどこにもありはしないのだった。


 振り下ろされた斧が、背中を掠める。さほど動きが早くないバフォメットの攻撃を何とかかわしているが、それも体力が持つ間だけ。やがては疲労し足が止まり、そこを無数の悪魔に襲われてしまうだろう。

 もはや、ここまでか。体力よりも先に、精神が折れそうだ。


 しかし弱気になった神子の心に、不意に『誰か』が呼びかけてきた。


(……神子……。聞こえるか……神子……!)


「……!?」


 一瞬、足が止まる。

 幻聴かと思った。だがバフォメットの鳴き声や、スサノオ達の激しい戦闘の音がうるさく周囲に木霊する中で、その声は確かに聞こえた。

 というより、頭の中に直接語りかけるような――。


『聞こえとるなら返事せい、馬鹿神子!!』


「し、白峰様!? ど、どこに……!?」


 聞きなじんだ、白峰祭神の声。明治神宮で消滅したはずの白峰神の声が、神子の頭の中に聞こえてきた。

 しかし驚いている神子に向かって、悪魔達は容赦なく斧を振り下ろす。

 それを紙一重でかわし、距離を取り、再び神子は意識を『声』に集中させる。


『説明は後じゃ! ともかく今は、お主の身体をワシに貸せ!』


「はぇぇぇ!? 何言ってるんですか!?」


 神が死なないことはツクヨミから説明されていたが、こんなにも早く会話ができるようになるとは。

 しかしイキナリ話しかけてきて、『身体を貸せ』とはどういうことなのか。

 しかし混乱する神子に構わず、悪魔達は続々と群がってくる。もはや一刻の余裕もない。

 白峰神はややキツイ口調で、神子に決断を迫る。


『お主ならできる! 神に仕える巫女は元々を行い、神の言葉を民衆に伝えるのが役目じゃ! お主の肉体にワシを宿し、奴らを蹴散らす!』


「……えぇ~……。でも……乙女の身体に男の人を宿すとか……。ちょっとマジでキモイっぽい感じなんですけどぉ~……」


『んなこと言ってる場合じゃ、ねーじゃろうがぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!』


 本気で激怒した白峰神の声で、神子の脳内は頭痛を起こした時以上にグラグラ揺れる。

 流石にこの状況でふざけるのはマズかったかと反省し、脳内で白峰神に謝っておいた。


「で、でも実際どうすれば……!? 『神降ろし』なんて、私やったことないですよ!?」


『問題ない。全部ワシに任せろ。ワシに心を開き、文字通り『身を委ねる』んじゃ。大丈夫、必ず何とかする! ワシがたった半日で声を届かせることができるようになったのも、お主が強くワシを信じてくれたおかげなんじゃ。そのままワシを信じろ、神子……!』


「……!」


 神の力は、信仰の多さや強さで決まる。人々が強く神を想えば、神は言葉を伝え、その姿も現す。

 神子は未だ、不安ではあった。だが今も、白峰神を信じている気持ちに変わりはない。――その想いが、白峰神に力を与える。


 特別なことは何も要らない。昨夜ベルゼブブの前に立った時と同じように、ただ強く信じれば良い。己を、人を、国を守ってくれる『白峰様』という存在を、ただ強く信じるのだ。


「分かりました……! 私の身体、お貸しします! でも変なことはしないで下さいよ!?」


『するかボケぇ!!!』


 バフォメット達は、一人で何かぶつぶつ呟いている神子に目掛け、巨大な武器をそれぞれ振り下ろした。

 すばしこっく逃げ回っていたが、もう逃げる様子もないようだ。それに四方からの同時攻撃。ただの人間に、かわしきれるはずがない。悪魔達は、そう思っていた――。


 ――武器を振り下ろした先に、神子の姿がない。


 手応えが無い。消えた。それも一瞬で。バフォメット達は混乱し、何が起きたか理解できなかった。


「こっちじゃ」


 姿を見失った悪魔の背後から、眼光鋭い神子が語り掛ける。

 いつの間に回り込まれたのか。悪魔が振り返るよりも先に、その大きな黒い背中に蹴りが見舞われる。

 蹴られた悪魔は、向かい合っていた正面のバフォメットと激突し、そのまま二体とも多摩川の急流に落ちていった。

 残された左右のバフォメット二体も、突然のことに呆気に取られている。


「ちっ……。やはり神力を注ぎ込まんと殺しきれんか。……それにしても女子おなごの服は動きにくいのぅ。どれ……」


 そう言って、神子の肉体に宿る白峰神は、巫女装束の赤い袴に手をかける。

 そして膝上の辺りで袴を破くと、そのすらりとした美脚を外気に晒した。


『ちょちょちょっ、何やってんですか白峰様!!!』


 肉体の主導権を明け渡した神子は、精神のみで白峰神に抗議する。

 変なことはしないと約束したはずなのに、袴がミニスカートのようになってしまっているではないか、と。


「るっせぇ。こうでもしないと動きにくいんじゃ。それから……」


 頭の中に語り掛けてくる神子の文句を無視し、白峰神は悪魔達に背を向け、東京方面へ走る。その先には、丸子橋の上で赤い竜と戦うスサノオの姿があった。


「久しぶりに歯ごたえのあるヤツで嬉しいぜ……! まだへばるなよ、オロチ!」


 傷つき血を流しながらも、スサノオは高揚した様子で笑っている。そして二刀の聖剣を構え、再び七本頭の赤い竜と対峙する。

 そんなスサノオの所に――神子in白峰神が駆けつけると、スサノオの右手から剣をひったくった。


「あァ!?」


 突然天叢雲剣を奪われたスサノオは、驚きに目を見開いた。


「ちょっと借りるぞ」


「ハァ!? 何やってんだよ嬢ちゃん!? それは人間には扱えない神器だぞ!! 神聖存在か、その血を引いた人間じゃねーと……!」


 しかし。天叢雲剣、別名『草薙の剣』を握った神子は、追いかけて来たバフォメット達を――神速の一振りで斬り伏せた。


「な……!」


 ただの巫女ちゃんだと思っていたスサノオは、その姿に呆然と立ち尽くす。

 そんなスサノオにはお構いなしに、神子の身体に宿った白峰神は何でもないように最高級の国宝を肩に担ぎ、向かってくるバフォメット達へ立ち向かう。


「三種の神器? 国宝の聖剣? なら、何の問題もないわ! ワシゃこれでも皇族の生まれじゃぞ!! お主らの遠い遠い子孫じゃ。剣を握る資格なら、充分持っとるわい!!」


 神子の身体と聖剣の力を借り、かつての崇徳天皇こと白峰神は、再び戦場に立つ。

 全ては国と、人を守るため。

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