第7話 シャネルと魔界


目を開けたとき、伊織は見慣れぬ街の中に立っていた。一見西洋風の街並みではあるが、所々に和の趣も感じさせられる。どうやら多種多様な文化が相まっているようだ。


「ここは?」


伊織の声に、横に立っていたシャネルがさも当然のように答える。


「魔界だ」


悪魔と名乗るこの男が連れてきたのだから、その行き先は確かに魔界なのだろう。そうでなければ地獄か。しかし地獄と聞くと鬼のイメージが強いようにも思う。それはやはり西洋文化との違いなのであろう。


「なんか、意外だ…」


伊織は呟いた。


状況を理解できぬまま、シャネルのあとについて街を歩く。

街行く人々は、悪魔といえど人間と大差ないように見えた。家の前で遊ぶ子供達、井戸のそばで他愛も無い話をする母親達、ごく普通の長閑な風景だ。

少し違うところがあるとすれば、獣の耳や尻尾のようなものが生えたような者や、黒い翼を持つ者もいるくらいだ。


「悪魔が珍しいか」


シャネルがそんな伊織を見かねて言った。


「あぁ。珍しい…確かにそうかもしれないけど、少し驚いた。まさか魔界がこんなところだなんて」


「そうか?なら、人間の考える魔界とはどのようなところだ。少し興味がある」


シャネルは足は止めぬままそう言った。


「地獄、とかさ。もっと怖いのがたくさんいるものだと」


伊織は曖昧に答える。いざ説明しろと言われると難しいものだ。


「ふむ…地獄か」


シャネルは少し考え込んで言った。


「人間の言う地獄というのは悪人に罰を与えるところだろう?だとしたら、ここよりも天界に近い。奴らは悪人を捕まえては改心させるために、俺たちには想像もつかないような折檻を与えるそうだ」


伊織の頭に司の顔が横切る。今頃どこでどうしているのだろうか。


伊織のは唇を噛み締めた。


「気になるか?」


そんな伊織を見てシャネルが声をかけた。


「安心しろ。お前の友人は大丈夫だ。天使がわざわざ人間を連れて行くことなど滅多にあることではないんだ。本来なら死後天界へ魂が送られるだけだからな。お前が言うように、天使がわざわざ迎えに来たということは、その男の魂に何かしらの力があったということかもしれん。だとしたら、そう無下に扱われることはないはずだ」


シャネルは伊織の頭に手を置いて言った。


「案ずるな。俺たちがなんとかする。無事取り返した暁にはそいつもここに連れてこよう。俺たちは悪人を歓迎する」


伊織はしっかりと頷いた。


「ありがとう」


天使は善、悪魔は悪、そんなこと誰が言い出したのだろう。少なくとも今の伊織にとっては、シャネルが、悪魔のほうが、正義の味方に見えてならなかった。


「なぁ、勢いで魔界に来ちまったけど、今俺は人間界でどうなってるんだ?行方不明とかになっているのかな」


条善寺家の息子が消えたとなれば、今頃世界中が大騒ぎだろう。それはそれでいい気味だ。両親に恩がないわけではなかったが、正直あの環境にはうんざりしていた。


「その点は安心しろ。お前も先ほど体験したはずだ。魔界や天界に消えた人間は、人間界においての一切の存在が消える。人々の記憶からも、その人間が存在したという証拠は一つも残らない」


「あぁ」


伊織はクラスメートたちの反応を思い出した。なら、少し安心だ。混乱はないほうがいい。その方が伊織も気兼ねなく人間界との縁を断ち切れる。



「…随分とあっさり受け入れる。人間誰しも身内や友人への想いを持つものだと思っていたが。やはりこの少年は…おもしろい」


シャネルは伊織に気づかれないよう、微かに口元を緩ませた。



「ところで、今僕らはどこに向かっているんだ?」


伊織は聞いた。


「ああ、すまない。言っていなかったか。学校だ」


「学校?」


魔界にはあまりにも似つかわしくない単語に伊織は首をかしげる。


「まぁ、悪魔を養成する施設のようなものだ。お前はそこで力を扱う訓練を受け、試験を受けてもらう。その試験に受かって学校を卒業して、初めて一人前の悪魔となるのだ」


「力って…俺、普通の人間なんだけど」


伊織の言葉に、今度はシャネルが驚いたように目を見開いた。


「なんだ、お前。気づいていなかったのか。お前には素質がある。悪魔となる力の素質がな。なんの力も持たない人間を俺がここに連れてくると思うか?」


伊織は首を振った。


「でも力なんてどうやって…」


「それを学校で学んでくるのだ。心配しなくていい」


伊織は半信半疑ながらもシャネルの言葉に頷いた。

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