三章:ライバル
第十四話:黒いランエボ
某月某日。
八神街道午前二時。
今宵も同地は、エキゾーストノートの咆吼に不足を感じることはなかった。
「スポーツカー受難の時代」を迎えた現代社会において、かろうじて生き残りを許されている時代錯誤の「
そんな称号を持つここ八神街道は、ある意味で極めて貴重な、言葉を変えればクリエイティブとすら評し得る場所でもあった。
なるほど確かに。
その合法・非合法をあえて問わずとするならば、いまどきの若者たちがこれほど多様な自己主張を果たしている空間など、そうそう見られるものではないだろう。
彼らの中に画一的な横並びの精神は微塵もない。
そんな数寄者どもの姿に対し、レールの上を行く者たちの多くが思わず眉をひそめてしまうのも、あるいは仕方のないことなのかもしれなかった。
ただし、ここしばらくに限って言えば、この街道を覆う独特の熱気は、そんな「場の空気」という言葉だけで片付けられる代物ではなかった。
あえて表現するならば、淀み漂う熱量がいささか膨大に過ぎているとでも言おうか。
アクセルの踏み込み。
ステアリングの切り角。
そして、愛車の挙動に向けられたすべての知覚の集中密度。
聖地を攻める常連どもの本気具合が、確実に尋常なレベルのそれではなかった。
その気負いはまるで、戦を前にした若武者のごときだ。
まさに「目を逆三角形にしている」という例え言葉がふさわしい有様である。
では、そんな彼らを突き動かしている原動力とは、いったいなんなのであろうか。
思い当たる節は、ひとつしかない。
先月上旬のとある夜に発生した、走り屋同士の
その公道レースの現場において、大鳴峠の走り屋チーム「カイザー」の首魁、地元最速の呼び声も高い芹沢聡が、およそ言い訳の効かない完全敗北を喫したのである。
舞台となったのは、ここ八神街道の表コース。
多くのギャラリーたちが見守るなかで起きた、あまりに衝撃的な完封劇だった。
地元の走り屋であれば誰もが認める強豪と、その愛車である四百馬力の「RX-7」とが味わった、想定外の苦い結末。
それは、決して新聞沙汰にはならないであろう、小さな世界の小さな出来事であった。
しかしながら、その普通なら陽の目を見ないはずの情報は、走り屋たちの個人的なネットワークを通じて、若者たちの間を電光石火に走り抜けた。
彼らは口々に語った。
バトルの勝敗を、ではない。
バトルの勝利者となったひとりの男の、隠し持っていたその正体についてである。
かつて最強を謳われた走り屋集団「ミッドナイトウルブス」において、なお別格の存在とされていたチームの参号機。
八神街道歴代最速とも噂されてきた、レジェンド級のドライバー。
それはまさしく、「神話」の帰還に等しかった。
全力を尽くすことでしか滾る血を鎮められない熱狂的な
見ていろ!
俺たちの
同地をねぐらとするベテランどもは、そう拳を振り上げ猛り狂った。
最近の八神を包む分厚い熱気の正体とは、そんな走り屋どもの放つ反骨精神の現れだったのである。
もっとも平日の、それも丑三つ時とも呼べるこの時間帯においてまだワインディングを攻めているような重症患者は、さほどの数には達しない。
今宵においても、いま走っているのが最後のそれと言ったところか。
八神街道の表ルート。
その長い下りを稲妻のように駆け降りる一台の青い「MR-S」
闇を切り裂くその姿は、あの「
換装した2ZZエンジンの雄叫びを轟かせながら、ミッドシップレイアウトの軽量ボディがゴールラインを駆け抜ける。
その瞬間を見計らい、チーム「ロスヴァイセ」代表の山本加奈子がストップウォッチのボタンを押した。
四分二十六秒二三。
それが針の指示しているタイムだった。
「凄いわ、リン! コースレコードまで、あとコンマ二秒よ!」
Uターンしてきた「MR-S」がゴール地点に戻るや否や、加奈子は慌ててそのすぐ側へと駆け寄った。
興奮気味にドライバーへ向けまくし立てる。
「この調子なら、今年中に記録更新まで持って行けそうじゃない!」
「駄目。全然駄目です」
しかし当の倫子本人は、そんな自分のタイムに満足してなどいないようだ。
難しい顔で耳元の髪をかき上げ、短く本心を口にする。
それは意外にも、まったく否定的な見解だった。
彼女は応えた。
「最低でも、あと三秒は縮めないと……」
「三秒?」
その具体的な数字を聞いて、加奈子の頭上に疑問符が点った。
「なんで三秒なの?」
「加奈子さん。わたしは正直言って、いまのコースレコードなんか眼中にないんです」
斬り落とすように倫子は答えた。
「あんなのは、しょせん通過地点に過ぎません。いまのわたしは、あくまでも四分二十三秒台しか目に入れてませんから」
「四分二十三秒台……って、まさか!」
「そう。壬生さんの作った非公式記録です」
眼鏡の奥で瞠目する加奈子に対し、「
「去年の夏にエボ
それからしばらくして加奈子がこの場を去ったのちも、倫子は峠攻めを終えなかった。
愛車「MR-S」の四十八リットル燃料タンクが空になる寸前まで、搭載した2ZZエンジンに激しく鞭を入れ続けた。
胸中に湧き起こる微少なミストが、何をやっても晴れてくれない。
その拭いきれない不快感が、知らず知らずのうち、彼女の右足に余計なこだわりを与えていた。
もやの原因ははっきりしている。
焦りだ。
あの「八神の魔術師」をこの手で撃墜する──つい先ほど、加奈子に向かって倫子は言った。
それは、誤解のしどころなどない正々堂々たる宣言だった。
「ミッドナイトウルブス」のミブローに戦いを挑み、これを正面から打ち破る。
その決意と方向性に関して言えば、彼女の中に寸分たりとも迷いはない。
だがしかし、それを成し遂げる手段については、いまの倫子の引き出しに具体案などひとつもなかった。
クリアなコースにおける三秒というタイム差。
最低でもこれを削りきることなくして、「伝説」を打破することなど有り得ないのだ。
でも、それを達成するためにはどうすればいいのか。
倫子の視界にはリアルな道筋が見当たらず、そのことが忌々しいプレッシャーとなって彼女の背中にのしかかってきていた。
いまのわたしのベストタイムは、さっき出した四分二十六秒二三──つまり、二百六十六秒とちょっとってことだ。
スタート地点に戻る最中、ステアリングを握りながら倫子は思った。
その内訳から三秒分を排除する。
比率は、二百六十六分の二百六十三。
およそ九十八.八パーセント。
平均速度が同じなら、たった一.二パーセントだけ走る距離を短くすればいい。
または、走る距離を同じくして、平均速度をたった一.二パーセント向上させるだけでいい。
なんだ簡単じゃないか。
言葉で見ればそうだろう。
だけど、いざ実行するとなると、それは容易いことじゃない。
口で言うほど簡単に物事が進むのなら、世の中は、これほど複雑にできてないはずだ。
たかが一.二パーセント。
されど一.二パーセント。
煮詰まった大脳新皮質が、倫子の思考を次第次第に視野狭窄へと追い込んでいく。
どうすればいい?
どうすれば、わたしはあのひとに勝てる?
そんな倫子の「MR-S」が一台の対向車とすれ違ったのは、彼女が八神表のスタート地点に到着しいままさにラストのアタックに臨もうとしていた、その矢先でのことだった。
黒一色の角張ったセダン。
トランク上に屹立する大きなウイング。
間違いない。
あれは三菱の高性能4WD「ランサー・エボリューション」だ。
桜野市方向からやってきたそのクルマの正体を、倫子は素早く看破した。
走り屋か?
一瞬だけだが彼女は訝る。
だが、思えばその推察は、まったく的外れなものだった。
そもそも深夜にワインディングを訪れるような物好きがその係累でない可能性など、皆無と言っても構わない。
しかもその乗車は、「インプレッサWRX」と並ぶ
それ以外の結論を、いったいどうやって導き出せというのだろう。
彼女の顔に、ふっと薄ら笑いが浮かび上がった。
よりによってこんな時間に。とんだ
自分のことを棚に上げつつ、車内時計に目をやる倫子。
デジタル画面に表示された現在時刻は、すでに午前四時に迫っていた。
そういえば、東の空が少しだけ明るくなってきているようにも見受けられる。
「まあ、せいぜい頑張んなさい」
見知らぬ
ただし、アクセルペダルの踏み込みは、全開走行にはほど遠い。
倫子にとってこのアタックが本気印のものではないという、それは何よりの証拠だった。
いわばこれは、おさらいのための確認行為なのである。
そんな倫子に異変が襲いかかったのは、青い「MR-S」が八神口の坂を登り始めた、ちょうどその瞬間のことであった。
突如としてけたたましいスキール音が発生し、彼女の両耳を真一文字に撃ち抜いたのである。
何事、とばかりに振り向く倫子。
その眼の中に、それまで存在していなかったはずのヘッドライトが映り込んだ。
そうか。
それを見た彼女は瞬時にして悟った。
さっきの激しいスキール音は、あの黒い「ランエボ」がすれ違いざまにスピンターンを決めた音だったのだ。
そして、何が目的なのかはわからないけど、こちらに対して追尾の意思をあらわにしている。
「MR-S」の背後に付いた黒い「ランエボ」が意図してヘッドライトを瞬かせたのは、それから一秒も経たないうちの出来事だった。
パッシング。
この位置関係におけるそれは、走り屋にとって宣戦布告の意味を持つ。
不躾な挑戦状を叩き付けられた倫子の背筋に、灼熱のマグマが駆け上った。
「上等じゃない」
不敵に笑って彼女は呟く。
「ついてこられるものなら、ついてきてみなさいな!」
言うが早いか、倫子の左手が翻った。
シフトノブが
続けざまにペダルが床まで踏み込まれ、呼応した2ZZエンジンが狂ったように叫び始めた。
セミスリックを履いた後輪が、親の敵とばかりにアスファルトを蹴る。
怒濤のごときトラクションが、「MR-S」の軽量ボディを一気に前へと押し進めた。
その勢いを維持したまま、彼女の愛車は最初のコーナーに突入する。
スキール音が暗い夜道に轟き渡った。
それは、まさしく「閃光」だった。
鮮やかに過ぎるその姿は、
猛然と疾駆する「MR-S」
そのテールランプの残像が、深夜の路上に弧を描いた。
美しくも無駄のない、芸術的とすら言える走行ライン。
これを一目するだけで、そのドライバーの尋常ならざる
少なくとも、一般的な走り屋クラスが手の届くレベルにはない。
しかしながら、追従する黒い「ランエボ」は、そんな「MR-S」の真後ろにがっちり食らいついたままだった。
後落する気配など微塵もない。
進入時こそわずかに遅れてみせるものの、4WDの加速力を生かした立ち上がりで、見事にそれをリカバリーしてみせるのだ。
ある意味で、面白くも何ともない教科書どおりのグリップ走行。
されど、その戦術が間違っていないことだけは確かだった。
「へぇ、やるじゃない」
歯をむき出しにして倫子が吠えた。
闘争心が言葉になって、口を伝って迸り出る。
「ちょうどさ、色々とすっきりさせたかったところなのよね。どこの誰かは知らないけど、遊んでくれて感謝するわ!」
八神表の中間区域。
このあたりから路面の傾斜がきつくなる。
単純な直線や高速コーナーが少なくなり、中低速コーナーの比率が高まるのもこの区間だ。
八神街道において最もテクニカルなステージであると同時に、低いギアからの加速力がモノを言う場所でもある。
誤解を覚悟で断言するなら、ここはハイパワー四駆の独壇場なのだ。
しかし倫子は、どういうわけかこの区間を決戦エリアとすることが多かった。
それは、このテクニカルステージこそが走り屋としての自分の力を一番発揮できるところなのだと、彼女が堅く信じていたからだった。
いやむしろ、「パワーに勝る強敵をコーナリングで打ち破ってこそホンモノ」という独自の信念に肩までどっぷり浸っていたから、と言ったほうが正確か。
そして、ときおり
頭のネジが二、三本吹っ飛んでいるのではないかと思わせる速度でコーナーへと突っ込み、「インをデッドに攻め」ながら、高いアベレージを維持したままで稲妻のように抜けていく。
いったん脱出姿勢が定まったのちは、もちろんアクセル全開だ。
もし後続視点に着けたとしたら、その者はコーナリングのたび、「MR-S」の青いボディが、フッ、フッ、と視界の端に消えるさまを、しかと目撃することができただろう。
だがしかし、黒い「ランエボ」のドライバーは、そんな彼女に食い下がった。
ハイパワー四駆の基本、「きっちり車速を落とし、最短距離を立ち上がる」を徹底し、倫子の
どうやら「ランエボ」のドライバーは、初めから腕の勝負に固執するつもりはないようだった。
とはいえ、それを「卑怯」とか「姑息」とかの言葉で評することはできない。
なぜならば、いわゆる「走り屋」の実力というものは、しょせん「乗り手」と「クルマ」との総合力のことを言うのだからだ。
さすがは「ランエボ」──と、倫子は唸った。
伊達にラリーマシン最強の座を「インプレッサ」と争っているわけじゃない。
カタログ値二百八十馬力を発揮する4G63エンジンをフロントに搭載し、最新の電子機器で制御されたその運動性能は、いとも容易くアンダーステアを打倒する。
正直な話、これを市販車として販売するのは反則なんじゃないだろうか。
そう思えてしまうほどの実力であった。
もっとも、その戦闘力をフル活用するためには、やはりそれ相応の
ハイパワー四駆だからといって誰でも早く走れるかと言えば、それは明らかな間違いだ。
駆動方式にかかわらず、いわゆる「路上の戦闘機」と呼ばれるクルマの類は、その能力に相応しい乗り手以外には決して微笑んでくれないのである。
その点で言えば、この黒い「ランエボ」のドライバーこそ、戦馬から認められた数少ない騎士だと言えた。
倫子もまた、その事実を受け入れざるを得ない。
結果として彼女は、この強敵を振り切ることができなかった。
テール・トゥ・ノーズとまではいかないにしろ、黒い「ランエボ」は、倫子の「MR-S」にぴったり追従する形でゴールラインを駆け抜けた。
ただし、その結末が倫子の敗北を意味していたというわけではもちろんない。
確かに彼女は対戦相手から逃れられなかったが、その一方でこの黒い「ランエボ」もまた、倫子の「MR-S」をパスすることができなかったからだ。
両車のスタートが先行後追いであったことを勘案すると、このバトル、「引き分け」という評価が最も近いのではないかと思われた。
激しいデッドヒートを経て、減速しながら「和食処やまぐち」の駐車場に進入を始める倫子の青い「MR-S」
その振る舞いはまるで、後続する敵手に向かって手招きをしているかのごときであった。
いや、実際に「ついてこい」と告げているのであろう。
「MR-S」のハザードランプが、ちかちかと明滅を繰り返している。
黒い「ランエボ」のドライバーは、倫子の送ったそんな合図を違えることなく受け取った。
愛車をゆっくり「MR-S」に追従させ、そのすぐ後ろに停車させる。
「ランエボ」の運転席側ドアが開いたのは、倫子が「MR-S」から降り立った、その直後のことであった。
「さすがだな」
ぬっと姿を現した黒い「ランエボ」のドライバーが、野太い声で第一声を放った。
「八神街道の『
それは、肩幅の広いごつごつした体格の男だった。
胸の厚さもそれなりで、着ているシャツを内側から突き破らんとしている。
一見してその佇まいは、走り屋と言うより格闘家的な印象を醸し出していた。
顔立ちもまた、その体付きに相応しく十分以上に厳ついものだ。
年の頃は三十路に少し足りないくらいか。
短く刈った髪型こそそれなりに若作りであったが、どちらかと言えば実年齢より老けて見えるタイプである。
「褒めてくれてありがと」
そんな男に歩み寄りながら、突き刺すように倫子が言った。
「あなたのほうこそ、噂以上の腕前だったわ。実はね、機会があれば一度手合わせしていただこうと思ってたところなのよ。本番前の練習相手としてね」
「ほう」
男の顔がわずかに歪んだ。
「なんか俺のことを知ってるみてェな口振りだな?」
「ま、面識があるってわけじゃないんだけどね」
男の疑問に倫子が答える。
「下りのコースで全開のわたしについてこれる走り屋なんて、このあたりにはそうそういないもの。ましてやそれがランエボとくれば、当然、真っ先にあなたのことが思い付くわ。八神下りのタイトルホルダー、『
「ははッ、あんたみてェなべっぴんさんに名前おぼえてもらえるんなら、こんなことで有名になるってェのも悪くねェな」
「余計なお世辞は結構よ」
笑いとともに放たれた見え見えの軽口を、彼女はばっさり切り捨てた。
「そんなことより──」とひと言おいて、会話の続きに突き進む。
思わず顔を引きつらせたこの二階堂という男に対し、倫子は構わず問いの言葉を投げつけた。
「わたしはね、まがりなりにも八神街道最速と言われる男が、なんでまたこんな時間にわざわざホームグラウンドまでおいでなさったのか、そっちのほうに興味があるのよ」
「単なる気紛れと練習のため──と答えたところで、あんたは納得しそうにないわな」
そんな彼女の質問を聞き、なんとも芝居がかったため息をつく二階堂。
それを受けた倫子もまた、当然とばかりに大きく頷く。
「会ってみたくなったのさ。伝説の『魔術師』とやらにな」
肩をすくめて彼は答えた。
「実はあれ以来、ちょこちょこといろんな
「一方的に喧嘩売ってきたくせに、感謝するも何もないものだわ」
莫迦負けしたように相好を崩す倫子。
だが次の刹那、その表情を一変させつつ確認の言葉を彼女は放った。
「どうやらあなた、見ちゃったみたいね。あの日のバトルを」
「ああ、しかとこの目で見届けたぜ。あのいけ好かねェ芹沢の野郎がコークスクリューで自爆した、まさにその決定的瞬間って奴をな」
「やっぱりね」
二階堂の返事に、倫子は軽く苦笑いを浮かべる。
「ま、そうじゃないとお互い、こーんな寝不足必至の時間帯にわざわざお出かけしようなんて気にならないか。まったく嫌なものね。走り屋こじらせた重症患者って奴は」
「言ってくれるぜ」
二階堂もまた、わずかに口元を綻ばせた。
「あんただって、同じ穴の狢じゃねェか」
「個人的には一緒にして欲しくなんてないけど、残念ながら、そこだけは否定できないわね」
どこか嬉しそうに倫子は言った。
「で、そんなあなたは、あのひとと会っていったいどうするつもりなの? どうせ、世間話したいだけ、なんてわけじゃないんでしょ?」
「もちろん」
二階堂は胸を張った。
「挑ませてもらうのさ。この八神街道のリアルチャンプとしてな」
「だと思った」
「音に聞く
興奮気味に彼は続ける。
「『八神の魔術師』壬生翔一郞……あのバトル、いったいどんなトリックを使ったらああなっちまうのか。いまの俺の頭じゃ皆目見当付かねェが、それでもこれだけははっきりとわかった。ありゃあ魔術師なんてご大層な
エネルギッシュな口調とは裏腹に、それはややネガティブ寄りな発言だった。
倫子がすかさず茶々を入れる。
「へぇ、自信たっぷりに大口叩くのかと思えば、意外と殊勝な態度じゃない」
「事実は事実だからな。否定したって始まらねェさ。ただし──」
「ただし?」
「ただし、俺にペテンは通じねェ」
二階堂は断言した。
「速さって奴の裏付けがしょせんは全部物理法則なんだってことを、俺はこれまでサーキットやらなんやらで嫌ってほど味わってっからな。詐欺やごまかしでクルマの加速は良くなんねェし、コーナリングスピードが上がるってわけでもねェ。
走りの根っこを支えるものは、ぶっちゃけ言えば理屈どおりの方程式だ。
だからよ。俺はあの夜、確信したのさ。勝ちの理由を相手のミスに頼ってるようじゃ、伝説の魔術師とやらもたいしたことねェ。きっちり正攻法で行きさえすりゃあ、俺の優位は動かねェってな」
それは、清々しいほど自信に満ちあふれた言葉であった。
おのれの腕前に対する絶対の信頼が、台詞の端々からあからさまに顔を出している。
よほどひねくれた感性の持ち主でなければ、そこに相応の説得力というものを見出してしまうはずだ。
だが、そうした彼の発言を、倫子は即座に混ぜっ返した。
「さぁて、それはどうかしらね」
嘲るように彼女は言った。
「あの状況からいまのわたしをパスできない程度の走り屋が、いったいどうやってあの『八神の魔術師』に打ち勝とうっていうの? 自信過剰も大概にしておいたほうが、結局はあなた自身の身のためなんじゃない? あとで恥かいちゃうのはそっちなんだからさ」
「なんだ? やけにあの男の肩を持つじゃねェか」
苦笑しながら二階堂が切り返す。
「もしかして惚れたか?」
「莫迦なこと言わないで」
そう二階堂からからかわれても、倫子の態度に変化はなかった。
たしなめるように彼女は言う。
「あのひとにはね、こないだのバトルで代役を買って出てもらった恩義があるのよ。それだけでも、このわたしが彼の肩を持つ十分以上の理由になるでしょ? つまんない邪推はやめてちょうだいな。それにね──」
「それに?」
「彼の伝説に土をつけるのは、わたしのほうが先約なの。悪いけど、この件だけは絶対に譲れないわ。たとえ、相手がどんな奴であろうともね」
「おいおい。ごちそうは早い者勝ちって言葉を知らねェのかい?」
「もちろん知ってるわ」
切り捨てるように倫子が言った。
「でもどのみち、いまのあなたじゃ遠く壬生さんには及ばない。『速さ』と『強さ』を混同しているような連中にやられちゃうほど、あのひとは底の浅い走り屋じゃないもの。でも困ったことに、目の前にいる当の本人がそれを理解しているようには到底思えないのよね」
「ああ。仰るとおり、さっぱりわかんねェな」
二階堂もまた、険しい視線を倫子に向ける。
そして、気迫とともに言い放った。
「だがそこまで言われちゃあ、こっちだって一歩たりとも譲れねェ。あんたがどんな哲学持ってるかは知らねェけどよ、走り屋にとっちゃあ『
だからあんたにゃ悪いが、俺はあの伝説の魔術師とやらをこの手で倒して、俺の培ってきたものの正しさって奴を立派に証明してみせるぜ。
いいか、おぼえとけ! いまの八神街道最速で最強なのは、噂話の
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