第三章 山平水遠

第12話 山平水遠 一

 玉髄ギョクズイは、いったん白水ハクスイという土地に向かうことを提案した。

 蟠湖ハンコに近く、何より玉髄自身が管理している荘園がある。言わば玉髄の身内ばかりの土地だ。そこなら情報も得やすく、何より変幻自在の敵が紛れ込んでも区別しやすいだろう。そういう理由だった。

 紅龍将軍・朱剛鋭シュゴウエイ辟邪へきじゃ・虹玉髄、龍師・青玉セイギョク、そして琥師こし一角娘イッカクジョウ。四人で白水へ向かう。いまは時間が惜しい。動ける者から出発する。残りの騎龍は、あとから合流することになった。


 二日ののち、舟を手配し、四人は王都を出発した。

 峰国は水の国――河川があちこちを流れ、湖と呼べるものも多数ある。

 そして、その流れを利用した水路が発達している。王都からは、陸よりも舟で行く方が早い地域も多い。

 白水へは、三日ほどで到着できるだろう。

「青玉ちゃん!」

 一角と青玉は、直接会うなり打ち解けていた。一角の人懐っこさゆえだろう。

 無言の男二人を無視して、異色の少女たちは戯れ始めた。

「青玉ちゃんって、涼しそうな色してるよねー」

 言いながら一角は青玉に抱きついた。

「いやーん、ひんやりー」

「一角もとても綺麗な髪ですね。太陽みたいです」

「えへ、ありがと」

 金茶色の少女と、青色の少女。二人が抱き合うと、その胸元がふにんふにんと押し合っている。たいへんな目の保養だ。

 ただ保養をしているのは玉髄だけで、剛鋭の眉間にはシワが寄っている。

「それに綺麗な飾りですね。いい細工物です」

「これね、お師匠様に作ってもらったの。いいでしょ!」

「でも、どうして龍の模様なのです? 琥師なのだから、虎の方がいいのでは?」

 「琥」とは本来、ぎょくを彫って作った虎を意味する。琥師らの使う琥符こふには、必ず虎の文様が彫られている。

「お師匠様は、騎龍と協力して妖魅と戦ってた頃があるの。『騎龍の力は素晴らしい。あの力があったから、私は生きていられる』って、お師匠様いつも言っているもん」

 剛鋭の眉間からシワが消えた。褒められて悪い気はしないのだろう。

「それをあたしも忘れないようにって、龍を彫ってくれたの」

「いいお方なんですね」

「そうだよー。だってあたしを育ててくれた人だもん!」

 一角は誇らしげに胸を反らした。

(おい、何で龍師も連れてきた?)

(王都に残したら、方士どもが何をするかわかりません)

 剛鋭がごくごく小さく囁く。玉髄も囁き返す。

「玉髄の体については、わたしに責任がありますから」

「……聞こえてやがったのか」

 一角と戯れていた青玉が、剛鋭に答えた。

「それに、玉髄の面が盗られました。あれに着けていた玉龍ぎょくりゅうは、わたしの大切な龍です」

「あ……」

 すっかり忘れかけていた。が、大事なことだ。

「わたしは龍師ですから、複数の龍を操ることはできます。でも、一番大事なのを取られたので、取り戻さないといけないんです」

「なるほど、犯人を追うには十分な理由だな」

 騎龍にとって、玉龍とはおのれの魂に等しい大切なものだ。命を預け、心をともにして戦う戦友でもある。それを奪われることは、身を引き裂かれるのと同じだった。

 全員に、東部へ向かい阿藍アランを追う理由がある。仲間意識が芽生えていた。


 それから二日ばかりは、何事もなく進むことができた。舟に揺られるのも、慣れたものだ。

 その日も陽が落ちて、月が昇る。

「明日の朝には、白水の船着き場に着けそうだな」

 一角、青玉は横になって眠り、剛鋭も座ったままではあるが顔を伏せている。玉髄だけは起きて、屋形の中から空の月をうかがっていた。

「うおっ!」

 突如、舟が大きく上下した。あまりの揺れに不吉な予感が走る。

「ギャッ!」

「うわあっ!」

 水手かこの悲鳴が聞こえた。バシャン、と水に落ちる音もする。

「何だ、どうかしたか!?」

 玉髄は屋形から出た――その瞬間、銀色の光が目に入り、玉髄は素早くかがんだ。頭上を刃が通り過ぎる。屋形の壁が大きくえぐれた。

「……!」

 剣で薙がれたのを、反射的に避けた。

 あとからそう認識して、玉髄はどっと冷や汗をかいた。一瞬でも遅ければ、首を持っていかれていただろう。

「誰だ! この舟を王国軍紅龍隊と知っての……」

 玉髄は誰何して――そして瞳を見開いた。

 背の高い人影が、舟の舳先に立っていた。体つきからすると男だろう。右腕と右脚は、黄金の鎧で覆っている。それ以外は白い衣をまとい、顔には銀色の獣の面をしている。

「俺の面!?」

「わたしの龍!」

 玉髄と、様子を見に来た青玉の声が重なった。

 男の面は、奇妙な獣をかたどったものだ。蜻蛉のような大きな眼、鹿のような角、牙を剥いた口元――青玉が玉髄に与えた、辟邪獣へきじゃじゅうの面だった。

「賊か!?」

 剛鋭も剣を抜き放ち、外に出てくる。それを見越していたかのように、男が舳先を蹴った。

「うおおッ!?」

 旋風が大気を貫いたかのようだった。剛鋭は反射的に飛び下がる。男の斬撃が襲う。剛鋭はそれを受け流し、剣を振り上げる。その剣を男は鎧の右肩で受け、刀を突き出した。反りのある曲刀だ。

 剛鋭の左腕から血しぶきが飛ぶ。

「クウッ!」

「将軍!」

「玉髄、どうしたの!?」

「馬鹿っ! 一角、出てくるな!」

 男の刃が一角を狙う。駄目だ避けられない――そう思った瞬間、キインと高い音が響いた。

「青玉!?」

 青玉が割って入っていた。男の剣を、なんと素手で防いでいる。銀色の刃が確かに青玉の皮膚にふれているのに、その白い皮膚には傷ひとつついていない。

 青玉が唇を開く。

「来い、我が――」

 その言葉が終わる前に、男が動いた。曲刀を素早く引いて、拳を青玉の腹に叩き込む。

「かっ……」

 青玉は腹を押さえてうずくまった。

 ――速い!

 騎龍が龍を現出させるための呪文は、極めて短い。しかしその発声を遮る攻撃を叩き込んできたのだ。騎龍の戦い方を熟知し、しかもそれを阻害するところまで策を練っている。

 剛鋭、青玉の二人を抑え、男は玉髄と一角に狙いをつける。

「一角、中に入ってろ!」

「でも」

「入ってろ!」

 玉髄は一角を屋形の中に押し込むと、あたりに素早く視線を巡らせる。舟を漕いでいた水手たちは、斬り伏せられてすでに絶命している。恐らく何人かは河に落とされたのだろう。

 次は俺だ。玉髄は剣を構える。

セン! 挨拶は済んだよ! 帰ろう!」

 突如、女の声が響いた。

 遷と呼ばれた戦士は、その声に応じるように飛んだ。舟が大きく揺れる。

「貴様……阿藍!?」

 空に、人の数倍はあろうかという鳥が羽ばたいている。その背に忘れられない顔があった。

 琥師・阿藍――玉髄を一度殺した、女琥師である。

 阿藍の隣に、舟を襲った男は舞い降りた。仲間なのだろう。

「てめえが阿藍か……ずいぶん部下が世話になったようだな、ええ、おい?」

 剛鋭が左腕を押さえながらうなった。

「おまけに水夫どもを殺しちまいやがって。武人じゃねぇ奴を殺るたぁ、つくづく外道と見える」

 剛鋭の声に、怒りという名の溶岩が混じっている。味方さえも焼き焦がす熱だ。

 だが、阿藍はフッと笑みを浮かべただけだった。

「我が愛しきモノ、ここに承知し来たり遊べ!」

 阿藍の呪文が、月を反射する水面に吸い込まれた。

 突如、舟の後方に巨大な穴が生まれた。水が吸い込まれていく。舟が揺れ、その穴に向かって流れ始めた。

「なッ!?」

「これぐらい、超えてみせてよ。騎龍、琥師」

 阿藍はキャラキャラ笑うと、男とともに東の方向へ飛び去っていった。


「マズイな、引き寄せられてるぞ!」

 剛鋭が叫ぶ。波が舟を大きく揺らす。

「何だ、何がどうなってるんだ!?」

「巨大な魚です!」

 小山ほどもある魚が、水を呑み込んでいる。舟はそれに引かれているのだ。

「どうする!?」

「適当なところにつかまって! 逃げます!」

 青玉が額の前で両手を交差させる。いつの間にか、それぞれの手にひとつずつ光るものがある。玉龍――龍を封じた璧だ。

「来い! 我が龍たちよ!」

 青玉が両手を広げた。白い指から玉龍が離れ、水の中に落ちる。

 水柱が上がり、二頭の龍が現出する。ゴン、と船底から鈍い音がした。舟特有の浮遊感が薄れる。見れば、二頭の龍が舟を挟むようにして水面下に並んでいる。

「……まさか、青玉!」

「行って!」

 青玉の命令は簡潔だった。

「どうわぁぁぁぁぁぁ!」

 玉髄は悲鳴を上げた。

 二頭の龍が、舟を支えたまま加速する。戦車のごとく舟が揺れ、速度が上がる。舳先が大きく水飛沫を上げ、その反動でいまにも弾け上がってしまいそうだ。

「青玉、無茶すんなーッ! あ痛ッ! 舟がバラけるぞー!!」

 水を割る轟音の中、玉髄は船縁ふなべりにしがみつきながら叫んだ。

「うおおおおああああ――ッ!?」

「きゃ――――ッ!!」

 舟のあちこちから悲鳴が上がる。

 船の後方から、気配がする。大魚が追いかけてきている。

「嘘だろ……来るぞ!」

 魚が躍り上がった。ひとつの頭に、十の体を持っている。もちろん、ただの魚でないことは明確だった。こちらに向かって飛んでくる。

「青玉!」

「だめ、追いつかれる!」

 青玉が右腕を前に差し出し、盆の上を滑らせるように空中で半回転させた。舟が大きく横滑りしながら、「し」の字に反転する。

「おおおおぉお!」

 回転中にまた盛大に悲鳴が上がったが、もはや気にしている場合ではない。舟はそのまま、飛び上がった魚の下をすり抜けた。

「青玉、これホント逃げれンのか――!」

「ダメです、振り切れない! あれは、わたしたちを狙ってます!」

 いまさら速度は落とせない。落とせば追いすがられて、この舟は沈むだろう。

「何度も同じ手が通用するとは思えねーぞ! やっぱ倒さないと! 俺が行く!」

「ダメ! 玉髄、戦ってはダメです!」

「次に奴が飛んできたとき、俺が倒す! 青玉は舟をどこか安全なところに!」

「おい、玉髄! やめろ!」

 水が割れる音がした。その瞬間、玉髄は叫んだ。

「来い! 我が龍よ!」

 それは黒雲だった。

 玉髄の影から、漆黒の霞がわき起こる。それは集約して蛇体となった。

 ――鱗の境さえ見えない、漆黒の応龍オウリュウ。その前脚には、まるで焔か翼のように霊気が漂う。

 玉髄の瞳が、鮮やかな翡翠色に変わる。喉元に菱形の光鱗が刻まれる。

「行くぞ、応龍!」

 その瞬間、大魚がふたたび水面を割って躍り上がった。

 龍もまた飛んだ。大魚と同じ高さだ。一方、舟は彼らの下をすり抜ける。

 龍の頭が、魚の鼻先に激突した。魚の顔面が大きくひしゃげ、肉と血が飛び散る。そのまま双方、川面に落下した。水柱が上がる。

 先に体勢を立て直したのは、応龍だった。が、魚もまだ生きている。空中では敵わぬと見て、水中から龍に突進する。龍は素早く水中から離脱し、それを躱した。

 玉髄はその龍の上にいた。

(これが……騎龍の力!)

 玉髄は高揚していた。憧れの力は、思っていたよりもずっと強い。

「くそっ、魚めどこに隠れた?」

 大魚は水底深く潜ったらしい。水面の波が消えていく。

『玉髄! 彈を使うのです!』

 青玉の声が頭の中に響いた。騎龍の力のひとつ、思念での交信だ。

「そうか!」

 玉髄は、かつて騎龍になるための訓練を受けたことがある。いま、その知識を使う時だ。

(彈を出すには……)

 騎龍となった者は、魂を龍とともにすると言われる。頭の中で想像したことが、龍に伝わって顕現する。

 玉髄は息を吸い、右手をかざした。それに応じるように、応龍の周囲に翡翠色の球体が十個、浮かび上がった。

 玉髄は目を閉じた。全神経を目に集中させる。望気ぼうきの力を使うときの仕草だ。

 そして一息。カッと見開いて水面を見ると――大魚の気がぼんやりと視認できた。

「撃て!」

 玉髄の声とともに、翡翠色の光があたりを貫いた。

 水が蒸発する音に混じって、大魚の断末魔らしき音も響いた。川面が紅に染まる。

「出てこい!」

 水面を割って、大魚の頭が浮かぶ。

 玉髄はふたたび手をかざした。翡翠色の球――彈がひとつ、浮かぶ。

「撃て!」

 大魚の頭が、柘榴のごとく弾け飛んだ。

「やった……!」

 玉髄はふたたび望気の力を使った。大魚の生気は消え失せていた。

「……!?」

 突如、玉髄の右肩に激痛が走った。思わず龍の上でうずくまる。

「こ、琥符、か……!?」

 もうほとんど忘れていたのに――それを思い出す。右肩に打たれた琥符のあたりが、貫かれたように痛む。意識が薄れる。

 制御を失った応龍が、一声吟じると霧散した。

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