明治神宮の戦い

 明治神宮の上空に、光の輪が出現する。そこから降臨するのは熾天使してんしウリエル。

 眼下で始まった、悪魔と日本の神の戦いを観察し、その輝く瞳に何を想うのか。


 創造主の預言通り、災いは訪れた。忠告を聞いて尚、この場に留まったのは日本人達の判断。その選択がどのような結果をもたらすかまでは、熾天使の立場であっても知らされていない。


「神よ……。どうか、か弱き者に救いの手を……。彼らの罪を、どうか寛大な御心みこころでお許し給え……」


 祈りを捧げる天使。しかし戦いに参加はしない。彼らの運命に、ウリエルは介入することはしない。

 何故なら――明治神宮の中で震える日本人達が、創造主ではなく『神』を信じているからだ。


***


 雄叫びを上げ、白峰神は最初に降下してきたバフォメットの動脈を、すれ違いざまに掻っ切る。

 不浄の血液が境内に零れ落ち、内心で明治公に悪く思いながらも、全身を神力で加速させる。


 山羊頭の悪魔は残り12体。彼らは次々と境内に降り立ち、白峰神一柱に襲い掛かる。

 振り下ろされた大木のような斧をかわし、柄の上を一瞬で走り抜ける。脳天に刀を突き刺し、真上に斬り上げる。

 頭を両断された悪魔は「グメェェェエ゛ッ!」と耳障りな断末魔を上げ、崩れ落ちた。


 しかし、まだ11体も残っている。

 ベルゼブブが動き出す前に、数を減らさなければ。そう思案しながら槍の突きをかわし、バフォメットの太い足と腕を斬り落とす。

 だがこの程度では死なない。脳天か心臓を破壊するか、細切れにしなければ。それも、己の神力を刃に乗せて。

 手足を斬り裂いて身動きを封じ、心臓を一突きしてトドメを刺す。

 そしてそのまま、何倍もの体格を持つバフォメットの死骸を背負い投げ、斧を振りかぶっていた別の悪魔に当ててみせた。


 残り10体となったが、悪魔の猛攻は収まらない。むしろ激しさを増すばかり。

 二体の悪魔に両脇から槍で刺突されそうになるものの、白峰神は軽業師のように宙を舞い、その場で飛び上がってかわす。

 着地と同時に左の悪魔を、刀を持ち替え右の悪魔も、一瞬で斬り伏せた。


 まさに神速。

 圧倒的速度で刀を振るう白峰神にバフォメット達は翻弄され、その動きを視界に捉えることもできない。

 反射を超える速度。残像すら生まれる動きと斬撃。まさに人間離れした体捌きと剣術。下級の悪魔では、翻弄されるばかりだった。


 しかし。そんな中で、ベルゼブブだけはその場から動かず、冷静に戦いを観察していた。ややあってから――意味深に笑みを浮かべると、左手を上げ合図を伝えた。


「やれ」


 それを確認した二体のバフォメットは、標的を白峰神ではなく、明治神宮に変更する。ツクヨミや天神様、無力な神子や避難民達がいる、社殿へ。


「ッ――! 小癪な真似を!」


 すぐに白峰神も社殿へ向かう。

 結界が張られているとはいえ、どれだけ持つかは分からない。明治神宮の屋根や壁に手をかけようとしていた悪魔二体に向かって、夜風を切って走る――。


 そのはずが。背を見せた白峰神に、その脇腹に、新手のバフォメットが強烈な鉄拳を叩き込んだ。


「がッ、は……!」


 右脇腹から真横に衝撃が走り抜け、あらぬ方向に吹っ飛んでいく。


 そうしている間にも、悪魔達は明治神宮の屋根を剥がす。しかし結界に阻まれ、手を伸ばしても人間達には届かない。

 それでも、その醜悪な顔と根源的恐怖を煽る鳴き声を聞けば、常人の精神では泣き叫ぶどころの恐怖で済まない。結界の内部では、パニックに陥る人々の絶叫が響く。恐怖が恐怖を呼び、いつ発狂してもおかしくない。

 まさに地獄絵図と呼ぶしかない光景が、神子の眼前には広がっていた。


「ツクヨミ様! もっと結界を強く!」


「分かってるわよ天神! それにしたって何やってんのよ、あのバカは!」


(白峰様ッ……!)


 天神とツクヨミにも、余裕がなくなってきている。

 そして神子は案ずる。この状況を、白峰神の安否を。

 このまま、自分たちは生き残れるのだろうか。もしかしたら今夜、自分達はここで死ぬ運命なのではないか?。


 そんな諦めにも近い不安を、吹き飛ばすように。神子の祭神は雄叫びを上げた。


「どおおぉぉぉらぁぁぁぁぁッッ!」


 天井を破壊し、結界にも手をかけようとしていた悪魔。そのバフォメットの脳天へ、上空から日本刀が突き立てられた。

 目を潰し、もう一度だけ刺し、奥にある脳髄を破壊して、黒い血にまみれながらも撃破する。


 続いて、正面の扉を斧で壊している山羊頭の眼前に降り立つ白峰神。

 一刺しでその命を奪い、心臓に突き刺した刃を抜き、乱暴に蹴り倒すと、悪魔は力なく境内へと転がっていった。

 そして白峰神は背後を向き、避難民達の無事を確認する。しかし全力疾走をした後の走者のように、腰や背中を丸めて両膝に手を付き、肩で荒い息をして地面を見詰める。


「はぁっ、はっ……!」

「白峰さ……!」


 恐怖から解放された安堵で、神子は結界のギリギリまで近づく。扉が破壊されてしまったため、神子と白峰神を隔てるのは、ガラスのような薄い結界だけ。


 その結界に触れて、白峰神の顔を覗き込んだ時――神子は思わず息を呑んだ。


「はァァア……ッ」

「っ……!」


 鬼神。まず最初に、その言葉が浮かんだ。


 全身をべっとりとした黒い鮮血に染め、刃には白い脳髄がこびりつき――白峰神は、神子が今までに見たこともないほど恐ろしい目つきをしていた。

 あらゆる世界の闇に黒を混ぜて、明度を落としたような色。深淵を覗くとは、こういうことなのだろうと実感した。


 肩で息をする白峰神は、生死をかけた戦いの中で、神子を気遣う余裕は全くなかった。恐ろしい姿を見せて、怯えさせてしまったこと自体は、申し訳なく思う。

 だが何も言わず背を向け、刀を握り、また境内へ向かっていく。悪魔と戦うために。人々を守るために。

 振り向き様、神子が僅かに見たその表情は、酷く悲しそうだった。


「……結界に近付きすぎだ榊原君。少し下がりなさい」


「わ、私……」


「……どうしたのよ」


 ツクヨミは凡そ察していた。

 自身の『夜の神力』を結界に注いで集中させている状況でも、神子の顔を見れば分かる。

 悪魔の襲撃に怯えているだけではない。守ってくれているはずの白峰神の姿すらも『異形』として認識してしまい――何よりもそう感じてしまった自分自身に、嫌悪や罪悪感を抱いているのだろう。


「白峰様が、あ、あんなに、必死に戦っているのに……。声一つ、かける事できなかった……! 『恐い』って思っちゃった……! わ、私……っ!」


「……本当、面倒臭い奴よね。アンタ」


 また無意識に冷たい言葉が出てしまう。

 だが口下手なツクヨミは、それでも言葉を紡ぐ。正確には伝わらないかもしれない。励ますどころか、かえって傷付けてしまうかもしれない。

 それでも、思っていることを正直に言葉にしようと決めた。


「信じてやんなさいよ。……アンタ、白峰アイツの巫女でしょ」


「え……?」


「……アイツ、生前は誰にも信じて貰えなかったのよ。誰も、アイツの言葉を信じようとしなかったから。……だから、せめてアンタだけは、神となったアイツを信じて待ってやってよ。恐がっても良い。不安になっても良い。それでも、どうか勝利を信じてあげて。……人間」


 神子は、白峰神のことを詳しく知らない。半年前に出会って、成り行きで彼の巫女を拝命したに過ぎない。

 それでも神子は知っている。

 お調子者で、ゲームばかりして、飄々とした性格の白峰祭神は――彼という神様は、決して人間を見捨てたりはしないと。


「残り5匹か……。大分減ったのう、ハエ野郎。ええ? おい」


「……そういう貴様も、かなり力を消耗したようだな」


 未だ動かないベルゼブブ。上空の天使を警戒しているのか、あるいは自らが手を下すまでもないと判断したのか。

 しかし暴食の王は、己の手で白峰神を倒すことに、復讐を遂げることに固執しているはずだ。このまま、何もしないはずがない。

 そう予想する白峰神は、少しでも神力を回復させるため、何とかして時間を稼がねばと思案していた。挑発せず、会話を長引かせるのだ。


「……貴様は減らず口を回して時間を稼ぐつもりだろうが、そうはさせん。チカラが戻る前に、この俺が殺す」


 やはりそう上手くはいかないか。厄介なことになったとは思いながらも、白峰神は再び刀を構える。

 その白峰神へ目掛け、身体を霧散させたベルゼブブと、バフォメット達が一斉に襲いかかる。


 白峰神は蠅の大群に対して――戦うことはしなかった。

 どのみち、この状況でベルゼブブを倒すのは不可能。ならば、せめて一体でも多くのバフォメットを撃破し、天神か上空にいる天使に倒してもらうしかない。

 最初から、白峰神は『捨て駒』になるつもりだった。


 素手で殴りかかってくるバフォメットの腕を斬り落とし、振り返り様に別のバフォメットを斬りつける。

 しかし神力を消耗した白峰神の斬撃には、もう最初ほどの速度も威力もなく、浅く傷を付けて血液を噴出させる程度にとどまった。


「くそっ……!」


 そこを、蠅の大群に囲まれる。

 捕まらないよう意識していたはずが、白峰神の予想以上に、身体は動いてくれなかった。


 片足を固定されて一瞬硬直したところに、悪魔達の拳と大斧と槍が叩き込まれる。

 たった一回の攻撃でボロ雑巾にされ、力なく宙を舞う。

 そこへ、人間形態となったベルゼブブの剛腕を追加で貰う。空中に血液で軌跡を描きながら、白峰神は社殿の結界に叩き付けられた。


 もう呼吸はしていない。目の焦点が定まっていない。

 神子かツクヨミの叫び声か悲鳴が聞こえる……気もするが、何を言っているかまでは把握できなかった。


 ぼんやりと、白峰神は別の女性を思い出す。

 これは誰だったか。この人達は、この場所は――嗚呼、久しく忘れていた。


 これは走馬灯――白峰神が、まだ人間だった頃の記憶だ。

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