第十七話:走り屋たちのミーティング

 その日、チーム「ロスヴァイセ」の会合ミーティングが始まったのは、夜の十時を少し回ってからのことだった。

 場所はいつもの八神街道。

 その頂上付近にあるPAで集合した加奈子たちは、おりよく店を開けていた屋台ラーメン「宗義」のテーブル席を丸椅子で囲み、とりとめのない語らいの時間を楽しんでいた。

「──と、いうことがあったんですよ、カナさん」

 運ばれてきたどんぶりの中に目線を落とし、箸を割りつつ眞琴は言った。

「翔兄ぃったら、せっかくの挑戦状をろくに見もせず破り捨てちゃうんだから。もしボクが翔兄ぃの腕と立場とを持ってたら、絶対にそんな真似しなかったのに。というか、喜んでその勝負受けちゃったのに。なんてもったいないことするんだろ、って、その時は本気で思っちゃいましたよ。ひょっとして、このひと莫迦なんじゃないかって」

「本人のいる目の前で、その当事者を莫迦扱いするのはどうかと思うけど……」

 その吐き捨てるような物言いに、加奈子は思わず苦笑いを浮かべた。

 わずかに泳いだ視線の先には、そんな毒舌発言者をここまで送ってきた運転手、壬生翔一郞の姿がある。

 他の面々よりひと足早くチャーシュー麺に箸を付けた彼は、しかし、その不愉快な口上を耳にしてもなお感情を激したりはしなかった。

「おまえがそう思うんならそうなんだろうな」

 淡々とそう言いながら、「八神の魔術師」は太麺をすする。

「だが、俺は絶対に勘弁だ。いったい何が哀しくて、あんなふざけた野郎の自己満足に、この俺が付き合ってやらねばならんのだ」

「ま~だそんなこと言ってる」

 呆れた声で眞琴が応えた。

「翔兄ぃはね、ここ八神街道の生きた伝説なんだよ。伝説は、あとから来る人間にとって乗り越えるべき高い壁じゃないといけないんだよ。それなのに、な~んで自分から戦いを拒否するのかなァ。はっきり言って、伝説としての自覚が足りないと思うんだけどなァ」

「そうやって俺の過去を祭り上げるのはそちらの勝手だが、こっちは望んでその伝説とやらになったつもりはないぞ。自覚云々言われるのは心外だ」

「そうでしょうか?」

 そんなふたりの応酬に、三澤倫子が参戦を果たした。

「わたしも、眞琴ちゃんの意見には同意しちゃうんですけど」

「三澤さんまで」

 意外な敵の出現に、顔をしかめる翔一郞。

「あんまりこの莫迦娘を甘やかさないでくださいよ」

「だってそうじゃありませんか」

 レンゲでスープをひと口すすり、済ましたなりで彼女は言った。

「刻んだ実績には責任がともなう。それは、どの世界であってもまったく同じことですよ。本人の意志も希望もへったくれもない。一度頂点に登った以上、そこから勝手に降りてもらっては、あとに続く者が困るんです。それとも壬生さん。あなた、そもそも勝負の世界で勝ち逃げなんてことが許されるとでも思ってるんですか?

 この間のバトルだって、『八神の魔術師あなた』にとっては単なるエキシビジョンだったのかもしれませんけど、倒した相手は大鳴最速、この界隈でもトップクラスの呼び声高い、四百馬力のRX-7ですよ。いわば、引退したはずのボクサーが、現役のランカーを真剣試合セメントで叩きのめしたようなものです。それだけのことをしでかしといて、いまさら『自分は関係ない』が通用するほど、この世の中は甘くないです。まさか、知らなかったとは言いませんよね?」

 それは、畳みかけるような正論だった。

 声に勢いこそないものの、そのひと言ひと言がまるでドライアイスのつるぎのごとくだ。

 その切っ先に身体の各所を貫かれ、翔一郞は狼狽した。

 必死になって頭を巡らせ、反論の言葉を絞り出す。

「いやいや、ちょっと待ってください」

 かろうじて構築した論陣を、彼はすかさず口にした。

「この間のバトルに関して言うなら、あれはあくまで困ってたあなたに力を貸すためであって、俺が意図してそれを目論んだわけでは──」

「あら。わたし、あなたに『助けてくれ』って、あの日、一度でもお願いしましたっけ?」

 冗談めいた口振りながら、倫子はさらりと言い切った。

 そのどこか突き放すような物言いに、翔一郞が思わず目をむく。

 それを面白そうに一瞥してから、彼女はなおも言葉を続けた。

「もちろん、あのことに関しては心から感謝してますよ。あの日、あなたが芹沢に勝ってくれなかったら、わたし、いったいどんな目に遭わされてたことやら。

 でも、それとこれとは別の話。むしろ、わたしが直接あなたに勝負を挑んでないことが、その感謝の気持ちだと思ってくだされば幸いです。わたしだって本音を言えば、いますぐあなたに手袋投げつけたくて仕方がないんだから」

「結局のところ、往生際が悪いんだよね」

 眞琴がさらに追い討ちをかける。

「自分のやったことに責任とれないっていうか、ひとの気持ちに鈍感っていうか──…

 わかりやすい例え話にしちゃうとさ、どこかの女の子を勝手に夢中にさせといて、そのくせその気持ちにからっきし気付こうともしない、そんな質の悪い朴念仁中の朴念仁ってことなんだよ、翔兄ぃは。もっと言っちゃうと、自分の存在が周りの誰かを振り回してるっていう、そんな自覚に欠けてるってことなんだよ。

 これさ、ずっと前からそれとなくボクが教えてあげてることなんだけど、翔兄ぃったらぜんっぜん聞く耳持たないんだもん。でもリンさんの口から同じこと言われたら、さすがにちょっとは堪えたでしょ?

 もっとも、翔兄ぃがこの程度で反省してくれるほどヤワなオトコだったら、ボクがこんなに苦労し続けるわけもないか。ほんっと、まるでゲームのラスボスだよ。それもいわゆる『クソゲー』の。一体全体、どれだけ無駄にヒットポイントだけ高いんだか。もしプレイヤーがボクじゃなかったとしたら、とっくのむかしにコントローラー投げ出しちゃってるレベルだよ。間違いないね。確信してる。

 あ~あ。な~んでボク、翔兄ぃのお隣になんて生まれちゃったんだろ。おかげでこれまで十何年、気が休まったことなんて一度もないよ。翔兄ぃ。少しでもそのことで『悪い』って思ってくれてたらさ、いつでもいいから、ちゃあんとこの借り、ボクに返してちょうだいよね。利息のほうは、大負けに負けて勘弁してあげるから」

 なんとも嫌味な眞琴の台詞。

 聞きようによっては、悪口の類に聞こえないこともない。

 しかしその奥に潜む彼女の本音を、チーム「ロスヴァイセ」の面々ははっきりと認識していた。

 表に出てないその心情を察し得たのは、やはり同性ゆえの共感シンパシーからか。

 素直になればいいものを──…

 眞琴を除く女性陣全員が、ほとんど同じ思いを抱いた。

 三者三様どの顔付きも、ひと言突っ込みを入れたくて仕方がないと言いたげだ。

 いささか幼稚な衝動が、倫子の、加奈子の、純の背中をまさぐるように這い上る。

「あのさ、眞琴ちゃん」

 メンバーのうち、最初に辛抱できなくなくなったのは純だった。

「普段の壬生さんって、そんなに言うほどポンコツなの?」

「ポンコツもポンコツ。もうスクラップ寸前の出来損ないですよ」

 両手を広げて眞琴が言い切る。

「翔兄ぃったら、ボクが毎朝目を光らせてないと、穴の開いた靴下履いてそのまま出勤しようとするんですよ。履き替えろって注意しても、『めんどくさい』って言い返してくるし」

「あらら」

「もちろんそれだけじゃないです。髪の毛とけっていつも言ってるのにしょっちゅう忘れるし、使ってないからって昨日のハンカチ平気で持って出ようとするし。それどころかこのひと、毎週ベッドシーツ換える習慣持ってないんですよ。三週間洗ってないシーツってトイレより汚いっていうのに信じられます? ものぐさにだってほどがあるじゃないですか。毎日毎日、どれだけボクに負担かけたら気が済むのって、大声出して問いかけたいです」

「だ、そうですよ、壬生さん」

 我関せずとばかりに箸を動かす翔一郞めがけて、純がにやりと微笑みかけた。

 だがその悪戯っぽい眼差しは、次の瞬間、眞琴の両目を見事に撃ち抜く。

「でもそんな壬生さんの毎日を、眞琴ちゃんはこれまで十何年、ずっと見続けてきたってわけなのよね」

 悪魔の形相で彼女は尋ねた。

「それってなんでなのかしら? 眞琴ちゃんって、そもそも壬生さんの彼女でも奥さんでもないわけなんだからさ、このひとがどんな暮らしぶりをしてようと、実はぜ~んぜん関係ない立場なんじゃないの? ね、なんで? なんでわざわざそんなとこまで、日々壬生さんのこと観察してたりするわけ? 何か特別な理由があるんなら、こそっとおねーさんに教えてみ?」

「うッ……そ、それはですね」

 意地悪としか言いようのないその質問に、眞琴は思わず困惑した。

 助けを求めて視線を泳がす。

 だが困ったことに、そんな彼女に手を差し伸べてくれそうな顔触れは、この場にひとりとしていなかった。

 いつもなら何かと頼もしい加奈子や倫子も、いまはうろたえる少女の様子を面白そうに眺めるだけで、このやりとりに介入してくる素振りはまったくない。

 とはいえ、正直に事実を告白することも、これまたまったくの論外だった。

 少なくとも眞琴にとって、その内容を「壬生翔一郞」の前で明らかとすることは、絶対に近いタブーであったからだ。

 困り果てた眞琴は、とうとう最終手段に訴えた。

 逆ギレである。

「そんなこと、どうだっていいじゃないですか」

 音を立てて腰を浮かし、獣のように彼女は吠える。

「ボクがどこの誰を観察してようと、純さんたちにはまるっきり関係ないことです。第一ですね、お隣に住んでるお兄ちゃんの面倒をいろいろ見てあげるのって、女の子としてそんなにおかしいことですか? いまはこんなのでも、子供の頃はたくさんお世話になった大事なひとなんですよ?」

「いやいや、充分おかしいことだって」

 ひらひらと右手を振って純が答えた。

「いまどきのハーレムアニメじゃあるまいし、このご時世、いっくら隣に住んでたって他人は他人よ。よっぽど妙な企みでもなけりゃ、そうそう親しくなんてしませんって」

 その目の中には、どこか白々しい呆れがある。

 言葉に詰まる眞琴に向かって、彼女はなおも畳みかけた。

「ま、当の本人がそれで納得してるんなら、年頃の女の子が毎朝毎朝そんなポンコツ男を起こしに行こうが献身的に凝った朝食作りに行こうが、あたしらみたいな部外者がどうこう言える筋合いじゃないんだけどね」

「翔兄ぃはポンコツなんかじゃありません!」

 激高した眞琴が叫んだ。

 その様子は瞬間湯沸かし器と言うより、もはや間欠泉にすら近い。

 いまにも噛み付いてきそうなそんな少女の有様に、今度は純がたじろいだ。

 少々からかってみるつもりではあっても、本気で怒らせるところまでは考えていなかったからだ。

 だが次の刹那、救い船は意外なところからやってきた。

 翔一郞だった。

「確かにポンコツではないな。誰かさん曰く、ポンコツ未満のスクラップだそうだからな」

 鼻で笑って彼は言う。

 それは、明白な冷やかしだった。

 怒りの炎にガソリンをぶっかけられ、眞琴の瞳がスパークする。

「誰もそんなこと言ってないでしょ!」

 右手でどんとテーブルを叩き、彼女は声を張り上げた。

 されど翔一郞は動じない。

 平然と残ったスープを飲みながら、妹分を彼は諭した。

「健忘症か? おまえがさっき言った評価だぞ、こいつは」

「あう」

 言葉を失い急停止する眞琴の顔が、熟れた林檎のように赤くなった。

 明確な事実を突き付けられたことで、舌鋒の持って行き場所を見失ってしまったのである。

 ひと呼吸置いて、笑いの渦が巻き起こった。

 加奈子や純はもちろんのこと、あのいつもクールな倫子でさえもが、大口を開けて破顔していた。

 翔一郞もまた例外ではない。

 どんぶりの上に顔を伏せ、必死におかしさを噛み殺している。

 口をへの字に曲げた眞琴が、どかっと垂直に腰を下ろした。

 不機嫌そうに腕組みしながら、ぷーっと頬をふくらます。

 笑いのネタとされたのが、よほど腹に据えかねたのだろう。

 ただし、怒りの対象が那辺にあるのかは、当の本人にもわかりかねている様子だった。

 夜の八神に重々しい排気の調べエキゾーストノートが鳴り響いたのは、そんな矢先の話である。

 何事か、と各自の視線がそちらの方向に集中した。

 続けざまに二度アクセルをあおった一台の自動車が、煌々とヘッドライトを点灯させつつPAの敷地に進入してくる。

 それは、紛うことなき走り屋のクルマであった。

 改めてその外見を確認するまでもない。

 たとえ運転しているのがマニュアル車であろうとも、一般人ならシフトダウンする時、わざわざエンジンの空吹かしブリッピングを試みるはずなどなかったからだ。

「ランエボ?」

 街灯に照らし出されたそのシルエットを見て、翔一郞が呟いた。

 シャープなエッジを持つ黒いセダン。

 トランクの上には、大型のリアウイングが屹立している。

 間違いない。

 その独特の雰囲気を醸し出す風貌は、三菱製の高性能4WD、「ランサー・エボリューション」以外の何物でもない。

「こんな時間にここ来るお客ってのも珍しいわね」

 自分たちロスヴァイセのことは棚に上げ、他人事めかして純が言った。

「まだ走り屋タイムまで時間があるのに」

「変わり者ってのはどこにでもいるもんですよ」

 その言いように翔一郞が追従する。

「隣家の独身男をストーカーする女子高生が実在するくらいなんですから。別に驚くには値しませんって」

「むッ」

 それを聞いた眞琴が、すかさずきっと目をむいた。

「ひょっとして、そのストーカーってボクのことだったりする?」

「さあて、なんのことやら」

 そんな少女を翔一郞が煙に巻く。

 にやつきながら彼は応えた。

「俺としちゃあ、いまので誰かを揶揄したつもりはまったくないんだがな。でもまあ、おまえに思い当たる節があるってんなら、これからは少し気を付けたほうがいいぞ。過剰なお節介って奴はな、時として他人に対する無神経より質が悪かったりするんだ」

「おぼえてろ」

 う~っと唸って眞琴が告げた。

 それが単なる言い訳であると、はっきり悟ったからだった

「いつか絶対、心の底からぎゃふんて言わせてみせるんだから」

「おーおー、そいつはまた威勢のいいことで。ま、せいぜい気張ってみることだな。その時をいまから楽しみに──…」

 翔一郞の台詞が不自然に途切れたのは、その時のことだった。

 何気なく上げた眼差しが、一点を捉えたまま凝固する。

 彼の目線の先にあったもの。

 それは、件のクルマから降り立った搭乗者の姿だった。

 前後左右に分厚く見える、ごつい体躯のひとりの男。

 心なし愛車ランエボのそれと酷似した印象を持つその男に、翔一郞は見覚えがあった。

 彼はその名を口にする。

「二階堂……」

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