ミナゴロシスター

 アスファルトの大地に鼻が付きそうになるほど姿勢を低くし、シスターは橋を駆け抜ける。その動きは人間のそれではなく、まさに『獣』と呼んで遜色ない速度だった。


 そうして悪魔王サタンとの距離を一瞬で詰めると、再び銀の鎖鎌を振り下ろす。

 だが鎌はサタンの肩を斬り落とすことなく、素手で刃を掴み取られてしまった。

 しかし。銀鎌を受け止めたサタンの右腕。その腕を、シスターは左の鎌で瞬時に刈り取る。


 切断面から黒い血が噴き出し、シスターは嗤うが、サタンの表情は崩れない。

 何故ならばこの程度の傷、瞬時に治療するからだ。黒い瘴気が切断面を覆うと、そこから生えるようにサタンの右腕が再生された。

 しかしその程度は予想できたこと。

 シスターは間を置かずに、懐からビンのようなものを取り出し、中に入っている液体ごとサタンにぶつけた。


「むっ……」


 サタンは指から放つ真空波で、そのビン達を破壊する。

 だが飛び散った液体がサタンの翼に数滴かかると、黒い羽根は――そこからボロボロと崩れ落ちていく。


「聖水……。わざわざルルドから汲んできたものか?」


「『ルルドの泉』の聖水に、ヒマワリの種から抽出した油を混ぜたものです。悪しき者にはさぞ劇薬でしょう」


 聖句、十字架、純銀、聖水。エクソシストとして、魔なる者への対抗策はいくらでも用意してある。

 たとえ相手が地獄の軍団長でも、シスターは通常の業務と何ら変わらない心持ちだ。

 ただ、眼前の悪魔を討ち滅ぼす。神の敵対者を抹殺する。それが、シスターマリアンヌの唯一にして最大の使命。


「ならばお返しだ」


 再び高速で向かってきたシスターに対し、サタンは尖った爪を振るう。

 すると爪先から大気を切り裂く刃が放たれ、それは一瞬でシスターに届く。

 そして先程右腕を刈り取られたお返しにと、真空波はシスターの左腕を斬り落とした。


「ッ……!」


 吹き飛ぶシスターの左腕。舞う血しぶき。

 しかしシスターは、足を止めなかった。


「!?」


 これには流石のサタンも驚いた。そして熾天使ウリエルすらも。


 シスターは右手に持った鎖鎌、その『鎖』の部分をここで使用する。

 分銅の付いたチェーンを巧みに操り、吹き飛んだ自身の左腕を巻き取って回収し、そのまま千切れた左腕をサタンにぶつける。

 右手の鎖鎌から伸びるチェーンは蛇のように自在に動き、絡めとった左腕の鎌で、サタンの肩甲骨辺りを斬り裂いた。


 そして鎖を手繰り寄せ、千切れた左腕を回収する。

 シスターは両の鎖鎌を地面に突き刺して手放すと、何でもないように右手に持った己の左腕を、肩にくっつけた。普通なら、その程度で回復はしない。片腕欠損に、大量出血の超重傷なのだから。

 だがシスターの左腕は――あるべき場所に戻ったことにより、傷口を『再生する』。

 サタンに切り離された左腕と肩は接着し、シスターはその感触を確かめるようにして、グルグルと肩を回し始めた。


「再生治療技術……。人類はついに、その禁忌に手を染めたか……!」


 シスターは神や悪魔や天使ではなく、正真正銘の人間。

 それはこの場で戦っている全員が感知していること。しかしその実力は、あまりにも人間離れしすぎていた。


 だが当の本人であるシスターは、何の驚きもなく、実にフラットな精神状態だった。


「……1916年。ポルトガルの街ファティマで、『聖母』が幼き三人の子らの前に御姿を現しました。そして三つの預言を託された。一つは地獄の実在を、二つ目は第一次世界大戦の終焉と第二次大戦の勃発を。そして三つ目は……教皇庁は、その内容を『教皇猊下げいかの暗殺危機』と発表しました」


 シスターは何事か語りながら、懐から注射器を取り出す。そして左手の甲に針を突き刺すと、紫色の液体を血管内に注入していった。


「ですが、本当の『三つ目の預言』は……! 教皇様の暗殺ではなかった……! 2019年末の災害を、このニア・ハルマゲドンを聖母マリアはお伝えなさっていた!! だから我々人類は準備をしてきた……! カトリック教会は戦いに備えてきた! 我等『熱心党』は2020年に向けて技術を磨いてきた! 私は、エクソシストとしての私は!! この瞬間をずっと待っていたのです!!!」


 目と瞳孔を見開く。謎の薬物摂取によって、シスターは涎を垂らし、その笑顔に更なる狂気を宿す。

 だがその効果は目を見張るものがあり、シスターに寄ってきたバフォメット達5体を、瞬きするよりも速く殲滅した。

 その速さは、スサノオすら目で追うのがやっとな程であった。


 悪魔の返り血を浴び、シスターは心底歓喜しているようだった。絶頂と呼んでも良い。この地獄が地上に再現されたような場所で、深く深く呼吸していた。


 その様子を見るサタンの表情もまた、呆れたように笑っていた。


「これだから人間は……。悪魔よりもタチが悪い」


 サタンは戦場を俯瞰する。

 スサノオとウリエルの活躍も相まって、呼び出したバフォメットはもう残り少ない。

 そして眼前のシスターは聖句を口にしながら、両手に純銀の鎖鎌を持って近づいてくる。


 さて。どうしてくれよう。


 サタンがここからどう面白く遊ぼうかと思案していると――サタンは『何か』を察知したようだ。


「!」


 廃墟となった東京方面を振り向く。通常なら、敵を前にして視線を逸らすのは危険行為。

 しかし己の実力に絶対の自信を持っている悪魔王は、ゆっくりとシスター達に向き直る。

 そして――楽しいパーティーにも『お開き』の時間が来てしまった時のように、残念そうに肩をすくめてから、大きな黒翼を羽ばたかせた。


「ベルゼブブのために七十七倍の復讐をしに来たつもりだったが……。急用ができてしまった。キミ達とは、また今度遊ぶことにしよう。さらばだ、正義の味方諸君。命があれば……またいつか世界の終焉で、メギドの丘にてお会いしよう」


「逃がしはしない……!」


 シスターとウリエル、そしてスサノオもまた、飛んで逃げようとするサタンを追う。

 しかしまた無数の悪魔バフォメット達が地の底から召喚され、彼らの道を塞ぐ。


「ここには我が魂の一部を置いて行こう。はたしてキミ達に、私の分霊を倒すことができるかな?」


 シスターに斬り落とされたサタンの右腕。そして抜け落ちた黒い羽根。それらが集まり、瘴気を吸い取り、巨大化する。

 数多のバフォメットを押しのけ、丸子橋の高さや東京のオフィスビルと同じくらいに成長し、『サタンの魂の一部』は姿を現す。


 右腕は、巨大な赤い竜に姿を変えた。

 七つの頭とそれぞれに王冠を被り、十本の角を持っている西洋のドラゴン。


 そしてもう一体、サタンの抜け羽根が集まって生まれた異形のモンスター。

 獅子や虎のような四足歩行で、しかし七つの顔を持った異様なる獣。


 丸子橋など簡単に破壊できそうな、それら二体の怪物が立ちはだかる。

 ただでさえ人外レベルの戦いを眼前で繰り広げられた神子は、もう失神してしまいそうだった。しかしスサノオに縋ろうにも、スサノオは西洋ドラゴンのカッコイイフォルムに目を輝かせている。


 そんな愉快なリアクションを見せる日本勢を余所に、天使とシスターはその怪物達をよく知っているが故に、忌々しく睨んでいた。


「『黙示録の獣』……!」


「おのれルシファー……! どれだけ我々を……! ヨハネを冒涜すれば気が済むのです!」


 ウリエルは怒りの叫びと共に、神の炎を剣にまとわせて、赤い竜へと立ち向かう。

 本来なら黙示アポカリプスの日に現れる存在のはず。それがこんな、何でもない日に、世界の端にある小さな島国で出現するなど、ありえない。

 だがそんな心の乱れた剣は届かず、竜の息吹きで神炎もかき消されてしまう。

 さらに増援として現れたバフォメット達も群がり、鬱陶しいことこの上ない。


 竜と獣に苦戦しているキリスト教勢を見て、バフォメットを蹴散らしながら、スサノオは口角を吊り上げた。

 これは、目立つチャンスだと。


「おい巫女ちゃん! これからド派手に暴れるから、自分の身は自分で守ってくれよな!!」


「えええええええええ!?」


 ただでさえ逃げることも隠れることもできないのに、それは無茶だと神子は抗議したくなる。

 しかしスサノオは話を聞かず、聖剣を天に突き上げた。

 すると、周囲に轟音が鳴り響く。橋が揺れ、多摩川の流れが更に早くなったようだ。


「な、何が……!?」


 神子は見てしまった。眼下の多摩川に、

 そしてその黒い影はしだいに大きくなり、一気に水上にまで昇り、姿を現した。

 水しぶきと雄叫びを上げ登場する。『その者』を見上げた神子は、ついに全身から力が抜ける。赤い竜に匹敵する『大蛇』が、多摩川から登場したのだから。


「いくぜ!! 『八岐大蛇ヤマタノオロチ』!!!」


 八つの頭と、八つの尻尾を持った伝説上の大蛇。

 スサノオに退治された怪物として名高いヤマタノオロチが今、スサノオの呼びかけに応じて現れた。

 配下を召喚できるのは、何もサタンだけではないのだ。


「向こうは七本頭のドラゴン、こっちは八本首のスネイク!! これは勝っただろ!!」


「どんな理屈!!?」


 世界の終焉に現れる竜VS太古の大蛇。

 多摩川を舞台に天使と悪魔と神の戦いは、いよいよ怪獣バトルの様相を呈してきた。

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