第4話 佩剣衝星 四
建国節――今年も、その日がやってきた。
正月にも劣らぬ、めでたい日だ。誰も彼も、浮かれてそわそわしている。
街角には美しい燈籠が掛けられ、めでたい紅色の布があちこちに引かれている。
火が随所で焚かれ、竹がくべられる。竹は熱せられると弾けて、大きな音を立てる。いわゆる爆竹だ。それが街のあちこちで行われ、火花が散り、破裂音に皆がはしゃぐ。
王宮でも宴が設けられていた。前庭に宴席が広々と設けられている。大臣、将軍、身分ある武官文官が列席を許され、それぞれの席に座している。
「峰国の守護神と呼ばれた、我が父王が――」
国王が、高く作られた壇上から祝辞を述べられる。神を祭るときと違い、文言が決まっているわけではない。国王自身が考え、我々に向けられるお言葉だ。
「――今日、この日を迎えることができて、予は嬉しく思う」
酒の注がれた
「建国の女神と、我が祖たる龍の血に感謝を! 人々に幸あらんことを!」
乾杯が行われ、人々は酒と馳走で心身を満たし、神祇祖霊に感謝する。
やがて酔いが回ってくると、人々は自分の座を離れて、それぞれ望む場所に固まり始めた。宴席は床に座すようになっているので、それがやりやすい。半ば無礼講だ。
王もそれを咎める気配はない。この国ではこれが当たり前なのだ。王は壇上で酒を飲み、気になった者を呼び寄せては話をさせている。
「ねーえ、
「玉髄様」
「玉髄様ってばぁ!」
美しく着飾った女たちが、玉髄に群がり始めた。白い肌、ぽってりと塗った口紅、匂やかな指が、男を花芯とした華を創り出す。恋に飢えた男なら、誰もが憧れるであろう光景だ。
しかし玉髄は違った。心底うざったそうに眉をひそめただけだ。
「よう、玉髄。呑んでるか?」
玉髄は助けを求めるように、迷惑そうな表情を隠さない。
「……先日のことで、話がある。あちらで話そう。ほかの連中も待っている」
剛鋭は玉髄の方の意を汲んだ。
武官同士の話となれば、着飾った女たちに出番はない。女たちはしぶしぶ玉髄から離れていく。花が散るようだった。
玉髄は剛鋭に従い、別の席に移動する。
「将軍、助かりました」
「よかったのか?」
「いいんです。俺の顔が、家系図にしか見えない連中ですから」
玉髄の返答に、剛鋭が苦笑する。
玉髄の実家――
「お前も
「……そうかも、しれませんね」
騎龍は、結婚しないのが慣例だ。騎龍である剛鋭も、名門出身でいい歳なのだが妻はいない。ほかの騎龍たちもたいていはそうだ。
「ま、呑め。建国七公の子孫がそれじゃ、盛り上がらねぇ」
剛鋭は玉髄に杯を渡し、酒を注いだ。
「陛下!」
宴もたけなわ、国王の座す壇の前に、平伏した者がいる。風体からすると方士、それも琥師の老人だった。
「このめでたき日と王家の繁栄を寿ぎ、この
老人特有のしゃがれ声で、右弟と名乗った
何だ何だと、人々の視線が集まる。酒をあおっていた剛鋭が手を止め、玉髄に囁く。
「あのジジイは?」
「たしか、
「如意派?」
「宮廷琥師の最大勢力は、
「なるほど。献上品で陛下のご機嫌を取ろうってか」
老琥師が合図すると、前庭の門が開いた。琥師の弟子たちだろうか、数名の方士風の若者が何かを牽いて入ってくる。
オオオッと、ざわめきが起こった。
それは巨大な虎だった。
否、虎ではない。黄色い体に黒い縞は虎そのものだが、立った姿は大人でも見上げるほど高い。顔には毛が少なく、どこか人間じみている。額には金色の光を放つ割符――
「
見た目は虎だが、大人しい。首輪からは三本の鎖が伸びているが、それを持つ手を離しても暴れ出しそうにない。
「でっかー……」
玉髄は思わず感嘆した。妖魅を操ることにはよい印象を持っていないが、「すごい」と思ったことは素直に認める。それが玉髄の若さだった。
「ケッ、バケモン操って得意になるなんざ、ロクなこたぁねえ」
剛鋭は苦々しげに吐き捨てた。
「いかがです、陛下?」
老人琥師が胸を張った。
「それを、予に?」
壇上の国王が
「このようなものを意のままにしていると知らば、悪しき者も諸外国も、陛下をあなどることはございませんでしょーォ!」
琥師の得意げな奏上は続く。宴席の一部から、冷ややかな視線を受けているとも知らずに。
そのとき、琥師の動きが止まった。
「お、おお、オ?」
「……何だ?」
様子がおかしい。シワだらけの顔に血管が浮かび上がり、目がだんだん虚ろになっていく。そのまま白目を剥いて、老人はばったりと倒れた。
「先生!?」
「どうした!?」
宴席にどよめきが走る。
「おい、何があった?」
「どうも、病気の発作か何かみたいですね。生きてはいますが……助からないでしょう」
玉髄は目をこらし、老人の気を視る。濁った老人の気が、かなり弱くなっている。
「チッ、早く運び出せ。これだから琥師は……」
剛鋭が文句とともに杯に口をつけようとしたとき――。
突如、馬腹が咆哮した。その声は泣き喚く赤子のようだ。首を左右に振って暴れ出す。鎖を持っていた若者らがまず弾き飛ばされた。そのまま馬腹は、倒れた老人琥師に喰らいつき、丸ごと呑み込んでしまう。
「きゃああああ――ッ!!」
絹を裂くような女たちの悲鳴が上がる。それが混乱の幕開けだった。高官たちも安全を求めて、我先にと逃げ出す。
「押さえろ! 早く!!」
警護の近衛兵らが、馬腹の鎖に取り付いた。しかし妖魅の力は人の想像を超えるもの。首を振っただけで兵の体が浮き上がり、次々と弾き飛ばされる。
押さえる者が途絶えると、馬腹の視線が壇上――国王・
「我が君――ッ!」
玉髄だ。席を蹴って飛び出す。馬腹の尾に取りついた。馬腹は凄まじい力で尾を振り回し、玉髄も左右に引きずられる。
「うおッ!?」
「キャアアッ!」
ついに引き剥がされ、玉髄は壇上、国王のすぐそばに飛ばされた。
「いつつ……」
「ぎ、玉髄……!」
「我が君、お逃げください!」
玉髄は晃耀をかばうように立つ。
晃耀は明らかに震えていた。周囲に控える女官たちも半分気を失ったようになっており、役に立たない。近衛兵たちも、勇ましい者は真っ先に馬腹にやられ、残った者も腰が抜けたようになっている。
(剣はない。やるしかない!)
帯剣はしていない。玉髄は頭に手をやった。髪をまとめた冠の簪を引き抜く。硬い翡翠でできた簪だ。同時にぐっと奥歯を噛み締める。抜いた簪を、横にくわえた。
馬腹が、まだこちらを敵と見なしている。うなり、前足で床を掻く。赤子が泣きわめくような声とともに、飛びかかってきた。
「喰らえッ!」
玉髄は口の簪を抜き、馬腹の爪をかいくぐり、その目に突き刺した。肉が破ける厭な感覚がする。一瞬のことだった。
玉髄は追い討ちをかけるように、馬腹の顔に唾を吐きかけた。唾液には血が混じっている。そう、玉髄は口の中の肉を噛み、みずから出血させたのだ。それを簪に塗りつけ、馬腹を迎撃した。
馬腹が苦悶の叫びを上げた。顔を引っかきむしりながらのけぞる。
「俺の血に抗えるバケモノはいねぇ!」
玉髄の血――それが、彼の「
もはや馬腹は、致死量の毒を打たれたようなものだった。
「おい、剣を貸せ! 我が君を避難させろ!」
馬腹は顔を引っかくように悶えている。そのあいだに、玉髄は近衛兵や女官らを叱咤する。腰抜けの近衛兵から剣をなかば奪い取り、構えようとして――。
「玉髄、うしろ!」
馬腹の体が、ぐるりと半回転した。長い尾が、玉髄を襲う。払おうとした右腕に絡みつき、そのまま壇上から引きずり落とす。そのまま凄まじい力で引き上げられた。
「うおっ……ちょッ!」
受身を取るひまもなく、玉髄は庭の石像に叩きつけられた。獅子を模した像が砕ける。そのまま尾からは解放され、床に落下する。玉髄の右腕に激痛が走った。
「う……っく――」
玉髄は息を詰まらせた。全身が痛む。腕が動かせない。骨が外れたか折れたか。
赤ん坊の鳴き声がする。馬腹が、玉髄に狙いを定めている。
(動けない……!)
誰か助けてくれ――そう思ったとき。
「来い! 我が龍よ!」
低い雷撃のような声が、あたりに響き渡った。紅い光がほとばしり、馬腹の体が何かに引きずり倒される。
「
剛鋭の龍が、現出していた。鱗も眼も
「玉髄、生きてるか!?」
「お、かげさまで……痛ッ」
「動かすな、折れてるぞ」
動けぬ馬腹の横をすり抜け、剛鋭が玉髄の様子を見る。命だけは大丈夫そうだと見て、剛鋭は馬腹に向き直った。
「噛み殺してやりてぇが、血で王宮を穢すのももったいねえ!」
剛鋭の
「陛下! こいつを灰も残さず焼き殺しますが、かまいませんねッ!?」
「我が君、お赦しを! でなければ、朱将軍は掟破りとなってしまいます!」
腕と胴の痛みをこらえ、玉髄は叫んだ。
騎龍は、その龍を現出させる場所や条件が厳しく制限されている。王宮内などもってのほかだ。しかしいまは火急のとき。王の赦しがあれば、咎めを逃れられる。
「ゆ……赦す。そいつ、早く何とかしてぇ!」
晃耀は両手で頭を抱え、おばけを怖がる子供のように怒鳴った。
剛鋭がニヤリと笑い、そして片手を高く掲げた。龍がそれに応え、もがく馬腹を抱き込んだまま、空に昇る。
「玉髄」
「はい」
玉髄は全神経を眼に集中させた。霊気の大きさから二頭の高さを見定める。記憶の中にある剛鋭の龍のクセと照合させる。そして龍が十分な高さまで昇ったとき――。
「十分です、将軍!」
「ようし!」
剛鋭が掲げた手首を回す。
龍が一気に馬腹から離れた。馬腹は空中で回転しながら放り出される。
「残骸も残さず、吹き飛べやぁッ!!」
剛鋭の咆哮が、龍のそれと重なった。
真紅の霊気が龍を取り巻き、瞬時に彈に変わる。馬腹に殺到する。上から下から左右から、肉を弾き飛ばし焼き尽くす。高さを十分に取っているので、残り火も燃え尽きて、大気の中に消える。
空中で燃え尽き、その火も消える光景。
狼煙より不思議な火花が、空を焦がした。
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