第7話 如夢如仙 二
その日は、月が明るい夜だった。いま頃、王都郊外はまさしくお祭り騒ぎだろう。
「若様、お客様です」
「客? 誰だ」
「
「一角が? ……通してくれ」
急に、幼馴染が訪ねてきたという。
「こんばんは、玉髄。突然ごめんね。腕の具合はどう?」
一角は、白い長衣をきちんと着こなしていた。金茶色の短髪に、人懐っこい笑み。見慣れた顔だ。しかしどことなく違和感を感じたのは、月光のせいだろうか。
「ああ、いまは痛みも落ち着いた。どうしたんだ? こんな時間に」
「どーしても話したいことがあるの」
一角の額に、銀の飾りが光った。
「このたびのこと、お見舞いもうしあげるよ。師も、たいそう申し訳なく思ってる」
「別に、九陽門の仕業じゃないだろう」
「でも、同じ琥師だから」
一角は困ったような顔でうつむいた。
「お前のせいじゃない。だが、もう琥師を規制する動きは止められんだろうな」
一角は黙ってうなずく。彼女自身、受け入れるつもりはあるらしい。
「どうして、あんなことになってしまったんだろう」
一角がつぶやく。
「……もっと、強力な
玉髄は眉を寄せた。「そういうことじゃないだろう」と言いかけて、やめる。一角はそれに気付いた様子はなく、顔を上げた。
「あ、そうだ。
「呪術?」
「お守りの方法とかでもいいんだ。今後同じようなことが起こらないように、あたしたちも術をさらに円熟させる必要があるの。だから、もっといろんな方術を研究しなきゃ」
「俺の立場じゃ、協力は難しいぞ」
「え……どうして?」
「たとえ
玉髄はかつて、騎龍になるための訓練を受けたことがある。しかし家庭の事情でその中断を余儀なくされ、結局なれなかったという過去を持つ。
「血と心に龍? どういうこと?」
「建国七公、虹家の系譜。知ってるだろう」
建国七公――峰国を築いた、一人の王者と七人の英俊たち。さまざまな伝説が彼らを彩り、いまも敬意と憧れをもって語られる。その中でも、王者・
「峯王家と虹家の始祖は、実の兄弟であり……その御親は、龍であったと」
「きみに
「そうだと思う。いまの……騎龍たちの龍も、悪しきものを退けるしな」
生まれついての辟邪の血。それによって玉髄は妖魅に対抗できる。そうした力を認められて、いまは騎龍たちに混じって武官として働いている。
そう言いながら、玉髄は壁を見た。美しいこしらえの剣がかかっている。
「そうだ、一角。俺は騎龍以外の術はよくわからんが、こいつを見てくれ」
玉髄は壁の剣を取った。瞳を閉じ、そのまま振り返る。
「綺麗な剣だね?」
「虹家には、多くの宝物が伝わる。これもそのひとつだ」
そう言って玉髄は目を開け、剣をゆっくり鞘から引き抜く。一角の瞳に、一瞬――夜とは思えない光が宿る。
「見事な剣……」
一角がつぶやくと同時に、玉髄は抜いた剣をいきなり一角に向けた。その表情から友情が消えている。
「ど、どうしたのさ。急に怖い顔になっちゃって」
「何が目的だ」
低い声だった。
一角は困ったように愛想笑いを浮かべる。
「玉髄……剣、しまってよ」
「てめえ、一角じゃないだろう」
「何を言ってるの? あたしは……」
「気の色が違う。この俺は騙されんぞ!」
玉髄は秘かに
「望気の力ですか……そうと悟らせず気を見るとは、なかなかやる」
一角の口元に、艶っぽい笑みが浮かぶ。その姿が蜃気楼のように揺れ、一角娘の姿が消える。代わりに、女がひとり座っていた。
「貴様は……」
玉髄はわずかに剣を下げた。
「妾は宮廷方士・
見覚えがあった。王宮で何度か見かけたことがある。
すらりとした体を白衣で包み、艶やかな黒髪は一部だけ結ってある。
「お怒りはごもっとも。ですが剣を引いてください」
阿藍が手を上げた。震えている。
「こうでもしないと、会っていただけない気がいたしましたので。無礼をお詫びいたします」
女は頭を下げた。こうなると予見しつつ、玉髄たちを騙して会おうとしたのか。相当な覚悟でここに来たということだろうか。
(確かに、如意派だと知っていれば会わなかっただろうな)
玉髄は剣を引き、鞘に収める。丸腰の相手に剣を突きつけるのは趣味ではなかった。
「妾はただ、琥符をもっと強いものにしたいのです」
女は媚びを含んだ動作で立ち上がり、玉髄にスッと近づく。
「あなたの辟邪としての性質も……よくよく調べてみたいものです」
そう言って、女は玉髄の頬に手をさしのべた。化粧の濃い顔、白粉の匂いのする指、濃い香がくゆる袖――玉髄が嫌いな種類の女だった。
「琥符を強くしてどうする?」
玉髄はしかめた眉も隠さず、女の手をどけさせる。女は手を引いた。長い袖に両手を隠す。
「崩国の妖魅」
女の唇がその単語を唱えた瞬間、玉髄の表情が変わった。
「それさえも操れる琥符を、創れるとしたら――?」
玉髄は一瞬固まった。女はまるでそれが当たり前と言わんばかりに、悠然としている。
「……馬鹿馬鹿しい」
玉髄は数秒考えてから、ため息交じりにそう結論した。
「大妖魅は、
「その封印が――間もなく解けるとしたら?」
「何ッ!?」
いま何と言った? 大妖魅の封印が解ける?
玉髄は、初めて心に冷たいものを感じた。表情にも出ていただろう。
しかし阿藍は意に介さず、言葉を続ける。
「そのために、あなたが必要なのです」
「……なぜだ?」
「新たな琥符を作るために」
「わからんな。俺は琥符の術は知らん。それに、協力できるような気分でも状況でもない」
「協力していただけないと?」
「ああ」
「残念、残念です」
女の手が袖先からチラリとのぞいた。
突如、女の手が閃光のように動き、玉髄の腹に押し当てられる。玉髄の左腹に、何かが喰い込んだ。熱い痛みが襲ってくる。
「う、お……!」
一瞬のことだった。あまりの痛みに息がつまった。膝をつく。刺されたのか。
女はすっと玉髄から離れ、軽やかな足取りで部屋を出て行こうとする。扉に手をかけ、そして振り向く。
「な……何を……!」
「すぐに楽になるわよ。静か、静かにね」
「待……て……」
「虹家には至宝を封じた廟があるそうね。ついでに調べさせてもらう」
勝手なことを言いつつ、女がニヤリと笑う。これが本性だろう。そのまま出て行った。
「くそ……!」
残された玉髄は、迂闊な自分に歯噛みする。ともかく、このままではまずい。
女が手を押し当てたところから、白煙が上がっている。服を焼き、何かが皮膚の奥に突き進もうとしている。
玉髄は帯を解き、服を脱ぎ捨てた。腹部の左側に、金色の四角い金属がめり込んでいた。
「これは琥符……!? いや、ともかく、外さないと……!」
その金属には見覚えがあった。琥師が使う符――魔封じの琥符だ。
ともかく、取り除かなければ。玉髄は宝剣を手に取り自分に向けた。布で巻かれた右腕で刀身を押さえつつ、琥符の刺さった皮膚に突き刺す。そのままテコのように剣を操り、琥符をくじり出した。
「あ……ぐっ」
ずる、と黄金の琥符は腹から落ちた。琥符の裏面から鋭いトゲが四本、突き出ている。皮膚に触れた瞬間、このトゲが出て喰い込むのだろう。
玉髄にも、かなり深くまでそれが喰い込んだようだ。傷から血があふれてくる。
「痛えな、畜生!」
思わず脇腹を左手で押さえる。だが、そんなことで血は止まらない。玉髄は服の袖を破いた。腕を吊っていた布も解く。服の切れ端を傷に押し当て、その上から吊り布を巻く。片腕では上手く締まらない。
「若様、お飲み物を――」
その時、女茄が盆を持って入ってきた。血まみれの玉髄を見て、盆を落とす。
ガシャン、と大きな音を立てて器が割れた。
「きゃああ!? 若様、そのお怪我!?」
「女茄、誰か呼んでこい。外に出て、助けを求めろ。賊が……!」
「若様、しっかりなさって!」
「俺は大丈夫だ。行け!」
「は、はい!」
女茄は忠実な侍女だ。玉髄にしたがって、あたふたと外に出ていく。
玉髄は彼女とは反対に、屋敷の奥へと向かった。
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