第1話 家と学校

その日の休み時間、伊織の通う高校の中央廊下には彼を含め多くの生徒が集まっていた。彼らの目的は、廊下の壁に張り出された大きな白い紙のみである。


伊織は下から順に目を通した。


百二十位、百十九位…


そこに書かれていた自分の名前に、伊織は少し肩を落とす。


今日も説教かなぁ…


ため息をつきながら踵を返しその場を離れると、廊下の突き当たりにクラスメイトたちがニヤニヤしながらこっちを見ていた。


「さすがだな、伊織。またかよ!そんな数字、僕らじゃどう頑張っても絶対に取れないよ」


そういう彼は、確か王手重工会社の嫡男ではなかっただろうか。

嫌味ったらしく笑う彼に、伊織は満面の笑顔を見せて言い返した。


「そんなに凄いことじゃないさ!どうやら俺は毎回運が悪いらしい。ヤマを張ったところが全く出てくれないんだ」


そう言って彼らの横を通り過ぎると、後ろで高笑いするのが聞こえた。


ここは、有名な会社の御曹司や令嬢ばかりが集まる金持ちだけの学校だ。ここにいる奴らは皆、自分が選ばれたものだと思っているらしい。そんな馬鹿なことがあるものか。甘やかされ煽てられて育ったボンボンたちは、どうも性格が歪むらしい。自分はそんな風になりたくないものだ、と伊織は思った。


そんな伊織でも、この学校にいる限りはおぼっちゃまたちの一員だ。伊織の父親は国内でも最高クラスの企業、条善寺グループのトップである。本来なら、家の格で言えば伊織はこの学校の誰にも負けないはずだった。


「おーっす、順位見てきたぞ」


廊下を歩き、東館の端、もはや物置と化した使われていない教室で、伊織は声をかけた。もう随分と長い間使われていないような資料の数々、足が欠けて傾いた机など、なんとも殺伐とした空間である。

しかし、伊織はそんなこの場所が好きだった。学校生活の大半を、ここで過ごしている気がする。嘲るような視線を浴びながら教室にいるよりは格段に居心地がいいからだ。


「お疲れ。で?君は何位だったんだ?」


窓際、かつては教卓として使われていたであろう黒ずんだ机の上に座った少年が伊織に問いかけた。


「百十九。お前はやっぱり最下位だったぜ。やっぱ今回も補修かぁ」


ボロボロになった椅子に身体を投げ出すと、鉄の脚が軋んで鈍い音を立てた。


「…伊織。毎回僕に付き合ってくれなくてもいいんだよ」


少年は眉を顰めて申し訳なさそうに言った。彼の名前は八草 司やくさ つかさ。伊織の幼馴染であり、親友である。幼い頃、家の近くの空き地でよく二人は遊んでいた。厳しい家の監視を掻い潜り、外に飛び出すのはなんとも言えぬ高揚感があった。今ではその空き地にも立派な高層マンションが建てられてしまっているのだが。


司はもともと、ごく普通の家に生まれた。しかし数年前、両親が交通事故で他界してから遠い親戚の家に預けられることになったのだ。それが幸か不幸か、かなりのいい家であったために、この学校に通うこととなった。諦めていた幼馴染と同じ学校に通うことができた反面で、司にとってこの学校も家も重荷でしかなかった。


「伊織はさ、本当はもっと上に行くべき人なんだよ。僕なんかとは違う、僕に合わせる必要なんてないんだ。だって君は…」


「司!」


司の言葉を遮るように、伊織は言った。


「俺さぁ、今回マジで勉強しないでゲームばっかしてたんだよね。親ももう諦めてっから。こうなったら一緒に大人しく補修受けよーぜ!な?」


真っ直ぐに視線をぶつけてくる伊織に、司は唇を噛み締めた。


「ごめんな…」


消え入りそうな声で呟くと、司は立ち上がって笑った。


「よっしゃ、やるか!」


「おうっ!」


伊織は司の手をとった。


この手を、ずっと昔から知っている。司が、たくさん努力してきて、たくさん泣いていたことを知っている。


だからこそ、この手を離すことは絶対にしたくない。誰に何と言われようと、だ。


伊織はそう固く誓った。

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