第十八話:最終通告

「奇遇だな、ミブローさん。こんなとこで会えるとは、正直思ってなかったぜ」

 間近まで歩み寄ってきた「弾丸野郎バレットクラブ」が、不敵に笑って挨拶した。

「まあ、この店は八神の常連にとっちゃ隠れた名所みたいなところだからな。よくよく考えりゃあ、奇遇ってほどのことでもねェか」

「何しに来た?」

「小腹が空いたんでラーメン屋にラーメンを食いに来た。別におかしな話じゃねェだろ?」

 「邪魔するぜ」と断りを入れつつ、二階堂は席に着く。

 それも、眞琴と翔一郞との間に無理矢理割って入る形でだ。

 その傍若無人な振る舞いに、「ちょっと、あなた!」と加奈子が抗議の声を上げた。

「ここはわたしたちのテーブルですよ。ほかにも空いてる席があるのに、なんでわざわざ」

「いいじゃねェかよ。お互い走り屋、硬ェこたァ言いっこなしだ。親父。俺にもラーメンひとつ。大盛りで頼むぜ」

 不服の言葉をさらりと流し、二階堂は平然と言い放った。

 「あいよ」という親父の返事を遠くに聞きつつ、強引に会話を続ける。

「こないだの話は考えといてくれたかい、ミブローさんよ」

 単刀直入に彼は尋ねた。

 挑発的なその口振りは、明らかに効果を狙った代物だ。

 肩を組まんばかりに身を乗り出し、不遜な態度を加速させる。

「実はよ、あれからすぐ、あんたに連絡先を教えとくの忘れてたって気付いてね。どうやって答えをもらおうか、ちょうど悩んでたところだったのさ。ま、ここで会ったが百年目。盲亀の浮木、優曇華うどんげの華だ。今日こそは、色好い返事をいただけるものと確信してるぜ」

「いったいなんのことだ?」

「つれないねェ」

 しらっととぼける魔術師に対し、二階堂は芝居がかった口調で告げる。

「バトルの件さ。俺とあんたのな。よもや忘れちまってたってわけじゃねェんだろ?」

「その話なら──」

 ため息を吐きつつ翔一郞が返した。

「前回きっちり断ってるはずだぜ。何をいまさら」

「生憎だが、負けず嫌いとしつこさとがこの俺の持って生まれた性分でね」

 取り付く島のない回答を、しかし「弾丸野郎」ははねつける。

「一度や二度ラブコール断られたぐらいじゃ、到底引き下がる気なんざ起きねェよ。特に、そいつが滅多なことじゃお目にかかれねェ極上の獲物ときたらなおさらだ」

「やれやれ。すっぽんみたいな男だな」

 脱力した魔術師が、がくりとその場で肩を落とした。

「そんなんじゃ、相当オンナにモテないだろ?」

「褒め言葉だと思っておくぜ。ストイックな走り屋にオンナは不要だからな」

 投げかけられた嫌味に、苦笑しながら二階堂は応えた。

 そんな翔一郞に対する彼の説得は、その次の台詞から始まった。

 賞賛と誘因。

 挑発と扇動。

 時には熱く。

 時には冷ややかに。

 およそ数分間に渡ってこの男は、伝説の「八神の魔術師」から「イエス」というただひと言を引き出すべく、懸命に自己の言葉を積み重ねた。

 注文した大盛りラーメンができあがってきても、その流れは滞らなかった。

 太麺をすすり上げる音と無骨な物言いとが、前後しながら旋律を奏でる。

 その硬軟織り交ぜた弁舌は、残念ながらとても巧みなそれとは言えなかった。

 むしろ、稚拙な部類に含まれるかも知れない。

 だが、その意気込みだけは、誰もが認めざるを得なかった。

 まさしく、「口説いている」という表現こそが相応しかろう。

 一方、彼らの成り行きを見守っている女性陣らの表情も、これなかなかに興味深げなものだった。

 ある者は、呆気にとられて目を見開き、

 またある者は、なんとも楽しげに頬を緩め、

 そしてある者は、冷淡な表情のままそっぽを向き、

 最後のひとりは、どこか羨ましそうに眼前の展開を眺めていた──…

 しかし、ふたりの男のやりとりはそんな状況に左右されたりしなかった。

 四人の観客を置き去りにして、一本調子な素人劇はますます熱を帯びていく。

 彼らの会話にようやく転機が訪れたのは、二階堂が最後の麺を口に運んだ、まさにその直後のことであった。

「いったい何度同じこと言わせたら気が済むんだ?」

 わずかな沈黙を利用して、翔一郞が文句を垂れた。

 いらだち気味に頭をかきつつ、二階堂の目をめ付ける。

「さっきから、俺は走り屋じゃないって言ってるだろ」

 続く不毛な交流に、とうとう嫌気が差したのだろう。

 その口振りには、はっきりとした怒気が含まれていた。

 しかしそれは、見方を変えれば明白な変化の兆しでもある。

 このやりとりのさなか、大まかに分けて「ああ」「そうだな」「断る」という三つの台詞だけを繰り返してきた男が、ついにおのれの言葉を口にしたのだ。

 二階堂の脳髄は、これを好機と判断した。

 残余のスープを一気飲みして、空のどんぶりを卓上に置く。

「嘘だね」

 すかさず彼は言い切った。

 異論を許さぬ一刀両断だった。

 抜く手も見せぬ早業で、一気呵成に畳みかける。

「あんたは嘘を吐いてる。そいつも俺に対してだけじゃなく、あんた自身に対してもだ。じゃなけりゃあ、街道に未練なんかさらさらねェはずのあんたが、こんな夜遅くの時間帯にこの走り屋お嬢たちと一緒の場所にいるわけがねェ。もしそれ以外に納得いく理由があるってんなら、そいつを教えてもらおうじゃねえか」

「たまたまさ」

「たまたまかい。そりゃいいや」

 その返答を「弾丸野郎バレットクラブ」は笑い飛ばした。

「確かに、誤魔化しに使うんならこれほど便利な言葉もねェだろうな。そうきっぱり言われちまったら、尋ねたほうは確かめようががねェもんな」

 壬生翔一郞が嘆息したのは、次の刹那の出来事だった。

 実に深々と息を吐き、根負けしたように彼は言う。

「どうやっても諦めちゃくれないみたいだな」

「まあな」

 どこか嬉しそうに二階堂が応じる。

「この世の中、先に観念した奴から負けていくのさ。俺は自分に負けたくねェ。だから簡単には諦めねェ。あんたにとっちゃ迷惑なことかもしれねェが、ま、そういうことだ」

「わかった」

 それを聞いた魔術師が、ひと言告げて音もなく立ち上がった。

 感情の消え去った冷たい声で、妹分に語りかける。

「眞琴。悪いが、帰りは誰かに送ってもらってきてくれ」

「えッ?」

 彼女の返事を待つことなく、この場から歩み去ろうとする翔一郞。

 その向かった先には、彼の愛車「レガシィB4」の姿がある。

 まさか──彼の取った一連の言動は、ここにいるすべての者たちに対し、同じ思いを抱かせるに十分以上の根拠となった。

 伝説の魔術師が勝負を受ける!

 女性陣が等しく驚きの表情を浮かべるなか、ただ二階堂だけがにやりと口元を綻ばせた。

「そうこなくっちゃな」

 「親父、勘定」と店主に告げつつ、彼は素早く席を立った。

 カウンターに千円札を叩き付け、翔一郞の後を追う。

「ギャラリーなしの大勝負ってのも風情があって悪くねェ。喜んで承らせていただくぜ」

「おいおい、勘違いするなよ」

 歓喜の声を耳にした翔一郞が、振り返りざま足を止めた。

「誰がこれからバトルするって言った? 俺はこれから家に帰って、明日の朝まで爆睡だ」

「なんだって?」

「自営のあんたと違って、こっちは税金から給料いただいてる公僕なんでね。言っちゃ悪いが、噛み癖のついた野良犬相手にいつまでも関わってる暇はないんだ。あんたへの答えは、とっくのむかしに返しただろ? それを翻すつもりはさらさらねえよ。残念だったな」

 ひらひらと片手を振りながら彼は言った。

 それはまるで、相手を莫迦にしたかのごとき失礼極まる態度であった。

 あからさまな侮辱を突き付けられ、二階堂は思わずその場で立ち尽くした。

 顔付きが、愕然としたそれに変化する。

 あれほど強く燃えさかっていた心のほむらが、文字どおりあっという間に鎮火した。

 気持ちをへし折られた、とは、まさしくこのことなのだろう。

 その落胆ぶりは、ある意味、気の毒にさえ思えるほどだった。

「そうかい……あんた、本当に走り屋じゃなくなっちまったんだな」

 二階堂の口振りが一転した。

 それまでのハイテンションとは打って変わって、ずしりと重い言葉使いだ。

 眞琴を初めとする女性陣たちからは、その背中しか見えない。

 しかしながら、その意気消沈だけは、はっきりと見て取ることが可能だった。

「あれからな、あんたの現役時代のこと、俺は熱心に調べたよ」

 翔一郞に向け、心から悔しそうに彼は言った。

「この俺が、まだ漫画やゲームで走り屋予備軍やってた時分さ。もちろん、あんたはバリバリの全盛期。そんなあんたを、当時を知ってる人間が口をそろえて褒め称えるんだ。そう、『八神の魔術師』の神がかり的な強さって奴を、な」

「……」

「その伝説を聞かされる度に、俺は衝撃に震えたよ。ありゃあもう伝説なんてシロモンじゃねェ。神話だ。実在する神話の英雄──正直言って憧れたよ。白状する。あんたみてェになりたいと思った。いや、いまでも間違いなくそう思ってる。俺にとって、あんたは完璧な走り屋じゃねェと駄目なんだ。群がり寄る挑戦者どもを蹴散らして、その上で俺の目の前に燦然と立ちはだかる、そんな強敵じゃねェと駄目なんだよ」

 二階堂は叫んだ。

「なのに、なんだよそのザマは。常勝不敗の魔術師は、いったいどこに行っちまったっていうんだ。走り屋辞めた? 挑戦なんざ受ける気がねェ? ふざけんな。若ェ奴その気にさせといて、いまさら責任放棄かよ。だったら、なんでいまごろになって這い出てきた? そんなふざけた真似が、本当に許されるとでも思ってんのか?」

「やれやれ、とんだ恨み節だな」

 指弾を受けた翔一郞が、ふっと口元を綻ばせた。

「おまえさんの都合なんざ俺が知るかよ。伝説だの神話だの随分と大仰な評価だが、中二病患者じゃあるまいし、俺はいままで一度たりともそんな評価を求めたことはないぞ」

「なんだと」

「だってそうだろうが。俺のむかしの黒歴史を聞いて、おまえさんが勝手に憧れ、そして勝手に失望した。その経緯のいったいどこに、この俺の責任がある? 答えろ」

「……」

「あんたもいっぱしの社会人ならわかるだろ? 大人にはな、餓鬼の遊びに付き合ってやるだけのゆとりなんてないんだ。決められた規則を守り、一生懸命働いて、真面目に納税の義務を果たす。つまんねェと思うだろうが、それこそがホントの大人の生き方だ。あんたもな、いい加減やんちゃな世界から足を洗って、今後の何十年かを真剣に考えたほうがいいぞ」

「参ったね……ご立派なこった。俺の言い分なんざ、子供の泣き言扱いか。たいしたもんだ」

 二階堂の表情に、皮肉交じりの苦笑いが浮かんだ。

 続けざまに彼は言う。

「あんたの時代から十何年。言葉にするとたった三文字だが、人間腐らせるにゃ十分な時間だったってことか」

「何が言いたい?」

「光り輝く伝説お宝が、たったひとりのへたれのおかげで汚泥の山に早変わりだ」

「汚泥の山、ねえ……」

「ああ」

 深刻な顔付きで「弾丸野郎バレットクラブ」が頷いた。

「あんたにゃあんたなりの立派な事情があるんだろうが、それこそ俺らの知ったことじゃねェ。だが、これだけははっきりと言わせてもらうぜ。あんたがいまやろうとしていることは、あんた自身が積み重ねてきたことに対する最低最悪の裏切りだ。

 ミブローさん。あんたの持ってる『八神の魔術師』って渾名はな、もうあんたひとりだけのものじゃねェんだよ。その称号には、当時あんたに挑んで及ばなかった奴らの無念が、それこそ山のように染み付いてる。つまりだ。あんたが走り屋辞めるってことは、そんな走り屋連中の想いを手前勝手に投げ捨てるってことなんだよ。わかってんのか?」

「──で」

 顎をしゃくって翔一郞は尋ねた。

「具体的には、俺にどうしろと?」

「そいつを俺の口から言わせるのか?」

「そうだな。改めて聞くまでもないか」

 あっけらかんと魔術師が答える。

「だったら、俺の答えもひとつだけだ──断る」

「わかった」

 二階堂の拳が音を立てて握り込まれた。

 その口腔から、ぺっと唾液が吐き出される。

「この俺の見立てが端っから間違ってたんだな。あんたには走り屋を名乗る資格がねェ。ただとんでもなく速ェだけの、救いようのねェ腰抜け野郎だ」

 彼は言った。

「伝説の魔術師。八神街道最速の男。そんな逸話に、心惹かれて、心惹かれて……初体験前の童貞少年チェリーボーイみてェにわくわくしてた自分自身が、いまになって恥ずかしいぜ。その餓鬼みてェに恋い焦がれてた相手が、よもやこれほどのボンクラだったとは……茶番に期待して、とんだ莫迦を見ちまった……」

 まあ、普通に考えればそうなるわな──…

 圧倒的な失望の意志を包み隠さず突き付けられ、この時、翔一郞は何も言い返すことができなかった。

 その最底辺の評価こそが何よりいまのおのれに相応しいのだと、自嘲しながら受け止める。

 出所不明の罪悪感が、その胸中をするりとよぎった。

 苦笑いが自然と浮かぶ。

 それを周囲に悟られないよう、頭をかいて誤魔化した。

 格好悪いと自覚はするが、ほかに手段が浮かばなかった。

 ばしっ、という殴打の音が轟いたのは、まさにその直後に起きた出来事だった。

 顔を上げる翔一郞。

 仁王立ちする眞琴の背中が、真っ先に視界の中へと飛び込んでくる。

 そして、彼女と向かい合いながら片頬を押さえる二階堂の姿もだ。

 そこでいったい何が起きたものか、あえて説明の必要はなかった。

 「弾丸野郎」の発言に怒り狂った女子高生が、その顔面に拳の一撃を加えたのである。

「ボクの翔兄ぃを莫迦にするな!」

 憤激した眞琴が、肩を怒らせ怒鳴りつけた。

「このひとは、断じて腰抜けでもボンクラでもない! いまの発言を撤回しろ!」

 誰も想像し得なかった彼女の行動に、翔一郞も、ロスヴァイセの面々も、どう対処すれば良いのかがわからなかった。

 驚きのあまり、目を丸くしたまましばしの間絶句する。

 この時、当事者の片割れである二階堂だけが、意外なほどの落ち着きを保っていた。

 一方的な暴力を受けたにもかかわらず、彼は無言で眞琴の利き手に手を伸ばす。

 それを拒否したポニテの少女が、感情的な叫びを上げた。

「何よ! 触らないでよ!」

「いいから、黙ってろ」

 嫌がる彼女を一喝し、二階堂は有無を言わせずその手を掴んだ。

 きゅっと親指に力を込め、手首の部分を揉みほぐすように圧迫する。

 次の瞬間、眞琴の顔が痛みに歪んだ。

 「痛ッ!」と短く声が漏れる。

「やっぱり痛めてるな」

 若先生の顔付きで、二階堂は彼女に告げた。

「あんたみてェな素人がグーで殴るとこうなるんだ。明日になってもまだ痛かったら、悪いことは言わねェから医者に行きな。もしうちの接骨院に来るんなら、格安にしとくぜ」

 我に返った女子高生が、ぽろりと礼を口にする。

「あ、ありがとう……」

「礼には及ばねェよ。腰の入ったいいパンチだった。あんたにあと五キロばかり体重があったら、口ん中が切れるだけじゃ済まなかったろうな」

 最後の台詞は、おそらくジョークのつもりなのだろう。

 おのれの暴走に赤面するポニテの少女を置き去りに、二階堂は翔一郞と向かい合った。

「滅多にいねェ、いいじゃねェか。いまどき、身内が侮辱されたぐらいで手を上げるような熱血娘なんざ、ホントの意味で絶滅危惧種だぜ」

 たっぷりとひと呼吸置いたあと、両手を腰に彼は言う。

「大事にされてんだな、あんた……気に入ったよ。

 ミブローさん。このの熱さに免じて、あんたに一度だけチャンスをやる。今度の土曜日の零時きっかり。この場所で、あんたが来るのを俺は待ってる。勝負は前にも言ったとおり、八神表の下り一本。勝っても負けても恨みっこなしだ」

「俺がそいつを受けるとでも思ってんのか?」

「ま、来なけりゃ来ないでそれまでのことさ」

 冷め切った翔一郞の言葉に二階堂は応えた。

「そん時は、このにゃ悪いが、あんたはモノホンの玉なし野郎だったってことだ。身内のオンナにこれだけのことをさせといてまだ火が付かねえレベルの臆病者チキンなら、やり合えなくても特に惜しいとは思わねえな」

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