第3話 佩剣衝星 三

 王宮から退出した玉髄ギョクズイは、騎龍たちと別れ、しかしすぐ屋敷に帰ることはしなかった。王都郊外にある「九陽門クヨウモン」の村庵を目指して馬を駆る。

 実は玉髄は、九陽門とは深い関係にあった。

 九陽門の主、夜光ヤコウは優れた琥師こしであり、また方術を使って加工した道具作りの名手でもあった。

 玉髄がいつも使う奇妙な面は、彼の手によるものだ。何か不具合があれば、玉髄は夜光に相談することにしている。

 玉髄は騎龍側であるため、王宮内では琥師と対立する立場だ。が、王宮そこから出ればそんな対立は気にしないことにしている。それくらいの図太さは、玉髄も備えていた。

「……知られたら怒られるだろうなぁ」

 剛鋭ゴウエイたちには話していない。対立する勢力と懇意にしていることを。知られてはいるかもしれないが、問い詰められもしないので、そのままにしている。

 九陽門の門前に到着した。九陽門の敷地は塀で囲まれ、それなりに大きな土地なのがわかる。が、実際は質素な庵の集合体だ。塀と門が立派なので誤解されるが。その門には看板があり、古い字体で「九陽門」と書かれている。

「玉髄殿、お待ちしておりました」

 玉髄が挨拶がてら呼びかけると、馴染みの童子が出てきて応対した。

 童子に通された部屋で、玉髄は一息ついた。

「しばらくだったね、玉髄君」

 穏やかな声がかかった。

 琥師・夜光――九陽門の主にして、峰国を大妖魅の魔の手から救った英雄である。

 そして玉髄にとっては、亡き父の親友でもあった。穏やかな顔には老い始めた人間の渋味がある。白髪が混じり濃灰色になった頭は、右のびんだけを編んで垂らしている。あとは被髪ぼさぼさだ。

「今日はどうした?」

 夜光の問いに、玉髄は面を取り出した。例の、奇妙な獣の面である。

「此度の任務では東部に赴き、鳴蛇メイダと戦いました。そのときに奴らの熱を受けてしまって……損傷がないか、見ていただけますか」

「珍しいな。鳴蛇なぞ、遥か西南の方の妖魅だ」

 夜光は面を受け取り、その表面を仔細に調べる。節くれだった指が、面の表を注意深くなぞっていく様は、どこか不思議なものがある。

「ふむ、問題なさそうだ。大切にしているね」

 そう言いつつ、夜光は面を玉髄に返さず、懐かしそうにその表面を撫でた。

「三年前、そなたがこれを持ってきたときは驚いたな。そなたの父がこれを持ち込んだときとそっくりだった」

 玉髄の父――元紅龍将軍・虹玉仙コウギョクセン。夜光の親友、いまは亡き峰国の英雄。父が亡くなったとき、玉髄はまだ八つだった。父のことは、わずかにしか知らない。

 父は英雄、お前はその英雄の子。玉髄はそう聞かされて育ってきた。

 父は崇拝されている。そう感じることもあった。妖魅の脅威に晒されるこの国で、命を賭して大妖魅を抑えた父はまさに人々の心の拠り所だ。

「この面を持ち込んだとき、玉仙はまだ俗人でね。騎龍にならずとも騎龍の力が使えるかもしれない――そう言って、この面のもととなった素材を持ち込んだ」

「これは一体、何でできてるんですか?」

「わからない。不思議な素材だ。刃を受け付けず、叩くことでしか形を変えられない。そしてこのへき。これは私がつけたものではない」

「完成した面に、父が独自につけたものだったのですよね?」

「そうだ。璧を額に直接ふれさせることで、騎龍の力の一部を発動することができる」

 騎龍の力の一部――すなわち、思念での交信。

「あまりに一部過ぎて、玉仙はがっかりしていたようだったがね。彼には貴族の当主としての義務があり、それでも騎龍になりたいと焦がれていたから」

 貴族の義務。夜光はかなり遠まわしに言ったが、ここではすなわち子を生して家を存続させることである。しかし、騎龍になるとそれができない。騎龍は結婚しないのが慣例だ。

 もっと露骨に表現すれば、陰陽交接――すなわち異性と性交渉を持つのを禁じられている。騎龍の生気は常人と異なるため、交わればたがいの体を害するのだそうだ。

 それを踏まえれば、その慣例には抜け穴があることになる。常人のまま子供を作ってのち騎龍になれば、何の問題もない。一部の騎龍はそう解釈して、子をすことがある。

「それで玉仙は一、二年足らずで結婚して、その一年後にはそなたが生まれた。義務を果たしたとばかり、玉仙は騎龍になる儀式を受けた」

 虹家は名門だ。結婚相手を探すには困らなかったようだ。

 そう言われると、玉髄はすこし心が冷める。父は義務感だけで、自分を母に生ませたのではないか。騎龍になりたい一心で、母も自分も愛さずに、ただ死んでいったのではないか。そう思うと、英雄と称えられる父がすこしも偉くないように感じてしまう。

「お飲み物をお持ちしました」

 夜光に仕える童子が薬湯の入った椀を二つ持ってきた。

「もうすこし話がしたい。時間はあるかい?」

「あ、はい。大丈夫です」

「よかった」

 玉髄の内心をよそに、夜光は微笑んだ。

「今度のこと、玉髄君はどう思っている?」

「今度のこと……法を作るという、アレですか?」

「うむ。いままで、琥師を取り締まる法がなかったからな……」

 夜光が言う「今度のこと」とは、法による琥師の規制を指している。

 そもそも琥師とは、琥符こふを使う方士をいう。琥符とは、特殊な呪法を施した玉の符だ。表面には虎を意匠化した文様が刻まれている。この符には、魑魅魍魎を支配する力がある。

 琥符の術は、三十年ほど前に国外から流入した。妖魅が多く、その妖魅に対抗する方士・騎龍の数も決して多くはないこの国で、琥符の需要は急速に高まった。それに応じて、琥符の術に長けた方士である琥師も、峰国にやってきて定着していった。人々に安心を与える者、貴人に取り入ろうとする者――よく言えば自由に、悪く言えば無秩序に、琥師らは街角に現れるようになった。

 最近では、琥符で妖魅らを支配し、愛玩物として貴人に献上する琥師もいるそうだ。

「いまの時代、規律を作るとなれば、当事者の意見とそれ以外の者の意見を聞くのが道理だろう。しかしこれは方術だ。素人ではどうすればいいかがわかりづらいだろう」

 何が善で、何が悪なのか。常人ではわからないこともある。

「それで、俺の意見を? 参考になりますか?」

「ああ。騎龍側であり、しかし騎龍ではない君は何を見る?」

 騎龍とは、龍を操る者たちをいう。彼らは、玉龍ぎょくりゅうと呼ばれるへき――すなわちあなの開いた円盤状の宝玉を媒介として、龍を現出させる。人知を超えた術、それを操る点で騎龍たちは常人よりも方士に近い。ただ、方士と騎龍は別物と認識されることが多い。彼らは軍人としての性格のほうが強いのだ。

「騎龍と琥師の仲が悪いのもわかる。正反対とも見えるからな」

 峰国での騎龍の歴史は古い。伝説によると、建国の時から東方の霊峰・青山を唯一の修行場と定め、過酷な修行が行われたという。それはいまも変わらない。師匠がいればどこでも修行する琥師らとは、まったく異なる。

「騎龍は琥師と違って……守るべき法も、すでに持っている」

 そして歴史が古いゆえ、厳しい掟がすでに形成されている。騎龍たちはそれを守っている。

 すべては、龍が強大な力を持つゆえだ。悪用は国を滅ぼす。絶対に邪心を持つ者が使ってはならない。それが掟全体を貫く思想だ。騎龍になるには、掟を遵守することが第一の条件となる。

「掟を破る者には厳罰が下され、それでなくとも、厳しい修行で多数の脱落者を出します。それゆえ、我が国の騎龍たちは一枚岩。派閥に分かれ、好き勝手している方士には……あまりいい顔をしないのは事実です」

 玉髄はかつて、騎龍になるための訓練を受けたことがある。結局、騎龍になることはできなかったが、知識や体術には心得がある。

「だろうね。紅龍将軍などは、特に毛嫌いしているそうだね」

「いえ、まあ……毛嫌いってわけでもないでしょうけど」

 玉髄は言葉を濁した。

 宮廷のさまざまな派閥の中でも、騎龍と琥師は、特に対立が深まっている勢力同士だった。宮廷に仕える人数は、双方とも決して多くない。だから、おのれの地位を揺るぎなきものとするのに、双方とも必死だ。

 そして持ち上がった琥師規制の問題。騎龍たちは声高に賛成し、琥師たちは琥符の力に問題がないことを主張した。

「王宮ではここ数日、何度も話し合いの場が設けられている。騎龍たちは任務で席を外していることが多いが……まあ、な」

 王都から離れていても、手紙などで意見を述べることはできる。さぞ過激な手紙もあっただろう。

「しかし、規制は私も致し方ないことだと思う。琥師は琥符を使うという点では共通しているが、その結果行うことはそれぞれに違う」

「え、封印や操作ではないのですか?」

 琥符を打たれた妖魅は、力を抑えられて封印されたり、あるいは琥師の意のままに動くようになるという。そういう話をよく聞くが、それだけではないというのか。

「封印は、一番簡単な琥術だ。操作はその次に簡単かな。琥術の基本を押さえれば、誰でもできるようになる」

「へえ……」

「大事なのはそこからだ。そこから自分だけの考えを編み出し、それを一定の手順を踏んで発動する術の域まで体系化する。自分だけの琥術を編み出せた者こそ、一流の琥師だ」

「ということは、例えば、夜光殿と一角では術に違いがあるのですか?」

「ああ。私は琥符を媒介として、この身に妖魅を憑依させることができる。だが、一角はまた違ったことをする。あの子は召喚――つまり、琥符を媒介として、特定の妖魅を遠方から呼び出す術を体系化した。私は一角の術は使えず、一角は私の術を使えない」

「知らなかった。てっきり同じ術を伝承していくのだとばかり思っていました」

「ああ、そうする場合もあるようだがね。ウチは違う」

 基礎は教え、あとはそれぞれの才能に任せる。それが九陽門のやり方だそうだ。本当に才ある者ならば、のびのびと羽を伸ばすことができるだろう。

「一角は、あの歳で自分の術を体系化した。これからが楽しみな子だ」

 夜光はそう言ってから、苦笑した。

「親馬鹿だったかな。これはあの子には内緒にな」

「あ、はぁ」

 玉髄は気の抜けた返事を返した。

「話が逸れたな。どこまで話したか?」

「ええと……騎龍は撃退、駆除。琥師は基本的に封印、操作。たがいに違う方法で、妖魅を退けると。それはいいと思います」

「うむ」

「それに、あなたがたにも実績があります。その力は、この国を救うに足りるものです」

 玉髄は慎重に、それでもしっかり自分の意見を述べる。

「でも、無法が許されるわけではありません。何でもかんでもやってみせると声高に言うのは問題かと。特に……妖魅を愛玩物にするのは、感心しません」

 玉髄が琥師を嫌悪するとしたら、その一点だった。

 見た目の珍しい妖魅、恐ろしげな外見の妖魅――それらを琥符で支配し、愛玩動物として飼うことが、一部の貴族のあいだで流行っていた。人が恐れる者を飼うのは、おのれの権威を高めてくれるように見えるらしい。貴族に取り入ろうとする一部の琥師にとって、それは好都合なことだった。

「権威を高めるのは、ほかの方法でやればいい。妖魅を使うのは危険すぎます。俺の家にも、妖魅を献上しようとした者はいましたが……断りました」

 玉髄の実家は、峰国でも折り紙つきの名門である。そこに縁を結びたがった琥師から、「妖魅を差し上げましょう」との打診が過去にあった。全力で断り、お引取りいただいたが。

「どうして断った?」

「琥符で妖魅を支配したとして、その支配力は常に一定なのでしょうか?」

 断ったのには、嫌悪のほかにもきちんと理由がある。

 夜光の眉がすこしだけ寄った。

「術師の腕によっては、すこしのことで妖魅が暴走するとも聞いています」

「事実だ。世間は、琥符の力を過信している」

 夜光はあっさりと認めた。

 支配したはずの妖魅が、そのくびきから離れて暴走する。過去にはそうして起こった騒動もある。琥師の力不足が原因とか、琥符に欠陥があったとか、理由はいろいろと囁かれていた。

 それでも、世間は琥符の力を求める。琥師も力を伸ばし続ける。

「世間だけじゃない。琥師らも過信している。あれは万能ではないし、琥師だけではどうにもできない妖魅もいる」

「ええ。知っています」

 玉髄は目を閉じた。夜光の表情を見ないようにするかのように。

「我が父は騎龍でありながら、琥師とも協力し、この国のために戦いました。それでも、最後の戦いでおのれの命を引き換えにしました。龍の力も、琥符の力も、両方ともあったのに!」

「そうだ。二人で戦って、かろうじて崩国の妖魅を封印することができた。だが……」

 崩国の妖魅――十年前、突如として峰国を襲った悪夢。国を崩すほどの事件。玉髄の父は、その戦いで命を落とした。

「そうです。力とはそういうものなのではないでしょうか。絶対はないし、いいところも、悪いところもある。ならばせめて……節度を、求めます」

「そうだな」

 玉髄と夜光は、過去の戦いに思いを馳せていた。

 人間とのいさかいで、妖魅との戦いで、多くの者が命を落としてきた。そして、その者たちの家族が流した涙は、この国の川を満たすだろう。

「一角も、似たようなことを言っていた。いまこそ、琥師には法が必要なのではないかと」

「……そうですか」

 一角は琥師の中でも、規制を容認する立場らしい。もし同じことを思っているなら、まだ友情を持っていられそうだ。

 閉じた視界の中でそう思っていると――。

「ただいま帰りまし……あー! ズゥちゃん! 来てくれたんだ!」

 陽気な声がした。目を開けると同時に、背後から抱きつかれる。

 夜光の弟子、優秀なる若手琥師――一角娘イッカクジョウ。金茶色の短髪は、この国ではよく目立つ。方士らしい長衣に、縁に毛皮をあしらった短い外套、加えて銀色の額当てをしている。額当ては武具ではなく装飾品だ。全体に龍の文様が流れるように彫られ、額の左端からは白く短い角が一本出っ張っている。龍はその角を守るようにわだかまっているようにも見える。

 容貌は太陽のような美少女だが、その出で立ちのせいか異形の者にも見える。しかし玉髄は見慣れているので、それくらいのことでは驚かない。

「抱ーきーつーくーなー! あとズゥちゃん言うなー!」

「いやーん、ズゥちゃん冷たーいー」

 革鎧ごしに感じる圧迫感は、確実に彼女の胸だ。玉髄は座ったまま上半身を左右にねじる。一角は左右に振られながらも、しがみついたまま離れない。

「はーなーれーろー! おりゃあ!」

 玉髄は一角を背につけたまま立ち上がった。体をやや前かがみにすると、一角の足は簡単に地面から離れる。

「きゃ~落ちる落ちるー」

「はい、もういいだろ。下りろ!」

「はーい」

 二人は幼馴染だった。十年以上前に、王宮で当時の王太子の遊び相手をつとめた仲である。一角が玉髄を「ズゥちゃん」と呼ぶのはその名残だ。

 とはいえ、玉髄は騎龍の修行のために、王都を離れていた時期が数年ある。そのあいだに、おたがいすっかり成長した。そのため玉髄はやや距離を置いて接しようとしているのだが――一角は昔のまま玉髄に懐く。

「一角、子供のようにしてはいけないよ。そなたはもう大人なんだから」

 そして一角を叱れるのも、子供の頃からずっと夜光だけだ。夜光は一角の育ての親でもある。孤児だった彼女を養い、宮廷に出入りを許される琥師にまで育て上げた。

「一角、それくらいにして。ほかの者たちの習練を見てやりなさい」

「はい、わかりました、お師匠様。……玉髄、またねー」

 ふりふりと手を振って、一角は素直に庵を出て行った。嵐が通り過ぎたようだった。

「すまないね、いつまで経っても子供で」

「いえ、まあ……いいこともありましたけど」

 玉髄はいたって真面目にそう言った。

「いいこと?」

「王宮の女官連中の色じかけに動じないで済む、とか」

 夜光がプッと噴き出した。

 ここに来ると、一角が何の臆面もなく抱きついたり目の前に座ったりしてくる。その豊かな胸ぼいんぼいんを喰らったことも一度や二度ではない。おかげで、玉髄は見目麗しい女たちからの求愛に、過剰な反応を返さないで済んでいる。むしろ枯れ木を見るような目をすることも可能だ。一角に勝る体の持ち主にはいまだに巡り合えていないのだから。

「まあ、若いうちから堅実なのはいいことかもね」

 そういう夜光にも妻はいない。神仙の術を修める者に、配偶は必要ないのかもしれない。……というのは玉髄の素人考えだが。

「あ、そうそう。王宮といえば、夜光殿。明日の饗宴にはおいでに?」

 王宮で大規模な宴が開かれる。貴族や特別な功績のあった者だけが参列を許される名誉ある宴だ。夜光は貴族ではないが、生ける英雄である彼には資格があるはずだ。

「いや、今年は欠席だ。明日は天文の関係で、琥師の大事な修練の日にちょうどよいのでね。師である私が、皆を放り出して饗宴に参るわけにもいかない」

 夜光はまた苦笑した。というよりも、困ったように笑うのが癖なのかもしれない。

「王宮での饗宴には毎年出ていたし、建国節の大詰めにはきちんと参上するつもりでいる。陛下にはそれでお許しいただいた」

「そうですか……お会いできるかと思っていましたが」

「まあ、いまの王宮では話もできないだろうがね……」

 などと話しているうちに、手元の薬湯が尽きた。陽が傾きかけている。

「すっかり話し込んでしまいました。そろそろ失礼いたします」

「ああ、そこまで見送ろう」

 二人して、夜光の庵を出た。庵と庵を結ぶ簡素な回廊から、質素な庭が見える。そこでは夜光の弟子たちが、体術の習練を行っていた。

 琥師は、妖魅と対する方士だ。武術を行っていても不思議ではない。ただ――武官である玉髄から見ると、かなり初歩的なことしか行っていないようだった。

「ウチは精神的にも肉体的にも若い者が多くてね。ああして体作りをさせるのだ。座学の欝憤も、あれでいくばくか晴れる。持て余している体力も消費できる」

 夜光はふと、心配そうに玉髄を見つめた。

「玉髄君は……騎龍たちに交じって、つらくはないか」

「大変なときはありますけど、つらくはありません」

 常人の身で、騎龍とともに働くのは並大抵のことではない。本物の騎龍は体力も武術も、普通の武官を軽く上回る。おまけに相手は妖魅だ。命の危険を感じた回数はもう覚えていない。

 それでも、騎龍たちのそばで命を張れるのはなぜか。

「俺は騎龍になりたいと、何度も思っていました。もうその夢は叶わないでしょうが……それでも、あそこにいると心が躍るんです」

 玉髄は懐に挟んであった面を取った。騎龍の力をほんの一部、常人である彼に与えてくれる面だ。

「この面の力を知らなければ、俺はただの馬鹿当主ばかぼんとして生きていたでしょうね」

 父の形見でもあるこの面。あるとき、父がこうした物を持っていたことを知った。そこで玉髄は覚悟した。これに賭けてみよう。望気の力、辟邪の血、そしてこの面で騎龍たちを支援する兵士になるのだ。そうすれば。

 ――龍のそばで生きていけるかもしれない。

 ただそう思ったから。

「そうか。ならば、私が心配することでもなかったな」

 玉髄の希望と覚悟を感じたのだろう。夜光が微笑んだ。苦笑ではなかった。

「では、夜光殿。これにてお暇いたします。これは本日のお礼です」

 玉髄は布の小袋を取り出した。玉髄の馬を牽いてきた童子に渡す。中身は金と銀貨だ。

「ありがとう、玉髄君」

 夜光は素直に受け取ってくれた。

「では、いずれまた」

「ああ」

 夜光が拱手する。玉髄も拱手し、馬に乗った。颯爽と駆け出す。

 その背中を、夜光がまぶしそうに見つめていたのを、玉髄は知らなかった。


 玉髄を見送った夜光のもとに、一角がぱたぱたとやってきた。

「あー、玉髄、帰っちゃったんだー……」

 一角ががっかりしたように外を眺める。

 夜光は微笑んだ。

「一角、玉髄君は好きか?」

「うん、大好き!」

 子供が好物を答えるように、一角は即座に答えた。

「人を好きなのはよいことだ。しかし……」

「わかってますよー。ウチの掟は、『未熟なうちは恋愛ご法度!』なんでしょう?」

 一角はにっこりと笑った。

「大丈夫! だってズゥちゃんには、好きな人がいるんですよー」

 一角は得意げに人差し指をくるくると回した。

「好きな人? 初耳だな、王宮でもそんな噂聞かないのに。誰だい?」

「あ、あたしも直接聞いたり見たりしたわけじゃないですよ」

「何だい、それは。一角の推測じゃないのか」

「えーわかりますよー。だって……」

 そこまで言って、一角は指を止めた。

「あれ? 何でだろ?」

 一角はきょとん、と首をかしげた。

 夜光は苦笑して、傾きかけた陽を見上げた。

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