第20話 白石蒼苔 四

「できた」

 まるで子供が砂山を作った時のような声で、阿藍アランはその符を手に取った。

「んー重い重いね」

 普通、阿藍や夜光ヤコウらが使っている琥符こふは、掌に収まるほどの大きさだ。

 しかし、その琥符はその数倍はある。表面は金色に輝き、獰猛な虎の意匠が刻まれている。その中には玉髄ギョクズイの血が使われ、どんな妖魅でも封印できるという。

「う……あ……」

「生きているの?」

 玉髄は虫の息だった。しかし意識は失わず、そのの口から呪詛がこぼれる。

「ゆるさない……お前ら……ころしてやる……!」

「元気ねぇ。玉龍ぎょくりゅうを直接身につけると、そんなに力が出るのね」

 阿藍は玉髄の脇腹を撫でた。翡翠色の玉龍が、わずかに光を放っている。

「鎖を外しなさい。お人形にしましょう」

 人妖が指示を受けて、玉髄の拘束を解く。

 起き上がらせた玉髄に、もはや抵抗する気力はないと見えた。

「このあとは、夜光に術を解かせて……妖魅が復活したら、琥符を撃つの」

 そのために、夜光のみならず一角も生かしているようだ。弟子の命を盾に取れば、夜光も従うか。そう考えている。

「ふふ――でも、夜光は解かないでしょうね」

 夜光が絶対に応じないだろう、ということも予見している。

「うふふ、そのときは、夜光に死を。そっちの方が早い早い」

 阿藍が笑ったそのとき、突如床が揺れた。池の表面が波立つ。地震か。否、爆音も聞こえる。そのたびに床と壁が振動する。

「なに!?」

 白玉はくぎょくの扉に無数のヒビが入った。関髪入れず扉は砕け、衝撃波と煙が襲い来る。

 その煙を割って、紅の光が部屋に飛び込んできた。玉座後方の壁に当たり、文様を削り紗を焼く。誰にも当たらなかったのが、幸い――とここでは言うべきか。

「なに、何なの!?」

「この力……騎龍だ!」

 センが叫ぶ。

「我が力となる者、ここに承知し降り来たれ!」

 呪文が響く。夜光ヤコウが意識を取り戻していた。

「馬鹿な、琥符はすべて捨てたはず!」

 その琥符の一枚が、水を割って夜光の上に飛び出す。黄金の光が彼を包み、夜光の姿が魚に変じた。六本の足と馬に似た耳を持った魚だ。鎖が解け、夜光は池に飛び込む。

「しまった!」

 遷が池の中を覗き込む。

 魚が跳ね上がった。足に剣を一本つかんでいる。そのまま、玉髄に向かって剣を投げる。

「――はあっ」

 虫の息だった玉髄が、大きく息を吸い込んだ。剣を受け止め、即座に抜き放つ。

 銀の輝きが弧を描いた。青玉セイギョクを拘束していた鎖を断ち切る。細い体が、獣の石像から滑り落ちた。玉髄は即座にその体を抱えようと手を伸ばす。

「待てェェ!」

 遷が動いた。黄金の腕が玉髄を殴り飛ばす。

「ク……!」

 玉髄は部屋にかかる橋の中ごろまで弾かれた。変化を解いた夜光と、その手で助けられた一角イッカクがそばに降り立つ。

「玉髄君!」

「夜光殿……一角、無事か?」

「う、うん。平気!」

 そのあいだに、遷が青玉の体を担ぐ。

 またとりで全体が揺れた。見れば、二つの部屋の壁はぶち抜かれ、回廊の外壁まで穴が開いている。白玉と玻璃の瓦礫が積み上がっている。

「おのれェェエェッ!」

 いままで余裕があった阿藍の表情から、笑みが消えた。髪の毛が逆立つほど激昂している。この塞を傷つけられたことが、何より許せないらしい。

 彼女の怒りとともに、池の水の色が変わった。夕陽に似た赤黄色に染まり、凄まじい熱を放ち始める。

鳴蛇メイダ!?」

 水の中から、四枚の翼ある蛇が飛び出す。否、もう水とは呼べない。まるで溶岩だ。

「逃げろ!」

 夜光が一角と玉髄を促す。熱気のせいか、足元の橋が溶け始めている。回廊に向かって、三人は走る。灼熱に足がすくみそうだ。わずかな距離が遠い。

「あ……っ」

 あと数歩、というところで、一角が足を取られた。その瞬間、橋が溶けて足元がなくなる。

「一角!」

 夜光が一角を引き寄せ、外に突き飛ばす。

「うおおおお――ッ!」

 夜光が苦悶の叫びを上げた。溶岩の色に変わった水に、足が浸かっている。

「夜光殿!」

 玉髄が、即座に夜光を引き摺り、部屋から出る。回廊は壁が破壊され瓦礫が山になっていたが、熱水はない。

「夜光殿、しっかり!」

「お師匠様、お師匠様!」

「う……ぐ……!」

 夜光が唇を強く噛み締めている。左脚に火傷を負っていた。否、火傷などという生やさしいものではない。肉が焦げ、骨も焼かれている。

 塞の揺れが止まった。壁の壊れたところから、鮮やかな赤色の龍が頭を出す。

「おい、玉髄! 生きてるか!?」

シュ将軍!」

 紅龍将軍・朱剛鋭シュゴウエイだった。瞳が鮮やかな血紅色になっている。龍を現出させたとき、騎龍の瞳はその龍の瞳と同じ色になる。先の攻撃は、彼の龍が放った彈だった。

「中に、まだ青玉が!」

 部屋の水位が、一気に上がり始めた。池を満たすのはもはや水ではない。溶岩そのものだ。いまにも回廊に溢れんとしている。

「いったん退くぞ、乗れ!」

 剛鋭は強引に三人を自分の龍に乗せる。玉髄は歯噛みしたが、もはや猶予はない。

 溶岩が回廊に押し寄せた。間一髪、赤龍は塞を離脱した。

 空には何匹もの龍が浮かんでいる。王国軍紅龍隊の騎龍たちだ。

「おい……嘘だろ!?」

 その時、大地が揺れる音がした。空中にいる彼らにはわかりづらいが、士山シザンが震えている。岩が割れ、木々が倒れる。遠くで鳥たちが飛び立つ音がする。

 玻璃の塞が、山から浮き上がった。白玉と玻璃の瓦礫が次々と落下し、土煙を上げる。

 半分よりもやや小さくなって、塞は宙に浮き上がった。その形は、半月状の小舟に椀を伏せたようだ。そしてゆっくり南下を始める。

 怪異には慣れているはずの騎龍たちが、呆然とそれを見守っていた。

「なん……っだありゃ!?」

仙槎せんさ……」

 一角がつぶやく。

 仙槎とは、仙人の乗るのことだ。仙人が乗るのだから、当然水に浮かべるものではない。空に浮き、天に昇るための舟だ。

「いかだ? あれがか?」

 仙槎の周囲を、四枚の翼ある蛇の大群が周回しはじめる。熱気があたかも障壁のように渦巻く。騎龍たちが距離を取ると、金色の光がの中心から発され、仙槎を包み込んだ。熱気と光がたがいに絡み合い、球体上の結界になる。

「撃て!」

 ほかの騎龍が、彈を撃ち込む。結界はその表面がゆらゆらと揺れはしたが、破れることはなかった。

 剛鋭がフッと黙った。目が遠くを見ている。仲間の騎龍と交信している。彈を撃ち込んだ手応えを訊いているのだろう。

「駄目だ、あの結界は彈を相殺しやがる。いったん退くぞ」

 空には二匹の龍が残り、仙槎の動きを警戒する。

 残りは地上へと戻った。


 士山西側の麓に、陣が立てられていた。

 紅龍隊の兵士たちが集まっている。彼らも剛鋭を援護して、塞を撃ったという。彼らは玉髄の帰還を喜んでくれたが、夜光が重傷と知って、すぐに雰囲気は重くなった。

「夜光殿の様子はどうだ?」

「駄目です」

 答えたのは、虹家の部曲に所属する医術兵だ。医術の心得をもって兵らを支援する。いまは夜光の容体を診ているのだが、彼は首を横に振った。

「熱が引きません。信じられないことですが、火傷から熱が出て、無事だったところを侵食しています。このままでは遠からず……」

「何だって!?」

「どうすりゃいい?」

 医術兵は答えなかった。手立てがないのだろう。

 夜光はそのそばに寝かされており、火傷を負った足は水で濡らした布で覆ってある。一角が何度もその布に水をかけている。気休め程度にしか、ならないのだろうが。

「一角……」

 苦しげな息の中で、夜光は一角を呼ぶ。

「一角、私のつとめ、継いで、くれるか?」

 夜光は何度も息を継ぎながら、愛弟子に尋ねる。

「私が死ねば、私の琥符も、力を、失う。妖魅が、復活、す、る……だから」

「――!」

 夜光が封じた妖魅――崩国の妖魅。それが夜光の死によって封印が解けるという。

「おい、それは本当か!」

「ああ……」

 夜光の答えに、誰も彼も息を呑む。

「はは……申し訳、ない」

「夜光殿、死んではなりません!」

 玉髄は声を張り上げた。夜光は薄く笑っただけで、それには答えなかった。

「そなたに、ずっと伝えていなかった……言葉がある」

 夜光は、玉髄に顔を近づけるように、招いた。玉髄は彼の口のそばに耳を寄せる。囁くように、夜光はその言葉を伝えた。

 玉髄の瞳が見開かれる。漆黒の瞳に宿す虹が、驚愕によってぴんと張り詰めるようであった。

 対して、夜光は微笑みさえ浮かべていた。

「どうか、彼にも、眠りを……」

「お師匠様、お師匠様!?」

「夜光殿、しっかりしてください! 何か、何か手があるはずです!」

「一角……すま……ぬ……」

 夜光が腕を伸ばす。一角の金茶色の髪にふれる。

「生きろ……わたし、の、愛する……子……」

 弱々しく伸ばされていた腕が、落ちる。夜光のまぶたがゆっくり閉じられる。

 その瞬間――パキン、と音を立てて、彼の袖の中から一枚の琥符が零れ落ちた。黄金の符は真っ二つに割れ、帯びていた輝きも曇っている。

 力を失ったのだ。

「お、師匠様……?」

「夜光殿! 夜光殿!?」

 夜光は閉じた目を決して開けることはなかった。誰が、何度呼びかけても。

「あたし、の、せい……?」

 一角の肩が震える。

「あたしが、のろまだったから……」

「一角! 馬鹿を言うな!」

 悲しみにうち震える一角の肩を、玉髄が強く抱いた。

「う……うう……」

 一角の瞳に涙が溜まっていく。肩が大きく揺れる。

「あああああっ」

 せきを切ったように、大きな瞳から涙がこぼれた。

「うわああああああ……」

 一角は泣いた。玉髄にすがり、ぼろぼろと涙を流す。

 玉髄もそれを受け入れる。他人に泣かれると戸惑う性格なのに。固く瞳を閉じ、強く一角を抱き締めた。


「……こうなったことは、俺たちにも責任がある」

 剛鋭が、重々しく言った。

 任務は、完全に失敗だった。阿藍の行方はつかめたが、夜光が死んだ。

「どうか……ご自分を、責めないで、ください」

 一角が、うつむいた。目元は泣き腫らし、髪は乱れてひどい有様だ。

 夜光は、自分の命が失われれば妖魅が復活することを知っていながら、阿藍に対した。自分の意思で、だ。おめおめ殺されるつもりはなかった。死ぬつもりなどなかった。

 その筈だった。

 最後の最後で――自分の命より、弟子の命を選んだ。使命より情を選んだ。ひとりの人間としての選択だったのだろう。それがたとえ、誉められないものだったとしても。

「崩国の妖魅は、復活するのか」

「……はい」

 一角がうなずいた。

「でも、湖深く封じられていますから、すぐには出てこないと思います」

「なら、まだ時間はあるってことか。どれくらいかわかるか?」

「おそらく、明日の朝には」

 外はもう陽が暮れかけている。あの陽がふたたび昇るとき、妖魅は復活する。

「緊急事態です。急ぎ王都に龍を飛ばし、別の騎龍の部隊を呼び寄せましょう」

 剛鋭の部下が進言する。

「間に合うか」

「はい」

「わかった、手配してくれ」

 騎龍たちは行動を開始した。後悔するとき、誰かを責めるときはいまではない。

 いまはこの国を守るために動くのが最優先だ。

 だが、剛鋭の表情には曇りがあった。

「十年前、俺はあの妖魅と戦った。そして勝てなかった」

 そう――彼は、崩国の妖魅と対して生き残った騎龍のひとりだ。苦々しい記憶は、将軍になった彼の中に確かにあった。

「二の舞にしたくない。どうすればいい?」

「手はあります」

 けれども十年前とは違う。方法がわかっている。

「阿藍から琥符を奪い、それを使って封印します」

「そうか、俺の血で作った琥符を奪って……。しかし、それで封じることができるのか?」

「うん。できると思う」

「違う術師が作った琥符だぞ?」

「琥符はね、基本的な作り方は同じ。玉に、妖魅が嫌うものを入れて、金で覆って虎の文様を描くの」

 確かにそうだった。

「琥符はただの道具。重要なのは呪文と術者の霊力なの。だから、阿藍が作った琥符でも、あたしが使うことはできるはず」

 一角の顔から、悲しみが消えていく。

「あたしがやります。崩国の妖魅、かならず封印してみせます」

 夜光は、一角に託した。一角は託された。

「その言葉、信じよう。我ら騎龍の誇りに賭けて、力を貸す」

 騎龍たちが全員うなずいた。

「よし、しばらく休め」

 そう言われて一角は、夜光の亡骸のそばに座り込んでいた。その隣に玉髄もいる。

「一角……」

 玉髄は、かける言葉を見つけられなかった。後悔ばかり浮かんでくる。

「玉髄」

 一角は顔を上げた。どこかすっきりとした表情だった。

「青玉ちゃん、助けよ?」

 他人を気遣える優しさがある。いや、強さと言うべきか。泣きそうなのに、崩れ落ちてしまいそうなのに、それに耐えてやるべきことを見据えている。

 玉髄は、ひどく切なくなった。

「俺が守る」

 その言葉とともに、玉髄は一角に腕を伸ばし――抱き締めた。

「お前も、青玉も、この国も――俺が」

 一角は瞳を見開いて――そしてすぐ細める。

「ずるいよ……全部、しょい込もうとするなんて」

 一角の腕が、ゆるゆると上がって、玉髄の背中の衣をぎゅっとつかんだ。

「あたしだって、あたしだって……背負う、から」

 仲間でしょう、と一角はつぶやいた。

「だから、青玉ちゃんも助けよう? 青玉ちゃんのこと、好きなんでしょ?」

「へっ!?」

「大丈夫、生きてるよ。青玉ちゃんは、本物の仙人様だと思うから」

 一角が笑っている。その笑みに、玉髄は元気づけられる気がした。

 たがいの右手をぐっと握る。

「やろう」

「うん、やろう。この国を守ろう」

 悲しみはいまは忘れよう。後悔はあとにしよう。償うときはいずれ来る。

 いまは。いまはただ、次の戦いを見据えよう。

「絶対守ってみせる」

「ありがとう、玉髄」

 夜が深まり始めていた。

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