第四章 白石蒼苔
第17話 白石蒼苔 一
一晩中馬に揺られていたが、不思議と疲れはなかった。この馬の姿をした妖魅は、乗る者への負担も少ないらしい。
朝日が、右頬を温め始める。
街道を走り、林を抜け、田畑の続く道をひたすらに走る。
「待て。
田園の中に、小さな集落が見えてきた。と、夜光が一角に馬を止めさせる。
「お師匠様、どうかしましたか?」
「あの村……何か、悪い予感がする」
「俺が見てきましょう」
ありふれた農村だった。この時期は、日の出とともに農作業が始まるはずだ。
しかし、村の雰囲気はそんなのどかなものではなかった。村のはずれで人々が騒いでいるようだ。
玉髄はふと家の軒先に座る幼子に目を止めた。寂しそうな顔で、膝を抱えている。
「何かあったのか?」
幼い少女は、一瞬おびえたようにみじろぐ。
「旅の者だ。警戒しなくていい」
玉髄はできるかぎり優しく微笑む。その品のある顔に安心したのか、少女は村の外れを指さした。
「あすこに、この村のお墓があるの」
どうやらそちらで村人たちが騒いでいるらしい。けれども葬式などではなさそうだ。
「墓荒らしでも出たのか」
「うん……お供えだけじゃなくってね、ムクロまで取られたんだって」
供物や副葬品目当ての盗賊は、そう珍しい話ではない。しかし
「おかーさんのムクロも取られたって……」
玉髄は眉を寄せた。
「何してるんだい、家にお入り」
その時、老婆がやってきて少女を屋内にやる。老婆は怪訝そうな目で玉髄を見たが、彼の整った顔立ちに警戒心はすぐに解けたようだ。
「あんた、旅人かい?」
「ああ。墓荒らしが出たそうだな。誰の墓だ?」
「
「領主には訴えたのか?」
「訴えたところでどうにもなんないよ……人死にが出てるわけじゃないし」
「だが、墓荒らしは立派な泥棒だ。領主には捕まえる義務があるだろう」
「あんた! 大きな声じゃ言えないけどねぇ」
老婆はわざとらしく声をひそめ、顔を近づける。
「ここ最近、墓が荒らされるのはよくあることなんだよ。骸まで取ってっちまう。でも領主に訴えたってダメさ。何せ、犯人と領主様が繋がってるらしいんだよぉ」
「何だと!?」
「しー! 声が大きいよ!」
「もっと、話してくれないか」
玉髄の真剣さに気圧されつつも、老婆は口軽く話してくれた。
「いや、噂なんだけどさぁ……
「その噂、どこで聞いた?」
「さぁ誰だったかねぇ。でも、このあたりじゃ皆噂してるさ。士山に近づく奴ぁ、いやしなくなったらしいし。やっぱ英雄の血統ったってさ、子孫になると腐っちまうもんなのかねぇ」
玉髄は、全身がざわつくのを感じた。一瞬――この血を流しているおのれの体が、忌まわしいものであるかのように錯覚していた。
(いや、さすがの祖母様もそこまで外れてはいないはずだ)
こんなことが領内で行われ、悪い噂が出ていると知れば、あの烈女は烈火のごとく怒るだろう。
(だが、祖母様は……)
彼女はよくも悪くも無頓着な性格なのだ。いくら女傑と呼ばれようと、苛烈な武人というだけ。決して統治者として優秀なわけではない。彼女が気にしているのは、戦争の有無と荘園の収穫量くらいだ。領地内で広がる噂は、取り巻きが伝えるものくらいしか聞かないだろう。
(取り巻き連中は、悪い噂は告げねーだろうしな)
そして、彼女が知らないことは――王都にいる玉髄も知らなかった。そう思うと、腹の底から怒りがわきあがる。
「話してくれたこと、感謝する」
玉髄は腰の剣を取った。青河の取り巻きから奪ったものだ。柄の端は環状になっており、そこに金色の
玉髄は無造作に、その揺を取った。黄金でできたそれを、老婆に渡す。
「少ないが、これで死者たちを慰めてやってくれ」
「ひ、ひえっ!」
突然金を渡されて、老婆は枯れ木のような手を震わせた。
「そうか……墓荒らしが」
ふたたび、三人は馬を走らせていた。その道中、玉髄は見たことをそのまま夜光に告げた。
玉髄は恥じていた。自分の領地で起こっていることを、まったく知らなかった。
(俺は……俺は
騎龍になりたくて、なれなかった虚しさを埋めるだけの毎日を過ごしていた。それだけで当主の重責を担ったつもりになって、愚痴を零していた。
現実は、もっと重いものだったのに。
「
「そうかもしれない。あやつの術を見ていると、な」
夜光の答えに、玉髄の表情が沈む。
「我々を襲った人妖……玉髄君は、気付いているか?」
「ええ。奴らには、生気がありません」
「生気がない? 玉髄、どゆこと?」
「気を視てわかったんだけど、あれは生者じゃない。信じられないけど、動く死者なんだ」
「おそらく、死体を加工して術をかけ、動くようにした人形だ」
馬蹄の音が、ひときわ高く響いた。
「人形……そう言えば、阿藍もアレを『辟邪の力は効かない』と言っていました」
「もとは人だからな。妖魅退治の血は作用しないのだろう」
無言が三人を支配する。
「玉髄君。士山は本来、虹家の墓だそうだな」
「……はい」
夜光の言わんとするところを、玉髄は察していた。
阿藍は、この近隣の墓を荒らしている。ならば、根城とする士山にある墓に手を出していないことがあるだろうか。いや、出しているだろう。
「確かめるか?」
「……はい!」
玉髄はしっかりとうなずいた。
(何が起こっているのか、俺の目で確かめる!)
峻嶮な山の頂が、視界に入り始めた。
士山の南側に到着した。三人は馬から下りる。一角が術を解くと、駿馬は
そのまま玉髄らは、徒歩で士山に入った。
「虹家の墓があるのは、こっちです」
玉髄の案内で、山を登る。しばらくして塀のようなものが見えてきた。虹家の墓を守る塀だ。
三人は慎重に、内外の気配を探った。人はいないようだ。
「よし」
塀を超えるのには苦労しなかった。そのまま墓の入口に向かう。
入口と言っても、普段は土で埋めてある。死者の棺を納めるときのみ、掘り返して入口を作るのだ。
しかし――いまそこは、ぽっかり口を開けていた。
「……やられて、いるな」
「中を、確かめます」
「ああ。一角、中を照らせるか?」
「はい」
一角がまた別の琥符から、小さな炎を呼び出した。松明も何もないのに、空中で揺れる不思議な火だ。
墓の中は、冷たく重い空気が淀んでいた。天井が低い横道が続く。そこを抜けると、かなりの広さがある室に出た。棺が多数納められている。
どれもぴったりと蓋が閉じられている。土埃が積もり、開けられた形跡もない。
そう、それでいいはずだった。
「蓋が開いてる!」
玉髄が声を上げた。いちばん端に置かれた、まだそう古くない棺。その蓋だけが、横にずれている。
「……失礼、いたします」
玉髄は棺に向かって拱手し、棺の蓋を完全に開いた。
「……な、い……」
呆然としたつぶやきが、土壁に吸い込まれる。
玉髄の中で張り詰めていたものが、切れた。へたり、と床に座り込む。
「ない……父さんが、いない……!」
棺の縁に手をかけ、うなだれる。表情は誰にも見えないが、声が絶望に沈んでいた。
「何で、何でだ。形見の刀も、
中身がなくなっている棺――それは、玉髄の父、
「玉髄……」
「玉髄君、気を確かに持つんだ」
「くそお!」
二人の琥師の言葉も聞こえぬように、玉髄は床を殴りつけた。
「阿藍、絶対に許さねえ! 一族を侮辱した罪、絶対に償わせてやる!」
怒りの声が、まるで死者を起こさんがばかりに、墓の中にこだました。
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