第16話 山平水遠 五
しかし休んでいる暇もなく、
「若様、いかがなされましたか?」
「
部曲とは、私兵集団を言う。領主が治安維持のために、公権力とは別の軍事力を持つのは珍しいことではない。
玉髄は、地元の統治を祖母にほぼ一任している。その兵隊も彼女が率いていた。
「部曲を? いったいどうして?」
「もう話したと思うが、我々は
「何ですと!?」
「だから、我々の兵を差し向ける」
玉髄がそこまで言ったとき、
「玉髄君、私は賛成できない。妖魅に普通の軍隊を当てても、返り討ちにされるだけだ」
「仕方がないんです! 我々、虹家が独自に動いたことを示さなければ、言い訳が立たない」
玉髄は、明らかに焦っていた。夜光の諌めも、それを募らせただけのようだ。
「それに、これは虹家の名誉回復の意味もあるんです」
王都の廟を破壊された。言わば、虹一族に対する最高の侮辱である。建国七公、そして武家の名門で知られる虹の名に泥を塗られた。その汚名を返上するには、武力しかない。
「……このまま動かなかったら、祖母様にも何と言われるか」
その時、荘園の表がにわかに騒がしくなった。ドヤドヤと多数の者の声がする。
「表が騒がしいようだが……」
「もしかしたら、
玉髄はそう言って、部屋を出て行って――またすぐ戻ってきた。何かから逃げるように、早足で。扉を閉め、開かないように背で押さえる。
顔が蒼ざめている。尋常な様子ではない。
「ど、どうしたの?」
「もしかしてまた敵が!?」
「……がきた」
あまりに小さい声で、よく聞こえない。
「ガキタ?」
「ば――」
玉髄が口を開いた瞬間――扉が吹っ飛び、その前にいた彼も吹っ飛んだ。
どんがらがっしゃ、と盛大な音を立てて、玉髄は部屋の真ん中まで吹っ飛んだ。
「玉髄!? うわああ、大丈夫!?」
ピクピク痙攣している玉髄を見てようやく我に帰り、あわてて彼を助け起こす。
吹っ飛んだ扉の方を見れば、何者かが片足を上げて立っている。蹴りだけで、扉を破壊し、玉髄を吹き飛ばしたというのか。
ズン、と重い足音が響く。かの者が足を下ろした音だった。
「珍しく領地に帰ってきたと思ったら、挨拶のひとつもしにこない……」
入ってきたのは、武装した女人だった。結い上げた髪は白髪が多く、目元の皺は彼女の歳を示している。決して若くはない。
「ずいぶん偉くなったもんだねぇ。ええ? 玉髄よ」
女人は、床に伸びた玉髄を見下ろした。
「この歳で、孫に躾をしないといけないのかねぇ」
「ままま待った! 待ってください、祖母様!」
玉髄が、がっぱと起き上がった。
玉髄が祖母様と呼ぶ。すなわち彼女は――。
「もしや……元鎮東将軍の
虹青河――先王に仕えた将軍たちの中でも、もっとも苛烈な戦をした女将軍である。すでに引退し、六十に届こうかという歳のはずだ。けれども眼光の鋭さは衰えていない。ついでに体型も、やや衰えは見えるものの、現役バッリバリの武人といったところだ。
「祖母様、どうしてここに……?」
「どうして? 知らせた者がいるのさ」
「朱将軍……ですか?」
「違うよ。ウチに出入りしてる方士どもさ」
「方士?」
「士山を任せてる連中さ」
士山――まさにいま、問題になっている場所である。
「士山を方士に任せた!? そんなの聞いてない!」
ところが、玉髄が知らないことがあったらしい。祖母と孫が口論をおっぱじめる。
夜光と荘園の長がなだめすかし、ようやく状況を説明できる状態になった。
「なるほど、だいたいの事情はわかった」
説明を受けた青河がうなずいた。シャンと伸びた背筋は、彼女は間違いなく武人なのだと感じさせる。
「けど、士山に賊? 馬鹿馬鹿しい。あそこは、方士どもの修行場にもなってる。不審な連中が巣を作りゃ、そいつらが報告してくれるよ」
「修行場って……なぜそんなことに」
「真面目に修行してると、紫雲と虹が下りてきて、天に昇れる場所があるらしいよ。そのあたりに、方士どもが集団生活してる」
「何ですか、その胡散臭い話は! それに士山に人が住むなんて……なぜ追い出さないのです!」
「墓のある場所とは別のトコだから、咎めることもないと思ってね」
「し、しかし……」
「いー加減にしなッ!」
青河が怒鳴った。女とは思えない、落雷のような声だった。
「あんたこそ、そこの妖しげな方士に惑わされてるんじゃないのかい!」
青河がビッと夜光と一角を指さす。
「祖母様、何ということを! この方は峰国の英雄、琥師・夜光殿とそのお弟子ですよ!」
「夜光……?」
これで青河の態度は変わるだろう。玉髄はそう見込んで言ったのだが――。
「なら、なおさら許せないね! 我が息子を死なせて、のうのうと生きてる妖術師め!」
夜光は峰国の英雄だ。
しかし青河にとってはまったく違っていたようだ。
「
「青河様、お気を鎮めてくださいませ!」
いまにも斬りつけんばかりにいきり立った青河を、取り巻きが押さえる。
夜光は反論しなかった。だが、ひどく悲しげに瞳を伏せていた。
「ともかく……士山に手を出すことは許さない。いいね!」
「…………」
玉髄はうつむいた。唇を強く噛み締めている。逆らえないのだろう。
「……どうやら、我々は招かれざる客のようだ」
夜光が口を開いた。一角も立ち上がり、身支度を整える。
「玉髄君。そなたは、ここで朱将軍の到着を待て」
「ま、待ってください! 夜光殿、一角!」
「玉髄!」
引き留めようとした玉髄を、青河の取り巻き連中がいっせいに押さえる。
夜光は青河の前に恐れもなく立つと、拱手した。
「元鎮東将軍・虹青河殿、玉髄殿には大変なご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ない。どうか彼を責めないでやってください」
「そいつは、私が決めることだよ。私の剣が届かないうちに、失せな」
夜光と一角は、黙って礼をした。背を向け、屋敷から出ていく。
玉髄は取り巻きに押さえられたまま、うつむいていた。
「……こんなの、駄目だ!」
玉髄が顔を上げた。一番近くの者に肘鉄をくれ、取り巻きを振り払う。
「若様!?」
「すまん!」
謝りながら、剣を奪う。青河が好んで取り巻きに持たせている直剣だ。
「玉髄、あんた! 自分が何やってるか、わかってんの!」
「勘当でも何でもかまいません!」
玉髄は剣を抜き放ち、啖呵を切った。
「だけど俺は、俺に与えられた責務を果たします! 俺は虹家当主、そして王国軍紅龍隊、
当主としての義務、王国軍兵士としての義務。その両方を、果たす。
玉髄もまた、背を向けて走り出した。屋敷を飛び出すと、夜光と一角が待っていた。
「一緒に、来るか」
「あなたの護衛が、俺の役目です」
「まっすぐな目だ。……玉仙によく似ているな」
一角が琥符を取り出す。
「我が友たる獣、ここに楽しみ来たり遊べ!」
琥符と同じ、黄金の光が夜を照らす。風のように霊気がうずまき、一頭の馬が現出した。黄金の瞳を持つ、赤いたてがみの立派な馬だ。肩や蹄のあたりからは、霊気が羽のように流れている。華麗な装飾のついた馬具が、夜でもわかるほどの輝きを保っている。
「若様、お待ちください――っ!」
玉髄を引き止めようと、数名の男たちが屋敷から出てくる。
「乗って!」
しかし玉髄はそれに応じず、一角、夜光とともにその馬に乗った。三人乗ってもまだ余裕があるような、大きな馬だった。
「
一角の声とともに、馬は走り出した。闇夜の道を恐れることなく、風が三人を撫でる。あっという間に、荘園がはるかに遠ざかっていく。この馬はまさに、一日に千里を行くという駿馬のようだった。
「すごい……速い!」
「この馬なら、明日には
一角は誇らしげに笑い、手綱を操る。
「行こう、士山へ!」
馬蹄の音が、星空に高く響いた。
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