第十五話:バレットクラブ

「とは言ってみたものの、これだけ空振りが続いちゃなあ」

 熱い日差しが照りつけるなか、二階堂和也は力なくぼやいた。

 恨めしそうに天を仰いで、額の汗をタオルで拭う。

 これまで何度となく漏らしてきた愚痴が、またぞろ口をついて出た。

「『ミッドナイトウルブス』のミブロー……一体全体、どこ行きゃその面拝めるってェんだ?」

 夜更けの八神街道で、倫子を前に堂々たる啖呵を切ってから早数日。

 残念なことに、二階堂は未だ目指す目標戦うべき相手を捕捉することができずにいた。

 やまの走り屋が使うクルマとしては極めて珍しい「レガシィB4」

 その存在は、深夜のワインディングでは間違いなく悪目立ちする場違いなもののはずだ。

 にもかかわらず、「八神の魔術師」に対する目撃情報はまったくなかった。

 少なくとも、二階堂自身の個人的ネットワークには引っかかっていない。

 冗談じゃないぜ。

 ちっと軽く舌打ちして彼は思った。

 ぽっと出てきたロートル風情に格好いいとこ取られたままじゃ、俺ら八神の走り屋の面目丸潰れだかんな。一刻も早く見付け出して、きっちり落とし前付けねェと。

 じとりとにじむ汗とともに、若干の焦燥が背筋にうずく不快な何かを形成している。

 それを意図して振り切るように、白衣をまとった「弾丸野郎」は、目の前に建つショッピングセンターへと大股で進入していった。


 ◆◆◆


 二階堂和也は柔道整復師である。

 実家は祖父の代より続く年季の入った接骨院で、短大で正規の養成教育を受けた彼も、両親が後を継いだその診療所にて就業している。

 おそらくは、そのまま三代目となることだろう。

 そのことについては、彼自身にも否はない。

 もはや常連とすら言えそうな近所の老若男女から「若先生」と呼ばれて親しまれるのは、極めて得がたい快感だからだ。

 そんな「若先生」が仕事場を離れて外出に及んだのは、ちょっとした買い物が目的だった。

 プリンターで使用していたA4の用紙などが、たまたま底を突く寸前だったのである。

 時間はおよそ午後六時。

 そろそろ部活動を終えた学生連中が、あそこが痛い、ここが痛い、などと押し寄せてくる時間帯だ。

 いまのうちに諸々の物品購入を済ましておかないと、目を離す暇さえなくなってしまう。

 施術のほどを父母に任せ、彼はひとりで近所のショッピングセンターに向かった。

 その二十四時間営業の大型店舗は、買い物時とも重なって多量の来客でごった返している。

 目的の品を手に入れた二階堂がレジを済ませたのは、この場に足を踏み入れてから十分以上が過ぎてのちのことだ。

 精算を待つ買い物客の列が、尋常なそれではなかったのである。

「たまんねェな」

 店を出た彼は、ふたたびぼそりとぼやいた。

「ただでさえここんとこいらつくことが多いってェのに、こうも毎日暑苦しくちゃ、精神衛生上もよくねェや。週末の休みに、すぱっとサーキットでも走ってくるとすっか」

 白いレジ袋を片手に駐車場を行く二階堂の目にそのクルマが映り込んだのは、それからすぐのことだった。

 いまとなってはやや旧式とも言える、BE型の「レガシィB4」

 ボディカラーは光沢の入った黒ブラックパールマイカで、その身を固めてあるのは純正タイプのエアロパーツ。

 それは、噂に聞くあの「魔術師」の愛車とまったく同じ型だった。

 駐車場の一角に停まるそのクルマに向け、二階堂は無意識のうちに足を向けた。

「これなんだよな」

 至近の距離で足を止め、苦笑いとともにひとりごつ。

「だいたいよォ、この手の黒いレガシィなんざたいして珍しいクルマでもねェのに、なんだってこんなに探すの苦労しなけりゃなんねェんだ? いっそのこと『実はこいつが例のクルマでした!』なんて秀逸なギャグを、走り屋の神さまが一発かましてくれないもんかねェ。そうすりゃあ、俺の手間が一気に省けちまうってもんなんだが……ま、さすがにそんなうまい話は転がってねェか」

 そう言いながらも、二階堂は眼の前にあるセダンの車内に視線を落とす。

 それは、なんとも未練タラタラな、そんな眼差しであった。

 フロントガラス越しに見えるダッシュボード上には、都合四つの追加メーターが設置してある。

 運転席側右に単体のものがひとつ、中央部分にフードのかかった三連メーターがひとつという組み合わせだ。

 単体のがブースト計。

 三連が、それぞれ油温、水温、油圧だな。

 二階堂はそのように推測し、なお興味深く観察を続ける。

 見ると、ドライバーズシートはレカロ社製のセミバケットだ。

 プロドライブ製四点シートベルトの存在も確認できる。

 もちろん、ステアリングは純正のものではない。

「なんだ。結構やってあるクルマじゃねえか」

 ヒュー、と軽く口笛を吹いたのち、彼はその場でしゃがみ込む。

 不意にタイヤの接地面を見てみたくなったのだ。

「ダンロップのハイグリップラジアルか。最近流行ってる奴だな。どれどれ」

 周囲の視線を気にかけず、二階堂はタイヤハウスを覗き込んだ。

「おお、溶けてる溶けてる」

 感慨深げに彼は言った。

「なんともいい具合に熱入れてやってるじゃねェか。しかも減り方が絶妙。こりゃ、上手に荷重移動できてる証拠だな。どこ走ってんのか知らねェが、いい腕だ。クルマが違ってたら、一度お手合わせ願いてェもんだぜ」

 そうこうしているうちに、二階堂の背後から男女の会話が風に乗って流れてきた。

 買い物帰りのカップルなのだろうか。

 軽快かつ親しげな言葉の応酬が、否応なしに聞こえてくる。

「何よ、その嫌そうな顔は。せっかくこのボクがボクの彼氏ポジションっていう素晴らしい役割をあてがってあげてるのに、どうしてそんな仏頂面しちゃうかなぁ。翔兄ぃみたいなオジサンが滅多にできない、現役女子高生の彼氏役だよ。別に照れなくたっていいんだよ。こうして腕だって組んであげてるんだし、本音では嬉しかったりするんじゃないの?」

「いいか眞琴。日本語は正しく使え。これはな、彼氏役などという高尚なものではない。単なる荷物持ちというのだ。今後のためを思うなら、忘れずおぼえておくんだな」

「も~、相っ変わらずあったま固いんだから。もちょっと素直になっちゃえばさ、翔兄ぃにも意外と可愛いところあったりするんだから、もう少しその偏狭な性格のほうを改めたほうがいいと思うよ。ね?」

「おいおい。いい歳したオッサン捕まえて、いくらなんでも可愛いはないだろ。可愛いは」

「だって本当に可愛いんだもん。もしかして自覚ないの?」

「残念ながら、いっさいないね。だいたいな。おまえ、この俺のいったいどこが可愛いなんて思ってんだ? わかりやすく、具体的な箇所を挙げてみろよ」

「ヒ・ミ・ツ。教えてあげない」

「なんだよ、それ。からかってんのか?」

「えへへ~。それも、ヒ・ミ・ツ」

 チッ、リア充かよ。

 背中越しにふたりの会話を聞きながら、思わず二階堂は舌打ちした。

 無意識のうちに、不平不満が溢れ出る。

 言葉に出さず彼はぼやいた。

 まったく、恥ずかし気もなく昼の日中からいちゃつきやがって。

 こっちはな、そっちと違って彼女いない歴イコール年齢の非モテ野郎なんだよ。

 日々悶々とな、寂しい自分を噛み締めてる身分なんだよ。

 そんなにも「持ってる自分」をアピールしてェんなら、頼むからこんな往来でじゃなくってよ、手前の自宅で思う存分好き勝手にやってくれ。

 そんなふたりの足音が止まったのと彼のぼやきが終わったのとは、ほとんど同じタイミングだった。

 距離も近い。

 ほとんど真後ろと言っていい間合いだ。

 至近で佇むひとの息吹に、白衣を着た「若先生」がひょいと肩越しに振り向いた。

 しゃがんだままの格好で、気配の主に目を向ける。

 その視線の先に立っていたのは、やや不自然な組み合わせの男性と女性であった。

 買い物袋を右手に抱えたサラリーマン風の男と、見るからに活発そうなポニーテールの少女のつがい。

 男の側の年齢はどう低めに見積もっても三十路を越えているのが明らかだったし、少女のほうはその逆で、どう高めに見積もっても十代後半が関の山に見える。

 正直な話、純粋なカップルとしては、いささか歳が離れ過ぎだ。

 二十センチはありそうな身長差も、そうした違和感に拍車をかける効果をもたらしていた。

 恋人同士……じゃねェよな、こいつら。

 ひょっとして、親戚筋かなんかの関係なのか?

 その割には妙に親密そうな会話だったが、まさか援交だったりするんじゃねェだろうな。

 二階堂の目に困惑の色が浮かび上がるのと時を同じくして、少女の唇が言葉を紡いだ。

 馬の尻尾ををひょこっと揺らし、覗き込むようにして腰をかがめる。

 間を置かず、彼女は短く質問を放った。

「あの~、ウチのクルマに何か御用ですか?」

「あ、いや」

 問いかけの内容を即座に理解し、二階堂は立ち上がった。

 不穏な疑念を断ち切って、自分の立場を思い出す。

 そうか。

 こいつらは、この「レガシィ」の持ち主なんだ。

 ばつが悪そうに顔をしかめ、彼は思わず頭をかいた。

 自分らの愛車の側で知らない男がしゃがんで何かをしていたら、そりゃあ不審に思うわな。

「すいません。いいクルマだな、って思ったもんで、つい」

 振り向きながら二階堂は答えた。

 形ばかりの愛想笑いに続いて、走り屋の性が顔を出す。

 ぎこちなく相好を崩し、彼は尋ねた。

「このクルマ、随分とタイヤ溶けてますね。どこか走ってらっしゃったりするんですか?」

「あ、やっぱりわかります?」

 喜色満面にそう応じたのは、ポニーテールの少女のほうだ。

 年齢的なことを換算すると、このクルマが彼女のモノである可能性はなかなかに低い。

 にもかかわらずこの娘は、まるで自分の愛車が高評価を受けたかのように、眩しい笑顔を浮かべてみせた。

「そこに目が行っちゃうってことは」

 続けざまに少女が言った。

「もしかして、あなた八神街道の走り屋さんだったりするんですか?」

「えッ?」

 直球勝負の質問に、二階堂は面食らった。

 反射的に、返しの言葉が口を突く。

、ってことはそちらさんも?」

「モチロン!」

 「おいおい」と傍らの男性が困り顔で制止するのを振り切って、ポニテの少女は胸を張った。

 鼻息荒く、一気呵成に言い放つ。

「地元の走り屋さんなら聞いたことあるでしょ? こないだ大鳴山の『カイザー』をやっつけた『八神の魔術師』、あの『ミッドナイトウルブス』参号機の伝説を!」

「『ミッドナイトウルブス』!?」

 その名を聞いた二階堂の目が、これ以上ないほどに見開かれた。

 ポニテの少女の発言が、その表情をすぐさま追い討つ。

「そう。そして何を隠そう、ここにいるこのひとこそが、その栄えある『ミッドナイトウルブス』の参号機。伝説の『八神の魔術師』そのひとなんですよ! 驚きました?」

 誇らしげに放たれた彼女の言葉が、「若先生」の動きを止めた。

 その場で棒立ちする白衣の男に、連れ合いから「魔術師」と号された男性が、なんとも訝しげな眼差しを送る。

 その目の奥に潜んでいたのは、あからさまに迷惑そうな色彩だ。

 勘弁してくれ、という哀願がいまにも聞こえてきそうなほどである。

 しかしながら、当の二階堂にそうした心情は届かなかった。

 硬直から解かれた彼は、次の瞬間、予期せぬ幸運を天に向かって感謝する。

 興奮に打ち震える自分を顧みることなく、二階堂は本能的に口を開いた。

「それじゃあ、『ミッドナイトウルブス』のミブローってェのはあんたのことなのか? 『皇帝カイザー』の芹沢聡、四百馬力のRX-7を撃墜して、ド派手な現役復帰を果たしたっていう──」

「現役復帰を果たしたってのには語弊があるな」

 やけくそ気味に頭をひっかき、しかめっ面で男は答えた。

「だがまあ、それ以外についてなら間違っちゃいない。極めて不本意な話ではあるがね」

「探してたんだぜ、あんたのことを」

 二階堂の瞳に闘争心の炎が宿った。

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