友へ

 白峰神は両手に魔力を集中させる。かつて大魔縁マエン、大天狗、大怨霊と呼ばれたそのチカラを。

 どのみち、血塗れた刀と残り少ない神力ではベルゼブブは倒せない。真っ黒な両手に熊手のような鉤爪かぎづめを形作り、その巨大な爪で悪魔達の肉体を引き裂こうとする。


 恐れという感情を知らないバフォメット達は、復活した白峰神に大斧を振り下ろす。

 ――だが、もはやワンパターンな攻撃は通用しない。

 白峰神は先程と同じ、あるいは先程以上の速度で境内を駆け抜け、瞬きする間に鉤爪を振るった。

 残っていた全てのバフォメットは瞬時に五体をバラバラに解体され、心臓と頭部も握り潰されていた。

 断末魔の悲鳴を上げることもできず、真っ黒い血の池が白峰神の後ろに生まれる。


 黒い瘴気と、紅く輝く眼光。そして黒く巨大な爪を持った白峰神は、不敵に笑いつつベルゼブブへ近付く。

 蝿の王は雄叫びを上げて剛腕を繰り出すが、それすらも片手で受け止めてみせた。


「……直に触ると、よーく分かるわい。お主の魔力の特性は『暴食』の名の通り、触れた対象の神力や体力を奪うものなのじゃな」


 そもそもベルゼブブの怪力に耐えられる者が少ないため、あまり知られていないことだったが、白峰神が見破った通り、『チカラの吸収』こそが本来の能力であった。


「理解できたところで、何も変わらん! 神でありながら魔なる者という事実には少々驚いたが……! その魔力も全て喰らい尽くし、今度こそ完全に消滅させてやろう!!」


 悪魔は肉体を蠅へと変換し、霧散させて全方位から襲い掛かる。だがそれは、今の状態の白峰神に有効な技ではなかった。

 白峰神は、自らの魔力の形状を変化させる。何も鉤爪だけが本来の武器ではない。バラバラになったベルゼブブの肉体を感知し、魔力を分散させ、小さな蠅を一匹一匹捕捉する。

 白峰神の魔力に捕まった蠅達は息絶えて、ボトボトと地に落ちる。

 瞬時に『危険だ』と判断したベルゼブブは距離を取り、人型に再集結させた。


「貴様ッ……!」


「そっちがワシの魔力を喰い尽くすつもりなら、ワシはお主のハエを全て叩き潰してくれよう」


 単純で強力な能力に対抗するために必要のは、幼稚なまでにシンプルで絶大な能力。

 蠅が魔力を喰いつくすのが早いか、白峰神が蠅を殺し切るのが早いかの勝負となってしまう。


 だがその挑発に乗るベルゼブブではない。

 分裂し襲うのが得策でないのならば、人間形態の肉体的有利を活かし、殴り殺すまでだ。筋骨隆々とした西洋人と、島国生まれの小柄な肉体。どちらが有利かは、文字通り一目瞭然であった。


 拳を握りしめ、ベルゼブブは大股で接近してくる。

 『徒手格闘ステゴロでの戦い』に発展すると気付いた白峰神もまた拳を握り、そこに己の魔力を付与して鉄拳とし、ゆっくりと歩み寄る。


「貴様は殺す。何があっても。俺の意地にかけて……!」


「もうサタンとやらは関係ないのか。直情的じゃのぅ」


 間合いに入る二人。

 煽る白峰神を、弾丸のような右ストレートが黙らせる。

 人間なら頭蓋骨ごと粉砕されそうなパンチを受けつつ、白峰神もカウンターでベルゼブブの腹に一発お見舞いする。

 衝撃で、境内に敷き詰められた砂利が割れる。大砲を撃ち込んだような轟音が響く。それほどの威力を持つ打撃の応酬。人間が割って入る隙など、一部もない。


 傷ついたツクヨミと共に社殿に戻った神子は、天神の張る薄い結界の内側から、白峰神の戦いを見守っていた。

 怨霊としての実力を発揮し、魔力をその身に宿して戦っているが、何故か先程のような恐ろしさは感じない。むしろその背中を、頼もしく感じる。

 そして何より、白峰神の勝利を強く信じていた。


「白峰様っ……! 頑張って……!!」


 明治神宮に避難している人々の希望。命を護る砦。

 その信仰を一身に受け、白峰神は戦っていた。自分より遥かに大きい体格をした悪魔に、素手で挑む。

 圧倒的不利に見えた体格差をものともせず、嬉々とした表情で、鋼の肉体を殴りつけていた。

 信じられていることの嬉しさ、誇らしさ――それが白峰神に力をもたらしていた。

 そんな誇りと想いを拳に乗せて、ベルゼブブの鳩尾へ、砲弾をも超える速度と威力でパンチを叩き込む。


「ぐっ……!」


 悪魔が苦しそうな声を漏らす。好機だ。


「終わりじゃあ、ハエっころ。とっとと地の底に帰れぇい」


 怯んだところに、白峰神は全力を込めて左の拳を打ち込む。心臓目掛け、その堅牢な肉の鎧ごと突き破るため。

 その目論み自体は、成功した。白峰神の左ストレートはベルゼブブの肉体を貫通した。


 しかし、心臓の破壊にまでは至らなかった。それは貫かれる直前、ベルゼブブが心臓付近『だけ』を蠅に変換し分離させたからだ。


「ぬ……!?」


 白峰神の左腕はベルゼブブの肉体に取り込まれ固定され、引き抜くこともできない。そうしている間にも、腕からどんどん魔力を吸われていく。


「この状態なら……! 貴様も逃げ出せまい! 勝負あったな!!」


 腕に魔力を集中させ、絡みつく蠅を殺そうとしても、先程のように一匹一匹がバラバラになっているわけではないため殺し切れない。ベルゼブブの肉体内に、白峰神の魔力が溶けていく方が圧倒的に早い。

 攻勢から一転、再び白峰神は危機的状況に陥ってしまった。


 しかし――。


「なら、全部くれてやるわい」


「!?」


 ベルゼブブは感じた。体内に捉えた白峰神の魔力が、急激に増大し始めたことに。


 ――白峰神は、もう満足していたのだ。

 尖兵のバフォメットは全て倒した。人々からの信仰を再確認することができた。もう何も、思い残すことはない。

 後は、眼前の悪魔を倒すだけなのだから。そのためには、手段を選ぶ必要はなかった。


「貴様ッ……!? 自爆する気かああああぁぁぁっ!!」


 さしものベルゼブブも冷汗をかいた。白峰神は全ての魔力を暴発させ、己を道連れにするつもりなのだと。


 だがベルゼブブには逃走手段がある。瞬時に身体の全てを蠅の群れに変え、上空へとのがれようとする。

 魔力の爆発から逃げきれず、大半は死滅するだろう。しかし一匹でも生き残れば、そこから再び肉体を再生することができる。


 ――その考えも、白峰神は見抜いていた。


 そして最初から感じていた。『自分は一人じゃない』ことを。


 上空に逃げようとした、蠅達の動きが突如止まる。逃げられない。原因はすぐに分かった。

 全方位を『壁』のようなものに遮られて、身動きできなくなっている。


「!?」


 人間形態から蠅の群れに変わる時は、一瞬の硬直時間が発生し隙ができる。そこを、狙われた。

 ツクヨミでも天神にでもない。目には見えない、正方形の神聖な檻と化した『神』に。


「結界……!?」


 ベルゼブブは、最初から見落としていたのだ。

 殺すべきは神は白峰神とツクヨミ、そして天神の三柱だけだと。後は、非力な人間しかいないと勘定していた。


 だが、まだ死んではいなかった。

 明治神宮を包んでいた結界は破壊されてしまったが、悪魔一匹と神一柱を閉じこめるくらいの神力なら、まだ僅かに残っていた。


 ……!




『どうか、お護り下さいませ』




 神聖なる結界の中で身動きできないベルゼブブ。

 そしてその目の前で、白峰神は全ての魔力を爆発的に解放する。


「貴様、やめろォォォォォ!!!!」



 何百年と時代を超えた、唯一無二の『友』に感謝しながら。



「明治公……。……ありがとう……!!!」



 ――その夜、白峰神が最期に放った閃光は、代々木公園全体を昼のように明るく照らした。


 そしてその光は、中央区からでもよく見えた。

 しかし遠くにいる悪魔達は、どうせまた誰かが天使と戦っているのだろうと思い、気に止める者はごく少数だった。

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