第24話 龍吟虎咆 四

青玉セイギョク、青玉――!」

 玉髄ギョクズイは湖面に向かって叫んだ。

 ホウの沈んだ湖は、波がいまだに収まらず、土砂で濁りきってしまっている。青玉の姿は見えない。

 風は収まりつつあるが、空中にはまだ鵬が巻き上げた土くれが飛んでいる。

「ちょ、玉髄、危ない!」

 比較的大ぶりの石が、玉髄の後頭部を直撃した。目から火花が飛ぶ。意識も一瞬飛んだ。その集中力の乱れが、応龍オウリュウに伝わった。

「き、消えちゃう!?」

「わっちょっ待て! いまのなし!」

 そんな言葉も虚しく、応龍は霧散した。

 二人は空中に投げ出される。玉髄はとっさに一角イッカクを引き寄せた。

「きゃあああああっ!」

 どぱ、と水柱が上がった。玉髄は即座に水面に浮かび上がる。一角もまた、玉髄につかまって水面に顔を出す。

「おい、一角、無事……」

「ひゃっ玉髄、たすけっごほっ」

「おい、そんな強くつかまるな! 泳げないだろ!」

「あ、あたし泳げないのぉ!」

 一角が玉髄にしがみついた。意外なまでに強い力だ。溺れる人間にしがみつかれると、泳ぎの達人でも溺れるという。

 おまけに上空からではわからなかったが、波が思いのほか強い。

「おい、玉髄! つかまれ!」

 これぞ天の助け、剛鋭ギョクズイが水面すれすれまで龍を下してくれた。

「さ、さきに一角をお願いします!」

 玉髄は一角を託す。自身は上がらない。水の中で四苦八苦しながら革鎧を外す。

「青玉を探してきます!」

「おい、馬鹿! やめろ!」

 剛鋭の制止も聞かず、玉髄は大きく息を吸い、水に潜った。

 水はほぼ泥水と化していた。視界などないに等しい。それでも深く深く潜る。水がズンと冷たくなる。圧迫感も大きい。心のせいでも、まやかしもでない。水の中は自然とこうなのだ。

(冷たい、暗い)

 玉髄の背に、水のせいではない悪寒が走る。

 玉髄は目を閉じた。

(青玉、いるならどうか答えて!)

 目を見開く。望気ぼうきの瞳――自分自身の力。その力は、濁った水の中でも発動した。

 瞳に、青い霊気が映る。水の中を、小さな青い塊が沈んでいくのが見える。

(青玉!)

 玉髄は必死で水をかく。息がつまる。それでも手を伸ばし、つかんだ。

 細く柔らかな感触。人の腕だ。顔を引き寄せる。視界が歪んでよく見えないが、指で探ると目と口をぎゅっと閉じている。

(帰ろう、青玉。帰ろう!)

 片腕でその体を抱え、玉髄は水面へと上がっていった。

「ぶわぁ!」

 玉髄は思い切り息を吐き、そして吸った。肺に新鮮な空気が入り込む。

 青玉もゴホゴホとせき込んでいる。

「玉髄……?」

「よかった……青玉……」

 人目もはばからず、玉髄は青玉の体を抱き締める。水で濡れた体が重い。泥水で濡れた顔は、きっとひどい有様だろう。

「玉髄、大丈夫!?」

 剛鋭の龍が、二人を回収する。

 赤い龍の上で、青玉も玉髄もぐったりしていた。

「青玉ちゃん、平気?」

「はい。一角も、無事でしたか」

「うん!」

 大気がさざめく。龍と騎龍たちの、勝鬨の声だ。

「よくやった、玉髄。親子二代で、妖魅を封じたな」

「俺の功績じゃありません」

「そうだな……琥師・一角娘」

 剛鋭がその名を呼んだ。そして拱手する。

 一角が目を丸くした。玉髄もだ。

 あんなに嫌っていた琥師に、騎龍が敬意を払っている。

「峰国の新たな英雄、ともに戦えたこと、誇りに思う」

「……ありがとう、騎龍の皆さん。あたし、絶対に忘れません」

 一角も拱手する。

 それを見て、青玉と玉髄が微笑んだ。

 空が明るくなり始める。風がなくなる。

「あれ……何?」

 一角が、空の彼方を指差した。全員がその方向を見上げる。

 土埃が晴れ始め、陽の光がその筋を大気に描いている。まるで天から光の道が降りてきたかのような光景だ。

 その光の道の中を、泳ぐものがいる。

 それが金色の龍であることに、誰もがすぐに気がついた。

「父さん……?」

「お師匠様!」

 金龍が悠然と天に昇っていく。その背に、二人の男が乗っている。

 やがてすべては、太陽の中へ溶けていった。

「……終わったな」

 誰からともなく、そう口にする。

「帰ろっか、王都へ」

「ああ、帰ろう。俺たちの場所へ」

 俺たちの出会った場所へ。俺たちが重なり合って生きていく場所へ、帰ろう。


 宮廷琥師・一角娘、紅龍隊辟邪へきじゃ・虹玉髄、龍師・青玉とともに、「崩国の妖魅」鵬を封印。

 第百七代峰国王・峯晃耀ホウコウヨウ、瑞雲二年三月末のことだった。

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