第8話 如夢如仙 三

 阿藍アランは、廟堂に至っていた。がらんとした暗い堂に、恐れ気もなく足を踏み入れる。

「まわりの塀からすると……この奥に、まだ何かあるのね」

 彼女は夜目が利くのか、すたすたと堂の奥へ進む。

「女! ここをコウ家と知っての狼藉か!」

 玉髄ギョクズイの怒声に、女は振り向いた。

琥符こふ、外しちゃった? ダメぇ、血を無駄にしては。大事な血なのに」

「貴様、よくもいけしゃあしゃあと!」

 玉髄は痛みと出血で目がかすんでいた。怒鳴り続けなければ、気を失いそうだ。

「面倒、面倒」

 阿藍が袖を振った。金色の四角い塊が、いくつも床に落ちる。

「我が愛しきモノ、ここに承知し来たり遊べ」

 阿藍が呪らしき言葉を唱えた瞬間、廟堂の壁が吹き飛んだ。神聖な中庭に瓦礫が落ちる。

「――!?」

 小さな琥符が、十数人の人間に化けていた。矮小なものが大きく膨れる――その時の衝撃で、壁が壊れたのだ。

(いや、人じゃない)

 現出したのは、厳密には人間ではなさそうだった。どの者も丈の短い衣を着ているが、ガリガリに痩せている。目はせわしなく動き回り、口をだらしなく開けて、ひゅうひゅうと息を漏らしている。

「くっ……」

 片腕が利かないのに、比較的大振りの剣を持ってきてしまった。あまり長くは戦えない。技も荒くなるだろう。玉髄は剣で右手の甲を切った。血が剣を濡らす。妖魅を抑える辟邪へきじゃの血。これさえあれば、すぐにカタがつく。

「フシャアアアア――!」

 人妖が吠えた。一斉に襲いかかってくる。

 玉髄は自分を基点として、剣ごと体を回転させた。人妖の第一陣が弾き返される。それらを飛び越えて襲いかかってきた者の腹を、狙って突き刺す。人妖の動きが止まる。

(手ごたえがない!?)

 しかし驚いたのは玉髄だけだった。確かに腹に剣を刺した。背中まで貫いている。しかし、肉や骨を割った重みはなく、布を切ったような感触がしただけだ。

 阿藍が愉快そうに笑った。

 玉髄に刺された人妖が、衣の合わせをくつろげる。胸部から腹部にかけて、ぽっかりと大きな穴が開いていた。剣はその穴を貫通しただけで、人妖の体を傷つけるには至っていなかった。

 玉髄は目を見張り――すぐさま、まぶたを閉じる。そしてカッと見開いた。望気の力が発動する。玉髄に敵の正体を教えてくれる力だ。こうすれば、敵の周囲に気が視え、その色や濁りによって相手の力を推し量れる。

 だが、玉髄の目には何も映らなかった。

「何だ、こいつらッ! 生気がない!?」

「ムダ。それは妾のお人形。辟邪の力は効かない。遊んでて遊んでて」

 阿藍はクックッと笑うと玉髄に背を向ける。四苦八苦する彼を尻目に、廟の扉を開け放つ。

「まあ……!」

 玉衣を見て、女は興奮していた。月光だけが射し込む廟に、ためらいなく歩み入る。

「すごいすごい! 虹家は、こんなモノを祭って隠していたの!?」

 見事な織りのはた、霊山を模した香炉、黒い棺の上の玉衣、目の大きい獣の面。そこはまさに宝の蔵に見えたようだ。

「いいお面ね。辟邪獣を模して……このへきは、もしかして玉龍ぎょくりゅうかしら?」

「さわるなァァ!」

 玉髄は人妖を蹴倒し、宝剣を放棄して、阿藍に飛びかかった。

 しかし玉髄の動きはかなり鈍っていた。避けられる。勢い余って、玉髄はそのまま祭壇に激突した。肋骨に響く。痛みに大きく息を呑んだが、何とか祭壇を背にして向き直る。

(ヤバイ……目がかすんできやがった……)

 腹の血が止まらない。それでも精一杯力を込めて、玉髄は女を睨む。

「渡さん……絶対に渡さんぞ……!」

 玉衣――青玉セイギョクを渡すのだけは許せなかった。

「意外意外、執着がすごいのね。もっとアッサリした人物だって聞いてたのに」

 阿藍は失望したようにため息をつく。

「そんな様子じゃ、生きたまま捕まえるのも難しい難しい。綺麗に殺しても、首だけで襲いかかってきそう」

 ぐんにゃりと首をかしげる。不気味な仕草だ。

「徹底的に、殺して」

 阿藍は、生きている玉髄に興味を失ったようだ。残った人妖らに、冷酷な命令を下す。

「血は、あとで骨ごと砕いて絞るから」

 人妖の一匹が、宝剣を拾い上げた。剣の切っ先が、玉髄に向く。

 ご、と音がした。風の音なのか、剣が骨を裂いた音なのか。そのどちらにも聞こえた。

 玉髄の胸に、宝剣が突き立っていた。

「が……は」

 玉髄の喉の奥から、血が逆流した。廟の中にぶちまけられる。玉衣にも面にも、辟邪の血が降り注いだ。

 玉髄の口がわなないた。雑言だったのかもしれない。命乞いだったのかもしれない。それはわからない。ただ、血が噴き出す音がしただけだった。

 一挙に、玉髄の力が抜けた。玉衣に背中を預けるように、事切れた。

 まごうことなき、死だった。

「死んだ死んだ?」

 血まみれになって事切れた玉髄に、阿藍は近づいた。血溜りがその白い裾を濡らす。

 阿藍はまた別の琥符を取り出すと、無造作に彼の右肩に押しつけた。琥符からトゲが飛び出して、肉に突き刺さる。

 びくん、と玉髄の体が震えた。ただ生きているわけではない。琥符による反応だ。

「運びなさい」

 冷酷な女琥師は人妖に指示を出す。

 人妖たちは血溜りも厭わず、玉髄に群がる。そしてその体に触れようとしたとき。

「グ……」

 人妖の一匹が動きを止めた。

 四角い玉の板を綴った――玉衣の手が、人妖の顔をわしづかみにしている。

「ガガ……ガァッ!?」

 人妖の体だけが飛んだ。玉衣の手に、人妖の頭部だけが残っている。凄まじい力によってねじ切られていた。しかしそれを認識する前に――その頭部も、ほかの人妖に投げつけられた。

「何!?」

 阿藍は距離を取る。彼女の意志を汲んで、人妖たちも引いた。

 玉衣が動いている。玉を綴っている銀糸が切れる。手先を覆っていた玉が、床に落ちていく。廟の中に、無機質な音が響く。

 玉衣の下から現れたのは、白玉はくぎょくのような手だった。小さく、なめらかで、指の先まで美しい女の手。爪はほんのり赤く、艶かしい。

『玉髄、あなたを死なせはしない』

 くぐもった声が、玉衣の頭部から流れ出る。

 玉衣の中から霊気が噴き出した。風のようであり、しかし大気を白く濁らせる。霧か雲が出ずるようだった。玉衣全身の銀糸が、弾けるように切れていく。

『我が名は青玉。ここに復活せり!』

 宣言とともに、玉衣が起き上がった。顔面部と胴体部の銀糸が弾ける。

 中にいる者が、まるでサナギから蝶が出ずるように、生まれ出る。しなやかな肢体、川のように長く伸びた髪、そのすべてから青い光を発している。瞳も青色をしており、夜だというのに鮮やかな光を帯びる。

 生まれたのは、青色に包まれた美しい少女だった。少女が一糸まとわぬ全身をさらすと、玉髄の体が揺らいだ。

「玉髄!」

 裸の少女は彼を支える。玉髄の肩口から、しゅうしゅうと白煙が上がっていた。琥符が肉を喰う煙だ。

「琥符を打たれた……? いけない!」

 少女は、散らばった玉の中から、円形のものを拾い上げた。玉衣の頭頂部にはめられていたあなのある玉――深い緑色の璧だ。

応龍オウリュウよ、彼の者の龍となれ!」

 少女はそう叫び、璧を空中に投げ上げた。

 彼女が乗っていた棺が、ひとりでに開く。中から漆黒の影がわきあがる。それは、龍の形をしていた。細長い蛇体、揺らめくひげ、鋭い爪――影でもわかる、その姿。そして通常の龍と異なるのは、二枚の翼が霊気になびいているところだ。玉髄の腹に開いた傷から、彼の体の中に入っていく。体のあちこちから黒いもやが漏れ出し、そして収まる。そのたび、体の傷が癒えていく。

 黒い影がすべて玉髄に入り込むと――璧が動いた。脇腹の傷に食い込む。その周辺の皮膚に、血管のような筋が浮かび上がる。

「玉髄、玉髄、しっかりして!」

 少女は玉髄を抱え、何度も呼びかける。胸元を血で染めた青年はぐったりしたままだ。琥符も肩口に喰い込んだまま、定着していた。

「お前たち! まとめて捕まえて捕まえて!」

「っ!」

 青玉が玉髄をかばうように抱き込む。人妖は意に介さず、二人に襲いかかった。

 その時、玉髄に変化が表れた。

「ウ……」

 カッと玉髄が目を見開いた。漆黒だったはずの双眸が、翡翠色を帯びている。

「シィイイィィ――……」

 噛み締めた歯のあいだから息を吐き出す。鋭く尖った犬歯がのぞく。裸の少女の腕に抱かれたまま、血まみれの上半身を起こす。表情は憤怒で染まっている。

 そして玉髄は、青玉の腕を乱暴に振り払った。

「駄目よ、玉髄!」

「――――!」

 玉髄は咆哮した。拳を振り上げ、人妖の群れに突っ込んだ。

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