第14話 山平水遠 三
日の出とともに、
屯日は、白水から北東にすこし行ったところにある山間の土地だ。
「この山に、お師匠様の庵があるの」
「たしか、結界があるんだったな」
「うん。道から外れると迷って出られなくなるから気をつけてね」
竹林を抜け、森を抜け、岩肌が目立つ山をひたすら登る。人が踏み分けてできたような道を、ひたすら外れないように辿る。
途中の難所といえば、断崖絶壁にかかる橋だけだった。
否、橋というにはいささか語弊がある。それは橋げたのあるものでも、吊っているものでもない。自然に削れて板状になった岩が、谷の合い間に一本の道を作っている。それだけだ。もし橋の上で均衡を崩せば最後、白いもやのかかる谷底にまっ逆さまだ。
やや離れたところからは、
そこを抜けると、平らな場所に出た。質素な庵が見える。
「おお、
「お師匠様!」
「なぜ、
夜光は、
青玉は頭巾を下し、拱手する。
「龍師・青玉と申します」
「おお……!」
夜光には、青玉が何者であるか如実にわかったようだ。丁寧に礼を返す。
「入りなさい、どうもただごとではなさそうだね」
夜光は、三人を庵に招き入れた。
「私が王都を離れているあいだに、そんなことが起こっていたとは……」
事情を聞いて、夜光はうなる。
「夜光殿、このようなことはお尋ねしたくないのですが」
玉髄はそう前置きした。
「夜光殿は、
夜光は目を閉じ、しばらく何かを考える。
「近頃は、ないな」
「近頃は? ということは……」
「あの者とは行動をともにしていた時期がある」
「何ですって!?」
一角は、あっさりとんでもないことを言ってのけた。
「だが、もう二十年以上も前の話だ。ともに山中で修行していた。あやつは
「方士から、特に琥師を志した理由は?」
「野心、かな。いや、それが正しい言葉かどうかはわからないが……」
夜光は視線を下に落とした。
「二十年前の
「さいてーです」
一角が唇を尖らせた。幼い頃から琥師になる修行を積んだ彼女には、不純な動機に聞こえたらしい。
「だが、不老不死の探求も続けていたようだ」
「不老不死、というのは……どのような?」
「不老不死にもいろいろある。老いる肉体を捨てるとか、薬で体を金属に変えてしまうとか、あるいは天に昇るとか。彼女の場合は、生まれ持った肉体をひたすら老いないようにできないか、考えていたようだ」
「どうして、関わりを持たなくなったんです?」
「龍師に手を出し、ひどい傷を負わせおった。騎龍の術を、琥符に応用したいと言って」
「龍師に!?」
一角と玉髄は、同時に青玉を見る。青玉はポカンとした顔だ。
「青玉、知ってた?」
「いえ、記憶にはありません……」
夜光は、わずかに目元を細めた。
「私は恐ろしくなって、あやつとの付き合いを断った。山を下り、俗世間に交わり、琥師以外の者と友人となり、気がつけば王宮に出入りするようになっていた」
その頃、玉髄の父である
「それから十年……崩国の妖魅を封印した頃に、あやつは宮廷琥師として私の前に現れた」
龍師を襲った件は、世間には知られていないようだった。
「十年のあいだ、一体何をしていたかは知らぬ。そして宮廷琥師になったあとの十年も、交流はなかった」
「そうですか……」
「お師匠様、なぜ阿藍は玉髄を狙ったのでしょう?」
「話を聞く限りだが……玉髄君の
「俺の血で!?」
思わず声を上げた。
「だって……人間の血ですよ?」
「血というのは、生命の輝きが溶けるものだ。はるかいにしえから、神への供物に使われることさえあった」
「神への供物……」
「だから、わたしも力を取り戻したんですよ」
青玉が口を挟む。
「一番最初は、あなたの指の血。そしてこの前は、あなたの心臓から流れた血で、わたしは力を取り戻したんです」
「玉髄君、彼女に血を捧げたのか?」
「偶然というか、怪我の功名といいましょうか……」
玉髄はぽりぽりと頭を掻いた。
「ともかく、辟邪の力を持つ者の血で作った琥符は、最高の力を発揮する。普通の妖魅に対してはもったいないほどの力をな」
つまり、普通以上の力を持った妖魅に対するためのものということだ。
「私も辟邪の血を使ったのは、ただ一度だけだ……」
急に、夜光の表情が暗くなった。
「崩国の妖魅を封じたときの琥符。あれには、そなたのお父上の血を使っている」
「父さんの……?」
「そうだ。思えば、玉仙こそまことの英雄だった」
血を捧げ、命を捧げ、国を守った。
夜光も戦ったのは同じだが、死んだ者の方を尊く感じるのは、感傷が混じるからだろうか。
「あの女は、崩国の妖魅の封印が間もなく解けると言っていました」
「ありえぬ」
夜光は即座に否定する。
「私が生きて健在でいる限り、琥符の力は失われぬ。意図的に術を解く気もない」
「それを聞いて、安心しました」
「しかし、君を襲ったという点からして、阿藍が何かしようとしているのは間違いないだろう。琥師として見逃せぬ」
「協力していただけますか」
「もちろんだ。我が友と守りしこの国で、無法な行いはもうさせぬ!」
夜光には、ほかの琥師にはないものがある。この国を守ろうという強い意志だ。彼の友がそうしたように、彼もまた命を張ることのできる心の持ち主だ。
「それに、そなたらを守るのは我が誓いだ」
「お師匠様、それはあたしたちも一緒です」
一角が、キッと表情を引き締める。
「お師匠様は、大妖魅封印の要。何としても、お守りいたします」
「ありがとう。すっかり頼もしくなったな」
夜光は一角の頭を撫でる。
どこか子供扱いされているような気がするが、一角は嬉しそうにニコニコしている。
「ともかく、山を下りよう。阿藍への手がかりを探そう」
『その必要はない』
突然、四人以外の声が、庵の外からした。
窓からうかがうと、庵の前に人影があった。
『出てこい、夜光、一角、青玉、玉髄』
それぞれの名前を呼ばれた。思わずぞっとするような嫌悪感を覚える。
様子をうかがうと、すでに庵のまわりは包囲されていた。多数の人妖が、四人が出てくるのを待っている。
「馬鹿な、この山には結界を張ってある! 妖魅は入れぬはず!」
『生憎と、某らは妖魅じゃない。人だよ』
愕然とする夜光の声に、戦士のくぐもった声が答えた。中の会話まで聞こえている。余計な相談もできない。
「か、囲まれてる。どうしよう?」
「一角、落ち着いて。わたしと玉髄で、道を開きましょう」
「できるか、青玉?」
「ええ」
まず、玉髄と青玉が庵を出た。玉髄は剣を抜き、青玉は被いていた衣を取り払っている。
「お前は!」
人妖の中に、異彩を放つ者がいた。銀色の辟邪獣の面、金色の鎧。曲刀を携えた男――阿藍とともに一行を襲った戦士だった。
「……俺たちの名前は知ってるだろう。貴様も名を名乗れ!」
『
その名乗りを聞いた瞬間、玉髄と青玉は飛びかかった。
玉髄の剣が、遷の曲刀で防がれる。流され、弾き返される。そのスキを狙って、青玉の蹴りが遷を狙う。両足首の金環が、軽やかな音を立てる。しかしその一撃は、遷もたじろぐほどの重さを秘めている。
戦士の動きを玉髄が封じると、青玉が人妖らを片づける。玉髄の攻撃が弾かれると、青玉が戦士と対峙する。玉髄の剣が、人妖の首を次々と刎ねる。
「ハッ!」
青玉が、両手を地面についた。両の脚を、まるで花が旋風に遊ばれるかのごとく、大きく開いて回転させる。その足首がふれた人妖の首が飛んだ。両足の金環が刃になっている。
二人の連携は、まるで舞うかのごとく絶妙なものだった。
「夜光殿、一角を連れて逃げてください。俺たちが喰い止めます!」
「すまん、無理はするな!」
夜光と一角が庵を脱出し離脱する。二人を追おうとした遷の前に、玉髄と青玉は回り込んだ。
人妖はすでにあらかた片づいている。
「玉髄、ここはわたしに!」
そうだ、あの面の内側には青玉の
「来い! 我が龍よ!」
青玉が叫んだ。彼女の言葉に、玉龍は反応するだろう。そう、遷の顔を覆う面、その額にはまる玉龍から、彼女の龍が現出する――筈だった。
しかし何も起こらなかった。
遷がゆるゆると刀を上げる。
『ハアアアア――ッ』
轟音とともに、曲刀があたりを薙いだ。さほど太さのない木々が斬り飛ばされて倒れる。
「わ――ッ!!」
玉髄らも逃げ出した。一目散とはこのことだ。
「青玉、どういうことだ! 龍、どうして出ない!」
「こ、ここの結界です! ここまで強力とは思ってなくて……!」
夜光の結界は、龍師たる青玉の霊力をも封じているらしい。彼の術は超一流ということか。
「橋だ!」
行きがけに渡った、岩の橋が見えた。
頭上を影がかすめた。橋の中ほどに、遷が降り立つ。行く手をさえぎられた。
「どうする……? ほかの道に逃げるか?」
「山の結界はまだ健在です。ほかの道は迷うそうですから……」
「やるしかねぇか……」
遷は左手を上げ、指先で招く。誘っている。戦いを望んでいる。
青玉が飛んだ。空中で回転して、遷のうしろに降り立つ。腕をひと振りすると、細長く白い布が現出した。青玉はそれを両腕に絡める。
玉髄も覚悟を決め、剣を抜いて橋に足を踏み出した。
挟み撃ちだ。
数合、三人は技を交えた。青玉と玉髄は、龍を使う者だ。細い足元には慣れている。
しかし、遷も一歩も引かなかった。体の均衡を上手く保ち、玉髄の剣を受け、青玉の攻撃もしのぎきっている。
(この体術、この剣技……)
刃を交えるうち、玉髄の中に疑問が生じた。遷の使う技を知っているような気がしたのだ。
「あんた、騎龍か?」
玉髄が問うと、遷の動きが一瞬止まった。
「ハッ!」
そのスキを狙って、遷の後方にいた青玉が細布を飛ばした。まるで鞭のように布は伸び、遷の曲刀に絡みついた。
「玉髄!」
「ああ!」
玉髄は一気に間合いを詰める。
遷が柄から手を離し、曲刀を放棄する――かのように見えた。
「ハッ!」
遷が柄から手を離した瞬間、その刀環から鎖が伸びた。袖の中に隠していた鎖は、遷の腕の動きにあわせて大きく弧を描く。青玉と遷を二点にした半円が、玉髄の後方まで飛ぶ。
遷が腕を引いた。鎖は玉髄の足元をすくい上げる。
「うおッ!」
玉髄は均衡を崩した。足が滑る。橋から落ちかける。
「く……っ」
どうにか橋の縁をつかみ、玉髄はぶら下がった。
どうどうと滝の落ちる音が、妙に恐ろしく聞こえた。
「玉髄!」
青玉は曲刀から布を解き、玉髄のもとへ走ろうとした。しかしそれより一瞬早く、遷が大きく鎖を振った。曲刀は重量を感じさせる旋風となって、遷の手元に戻る。
『動くな!』
遷の一喝に、青玉の動きが止まる。
遷は悠然と玉髄に近づいた。橋にしがみついている玉髄の手を、ガッと踏みつける。
「うあッ!」
『お前も、騎龍となる修練を受けた身であろう。こういう手があるのを忘れるとは情けない』
遷は、刀に繋がった鎖をじゃらりと鳴らしてみせた。
騎龍は龍に乗って戦闘する。そのため、武器に鎖や紐を着けて、
「くそ……!」
『死にはしない。死を超えて、望むままに生きられる』
「玉髄――!」
青玉が遷に突進し――飛びかかった。青玉の細布が、遷の首に絡まる。
『何ッ!?』
そのまま青玉は大きく体を傾けた。谷底へ飛び込むように、微塵の躊躇いもなく。
「青玉!?」
青玉と遷はもろともに均衡を崩し、空中に投げ出される。
『うおおおお――ッ!』
「青玉――ッ!!」
玉髄はただ、二人が落下するのを見ているしかなかった。
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