世界の全てを呪った男

 かつて男は、この国の王だった。

 数多の民草の長として君臨し、権力の中枢に位置し、世の全てを手に入れていた。

 何ひとつ、不自由な思いをすることはなかった。


 しかし男は、一度も満たされなかった。


 なぜなら男は忌み子であった。

 父からは、その呪われた出生故に『叔父子』と呼ばれ忌避され、母からも疎まれた。

 血の繋がりがあるかも曖昧で、『家族』というものを理解できなかった。あるいは、この世にそんなものが本当にあるかも分からなかった。

 友もなく、安心できる場所もなく。ただお飾りの王としてだけ存在し、男は国のまつりごとも他者に任せていた。


 己の命に、一体どれほどの価値があるのか。男はそればかり考えていた。


 やがて世は騒乱の時代となり、国を二分する争いが起きた。

 男は争いを止めることも、勝利を掴むこともできなかった。ただ時流の大河に流される、無力な木の葉であった。


 戦の後、男は都を離れ、辺境の島に流された。配流先の生活は貧しく不便も多かったが、男の心は以前よりも穏やかであった。

 男は、国に争いを招いたことを反省し、戦に散っていった武士達の鎮魂と国の安寧を願い、仏の教えを書き写した。

 五つの経典きょうてんを書き記し、生まれ故郷へと送った。自分にできることとして、せめてもの世の慰めになるようにと。


 ――しかし、男の想いは無残にも踏みにじられた。


 人々は男の経典を受け取ろうとはしなかった。そればかりか、『呪詛じゅそ』であると決めつけ、送り返してきたのだ。

 男の言葉は、誰にも届かなかった。誰も、彼を信じようとはしなかった。世界において、誰ひとり。


(どうして)


 ようやく男は、己の運命を嘆いた。

 灰色の生活を送り、無感情な人形となっていた彼が。配流先で花鳥風月を愛でることに『命』を見出した彼の想いは。経典を書き、初めて生への実感を経た矢先に、その希望は粉々に打ち砕かれた。


(なぜ、私ばかりが)


 男は泣いた。三日三晩泣き続け、やがて涙も声も枯れ、それでも彼の慟哭は海の遠くまで響き渡った。


 そして四日目の朝。

 血の涙すらも枯れると――彼は鬼となった。


(殺してやる)


 己の運命を呪い、国を呪い、世界の全てを呪った。


(誰一人として許さん)


 人に災いを。大地に凶運を。

 赤子を憎み、老人を妬み、獣や虫や花にすらも怒りを向けた。


(何もかも、滅んでしまえ)


 国を想った彼は、国の全てを呪うことにした。

 いつしか男は、人間ではなくなっていた。

 嵐を呼び、轟雷を落とし、寺も宮殿も燃やし、川を氾濫させ、山を崩し、その怒りを撒き散らすだけの『魔なる者』へと成り果てていた。


 人々は荒ぶる御霊を鎮めるため、伊予二名洲いよのふたなのしま(現在の四国)に塚を立てた。

 そうすると男の怒りは治まったのか、国に災いは訪れなくなった。


 それから数百年の後だ。男の魂が四国から、生誕の地である京都に戻されたのは。

 時代が過ぎ、男から数えて何代も後の王が、社を建てた。新たな時代の幕開けに当たって、護国平安を願うため。


『随分と、時が経ってしまいましたが……。ようやく、この地にお戻しすることができました』


 人間には見えない存在となった男は、陽だまりの中、新たな時代の王からそう告げられた。

 賽銭箱の上で寝っ転がる、狩衣を着た男の姿は見えていないだろう。しかし王は、男に語り掛けた。


『どうか、国と民を、お護り下さい』


「……えーよ。お主が、そう言うなら……」


 数百年前に交わした約束。男はこの約束の後、神となった。


 そして2020年に国に大きな災いが訪れ、八百万の神の一柱として、戦うこととなった。国と人とを、守るため。


 かつて世界の全てを呪った男が、もう一度――誰かを守るために。




「……様! 白峰様! 白峰様ぁ!!」


 声がする。

 長いようで短い男の歴史が再生し終わると、現代へと意識が連れ戻される。

 白峰神の目の前では、涙を流す神子が己に縋り付いていた。


 そうだ。戦っていたのだ。明治神宮を襲撃した悪魔達と。

 まだ敵は残っている。立ち上がらなければ。刀を握らなければ。

 しかし白峰神の意思に反して、身体は動かず声も出ない。どうやら、ほとんどの神力を使い果たしてしまったようだ。


「……危ないぞ、神子……。結界の……中に……っ!」


 掠れるような声を絞り出すも、しかし神子は離れようとしない。結界を抜け出し、血だまりに沈む白峰神を抱きかかえている。

 そこへ醜悪な鳴き声を上げながら、大斧を振りかざすバフォメット達が迫る。

 倒さなければ。神子を守らねば。それでもやはり、白峰神の身体は言うことを聞かない。


 そこへ――結界の中から、更に人影が飛び出す。

 夜色の着物を身にまとい、この状況下でより一層顔色を悪くしている神。ツクヨミが境内に降り立ち、バフォメットの前へ立ち塞がった。


「『常闇トコヤミ』ッ! アンタから夜を奪う――!」


 夜を司る神が、バフォメットに向けた掌を握る。

 すると、たちまちに悪魔は呻き出し、あらぬ方向へと斧を振り下ろした。

 夜において『闇』を奪われれば、何も見えなくなる。限定的ではあるが、ツクヨミの能力は目眩しのような効果を持っていた。


「さっさとそのバカ連れて結界に戻りなさい神子! ココはアタシが――」


「――どうにかできると思ったか?」


「!!」


 背後に回り込んだベルゼブブの接近に、ツクヨミは反応できなかった。

 振り向き様に視界を奪おうとするが、手を握るよりも、悪魔の剛腕が叩き込まれる方が速い。

 呻き声一つ出すことも許されず、華奢なツクヨミの身体は木の葉のように、遠くへ吹き飛ばされてしまった。


「ツクヨミさんッ!!」


 悲痛な叫びを上げる神子の前に、バフォメットを引き連れたベルゼブブが立ちはだかる。

 天神の張る結界を破壊し、中にいる人間達を皆殺しにするのだろう。その前に、白峰神と神子をも踏み潰して行くのだろう。


「邪魔だ。虫ケラが」

「あ、ぁあっ……!」


 身体が震える。間近で見る悪魔の恐ろしい姿を前にして、神子は鳥肌と悪寒が止まらない。今すぐ逃げ出したい。命乞いをして、自分だけでも助かりたい。


「ッ……!」


 しかし。それでも神子は、立ち上がる。

 非力な人間の身体で、悪魔の前に立つ。背に白峰神を、庇うようにして。


「よせ、神子……! 逃げ……!」


「……理解できんな大和民族ジャパニーズ。その行動にどんな意味がある? 死に際を美しく飾りたいという、ヤマトダマシイとかいうやつか?」


 悪魔の言葉が一言紡がれるだけで、神子の膝は取り外れてしまいそうなほど震えてる。恐怖で涙が浮かんでくる。脳がビリビリと痙攣し、思考すら放棄してしまいたくなる。

 だが神子は明確な意志を持って、悪魔の前に立っていた。


「……し、信じているから……!」


「なに……?」


 理解不能な言動を訝しがるベルゼブブ。

 だが白峰神だけは、はっと目を見開いた。


「どんなに辛くても、どんなに恐ろしくても……! わ、私は……! 信じているんです……! きっと日本の神様達が、白峰様が……! 皆を守ってくれるって! ぐうたらで、面倒くさいところも多い神様だけど! それでも……っ! 絶対に私達を見捨てないって! 私は信じていますから!!」


「……矮小なモノにすがるというのは、こうも惨めか……。それは信仰とすら言えない、ただの自分勝手な願望だ。そんなことだから、貴様達は我らに滅ぼされるのだ。雑食性の多神教徒どもめ!!」


 ベルべブブの太い腕が振り上げられる。圧倒的剛腕で、神子の身体などバラバラにされてしまうだろう。


 神子は生死の境にあって、それでも強く祈っていた。

 助けて欲しいと。どうか、守って欲しいと。


「か、神様……っ!」











 ――その神頼みは、確かに届いた。







「はいよ」




 ベルべブブの腕を粉砕し、そのままの勢いで顔面を殴りつける。


 社殿の入り口から鳥居まで吹っ飛ばされたベルゼブブは、一瞬何が起きたのか分からなかった。

 だがすぐに理解できた。震える巫女の前に立つ、一柱の存在。その者が消滅の危機にあって、土壇場で盛り返してきたようだ。


「まったくお主は……。もうちょい頼み方ってモンがあるじゃろーが。未熟な巫女を持つと、主神しゅじんは苦労するのぅ」


 だが、『何か』がおかしい。もう神力は無いに等しいはず。立ち上がることも不可能なほどのダメージを負わせたはずなのに。何故、いつものように飄々としているのか。

 そして何より、姿は何か。白い狩衣はそのままに、全身から黒い瘴気を噴き上げさせている、まがまがしい姿。


 その気配――『神聖なる者』のチカラではない。


 上空で成り行きを見守っていたウリエルも、驚愕したように目を見開いていた。


「あの者は……まさか……!」


 破損した腕をハエで修復させ、再びベルゼブブは白峰神との間合いを詰める。

 近付けばば近付くほど分かる。殺したと思った神が復活してみれば、どういうことか。

 あの姿、この気配。『魔力』を感じるではないか。


「そうか、貴様……。……!」


 日本史史上たった三人しかいない、人から魔に堕ち、そして神へと成った男。

 崇徳院顕仁すとくいんあきひと、現在の名は――白峰大権現。

 明治大帝陸仁むつひととの約束を果たすため、日本国の土地と民を守るため、伴天連の悪魔ベルゼブブへと挑む。


「おいハエっころ。今から叩き潰すから、辞世の句を考えておけぃ」


 神子からの信仰、そして『魔王』としてのチカラをその手に宿し、第二ラウンドの鐘が鳴る。


「日本の神様、ナメてんじゃねぇよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る