人間信者へ讃美歌を
俺の、俺達の頭上では天使と悪魔と戦士達がぶつかり合っている。降り注ぐ矢とビルの瓦礫。鼓膜が破れそうな程の戦いの轟音。
その『戦場』の中でマガール牧師も雄叫びを上げ、再び悪魔崇拝の人間達に立ち向かう。
教会の時よりも速い動き、強力な殴打。本気だ。牧師の動きからは、容赦も手加減もしないという気迫が伝わってきた。
そして、ついに牧師はライフル銃を使用する。
だが発砲する事なく、銃身で首筋を殴り付けた。気を失った男は、道路に倒れ込んだ。額からは僅かに、赤い鮮血が流れ出ている。
「負傷者が出たぞ! 治療してやらなくて良いのか!!」
牧師は悪魔崇拝者達に叫ぶ。
以前、何かの本で読んだことがある。敵の戦力を削るには、ただ殺せば良いというわけではない。負傷者を出せば、敵はその治療に人員を割く必要がある。結果的に、相手の戦力を効果的に削ることができると。
「あああぁぁぁぁぁッ……!」
「サタン様のために!」
「ちッ……!」
しかし。牧師の目論見は、無残にも失敗した。
誰も、倒れた男の心配などしていない。ひたすらに武器を持って、牧師を殺すことだけに目を血走らせている。
そして牧師に殴られた男自身すらも、額から流れる血を押さえる事もせず、立ち上がって迫り来る。
「このッ……! 狂信者共が……っ!」
牧師は苦しそうな声を上げながら、再びライフル銃で敵の頭部を叩く。
俺は、目を逸らしてしまいたかった。誰も怪我人を気遣わず、戦いにのみ執念を燃やす人々のなど。日本人を美化するつもりはない。だが、譲り合いや助け合いの精神は、多くの人が持っていたはずだ。
その人間性がまだ残っていると。少しでも理性は残っているだろうと。俺も、そして牧師も思っていたはずだ。だから負傷者を出して戦力を削ろうと思った。
だが結局は、人間性も魂も全て
「くっ……! はぁっ、はぁ……っ!」
「……!」
牧師の息が上がっている。無理もない。何十人以上という数を相手に、たった一人で戦っているのだから。それも射殺はせずに、殺さないよう格闘戦のみで。
しかも最悪なことに相手は、一人二人を気絶させればビビッて逃げるような連中ではない。
一つの感情だけに憑りつかれ、まるでゾンビのように立ち向かってくる集団こそ最も恐ろしい。
「牧師……ッ! 弾丸を、銃を使えば良いじゃないかッ! どうして撃たないんだよ!」
ここで俺は、また無責任なことを叫んだ。あまりにも残酷で、言ってはいけない言葉だと。それを気付かせてくれたのは、振り向いた牧師の悲しそうな表情だった。
「……子供がそんなこと、言うんじゃあ、ねぇよ……」
俺が今言った言葉は、マガール牧師に『殺せ』と命令するようなもの。なるほどそうすれば、悪魔崇拝者達の数は減り、戦いはいくらか楽になるだろう。
ただ俺は必死なあまり、気付いていなかったのだ。人命を奪う引き金を引くのは、俺自身じゃないのに。
「サタン様ァァァアアアッッ!!!」
「おるあァァッ!!」
牧師の鉄拳で、ナイフを持った若い女性は気を失い倒れる。
この状況においても尚、牧師は『不殺』の決意で戦っている。
「……俺は確かに人殺しだ……。たくさんたくさん、殺してきた外道だよ……。金が貰えれば世界中どこでも、どんな戦場にも行った。命令されれば誰でも殺した。……でもなぁマサヤ、お前まで俺に『殺せ』だなんて言わないでくれ……。民族同士で殺し合うのなんざ、もう見飽きてんだよ俺は……」
「……!」
その言葉には、いくつもの戦場を歩いてきた牧師の、重みと悲しみが詰まっていた。
ようやく俺は、自分が軽率なことを言ったんだと気づかされた。
「人種が違うというだけで、嬲り殺される老人を見た事があるか? 子供が腹に爆弾括りつけて、突っ込んで来るのを撃ち殺した事があるのかよ、お前らは……っ!」
その言葉に、狂信者の体は一瞬硬直する。その隙に銃をバットのように振るい、また一人倒した。
だがその背中は、酷く物悲しく見えた。
「良い国だよ、良い国だったんだよ、
息を切らし、裂傷と打撲を負いながら。それでも牧師は人々を制圧していく。決して殺さず、気を失わせる程度に留めて。
「マガール牧師……っ!」
命の奪い合いをしてきた牧師が、これだけの決意を固めて戦っているのだ。俺の甘かったのかもしれない。悪魔崇拝者達の命を奪えば楽なのかもしれない。
だが彼は日本に、この東京に『戦争』をしに来たのではない。東京崩壊の真偽を確かめに来た。真に戦う相手は悪魔。人と人とが争う場所じゃない。
そんな牧師に俺が、戦争も殺し合いも知らない俺が、どうして「銃を使え」などと言えるだろうか。
無力で非力な俺は。平和しか知らない俺は、黙って牧師の戦いを見届けることしかできなかった。
「……神も天使も、悪魔もいた世界だってのに……。何でだろうな……。俺は未だに、人間の可能性を信じてる……」
『人間信者』。数多の戦場を経験した牧師が辿り着いた信仰は、人間の愚かさを知り、それでも諦めきれない讃美だった。
「生きろマサヤ。ヒカリと共に。神のために、子供が殺し合う世界ではなく……できる限り、平穏な日常を過ごせ」
「……マガール牧師……ッ!!」
初めて見た牧師の笑顔は血にまみれ、相変わらずおっかない顔で――それでも俺が今までに見た中で、最も穏やかな笑顔だった。
「きぇぇぇえええっ!」
「が……ッ!」
悪魔崇拝者の持つ角材が、牧師の頭に叩き込まれる。
牧師は踏ん張ろうとするも力尽き、固い道路に膝をつく。
その牧師に、十数人の大人達が次々に鉄パイプを振り下ろし、拳で殴り、腹に蹴りを入れる。
口汚い罵倒と猛烈な暴力。リンチされる牧師の顔から、福原さんの遺品である丸眼鏡が吹き飛んで割れた。
「や、やめ……!」
動くべきなのか。牧師を助けに行くべきか。
だが牧師は『生きろ』と言った。ならばここは、奴らが牧師に構っている間に逃げるのが最善ではないのか。東京湾まで出れば、助けが来ると言う。
そもそも俺なんかに、あの集団をどうにかして牧師を助ける手段など――。
「サタン様に逆らいし罪人が……!」
「裁きを受けよ! 罪に報いろ!!」
「栄光よあれ……! サタン様の世に、栄光よ……!」
どちらにせよ、時間はない。選択の時間はいつだって一瞬だ。悩んでいる暇なんて、もう無いんだ。
それならもう、道は一つしかないだろ……!
「これで終わりだ、キリスト教徒……!」
今度は、ちゃんと動く……! 俺の両足!!
「……さぁぁぁせるかァァァァァッッ!!!」
「!?」
コンクリートのブロック片を持ち上げた男に、俺は全速力で道を駆け抜けタックルをかます。驚いた悪魔崇拝者達の隙をつき、スピードと体重を乗せて突き飛ばした。
そして他の奴らに向かって。牧師の手から離れたライフル銃を拾って、突きつけた。
「それ以上近づいてみろ! お、俺がお前らを……! 撃ち殺すぞ! 本当に!!」
俺の気迫に一瞬怯んだようだが、すぐに目を真っ赤にして奴らは武器を持つ。
ケンカなんてしたことない。銃を撃つなんてもってのほかだ。本物の銃はこんなに重いのかと驚いたくらいの、素人だ。
「よせ、マサヤ……! 逃げろ……!」
マガール牧師は俺を止める。そうだろう。俺一人で敵うわけない。俺みたいな子供が、日本人同士で殺し合うのも見たくないだろう。
だけど――。
「……ここで俺が逃げたら、アンタを殺すことになってしまうだろ牧師ッ! 命の恩人であるアンタを見殺しにしたら、俺も人殺しの仲間入りだ! それは嫌だ……! 俺は一生、アンタを見捨てたことを後悔する!!」
震える足と声で、カッコつけにもなってない言葉を叫ぶ。引き金を引く勇気なんてありはしない。
他人を撃ち殺す覚悟すらない。だけど、ここで牧師を見捨てて逃げるのは――どうしても、それだけはできなかった。
「俺は無責任な奴だよ、自分勝手で頭の悪いガキだよ! だから言うよ牧師……立って、戦ってくれよ! 俺を人殺しにしないでくれ……! 頼むよ……!」
もう限界だ。そもそも牧師は既に虫の息で、俺の言葉も届いていないかもしれない。
そして悪魔崇拝者達は構わず襲ってくる。やっぱりこんなバカな真似、するんじゃなかったかな。
俺はヒーローみたいになれない。スサノオみたいな『英雄』じゃない。ただの学生だ。
でも、最期に――。『誰も殺さなかった凡人』ではあれただろうか。
「『Amen』」
――牧師は俺の手から銃を奪い返し、迫り来る敵の足の甲を撃ち抜いた。
先陣を切った仲間が倒れたことに、動揺する悪魔崇拝者達。
そして俺は、涙と汗に汚れたもうよく分からない顔で、俺の前に出るグレーのローブを目撃した。
「…… I have told you these things, that in me you may have peace. In the world you have oppression but cheer up. I have overcome the world.(此等の事を汝らに語りたるは、汝ら我に在りて平穏を得んが為なり。汝ら世にありては苦難あり、されど勇気を持て。我すでに世に勝てり)
……『ヨハネによる福音書』16章の33節だ。俺が唯一、聖書で覚えてる部分だ」
「……ルーサー・マガール牧師……!」
血を流し、あちこち傷だらけの身体で。それでも牧師は立ち向かう。
「勇気に賞讃を。人の未来にこそ、栄光よあれ……! マサヤ……お前の決断が俺に命をくれたんだ。ならば俺は報いよう。お前の偉大なる勇気に応えよう……!」
血の混じった唾を吐き、牧師は三度と武器を振るう。満身創痍なのに。限界は超えているはずなのに。牧師は、限界を超えた戦いを見せた。
何度も殴られ、そのたびに殴り返し。刃物を向けられても、決して弾丸はこめずに。
……そうして何時間もの激闘に思えた数分の戦いは、幕を下ろした。
最後に立っていたマガール牧師は、情けない顔を浮かべている俺を見て、口元だけ歪めて笑ってくれた。傷だらけの、その顔で。
「……ありがとうマサヤ。俺はようやく……誰かを『活かす』ために、戦うことができた……。俺が求めていた戦場は、ここにあった……」
「……礼を言いたいのはこっちだよ牧師……! 本当に、ありが……ッ!」
俺が今日見たのは、神の奇跡でも天使の祝福でもない。悪魔の強大さでも、人間の醜さでもなかった。
一人の人間の、誰かのために戦う人間の強さを。『勇気の持つ無限の可能性』を、俺は目に焼き付けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます