2章 多摩川丸子橋決戦

日曜日よりの使者

 日曜日の朝。イタリア国ローマの空は、快晴だった。

 いつものように神へのお祈りと、子供達へのクッキーを配り終えた修道女シスターは、花壇に水やりをしていた。

 もうじき、たくさんのヒマワリが大輪の花を咲かせるだろう。その時は、最近足腰が弱くなって教会に来られなくなったダニエラお婆さんに届けてあげよう。

 ダニエラお婆さんは80歳にもなるというのに、生ハムとレタスをフォカッチャで挟んで食べるのが大好きな人だ。サンドイッチとワインも持って行こう。


 そんな風にシスターが夏の予定を立てていると、背後から賑やかな声が聞こえてきた。子供達と、それらに囲まれる青年の声だ。


「だーっ! お前ら離れろっての!」


「遊んでよー!」

「いいじゃん、ちょっとくらいー!」

「どうせマルコ兄ちゃん暇だろー?」


「暇じゃねーっての! これからすぐに配達があんの!」


 ちょうど、ピザ屋で働いている青年のマルコが庭に来た。遊んでくれとせがむ子供達から逃げてきたのだろう。

 しかし遊び相手に飢えている子供達はマルコの服を引っ張り、簡単には離れようとしない。


「あらあら。朝から仲良しさんですね」


「あ、あぁ、これはどうもシスター! いやホント、仲良し過ぎて参っちゃうよ」


「シスターもマルコ兄ちゃんと一緒に遊ぼうよー!」


「いけませんよ皆さん。マルコさんはこれからお仕事があるのです。無理強いをしてはいけません」


 シスターが優しく諭すと、子供達はマルコの服から渋々と手を離した。

 更に「向こうで遊んでいるように」と言うと、子供達だけで元気に走っていった。この教会において、彼らはシスターの言う事だけは素直に聞くのだ。


「助かったよシスター。アイツらあんなに体力が有り余っているなら、ウチのダニエラ婆ちゃんに分けてやりゃいいのに」


「ふふ。ダニエラさんもまだまだお元気でしょう? 今度、ダニエラさんにお花を差し上げようと思っていまして」


「それは良いね。……こ、今度と言わず、近々はどうかな? もっ、勿論シスターの都合が良ければだけど! 店長に頼んで美味しいピザも出すしさ、婆ちゃんもシスターの顔を見れば喜ぶだろうし!」


 純朴な青年マルコは、ローマっ子にしては女の扱いに慣れていないようだった。そのせいで年下の子供達にまで小馬鹿にされることもあるが、顔を赤らめてマルコを、シスターは笑ったりなどしない。


「そうですね。では来週にでも……」


「――シスター・マリアンヌ」


 シスターの返答を受けてマルコが歓喜するよりも前に、別の人物が教会の敷地に入ってきた。


 眼鏡をかけた、修道士姿の中年男性。

 恐らくシスターの同業者なのだろう。だがマルコからすれば、彼のような人物を見かけるのは初めてだった。神父様にしては、メガネの奥の眼光はあまりにも鋭すぎる。まるでベテランのヒットマンのようだ。


「……少し、良いかな?」


「はい、大丈夫ですよ」


 ノータイムの返答。

 マルコはシスターから誘いの返答をちゃんと聞いていないが、何やら大事な話があるようだ。配達の時間もある。マルコはいそいそと、その場から退散することにした。


「あー……、えーっと……。じゃ、じゃあ、俺はこの辺で……。ま、またねシスター! 来週のお祈りの時間に来ますから!」


「はい。お仕事頑張って下さいねマルコさん」


 不安そうなマルコに向ける、シスターの笑顔。花屋に並んだどんな花よりも美しい笑顔が見れたことにマルコは満足しながら、教会の門から市街ローマへと出ていった。あの笑顔を拝めただけで、今日も一日頑張ることができる。


 ――そんなマルコの姿が見えなくなると、シスターは水やりしていた手を止め、神父の話を聞くため、身体を向ける。

 しかしその用件は、大体分かっていた。


「……先程、トーキョー新宿区の明治神宮メイジ・サントゥアーリオで超神聖爆発が確認されたとの情報が入った。天使以上の『聖なる者』が消滅したようだ」


「『彼ら』からのお言葉は?」


「現状、天使が減ったという報告は来ていない。おそらく日本ジャポーネの神が悪魔との戦闘で敗北……あるいは相討ちになったのだろう」


 それを聞いて、美しいシスターは嗤う。

 子供達やマルコに、いつも見せているような笑顔ではない。太陽の温かみや花束とは無縁の、冷たい嘲笑だった。


「結構なことじゃあないですか。異教の邪神がまた一匹消え失せたのでしょう? そもそも一億人程度の国に対して、800万も信仰対象がいること自体が狂っているのです。ジャンクフードのように宗教を貪る黄色人種は、聖絶アナテマされて然るべきでしょう」


 神父の額に、冷汗が浮かぶ。

 強面な神父の顔を見れば、路地裏のギャングすら避けて通る。しかしその神父が今、心の底から『恐ろしい』と思っていた。どこにでもいるような、街の小さな教会のシスターに対して。


「……キミには調査に行って貰いたい。これは大司教のみならず、天上の者達からの依頼でもある」


「あらあら、それでは……。またしばらく留守にしないといけませんね」


「いつものように手配はしておこう」


「花壇の世話もお願いします。極東への出張ですから、夏までかかってしまうかもしれません」


「……分かった。任せてくれ」


 神父は、酷く恐ろしいと思った。天使と教皇の決定に対して。

 そして――ただでさえ首都が消失した日本に、彼女という新たな『火種』を送り込むつもりでいる思惑に。

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