第七十一話:It's time to say goodbye.

 私は慌てて窓に駆け寄り、マルニィが指差す方向を観た。


 水平線と陸地が接する地点から陸伝いに、こちらの方へ向けて無数の小さい黒い影が近付いて来ていた。それはまるで小さい蟲の大群を思わせた。ぞわっとした。

 マルニィと顔を見合わせながら、ふたりとも沈黙したままだった。お互いの眼を見ながら、眼で会話をし、一刻も速く城に逃げるのが良さそうだという結論に達した。マルニィは家に帰って両親に知らせると云ったけど、私は両親もきっともう城に逃げてるはずだよ。それに、今からマルニィの家に行ってたら、あれに追いつかれる! そう云って彼女を納得させた。確証なんてない。気付いたのは私たちだけかも知れない。マルニィの両親は家に居るかも知れない。それでも、今、彼女を家に戻らせる訳にはいかなかった。戻ったら確実に追いつかれる。それは間違いない事だった。


 急いで隠れ家を降り、城に向けて走り出した。


「なにあれ?」

「わかんない!」


 こちらに向かって来る影が何なのか、まったく見当も付かなかった。ただ、本能的に恐怖を感じ、逃げなければという衝動を感じた。

 どうやら、周りも気が付いた様で、警報様の鐘があちこちで鳴らされ始めた。緊急の際は皆、城に逃げ込む事になっている。これなら、マルニィの両親も無事かも知れないと、少しほっとした。


 隠れ家から城までの道は、登り坂になっている。城に近付くにつれて登りは急になっている。今、その急になり始めた辺りまで来ていた。後もう少しだけど、間に合うだろうかと、ちらっと後ろを観ると、黒い影は思っているよりも近くまで迫って来ていた。全力で走ってぎりぎりって感じだった。そして、マルニィがかなり後方に居る事がわかった。そうだった。マルニィは足が遅かったっけ。

 慌ててマルニィの所まで戻ろうとしたが、それを見たマルニィは、先に行って! と叫んでいた。

 だめだ。マルニィの足ではもう間に合わない。放っておける訳ない。マルニィの云う事なんか訊いてやるものか。私は全速力でマルニィの側に近付いた。

「ニーナちゃんのばか! このわからず屋!」

 マルニィのありったけの罵声を浴びながら、彼女の手を引いて走った。勝算なんてない。ただ彼女を置いていけない。それだけだった。

 手を引かれていたマルニィが、私の速度に足が付いて行けず躓いて転んでしまった。その拍子に繋いだ手を離してしまった。助け起こそうとしたとき、起き上がろうとしていたマルニィは、後ろを振り返った。私も釣られてマルニィの視線の先を追った。


 人ぐらいの大きさで、人の様な形をした全身がやや透明がかった生き物がたくさん道を埋め尽くしていた。その眼が金色に爛々と輝きこちらを飲み込もうとしているように思えた。それらは、四つん這いにこちらに猛スピードで迫ってくる足音が恐怖感を助長した。ここまでだった。さすがにもうどうにもならない。こんなところで終わりにしたくは無いけど、現実はどうにもならない。城はもうすぐ後ろに見えているというのに。とはいえ、本当に最後の瞬間までは、そんな現実に抗いたいと思った。


「マルニィ、立って!」

 そう叫んで彼女に手を伸ばす。マルニィは、その手を取った。そして彼女は、私の眼をじっと見詰め、穏やかに笑った。それは、寂しげで、哀しげで、そしてやさしかった。私は、その彼女の顔に、云い様のない不安を感じた。


「ニーナちゃん、生きてね。」




 マルニィの穏やかな顔が消え


 私の眼に映るものは、空に変わった。


 そして少し落下した。


 着地した衝撃で尻もちをついた。


 はっとして、周りを見渡すと、ここは城兵たちが守る城壁の上だった。すぐさま、マルニィが私を飛ばしたのだということに気が付いた。城壁の外側ギリギリに走り寄り下を見渡し、マルニィを見つけるため、さっきまで私たちが居たところを探した。


 そこはもう、黒い影に埋め尽くされ、道が見えなくなっていた。




 次に気が付いたときは、ベッドに寝かされていた。そこは、多くの負傷兵の方々が担ぎ込まれている仮設の病院だった。側で看護してくれていた人の話しによると、私は城壁の上から飛び降りようとしていたらしく、警備の兵によって取り押さえられたらしい。かなり暴れまわって大変だったみたいよと、その人は云った。私は錯乱状態だったので眠らされたらしい。



 これが、私とマルニィの出会いと別れのすべてです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る