第13話 山平水遠 二

玉髄ギョクズイ、玉髄」

 龍が突然消えたため、玉髄は水中に落下した。

 それを青玉セイギョクが龍を使って引き上げさせた。気を失っている玉髄の頭を膝枕で支え、頬を軽くペシペシと叩く。

 しかし玉髄は中々意識を取り戻さない。

「起きろ、玉髄!」

「い……って――!!」

 ゴガッと剛鋭ゴウエイの拳骨を喰らい、玉髄は飛び起きた。

「そうか、終わったのか……」

 玉髄はすぐに力を抜いた。剛鋭も一角イッカクも疲労困憊といった態だ。あれだけ派手に左右に振られれたのだから無理もない。投げ出されなかったのだけが幸いだ。

「将軍、お怪我は?」

「すこしやられた。ザマァねえ」

「かなり深いですよぉ」

 一角が剛鋭の傷口に布を縛りつけている。

「ともかく、白水ハクスイに向かいましょう」

 青玉が龍を操り、ゆっくりと舟を進ませ始めた。

「玉髄、何で空中で龍を消した? 落ちるに決まってるだろーが」

 玉髄は屋形の中でぐったりと横になっていた。

 青玉が、手を玉髄の額に乗せている。彼女の手はひんやりとして気持ちがいい。

「急に肩が痛くなって……あまりに痛くて、意識が遠のきました」

「痛くなった……? 一角、どう思いますか?」

「うーんとね、龍を現出させて霊力が高まると、琥符こふもそれに応じて束縛を強めようとするのかなぁ。推測だけど」

 青玉がはあ、とため息をついた。

 玉髄は頬をわずかに赤らめる。彼女の制止を振り切って、龍を現出させてしまった。呆れられていても無理はない。

「けど、これは厄介です。これじゃ一日に一回、三百を数える程度の時間しか龍を出せないでしょう」

「そ……んな」

「自分の体もよく理解してないうちに、デカい力を使おうとするからだ」

 自業自得、と言わんばかりに剛鋭は右肩をすくめた。

「将軍、できましたよー」

「すまん」

 一角が包帯を巻き終わった。剛鋭は上着を羽織り直す。

「不可解なのはあの男だ。まっすぐ俺の利き腕を狙ってきやがった」

 剛鋭は、この国では珍しく左利きだ。

「剣の握り方で判断したのでしょうか」

「そうあってほしいな」

 その瞬間に判断したのでなければ、事前に知っていたことになる。敵にどこかで見張られていたなど、考えたくない。記憶に留めておく必要はあるが。


 白水の船着き場に到着した。

 剛鋭は思っていたより傷が深く、いったん離脱することになった。迎えに来ていた役人があたふたと医者の手配をしている。

「玉髄、てめえは先に向かえ。事態は思ったより深刻そうだ」

「将軍は?」

「俺は王都の連中と連絡を取る。追跡隊をこちらに寄越させよう」

「わかりました。これを」

 玉髄は一通の書簡を差し出した。数行の文とともに、コウ家当主の印が押してある。

「こいつは?」

「虹家当主の命令書です。これを持つ者に人夫・馬・武器・食糧などの支援をするように書きました。これがあれば、我が一族は協力を惜しまないでしょう」

「わかった。ありがたく使わせてもらう。気をつけろよ」

「はい、将軍も」

「玉髄、準備できたよ~」

 青玉と一角は、衣をかずいて旅の女人風だ。二人の髪色は目立つので、こうする。

 荘園までは馬で向かう。三人は、朝焼けの中を出発した。


 白水の荘園に到着する頃には、すっかり太陽が高くなっていた。

「若様!」

「若様、ようこそお越しに!」

「すまない、皆。急な話でね」

 荘園の人々は、玉髄を「若様」と呼んで歓迎してくれた。

「すっごいね~。玉髄、ちゃんと貴族だったんだ……」

「どーゆー意味だそりゃ」

 通された部屋は、客人を泊めるための部屋だった。寝台がある。床は硬く土足で入るものだが、部屋の一部は一段上げてある。正座して書見などをするための場所だ。

「つかれたぁー……」

 一角はその座に腰掛けると同時に倒れた。

「おい、寝るなよ……ふぁ」

 そう言いつつ、隣に座った玉髄もあくびを止められない。またその横に座った青玉も、うっつらうっつら舟を漕いでいる。

「あ……ダメだ」

 玉髄も横になった。眠気が心地よい眠りに誘う。

「くー……」

 三人の寝息が立つまで、そう時間はかからなかった。


「……ん」

 一番最初に目が覚めたのは、玉髄だった。

 玉髄を挟むように眠っていた二人の少女。二人とも、玉髄側に寝返りをうったらしい。結果、二人の胸が玉髄の顔を両側から挟んでいる。

「うあ」

 玉髄はボッと顔を赤らめた。

 右頬に一角娘の豊かな胸、左頬に青玉の綺麗な胸。おのおの個性的なやわらかさが、玉髄の顔を両方から挟む。

「……き、気持ちいいんだけど、いやそうじゃなくて、起きてくれー」

 玉髄は片腕を上げてふよふよと意味不明に動かした。

 が、少女二人は起きない。

 玉髄は座ってそのままうしろに倒れた形になっていたので、足は床に着いている。その足先に力を入れて体をゆっくりずらす。そのままズリズリと抜け出し、玉髄は起き上がった。

「ふう」

 ひとつ息をつく。

「それにしても……」

 玉髄はチラリと少女たちを見た。まだ安らかに眠っている。

「……いい感触だった」

 本人はいたって大真面目だ。つぶやいたのちに、やましいことだと気づいたようだったが。

「どうかしましたか?」

「あっいやっ、何でもないっ!」

 青玉が、ぱちりと目を開けて起き上がった。やましいつぶやきを聞かれはしなかったか、と玉髄はあたふた手を振った。

「すっかり、眠ってしまっていましたね」

「ああ……しまった」

 陽が傾いている。もう今日はここから動けない。

 青玉の横顔が、部屋に差し込む赤い日に照らされる。彼女の両足に、金環が光った。

「青玉、ごめん」

「え?」

「面のこと……忘れかけてた。君が俺にくれたもので、俺はずいぶんあれの世話になったのに。それに、玉龍ぎょくりゅうは騎龍の命。ないと、すごく苦しい筈なのに」

 玉髄は理解していた。

 ――玉龍は騎龍の魂。かつて、知識では知っていた。けれどもいまは実感できる。玉髄もまた、騎龍としての生を歩み始めたのだから。

 来い、我が龍よ。

 その言葉だけで生まれるものは、力だけではない。左腹を押さえる。そこに埋まる玉龍の硬い感触が伝わってくる。いまはこれがないと、落ち着かない。

「なのに俺は自分の力とか、阿藍アランの行方とか、そんなことばっかり考えてた」

「玉髄は、とても優しい人ですね」

 青玉が微笑んだ。けれども、その微笑みはすぐ夕陽の中に消えた。

「謝るというなら、わたしの方もです」

「え……?」

「わたしは、あなたの意志なしにあなたを騎龍にしました。龍師として、本当はしてはいけないことなのです」

 騎龍になると、制約も多くなる。結婚、戦闘、立場……常人よりも、苦しい目に遭うこともまれではない。

「ごめんなさい」

「あ、謝らないで!」

 玉髄は思わず声を上げた。

「俺は、ずっと騎龍になりたかった。君が俺の龍師になってくれて、とても嬉しいんだ」

 それが素直な気持ちだった。確かに、貴族の当主として、騎龍という立場から生まれる制約は放棄すべきものだ。憧れと現実のあいだで、玉髄はこれから葛藤しなくてはならない。琥符を体から追い出すのと同様に、玉龍の力を失うことも考えなくてはならない。

 けれども、玉髄はずっと憧れていたものになったのだ。それは嬉しい。そう思っていた。

「ありがとう、玉髄」

 何よりも、この少女が好きだった。王宮の女たちとはまったく違う。化粧せずとも美しく、香を焚かずともよい匂いがする。この少女に惹かれていた。

(でも、俺はこの人のことをほとんど何も知らないんだよな)

 三年間、玉髄だけが言葉を話せる関係だった。もちろん、彼女の視線や仕草である程度のことはわかった。しかし、彼女の過去などは知らない。言葉なしに説明するには、あまりに難しいことだから。

「青玉……」

 玉髄は、急に狂おしい気持ちに襲われた。初めて自分から少女の手を取る。

 青く澄んだ瞳が見上げてくる。それよりも淡い色の髪が、少女の白い頬にかかる。

(ああ、俺……)

 玉髄は目を細める。

(やっぱり、好きだ。この人が……)

 繋がる手。温かい手と、ひんやりとした手。

(何も知らなくとも、この人に惹かれてる)

 二人の距離は、確実に近かった。

「ふわ……お腹すいた~」

「!!」

 あまりに場違いな声がした。一角が目をこすりこすり、身を起こす。

 玉髄はさっと青玉の手を離した。

「あ、あれ? 二人とも起きてたの~? 起こしてよぉ」

「ごめんなさい、よく寝てましたから」

 一角が唇を尖らせると、青玉は先のことなどなかったかのように微笑む。

「い、一角、体は大丈夫か?」

「うん! お師匠様迎えに行くまで、弱音は吐けないもん」

 できればあとすこし寝ててほしかった……と玉髄は心の中でつぶやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る