第三十九話︰Silence wall

 屋上の中央に立ち、麗美香は、右手の人差し指と中指を揃えて身体の前にピンと伸ばし、四つの方向にそれぞれ何かを唱えながらくるりと一周した。


 何かの儀式のようだ。


 ちょうどこちらを向く位置で止まり、十字を切った。


 長物は脇に置いてあった。


 今度は、指を下に向けて、円を書く様な仕草を繰り返していた。

 そして、その場に座り込んで座禅を組んだ。


 スカート汚れるぞと思ったけど、声かけたら刺されそうな雰囲気を感じたので思い留まった。


 瞑想が始まったのだろう。しばらく目を閉じたまま、まったく動かなくなった。


 じっと見ていてると、流石に退屈してきた。

 時折、周りの景色に余所見したり、階段の方を見たりしながら、気を紛らわした。

 それにしても、授業サボり過ぎだな。大丈夫かな? 流石に心配になってきた。学校側は放任主義なのか、特に何も言ってこないけど。


 そういえば、nullさんは、どうしてるんだろう。実は、ここに来たらもしかして居るんじゃないかと、少し期待していた。その期待は裏切られた訳だけど。

 nullさんに、初めて会ったのは、此処だった。あっちの壁の隅っこに、あの人は立っていたんだ。

 壁に歩み寄り、手を触れる。小さい人だったから、この辺ぐらいかな。nullさんの背丈を想像して、そこに存在しているように想像してみた。

 想像上のnullさんの眼の位置で見つめ合うように少し屈む。どう思います? 何かしないといけないでしょうか? それとも、何かしてはいけないのでしょうか?

 そんな事を、問い掛けてみる。


(やっぱり来たな)


 壁に、そう書いてあった。


 nullさん、あなたって人は。


 壁に書かれた文字には続きがあった。


(目に見えている、見た目に騙されるな。)

(言葉を言葉通りに受け取るな。)


 これは、メッセージなんだろうな。それが、質問に対する応えですか?


 想像のnullさんは、何も応えてくれなかった。


 屋上の方で、ドサッと倒れる音がした。


 しまった! 何かあったのか!


 急いで屋上に飛び出すと、麗美香が倒れていた。


「おい、麗美香!」


 麗美香に駆け寄り抱き起こす。


 良かった。息はある。


 はっ! 慌てて飛び出してしまったけど、あの怪物が何処かに潜んでいるかも知れないのに、迂闊だった。


 辺りを見回す。特に異常はない。


 いったい何があったんだ?


「麗美香! しっかりしろ! おい!」


 ほっぺたを叩きながら、大声で呼び掛ける。


 うっ、う〜ん。麗美香は、呻きながら、目を少し開いた。


「後、五分。」


 ドカッ


「このやろう」


 思わず、抱えていた麗美香を放り出した。


「痛い……」


 麗美香は頭を擦り、涙目になって抗議した。


「痛いじゃねえよ。どんだけ心配したと思ってんだ!」

「えっ? あー、ああ? んっと、あれ? わたし何してんの?」


 麗美香は、きょろきょろと周りを見廻した。

 瞑想してたんじゃねえのか? と聞いたら、ああ、そうだったへへへと笑いやがる。


「いやぁ〜瞑想すると寝ちゃうよね。」

「知らねえよ。」


 信じらんねえ。こいつは、いったいなんなんだ。何がしたいんだ。


「で、仕事は終わったのか?」

「どうかなあ?」


 なんだそりや。麗美香のくりくりした黒いタレ目が、どこかのなにかをじっと見つめていた。

 彼女の見ている方を見ても何もない。どうやら、現実の何かを見ているわけではなさそうだ。


 麗美香は、突然むくっと立ち上がると、こちらの腕を掴み、扉の方へ駆け出した。


「おい、どうしたんだよ!」


 彼女は応えない。


 無言のまま、扉の奥へ放り込まれた。危うく階段を転げ落ちるところだった。慌てて、階段の手摺りにしがみついて落ちずに済んだ。


 麗美香は、扉をバーンと閉め、鎖をぐるぐるとと巻いて、鍵を掛けた。


 しばらくは、こちらに背を向けたまま、息を整えていた。

 荒い息で、肩が上下していた。


「よしっっ。異状なし!」


 いやいや、むっちゃなんかあっだろうその態度。

 まったく誤魔化せてないぞ。


「じゃっ、そういう事だから、授業に戻るね。」

「何が、そういう事なんだよ。それに、そのまま戻る気か?」


 屋上で、転げたせいで、スカートやブラウスがひどく汚れていた。


「ちょっっ、えええ! 美女が台無し!」


 金太郎が美女とのたまわった。


「わたし、今日は帰るわ。」


 そう言って、階段をダッシュで駆け下りていった。


 大声で声を掛けたが、返事は無かった。


 なんなんだよ。気になるじゃないか。


 此処に何か、また居るのか?


 ブーブーブー


 携帯が震えていた。

 誰だろうと、スマホを取り出すと、摩耶先輩からのメールだった。

 摩耶先輩からメールなんて珍しい。

 タイトルは無し。


(放課後、図書室に)


 それだけ書かれていた。

 摩耶先輩のクールな顔付きが浮かんで来そうなメールの文章だな。

 またなんか厄介事かな。

 最近は、かなり平和だったのに、新学期始まった途端こうだよ。

 やれやれ。


 何気なくnullさんの居る筈のない壁の方を見て、ため息をついた。


 やっぱり、なにかあるんでしよ? nullさん。

 

 壁は、なにも応えなかった。

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