第二部エピローグ

神の国

「――『神の国』は近付いたのか?」


 灰色のマントで身を包み、緑色の三角帽子を深く被った男が、そう呟く。

 スカイツリーの頂上で、人間には到底立ち入ることの不可能な場所で、暗雲渦巻く東京の中心部を見つめる。

 弓矢を背負ったそんな『狩人』に、何も無い空中で寝転ぶ『ピエロ』は愉快そうに尋ねた。


「それってアウグスティヌスが書いた本のこと? それとも終末に現れる世界? もしくは、この国の昔の総理大臣が言ってた『神の国』?」


 狩人は答えない。西から吹く強い風に飛ばされぬよう、帽子を手で押さえて黙すだけ。


「東京は滅び、サタン様は征西へと赴き、この国の魔王ノブナガも復活する……。小さなこの島は、やがて起こる世界崩壊の先駆けとなるだろう」


「そう上手く行くと良いけどね~。そもそもキミ、考えたことあるの?」


「何……?」


 ピエロの問いかけに、狩人の眼光は鋭さを増す。

 しかし睨まれたピエロはむしろ面白がるように、笑いながら空中で逆立ちしてみせる。


「極東のこの狭い島国で、どうして僕達は集ったのか。どうしてサタンは東京に地獄の門を開いたのか? ヴァチカン教皇庁でもエルサレム聖地のど真ん中でもなく、『ここ』である必要があったのか。……まぁ、キミみたいな下っ端じゃあ知りっこないだろうけどねー」


「……何を知っている」


「ふふふー。何も知らないよ~僕だって。ただ不思議だよねー、ってだけ」


「……サタン様にはサタン様の御考えがあるのだ。我々はの方の従僕。悪魔王の放つ矢でしかない。余計な詮索は身を滅ぼすだけだ。北欧の者とは言え、貴様も気を付けることだな『ロキ』」


「ご忠告どーも『バルバトス』君。ま、僕は楽しい事にしか興味がないから」


 「それじゃあね」と言って、ピエロの容姿をしたロキの肉体は発火する。そして灰すら燃え尽きると、彼の笑い声だけを残して、その場から消えていった。

 狩人の悪魔――バルバトスは小さく舌打ちをすると、眼下へ視線を落とす。

 魑魅魍魎と絶望だけが支配する、日本国東京の大地を。




***




 二振りの宝剣を腰に差して。ジャラジャラとシルバーのアクセサリを装着した赤毛の男が、革のブーツで瓦礫の道を歩く。

 そしてその両脇に付き従うようにして、一人の美女と一匹の大兎が随伴する。


「……本当に西に戻らなくて良かったの?」


「良いんだよ。京都にはアマテラスの姉貴とツクヨミの姉ちゃんがいる。白峰もいる。京都中の神と仏が人間達を守る。俺達は、俺達の仕事をするだけだ」


「悪魔の軍勢が西に向かえば、我々の任務も遂行しやすくなるでしょうしな」


「そういうこったシロウサ。……それに、本当ならとっくに東京にいなくちゃいけないんだよ俺達。二度も三度もトンボ返りしてたら、マジでツクヨミの姉ちゃんに殺されるかもしんねぇ」


 喉元を押さえて顔を青くする『英雄神』に、踊子の格好をした女神は「それもそうね~」と苦笑いを浮かべる。

 彼らの目的は白峰神、天神、ツクヨミに代わって東京に入ること。それこそが、成し遂げねばならぬ任務の第一歩。


 しかしそれを阻むように、瓦礫で積み上げられたバリケードが、彼らの前に立ち塞がった。

 東京の地はもうすぐそこに見えている。しかし積み重なったコンクリートや車の山に血で塗られた『666』の刻印が、最大級の警告をしている。

 ここから先は、もう東京でも日本でもない。悪魔達の占拠する地獄であるぞ、と告げていた。


「……撤去しましょうか」


「ちょっと待ってシロウサ。悪魔達の魔力を感じるわ。たぶんコレを崩したり越えていったら、奴らの警戒網に引っかかる罠ね。少し時間ちょうだい。アタシが解除を……」


 そう言ってウズメがバリケードに手をかざした、その瞬間。




 ――スサノオの放った蹴りで、『666』のバリケードは吹き飛んだ。




 舞い散るガレキ。

 東京中に鳴り響くサイレン。

 そして暗黒の空から舞い降りる、何百何千もの悪魔達。


 それらを確認して、ウズメとシロウサは頭を抱えた。


「あーあーあ~……。ホントにもう、アンタってさぁ……」


「スサノオ様……。少しは考えてから……」


「うるせェ」


 だがスサノオは反省も後悔もしていない。ズカズカと悪魔達の領域に踏み込んで、双剣をその手に握る。


「日本の神様が日本の土地を歩いて、何がワリィんだよ。この国に住まう人間が、何で自分達の意思とは関係なく住む場所を追われ、立ち退かなきゃならねェ」


 その言葉で、その瞳で。頭痛のする思いだったウズメとシロウサもまた表情に鋭さを宿し、それぞれの得物を構える。

 スサノオの意見には、一切の反論も疑問もないのだから。


「――行くぜ、行くぜ、行くぜぇえ……! 天使も悪魔も、神も仏も関係ねぇ……! 八百万やおよろズの神々が住まうこの国に乗り込んできやがった事、一万年先まで後悔させて、やるぜぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!」


 灼熱業火、地獄の者すら焼き殺す。


 八百万の頂点に立つ英雄神スサノオは、二本の聖剣を高く振り上げ、『東京奪還』への最初の一歩を踏み込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る