第4話 司と天使

それから、伊織は日々をただ静かに過ごしていた。

司の事件以来、クラスメイトたちの伊織に対するあたりは一層強くなるばかりで、中には伊織も司の共犯者なのではないかと言う者もいた。それも仕方ないだろう。それほどまでに、伊織と司はずっと一緒にいたのだから。

司が学校に来なくなってからは、伊織は本当に一人になった。

こんなことは想定もしていなかった。ずっと一緒に、卒業を迎えるものだとばかり思っていた。それなのに。

ここまでくると、今度は司に対して怒りの感情が湧いてきた。

どうして自分を見捨てたんだ。司がいなくなれば、こうなることは少し考えればわかることだろうに。

伊織は完全な孤独だった。

そんな時、ある噂が流れるようになった。

「あの八草、まだこの街にいるみたいだぞ」

それは、街のいたるところで司を見かけたという情報だった。

司が、まだ近くにいる。

それを聞いた伊織は居ても立っても居られない気持ちになり、学校を飛び出した。

今でも、警察が血眼になって司の行方を捜しているはずだ。

だったら、彼らよりも先に司を見つけ出さなくてはならない。そして、話を聞きたい。





伊織は学校で聞いた噂を思い出そうとした。

「昨日、東町のあたりで見かけた奴がいたってさ!」

それは完全なる賭けだった。伊織は東町へと足を運んだ。


「頼む…。いてくれ、司!」

街を歩いている途中、ポケットの中の携帯が振動していることに気づいた。見ると、条善寺の家からである。おそらく、学校からの連絡があったのだろう。今頃両親は激怒しているのではないか。

伊織は携帯の電源を切ってまたポケットにしまいこんだ。今はそんなことを気にしている場合ではない。

ふと、ある考えが頭をよぎった。


「まさか…!」


伊織は、勢いよく駆け出した。東町にあるのは、昔、司と二人でよく遊んだ空き地だ。今はもう、高層マンションに変わっているはずだが、もしかしたら。

そこへ向かう途中、八草の家の焼け跡を見た。見るも無残な姿になったそれは、かつての趣のある屋敷の面影はどこにもない。

八草は代々華道家の家系として繁栄してきた。司も、養子とはいえ八草家の跡取りとして、華道の教養を一から叩き込まれていた。

伊織は焼け跡を横目に見つつも、また真っ直ぐに走っていった。


♢♦︎♢


やっと、伊織が立ち止まったのは、真新しい綺麗なマンションの前だった。煉瓦造りのしっかりとしたそれは、伊織を圧倒するかのように堂々と建っている。

伊織は高鳴る心臓を落ち着かせようと深呼吸をしながら、裏へと回り込んだ。

そこはまだ、少し昔の空き地の面影を残した場所だった。

ススキが生え茂り、風に揺すられさわさわと音を立てている。

夕暮れに染まるその場所に、司はしゃがみ込むようにしていたのだった。

「司っ!」


伊織の声に、司は驚いたように顔を上げた。


「伊織…?」


大きく見開いたその目は、確かに伊織を捉えてはいるものの、どこか虚ろだった。


「司!お前っ…!」


伊織は駆け寄って力強く肩を揺する。


「どうして何も言わずにっ…!」


久しぶりに見た司は、少し痩せたようで体のいたるところに傷を作っていた。


「伊織…どうしてここが…?」


「そんなこと、今はどうでもいいだろ!」


伊織は声をあげて言った。いろいろ聞きたいことがあった。本当に司がやったのか。ならば何故。質問は尽きそうにない。なのに、憔悴しきった司の姿を見たら、全てが頭から抜けてしまった。まずは司の安全を確保すること。話はそれからだ。


「とにかく、逃げよう!そうだ、とりあえずうちに来るといい。寺坂なら協力してくれるはずだ。俺の部屋なら、寺坂以外はめったに入ってこないし…」


伊織の言葉に、司は静かに首を振った。


「もう無理なんだ。僕は逃げられない。わかってたことなんだ。だから…」


「何言ってるんだよ!警察なら、俺がどうにかする!だからっ…!」


声をあげた伊織に、司はまた首を振った。


「違うんだ。違うんだよ…僕が逃げているのは、警察なんかじゃなくて…」


そう言いかけて、司ははっと口をつぐんだ。伊織を、正確には伊織の後ろの夕日の方を見て、大きく目を見開いている。


「司…?」



「ほら。もう手遅れだった。やっぱり来たんだね、天使が…」

司の言葉に、伊織はゆっくりと後ろを振り返る。

そして、驚愕した。

そこには、そう、司の言う通り、まさに“天使”がいたのだ。

背中から生えた大きく白い翼は夕日に照らされ朱に染まり、銀色の長い髪は風にゆっくりと揺れる。この世のものとは思えぬ神々しい雰囲気を纏い、しかしその目は冷酷なほどに二人を見下ろしていた。

「私は天使ミカエル。悪を断罪し、地上から汚れを抹殺するもの」



天使はそう冷ややかな声で告げた。


「八草 司。貴様は地上に必要ないものと判断された。よって、貴様の魂は私が頂こう」


司は押し黙ったままだった。

伊織は、司と天使を交互に見た。まだ、状況に理解が追いつかない。


「お主はなんだ…?この場に第三者の介入など予定されていなかったはずだが。まさか神の指針が狂ったとでもいうのか」


それが、伊織を指すものだということは容易に理解できた。


「まぁよい。私はその命を頂戴するまで」


やっと、伊織にも天使が何をしようとしているのかがわかった。

「お主、何をしている。そこをどけ」


伊織は、両手を広げて司の前に立った。


「伊織…」


「天使だかなんだかよくわからないけど、司を渡すわけにはいかないんだ」


天使は伊織を真っ直ぐに見つめると口を開いた。


「そうか…。よもやお主は条善寺の…。だが、関係ない。私は私の使命を全うするまで」


そう言って天使はゆっくりと手を上げた。


「…!」


眩い光に辺りが包まれ、一瞬目を閉じた時だった。


「司っ…!」


そのほんの一瞬の間に、伊織の後ろにいたはずの司の姿が消えていたのだ。


「お前っ!司をどこへやった!」


「本来あるべきところへ」


天使はまた、冷たい声で言った。


「さらば条善寺の人間よ。また会う時に、話そうではないか」


天使はそれだけ言うと、瞬く間にその場から姿を消した。

「どういうことだよ…」



何が起こったのかわからぬ間に、伊織が一人、ススキの中に立ち尽くしているだけとなった。

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