第16話 山平水遠 五

 白水ハクスイの荘園に戻る頃には、陽が落ちていた。

 しかし休んでいる暇もなく、玉髄ギョクズイ士山シザンへ発つ準備を始めた。剛鋭ゴウエイに状況を報告した書簡を送る。そして荘園の長を呼び寄せる。

「若様、いかがなされましたか?」

祖母ばあ様に連絡して、部曲ぶきょくの連中を集めさせろ。なるべく早く」

 部曲とは、私兵集団を言う。領主が治安維持のために、公権力とは別の軍事力を持つのは珍しいことではない。

 コウ家も、そうした兵隊をいくらか持っている。

 玉髄は、地元の統治を祖母にほぼ一任している。その兵隊も彼女が率いていた。

「部曲を? いったいどうして?」

「もう話したと思うが、我々は阿藍アランという琥師こしを追っている。その琥師が、士山に潜伏しているらしい」

「何ですと!?」

「だから、我々の兵を差し向ける」

 玉髄がそこまで言ったとき、夜光ヤコウが口を挟んだ。

「玉髄君、私は賛成できない。妖魅に普通の軍隊を当てても、返り討ちにされるだけだ」

「仕方がないんです! 我々、虹家が独自に動いたことを示さなければ、言い訳が立たない」

 玉髄は、明らかに焦っていた。夜光の諌めも、それを募らせただけのようだ。

「それに、これは虹家の名誉回復の意味もあるんです」

 王都の廟を破壊された。言わば、虹一族に対する最高の侮辱である。建国七公、そして武家の名門で知られる虹の名に泥を塗られた。その汚名を返上するには、武力しかない。

「……このまま動かなかったら、祖母様にも何と言われるか」

 その時、荘園の表がにわかに騒がしくなった。ドヤドヤと多数の者の声がする。

「表が騒がしいようだが……」

「もしかしたら、シュ将軍かもしれません。見てきます」

 玉髄はそう言って、部屋を出て行って――またすぐ戻ってきた。何かから逃げるように、早足で。扉を閉め、開かないように背で押さえる。

 顔が蒼ざめている。尋常な様子ではない。

「ど、どうしたの?」

「もしかしてまた敵が!?」

「……がきた」

 あまりに小さい声で、よく聞こえない。

「ガキタ?」

「ば――」

 玉髄が口を開いた瞬間――扉が吹っ飛び、その前にいた彼も吹っ飛んだ。

 どんがらがっしゃ、と盛大な音を立てて、玉髄は部屋の真ん中まで吹っ飛んだ。一角イッカクと夜光はただぽかーんとするばかり。頭が状況認識を拒否したらしい。

「玉髄!? うわああ、大丈夫!?」

 ピクピク痙攣している玉髄を見てようやく我に帰り、あわてて彼を助け起こす。

 吹っ飛んだ扉の方を見れば、何者かが片足を上げて立っている。蹴りだけで、扉を破壊し、玉髄を吹き飛ばしたというのか。

 ズン、と重い足音が響く。かの者が足を下ろした音だった。

「珍しく領地に帰ってきたと思ったら、挨拶のひとつもしにこない……」

 入ってきたのは、武装した女人だった。結い上げた髪は白髪が多く、目元の皺は彼女の歳を示している。決して若くはない。

「ずいぶん偉くなったもんだねぇ。ええ? 玉髄よ」

 女人は、床に伸びた玉髄を見下ろした。

「この歳で、孫に躾をしないといけないのかねぇ」

「ままま待った! 待ってください、祖母様!」

 玉髄が、がっぱと起き上がった。

 玉髄が祖母様と呼ぶ。すなわち彼女は――。

「もしや……元鎮東将軍の虹青河コウセイガ殿か?」

 虹青河――先王に仕えた将軍たちの中でも、もっとも苛烈な戦をした女将軍である。すでに引退し、六十に届こうかという歳のはずだ。けれども眼光の鋭さは衰えていない。ついでに体型も、やや衰えは見えるものの、現役バッリバリの武人といったところだ。

「祖母様、どうしてここに……?」

「どうして? 知らせた者がいるのさ」

「朱将軍……ですか?」

「違うよ。ウチに出入りしてる方士どもさ」

「方士?」

「士山を任せてる連中さ」

 士山――まさにいま、問題になっている場所である。

「士山を方士に任せた!? そんなの聞いてない!」

 ところが、玉髄が知らないことがあったらしい。祖母と孫が口論をおっぱじめる。

 夜光と荘園の長がなだめすかし、ようやく状況を説明できる状態になった。


「なるほど、だいたいの事情はわかった」

 説明を受けた青河がうなずいた。シャンと伸びた背筋は、彼女は間違いなく武人なのだと感じさせる。

「けど、士山に賊? 馬鹿馬鹿しい。あそこは、方士どもの修行場にもなってる。不審な連中が巣を作りゃ、そいつらが報告してくれるよ」

「修行場って……なぜそんなことに」

「真面目に修行してると、紫雲と虹が下りてきて、天に昇れる場所があるらしいよ。そのあたりに、方士どもが集団生活してる」

「何ですか、その胡散臭い話は! それに士山に人が住むなんて……なぜ追い出さないのです!」

「墓のある場所とは別のトコだから、咎めることもないと思ってね」

「し、しかし……」

「いー加減にしなッ!」

 青河が怒鳴った。女とは思えない、落雷のような声だった。

「あんたこそ、そこの妖しげな方士に惑わされてるんじゃないのかい!」

 青河がビッと夜光と一角を指さす。

「祖母様、何ということを! この方は峰国の英雄、琥師・夜光殿とそのお弟子ですよ!」

「夜光……?」

 これで青河の態度は変わるだろう。玉髄はそう見込んで言ったのだが――。

「なら、なおさら許せないね! 我が息子を死なせて、のうのうと生きてる妖術師め!」

 夜光は峰国の英雄だ。

 しかし青河にとってはまったく違っていたようだ。

玉仙むすこの亡骸には、足と腕が無かったのよ! なのになぜ、あんたは五体満足で生きてるんだい! 許せない! 絶対に許せないよ!」

「青河様、お気を鎮めてくださいませ!」

 いまにも斬りつけんばかりにいきり立った青河を、取り巻きが押さえる。

 夜光は反論しなかった。だが、ひどく悲しげに瞳を伏せていた。

「ともかく……士山に手を出すことは許さない。いいね!」

「…………」

 玉髄はうつむいた。唇を強く噛み締めている。逆らえないのだろう。

「……どうやら、我々は招かれざる客のようだ」

 夜光が口を開いた。一角も立ち上がり、身支度を整える。

「玉髄君。そなたは、ここで朱将軍の到着を待て」

「ま、待ってください! 夜光殿、一角!」

「玉髄!」

 引き留めようとした玉髄を、青河の取り巻き連中がいっせいに押さえる。

 夜光は青河の前に恐れもなく立つと、拱手した。

「元鎮東将軍・虹青河殿、玉髄殿には大変なご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ない。どうか彼を責めないでやってください」

「そいつは、私が決めることだよ。私の剣が届かないうちに、失せな」

 夜光と一角は、黙って礼をした。背を向け、屋敷から出ていく。

 玉髄は取り巻きに押さえられたまま、うつむいていた。

「……こんなの、駄目だ!」

 玉髄が顔を上げた。一番近くの者に肘鉄をくれ、取り巻きを振り払う。

「若様!?」

「すまん!」

 謝りながら、剣を奪う。青河が好んで取り巻きに持たせている直剣だ。

「玉髄、あんた! 自分が何やってるか、わかってんの!」

「勘当でも何でもかまいません!」

 玉髄は剣を抜き放ち、啖呵を切った。

「だけど俺は、俺に与えられた責務を果たします! 俺は虹家当主、そして王国軍紅龍隊、辟邪へきじゃ・虹玉髄だ!」

 当主としての義務、王国軍兵士としての義務。その両方を、果たす。

 玉髄もまた、背を向けて走り出した。屋敷を飛び出すと、夜光と一角が待っていた。

「一緒に、来るか」

「あなたの護衛が、俺の役目です」

「まっすぐな目だ。……玉仙によく似ているな」

 一角が琥符を取り出す。

「我が友たる獣、ここに楽しみ来たり遊べ!」

 琥符と同じ、黄金の光が夜を照らす。風のように霊気がうずまき、一頭の馬が現出した。黄金の瞳を持つ、赤いたてがみの立派な馬だ。肩や蹄のあたりからは、霊気が羽のように流れている。華麗な装飾のついた馬具が、夜でもわかるほどの輝きを保っている。

「若様、お待ちください――っ!」

 玉髄を引き止めようと、数名の男たちが屋敷から出てくる。

「乗って!」

 しかし玉髄はそれに応じず、一角、夜光とともにその馬に乗った。三人乗ってもまだ余裕があるような、大きな馬だった。

奔天ホンテン、北の士山へ走って!」

 一角の声とともに、馬は走り出した。闇夜の道を恐れることなく、風が三人を撫でる。あっという間に、荘園がはるかに遠ざかっていく。この馬はまさに、一日に千里を行くという駿馬のようだった。

「すごい……速い!」

「この馬なら、明日には蟠湖ハンコの北にいけるよ」

 一角は誇らしげに笑い、手綱を操る。

「行こう、士山へ!」

 馬蹄の音が、星空に高く響いた。

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