トリックスター / 葛飾柴又帝釈天

 東京スカイツリーの展望台。そのガラス張りの室内……ではなく、人間が立ち入ることなどできない屋根の上。

 いつもはサタンの特等席として、数少ない上位の悪魔のみが謁見を許される場所。

 そこには大きな天体望遠鏡が鎮座しており、最新鋭の技術が盛り込まれた高額品でもあった。

 だが強欲を司るマモンにとっては、望遠鏡の価値など分からない。多少の値は張るのだろうが、金銀財宝に比べれば無意味な物に思えた。主君である悪魔王サタンは、どうして夜空ばかり見上げるのか、理解できなかった。

 だがそれでも、主の所有物は大切にせねばならない。望遠鏡だけはない。このスカイツリーから見える景色の全てを、死守する役目を与えられたのだから。


「サタン様の財産を……! この東京の土地、悪魔の尖兵達、そして人間……。ありったけの金貨も! 守らなければ! サタン様が、お帰りになるまで……!」


 マモンにとっての財産は、金や人間。悪魔達が占拠した、この東京に存在する全てである。


 サタンはベルゼブブとアスモデウスを連れ、一千の軍勢と共に京都へ進軍していった。主が京都を侵攻している間、留守を託された。

 誇らしい任務だが、今のマモンは額に汗を浮かべ、金色の翼や装飾品に反射してキラキラと眩しく光っている。


「おのれ、下賤な天使が……! それにスサノオとかいう、土着神も……!」


 日本の英雄神スサノオによって30の配下達を討ち滅ぼされ、智天使長ケルビエルの無差別斉射によって、マモンは撤退を余儀なくされた。

 配下を失い、管理しているはずの子供二人の脱走を許し。このままではサタンに顔向けできないどころか、どんな恐ろしい仕置きが待っているかも分からない。想像しただけで背筋が凍る。


 そこへ――『悪魔ではない』者が、何のためらいもなく侵入してきた。


「マっモンさ~ん。何やらお困りのご様子ぅ~?」

「おぉ……『ロキ』殿!」


 端正な顔立ちながら、ピエロのような奇抜な格好をした青年を、マモンはそう呼んだ。


「そんな暗い顔してちゃダメだよー。悪魔は悪役らしく、いつもスマイルじゃないと!」


 ロキ。北欧神話に登場する有名な神であり、巨人ヨトゥンの血を引きながら主神オーディンの義兄弟でもある。

 多種多様な逸話が示すように掴みどころがなく、自由奔放な北欧神話の『問題児』とも言える存在であった。


 そんなロキが、ニコニコと笑顔を浮かべながら、キリスト教の悪魔と会話をしている。

 それが指し示す事実は、全ての神話とそれに関わる者達にとって、深刻な事態でもあった。


「今ちょうど、ロキ殿のチカラをお借りしようと考えていたところでして……!」

「いいよいいよー。僕なんかのチカラで良ければ、いつでもお貸ししちゃうよ~」


 北欧の神々は、日本の出雲大社と協力姿勢を取る方針でいる。

 しかし、全ての神が善良なわけではない。中には、邪神や悪神と呼ばれる者もいる。

 それらが結託し、悪魔に力添えをしてしまった場合。出雲大社との関係悪化だけでなく――身内が起こした問題の責任、果ては自分達の信仰心すら揺らぐ可能性がある。

 だからこそ多くの勢力は、邪悪なる要素を抑えつつ、信頼できる神によって日本に介入したいと考えていた。

 それは当然、北欧神話スカンディナヴィアのアース神族達も。


 だからこそ――『オーディン』はトールやジークフリートだけでなく、『彼女』も日本へ投入していた。


「『グングニル』ッ!!!」


 展望台の上に投擲された一本の槍。

 マモンは即座に飛び退いたが、最初から狙いはマモンではなかった。

 狙われたロキは背中からすっ転び、股を大きく開脚させる間抜けな姿を披露した。

 しかしそのおかげで槍は突き刺さらず、ロキの臀部しりをかすめる程度で済んだ。


「……うひゃー、ビックリしたぁ。挨拶もナシにいきなり槍投げてくるとか、いくら『ワルキューレ』でも非道ヒドすぎない? 『ブリュンヒルデ』ちゃん」


 ロキは長い足を器用に使い、展望台の屋根に刺さった槍を蹴り返す。

 そして上空に浮かぶその『女騎士』は、高速で投げ返されてきた神槍グングニルを片手でキャッチした。

 そして苦々しく眼下のロキを睨む。余裕で回避も迎撃もできたくせに、ワザと転ぶような演技で相手を愚弄した彼を。

 悪意に満ちた道化のロキに、ブリュンヒルデは声を荒げる。

 

「ロキ……! 貴方を連れ戻すために、手段は選ぶなとオーディン様より仰せつかっています! 大人しく、ここで捕縛されなさい……っ!」


 北欧神話において、戦死した兵士の魂を死後の宮殿ヴァルハラへ運ぶ役目を持つとされる戦乙女ワルキューレ

 その中でも高位の神性を持つ彼女こそ、ブリュンヒルデと呼ばれる凛々しい女騎士である。

 純白の鎧と長い髪。そこにハッキリと浮かぶ黄金の瞳には、固い決意が宿っていた。


「それでグングニルまで借りてきたの~? 今投げたのがブリュちゃんじゃなくオーディンだったら、世界滅んでたよ?」


 あっけからんと言うロキの言葉には、世界の存続などどうでも良さそうなニュアンスを感じる。

 実際、ロキにとっては世界が滅ぼうが続こうがどうでも良いのだ。だからこそ、悪魔の側についているのだろう。だがそんな事を許してしまえば、アース神族だけの問題ではなくなる。

 だからこそ、ブリュンヒルデは再び槍を強く握る。


「そのオーディン様の名に、泥を塗るわけにはいかない……!」

「そういや旦那さんジークフリート元気してる~? トールっちも来てるんだっけ? トールっちと言えばさぁ、昔二人で女装した時の爆笑トークがあるんだけど、もうホントあの時はお腹痛くなるほど笑っ……」

「戯言に、付き合う気はないッ!!」


 グングニルを構え直し、展望台にいるロキへと突進するブリュンヒルデ。

 ロキは笑顔を絶やさぬピエロらしく、ニッコリ笑いながらその場に逆立ちして迎え撃つ。


「『冥府の弓矢ヘル・ジ・アロウ』」


 しかし、そこへ横やりが。正確には『横矢』が両者の間に割って入ってきた。


「ッ! 何者……!」


 ブリュンヒルデは黒い矢を槍で叩き落し、視線を向ける。

 そこには灰色のマントを身にまとい、緑色の三角帽子を深く被った男が二の矢を弓に番えていた。

 顔は良く見えないが、この邪悪なる気配。悪魔だろう。それもかなり強大なチカラを感じる。


 強欲王マモン、トリックスターのロキ、そして弓矢を扱う新手の悪魔。いくらワルキューレといえど、これら三体を相手取るのは些か不利だとブリュンヒルデは判断した。

 放たれた矢のおかげで逆に冷静になれた彼女は、踵を返してスカイツリーから離れていった。


「……必ず! 貴方を捕まえてみせます……! 我々の誇りにかけて……ッ!」


 その表情は苦渋に満ちており、撤退しても決してロキを諦めたわけではないことを示していた。


 ――そして再び静寂が戻ったスカイツリーの上に、ロキの隣へと、マモンは降り立つ。


「……お怪我はないですかロキ殿」

「全然平気~。……それにしても、相変わらずブリュちゃんはからかい甲斐があるなぁ。マジメちゃんだから、すーぐこっちの思い通りの反応を見せてくれるんだよねぇ」


 腹を抱えて笑うロキ。やはり極東まで来て正解だったと、無邪気な表情に狂気の瞳を宿していた。

 これからもっと、面白くなる。その未来を予感し、クレイジーなピエロは笑いをこらえることができずにいた。



***



 『東京を取り戻す』。

 スサノオは俺達にそう言ったが、何か具体策はあるのか。

 雷門の下で俺達の視線を集めるスサノオだったが、彼は胸を張ってキッパリと言い放った。


「無ぇ。とりあえず悪魔を全員ぶっ倒せば良いんじゃねーの」


 おおよそ予想通りの返答に、呆れを通り越して誰も驚きすらしなかった。


「……だがまァ、信じろよ。俺は約束は守る男だぜ」


 言動は無茶苦茶だというのに、何故かスサノオの言葉には『説得力』がある。それは日本最強の神であるが故か。彼は根拠のない安心感というか信頼というか、そんな不思議なオーラを放つ神様だ。その姿はどう見ても、ただの不良なのに。


「――まったく、男は辛いねぇ。惚れた女も弱った人も、口約束すらも守らないといけないのだから」


 そこへ。スサノオ達でもマガール牧師でもなく、別の声が聞こえてきた。

 瞬時にスサノオと牧師が武器を持って前に立ち、俺とヒカリを庇うようにして、ウズメさんとシロウサも構える。

 だが現れたのは、悪魔でも天使でもなかった。この崩壊した東京に、大きな『白象』の足音を響かせながら――その『仏』は現れた。


「テメェは……」


 スサノオは二刀を下ろす。警戒していたはずが、どうやら悪い存在ではないようだ。

 不思議な善性を感じる。古代中国の文官っぽい服装をした、穏やかな微笑みを浮かべる青年と目が合った。一瞬眠っているのかと思うほど横に細長い瞳の奥からは、慈愛に満ちた目線が送られてくる。

 長い頭髪を旋毛の辺りで塔のようにまとめた――これは『宝髻ほうけい』と呼ぶのだという――その白い肌の仏は、二本の牙を生やした白象から舞い降りた。


「……『帝釈天たいしゃくてん』。一体何をしに来たのかしら」


 ウズメさんが小さく呟く。帝釈天と呼ばれた青年から敵意は感じないが、何故かウズメさん達はあまり良い表情をしていない。


「浅草寺の観音の様子を見に来ただけだが……。どうやら彼は今、ここには居ないらしい。だが珍しい物に出逢えた。庚申の日でもめっきり人が来なくなってしまったが、たまの散歩はしてみるものだな」


 うんうんと満足そうに頷いている帝釈天。 

 しかしマガール牧師は、彼の手に握られた法具『金剛杵こんごうしょ』を見つめながらライフルの銃口を向けている。

 シロウサも槍斧を握り、もう少し下がれと俺達に小声で伝えてくる。


「……葛飾柴又、経栄山きょうえいざん題経寺だいきょうじの信仰対象だ。仏教の守護者とされているが、拙者達にとっては油断ならぬ相手でもある」

「おゥおゥおゥ、カレー臭ぇ野郎が俺達に何の用だ。喧嘩なら買うぞコラぁ」

「あっ……ちょ、スッサー!」


 皆が帝釈天の言動を注視している中、頭の悪い不良感丸出しでスサノオは近付いていく。コレが日本最強の神様かと思うと、何だか恥ずかしくなってきた。

 しかし帝釈天は微笑をたたえたまま、スサノオを切れ長の目で見守るだけ。凄い大人の余裕を感じる。


「東京の寺社仏閣がほとんど破壊された今、神と仏が争う理由など無いだろう。それに私は釈迦を助け、国を護り人に法を説く護法善神なるぞ。物騒な物言いは……」

「俺以上に物騒な神性してるくせに、なァに常識神ヅラしてやがる」

「………………」


 スサノオの挑発に、怒る事はなく。しかし薄目を少し開いて、帝釈天は口元を僅かに歪めながら、英雄神を見返した。

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