魔王降臨

 赤髪を逆立たせ、革ジャンにダメージジーンズを着こなす姿は、一昔前のロックミュージシャンを思わせる。

 ジャラジャラと音を鳴らす銀色シルバーの装飾品も威圧感を醸し出しているが、それ以上に背中に装備した二刀の聖剣が、多くの者の目を引く。

 刃が欠けてギザギザの片刃剣となっているのが、雨羽々斬。スサノオの持つ、ヤマタノオロチを斬り刻んだ剣として有名な聖剣だ。

 そしてもう一本の聖剣、直刀の両刃剣は雨叢雲剣。『草薙の剣』としても名高い、討伐したヤマタノオロチの体内から出て来た至宝。三種の神器の一つであり、日本国の『武』を象徴する重要な剣でもある。


 それらを持つ英雄神スサノオが、増援として駆けつけて来てくれた。守護者として、彼以上に頼りになる存在はいない。

 しかし神らしくない見た目と、その見た目通りの奔放な性格を除けば、の話であった。

 危機が去って安心していた神子の肩に、スサノオは馴れ馴れしく腕を回し、耳元で誘惑するように吐息と言葉を吹きかける。


「おっ、キミ可愛いね~。どこの巫女? 俺ん所で働かない?」


「ひゃあっ!? いや、えと、わわわ私は、ししししし白峰様のっ……!」


「アンタまたクシナダに刺されるわよ」


 ツクヨミはスサノオに絡まれる神子を引っぺがして助けてやり、軽蔑したような視線を弟へ向ける。

 しかしスサノオは姉からの冷たい目線など気にしてないようで、「冗談じゃーん」と口を尖らせて無害さをアピールしていた。


 悪魔達が倒され、安全を確認した天神は、ようやく逃げ惑う人々を橋の中央に集めることができた。

 そしツクヨミ達の所に戻ってくると、いち早くスサノオに頭を下げる。


「素戔嗚尊……。お助け下さり、感謝いたします……!」


「ハッハッハッ、良いぞ良いぞ道真……じゃなくて今は天神か。もっと俺様を褒め讃えるが良いでおじゃるござる」


「真面目にやんなさい、この愚弟!!」


 得意げに高笑いをするスサノオに、ツクヨミは遠慮のないローキック放つ。


「ぁ゛あああッ! 骨までイッた!!」


 丸子橋の上で右足の『すね』を押さえ、涙目でうずくまるスサノオを見て、本当にこれが日本最強の神なのかと神子は疑問に思ってしまう。バフォメット達を瞬殺した活躍を見た、その直後にも関わらず。


「しかしスサノオ様……もう二柱の神は? 基本的に、三神一体での行動が徹底されているはずでは……」


 明治神宮で人間達の保護活動をしていた白峰神、天神、ツクヨミ。

 それと同じように、スサノオを始め他にもまだ神はいるはずだ。天神達が避難民を西へ送っている間、代わりの三柱が東京に投入されるはず。まさか、戦闘特化のスサノオだけが単身で寄越されるはずがない。


「あー? 他の奴らは足がおせーから、俺だけ先に来たわ。ま、結果的に窮地に駆けつけることができたわけだから、『ないすたいぴんぐ』ってやつだな!」


(『ナイスタイミング』って言いたいんだろうなぁ……)


 立ち上がって得意げにしているものの、外来語を使いこなせていない神話時代の英雄に、神子は心の中で静かにツッコミを入れる。

 しかし姉であるツクヨミは物理的に、勝手な単独行動を取った愚弟に鉄拳制裁を加えていた。

 スサノオの言う通り結果的には全員助けられたのだから、何もそこまでしなくても……と神子は思ったが、自分まで怒られそうなので黙っていることにした。


「……ともかく、これで大幅な戦力の増強となりましたね。このまま予定通り川崎市に入り、新横浜駅を目指しましょう」


 運命が暗雲に閉ざされたと思った矢先に、思わぬ幸運が訪れた。天神はスサノオという神に感謝しながら、また歩き出そうと決めた。


 ――しかし。


「……!」


 最初に察知したのは、スサノオであった。

 次に天神、ツクヨミも察した。

 神子だけは、何やら神様達に緊張が走ったということだけを、雰囲気で感じ取った。


「ヤベェな……」


 今までの、軽薄そうな伊達男の表情はどこへやら。途端に真剣な顔付きになったスサノオは、東京方面へと高く飛び上がる。

 そして天神は走った。避難民達を連れ、一刻も早くこの場から逃れるため。


「皆さん、走って下さい! 早く!!」


 人々は「ようやく一息つける」と思った矢先、天神から『立って走るように』と叫ばれる。

 無茶な指示だとも思いながら、その鬼気迫る表情に追い立てられるようにして、神奈川方面へ向かう。いつも温和な湯島先生こと天神様が、これだけ必死なのは稀だからだ。よほど危機的状況が迫っているのだろう。


 そして、その『危機』は――雲の切れ間より現れる。


 暗雲そのものが、自ら道を開けるように空を動く。そこから一匹の悪魔が降りてくる。

 赤い瞳に、銀色の頭髪。背から生える黒い大翼がなければ、芸術品のように美しい顔立ちをした青年だと思えた。だがその醸し出す雰囲気は、バフォメットやベルゼブブの比ではない。


 蠅の王の前に一度立ったのことのある神子には、よく分かる。『危険』だと。今までにないほどに。

 しかし脳は警鐘を鳴らしているのに、その姿に見入ってしまう。圧倒的存在、巨大で強大で計り知れない何か。それを見てしまった時、人は身動きも声も出せず、ただ見惚れてしまう。ちょうど、無限の宇宙の闇に想いを馳せる時のように。

 神子の感情は恐怖を通り越し、そんなふわふわとした無思考に身を委ねていた。


「何してんのよ神子! 早く逃げるわよ!!」


「あっ……!」


 ツクヨミに呼ばれ、一気に意識を現実に引き戻される。

 気絶にも近い状態、それを目を見開きながら経験した。

 神子には分かった。天神も、ツクヨミも理解していた。

 実際に、見たことがあったわけではない。あの悪魔が自ら名乗ったわけでもない。

 それでも全ての者が理解していた。その悪魔の、口に出すのも恐ろしい名前を。


「……おうおうおう! 人の国に勝手に乗り込んどいて、デケェ面してんじゃねぇぞ悪魔野郎。俺様は最強、無敵、そして最高! 素戔嗚サマだ! テメエも名乗りやがれ悪魔! それがこの国での礼儀だ!!」


 橋の上空で悪魔と対峙するスサノオは、指差しながら口上を述べる。


「………………」


 だが悪魔の顔は何も変わらず、微笑をたたえたまま。

 そして――ゆっくりと人差し指をスサノオに向けると、宙を切り裂くように、尖った爪を横に振った。


「!!」


 瞬間。スサノオは二刀の聖剣を正面に構えた。それは判断ではなく反射だった。

 本能に従った結果、聖剣は悪魔からの『斬撃』を、胸の前でギリギリ防ぐことができた。

 攻撃が届くまで、一秒とかからなかった。それよりも速い速度で防御していなければ、間違いなくスサノオは胸部から両断されていた。


(野郎ッ……!)


 挨拶代りとでも言うのか。しかも、真空波のような攻撃は未だ消えていない。

 チカラを込めているのに、聖剣二振りを交差させて防御しているのに、斬撃はスサノオを切断しようとし続けている。

 このままでは追撃を喰らう可能性もある。スサノオは刀をずらし、真空波の力を別の方向に逸らした。

 しかしその方向は――スサノオの眼下、人々が避難をしている橋の方向だった。


「やべッ……!」


 悪魔から逃げようとしていた最後尾の神子。丸子橋の真ん中辺りに差し掛かった所で――上空からギロチンのような刃が、目の前に落ちてきたと感じた。

 その威力に橋が崩れ、多摩川に瓦礫が落ちていく。轟音に神子の悲鳴はかき消され、助けを呼ぶ声は届かない。

 しかし、橋が分断された破壊の音に振り向いたツクヨミは、唯一人向こう側に取り残された神子の姿を、黒い瞳に捉えた。

 するとすぐに踵を返し、神力を足場として、救出しようと跳躍する。


「神子ッ!」


「ツクヨミさん!!」


 しかし。手を伸ばす神子の方へ行けない。宙を飛んだはずが、ただ普通の人間と同じように、ジャンプしただけだった。


「……!?」


 どうして――。その疑問は、分断された橋の向こう側で、神子の背後へと落下したスサノオの姿を見て理解できた。

 ドス黒い瘴気を放つ銀髪の青年。『悪魔の瘴気』が周囲に満ちている。動植物や無機物を腐食させ、神聖なる力すらゆっくりと奪う悪魔のオーラ。その強力すぎる瘴気のせいで、神力を集めて宙を飛ぶことができないのだ。


「この程度の距離……!」


 それでもツクヨミは、橋を飛び越えようとする。

 それを天神に後ろから羽交い絞めにされて、止められる。動きにくい着物と草履の姿では、間違いなく多摩川に落下してしまうだろうと天神が判断したからだ。


「離しなさいよ天神! まだ向こうに、人間一人が残ってんでしょ!?」


「無茶ですツクヨミ様! ここもすぐに崩れる! 榊原君はスサノオ様に任せ、我々は避難しましょう!」


「っ……!」


 誰も見捨てたくない。それは天神とて同じ想い。

 それを分かっていても、ツクヨミは川崎方面に身体を向けようとしない。


「ツクヨミさーん! 湯島先生ぇぇぇ!!」


 その時。橋が崩れていく中で、神子は崩落の音に負けないくらいの声を張り上げた。そしてツクヨミと天神に向かって、精一杯のメッセージを届けようとする。


「先に行ってて下さい! 後で必ず、スサノオさんと一緒に追いつきますからーっ!」


 恐ろしいはずなのに、助けて欲しいはずなのに。『先に行け』と、神子は神様達の心を気遣う。

 強張った顔で、それでも笑顔を作ろうとする神子に、「恰好付けてんじゃないわよ」とツクヨミは悪態を言いそうになる。


「……絶対に……! 追いつきなさいよ!! 死んだら、許さないから……!」


 どうしてこんな時でも、安心させてあげられるような言葉が出てこないのか。ツクヨミはつくづく自分が嫌になった。


「……はい! ツクヨミさんも湯島先生も、お気を付けてー!」


 だがそれでも、神子には充分だった。

 ちゃんと生きて追いつかなければ、スサノオ共々怖いお姉さんに怒られそうだ。

 死ねない理由ができた神子は立ち上がり、崩落しそうな場所から橋の反対側に向かう。


 その方向に見えるのは、崩壊した東京。橋の上に立つスサノオの背中。

 そしてスサノオと対峙するため暗黒の空から舞い降りる、銀髪の悪魔。


「――はじめまして、日本の神と日本人諸君。私は『サタン』と呼ばれるものだ」


 悪魔王。神の敵対者。地獄の軍団長にして、666の刻印が示す者。

 全ての悪魔の頭領が今、日本最強の神と、ただの巫女の前に立ちはだかる。


「今日はキミ達を、絶滅させに来た」

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