東京潜入作戦

「――物騒な者達は、早々にこの東京から立ち去って欲しいものですがね」

「!!」


 全員が空を見上げる。

 そこには、金色の姿を持つ肥満体の悪魔が羽ばたいていた。――『強欲王マモン』。口調は礼儀正しいが、醜悪な見た目をした上位の悪魔。

 一度スサノオや、智天使長『ケルビエル』とやらに撤退させられたと聞いた。しかし俺達を追ってきたのか。今度は大量のバフォメットを率い、その恐怖の象徴とも呼べる軍団は、ざっと見て100は超えていそうだった。

 そして更に、マントと唾の広い帽子を被った悪魔も浮いていた。その手には黒い弓を持っている。


 東京の空を埋め尽くす、漆黒の翼達。絶望的な戦力差。

 しかし悪魔の軍勢を目の前にして、スサノオは汗一つ浮かべていなかった。


「シロウサァ! お前はガキ共連れて『海』に向かえ! 例の場所だ!」

「御意!」


 スサノオの命令でシロウサは、背中にヒカリを乗せたまま走り出した。俺とマガール牧師に『付いて来い』と指示し、スサノオとウズメさんとは別行動を取るようだ。

 そして残された帝釈天は雷門の前でポツリと立っている。俺達の背中を見つめながら、走るでも武器を構えるでもなく、白象の鼻を優しく撫でていた。


「……逃がしてはいけませんよ『バルバトス』。貴方の弓で、子兎達を狩ってきなさい」

「……了解」


 当然、追手は迫る。

 灰色のマントと、緑色の帽子を深く被った男が空中を飛来してきた。

 また、悪魔を相手に必死の鬼ごっこだ。命を掛けた逃走劇は、本日これで二回目か。やっぱり部活続けておけば良かった。


「それにしても……ッ! どこに行くんすかシロウサさん!」

「隅田川を南下し、『東京湾』へ出る! 最悪の場合、お主達だけでもそこへ行け!」

「東京湾……。船でも来るのか!?」

「『船』どころではない……!」


 重低音の声で叫ぶシロウサ。しかし俺達の先頭を走っていた彼は突如立ち止まり、振り向き様に槍斧ハルバードを薙ぎ払った。


「ぬぅん!!」

「うっわ!?」


 何も言わず、いきなりとは危険すぎる。俺とマガール牧師は巻き込まれないようギリギリで頭を下げ、そして後方を確認した。

 そこには地に落ちた黒い矢と、その矢を放ったと思われる弓の男。緑色の帽子の奥には、赤く輝く眼光が見え隠れしていた。

 どうやらシロウサは追手の悪魔からの攻撃を察知し、瞬時に俺達を守ってくれたようだ。

 シロウサの背中に乗って首元に腕を回すヒカリは、この状況で明るい笑顔を見せている。すっかり兎頭の鎧武者が気に入ったようだ。


「ウサちゃんすっごーい!」

「しっかり掴まっていろ童よ! それから拙者はウサちゃんではない!」

「ちょ、そこにいたら危ないぞヒカリ!」

「落ち着けマサヤ。……危ないのは、俺達も同じだ」

「!?」


 牧師の睨む方向からは、仮面を付けた黒い衣装の『人間』達が迫ってくる。悪魔崇拝者達だ。先程、教会で牧師に顔もチラホラ見える。それぞれが農具や工具、鉄パイプやバールのようなものを持ち、その傷付いた顔面に憎しみと狂気を宿していた。


「や、やべぇ……!」


 思わず声が震える。声だけじゃなく足も、全身も恐怖に襲われる。

 前方からは人間の敵、後方からは弓矢の悪魔。追手に挟まれ、俺達は思うような逃走ができずにいる。

 これは、もしかしなくとも――かなりのピンチなのではないだろうか。


「……日本のバトルラビットよ。悪魔の方は任せて良いか」

「任せて良いか心配なのは、こちらも同じだ英国人キリシタン。あれほどの多勢を相手に、お主一人で子供達を守り切れるのか」


 重低音ボイスと渋い声に挟まれ、胃もたれしそうだ。しかし今は、それが心強い。

 いくつもの年月。いくつもの戦場と経験を重ねてきた牧師やシロウサの言葉には、俺には出せない説得力と安心感に満ちている。


「……問題ない。俺の戦争はいつだって不利だった。ボスニア、コソボ、イラク、アフガニスタン……そして東京。いつだってクソみたいな状況だった。だが俺はその地獄を今日まで生き抜いてきた。……化け物が相手じゃないなら、今は喜んで戦おう。それに……たまには牧師らしく、神の偉大さも布教してやらんとな」


 牧師はライフル銃を構え、シロウサも巨大な槍斧ハルバードを持って弓矢の悪魔と対峙する。

 俺はヒカリを心配しつつも、彼らの足手まといにはならないよう注意しようと決めた。まだ足は動く。元陸上部の底力を見せるのは、今しかないだろう。


「……逃げるのは辞めて諦めたか? 野ウサギ」


 弓矢を持つ悪魔がついに俺達に追いつく。その眼光、雰囲気。ただ者じゃない。

 その悪魔と対峙したシロウサは、ハルバードをアスファルトの道路に突き刺し、兎とは思えない眼光と声量で名乗りを上げた。


「我こそは! 出雲大社主神である大国主命オオクニヌシノミコトに命を救われし、士郎・左尋坊・因幡なり!! 今こそ恩義を持って、敵を討ち祓わんや!!」

「……それは日本式の決闘の合図だったか? 名乗るのがルールだったな、そういえば。……面白い」


 悪魔はローブを脱ぎ捨て、緑色の帽子も指で押し上げる。

 これまた海外俳優のような顔がそこにはあったが、赤い瞳と鋭い牙が人間ではないことを再認識させる。

 そして悪魔もまた、その圧倒的強者のオーラを放ちながら名を述べる。


「ソロモン72柱序列8番公爵『バルバトス』。我が魔なる矢の軌跡は、何者も逃しはしない……!」


 悪魔が『バルバトス』と名乗った瞬間、崩壊した浅草にどこからかラッパの音色が響く。

 そしてキリスト教の悪魔であるそのバルバトスを、同じくキリスト教の牧師であるマガール牧師も知っていたようだ。迫る悪魔崇拝者達に気を配りつつ、背後の悪魔を視認した。


「バルバトス……! かつての『ロビン・フッド』か!」


 イギリスに伝わる、伝説的義賊にして弓の名手らしい。俺もロビンフッドという名前程度は知っている。そんな英雄が、まさか悪魔となって追撃してくるとは。


 互いに名乗りは上げた。そして戦いの合図として先手を打ったのは、バルバトスの矢だった。


冥府の弓矢ヘル・ジ・アロウ! 逃げ場はない!!」


 バルバトスの放った矢は黒炎を放ち、幾本もの矢に分裂して迫る。しかも真っ直ぐな弾道ではなく、海中を泳ぐ魚のようにうねりながら、シロウサを射抜こうとしていた。


「笑止ッ!!」


 それに対してシロウサは、道路のコンクリート片を巻き上げながらハルバードを振り抜いた。

 コンクリートの塊と矢がぶつかり爆発し、残った矢も全てその大きな刃で叩き落とす。


「……拙者をただの野ウサギと侮るなよ。今から狩られるのは、お主の方だ狩人よ……!」

「……面白い」


 そしてシロウサは、バルバトスに向かってハルバードを振りかざす。


 心配なのは、未だヒカリがシロウサの後ろ首に巻き付いているという点だ。少しどころではなく、かなり危ない。

 しかし危険な状況なのは俺も、悪魔崇拝者達を相手にするマガール牧師も同じことだった。


 そもそも安全な場所など既にない。それを示すように、上空では『天使』と『戦乙女』が対峙していた。




***




「バルバトス」「悪魔」「我ラノ敵」「四人ノ王、倒ス」


 強欲王マモンが行動を起こしたのを察知し、智天使長ケルビエルも再び東京の空に出現した。

 だが彼を包囲する無数の悪魔、そしてバルバトスが従える『四人の王の軍勢』に、人と獅子と牛と鷲の頭部をグルグル回転させながら、せわしなく戦況を確認していた。

 そして、神でも仏でも天使でも悪魔でもない別の『戦力』に――ピタリと牛の顔を止めて無感情な瞳を向けた。


「……何なのですか、貴方は……」


 ケルビエルの牛顔を見つめる、引き攣った顔の戦乙女ワルキューレブリュンヒルデ。主神オーディンの命を受けロキを捕縛に来たものの、煙に巻かれて見失ってしまった。

 そこで出会った異形の天使。主神から預かったグングニルの槍先を向けるのは、無理もない事だった。


「誰?」「ダレ?」「知ラナイ」「知らない、ケド」


 困惑しているブリュンヒルデに、あるいは周囲に散在する悪魔達に向かって――ケルビエルは弓矢を向けた。


「主に従わぬ者」「全て邪神」「異教徒」「異教徒、滅ス」

「「「「シェキナーの弓」」」」


「――っ!?」


 乱射される、太陽よりも輝く弓矢。

 その一発一発に悪魔達は貫かれ、建物は崩壊し、アスファルトの大地に穴が開く。

 ブリュンヒルデはグングニルを振りかざして何とか矢を防ぐも、その挨拶も無しの先制攻撃に、短い堪忍袋の緒は即座に切れた。


「何と無礼な……ッ! 警告もせず突然の攻撃、そして邪教呼ばわり! 異形なる存在め……! 今ここで滅べッ!!」


 ――東京の空に、巨大な『門』が現れる。

 それは神々の住処。その一部。死した魂が最後に導かれると伝えられている、黄金の『ヴァルハラの門』。


「出でよ、葬送の戦士達エインヘリャル!! ラグナロクへの前哨戦です……!」


 そして戦乙女ワルキューレはその権限を行使し、門を叩き開く。


「――開門!! 『戦死者の館ヴァルハラ第五の扉グラズヘイム!』」


 ブリュンヒルデの声に従い、雪崩を打って押し寄せる、屈強な北方戦士達の魂。肉を喰い酒を飲み、日々鍛錬を重ねて終末戦争ラグナロクに備える者達。

 それぞれが手に斧やハンマーを持つエインヘリャルは、ケルビエルだけでなく悪魔や悪魔崇拝者や神々にさえ、無差別に襲い掛かり始めた。

 かつて荒くれ者だった戦士達には、遠慮も慈悲もない。この東京という戦場に立つ者全てが、立っているのが自分達以外に居なくなるまで――。彼らは決して闘争を止めはしない。


「――ぶっ、ははは……! 相変わらず、ブリュちゃん煽り耐性低すぎるでしょ……! お、お腹痛い……!」


 その様子を、遠く離れた高層ビルの屋上から観賞して。腹を抱えるロキの声だけが、東京に残された最後の『笑い声』として響いていた。


 いや――正確には、もう『一柱』の高らかな笑い声も存在した。




***




「はっはっはぁー! いよいよお祭り騒ぎっぽくなってきたじゃねぇかよ、オイ!!」


 スサノオは二刀を携え上空に飛び上がり、あちらこちらで始まった戦いの音色に酔いしれていた。

 ラッパを鳴らしながら進軍するバルバトスの軍勢。それに立ち向かうシロウサ。

 弓矢を乱射する智天使ケルビエル。ヴァルハラを開門し、屈強な戦士達を呼び出したブリュンヒルデ。

 バフォメット達が上げる山羊のような咆哮。それに歓喜する悪魔崇拝者の金切り声。そこへ飛び込むマガール牧師。


 それぞれがそれぞれの戦いを始めた。それに感化されないはずがない。闘争と暴風の本性が、スサノオの中で一気に盛り上がってきていた。


「乗り遅れる気かよ、カレー野郎ッ!」


 マモンを睨みながら、地上にいる帝釈天に声をかける。

 踊り子のウズメは雷門の屋根上で「また煽るような事を……」と頭を抱え、マモンは何の事か分からずに――ただ、柴又の帝釈天だけは、スサノオの言葉に笑顔で返した。


「どうなっても知らんぞ?」

「雷神道真に比べたら、テメエの神性なんざ『静電気』みたいなモンよ!」

「言ってくれる……!」


 そして仏は両手を合わせ、温厚な表情は消え去る。

 その合掌は、人が神に祈るものではない。『神』が慈悲の掌を閉じ、破壊と闘争の渦中へ飛び込む意思表示だった。

 帝釈天はスサノオに似た、好戦的な笑みを浮かべて――唱える。

 己の、真言名前を。


「『オン・インドラヤ・ソワカ』」


 白い肌が茶褐色に染まる。上半身の衣服が弾け、雷光と竜巻の中に『本来の神性』を覗かせる。

 そして白象が叫んだ後、現れたのは――バラモン教、ヒンドゥー教に伝わり、仏教の中で『帝釈天』と同一視されるインド神話の神。


「『英雄神インドラ』……。自分で言うのも何だが――我が『インドラの矢』は、雷神すらも焼き殺すと思うぞ?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る