第7話 モンキー04

 天府が匂いを追うままに、カルラもセイリンも駆けた。

 すぐにその行く先には当たりが付く。

 それはセイリンが罠を仕掛けた方角だった。

 その場所に辿り着くと、確かにそこに猿の魔獣の姿があった。

 もがき苦しむ羽虫のように、セイリンが仕掛けた銀糸の罠に絡め取られていた。

 そして、その前には巨大なカラスを侍らせるように立つ、白装束の男の姿があった。

 背を向けていて、その顔は見えなかったが、それはあの夕方に見た細面の男に間違いないだろう。


「田舎術士か」


 男は振り返りもせずにつぶやいた。

 カラスの方はわずかに頭を巡らすだけだった。鳥の視界は広い。

 それだけでセイリンたちを、特に天府を視界に入れることができたようだ。

 ニワトリと違って、夜であってもその目はしっかりとセイリンたちを捉えているように見えた。

 カラスの額にある面、それをセイリンは注視する。

 セイリンの手にする松明だけでは決して良くは見えない。

 だが、ひと目で老爺やセイリンの面とは違っているのが分かった。

 その目は睨まれるように見開かれ、閉じられた口元は内面の怒りを示すように歪んでいる。

 そう、怒りだ。

 他を威圧するような感情、それが示されているように。

 それでありながら、魔獣の持つ暴力性の爆発とも呼ぶべき様相とは確かに違っている。

 発散される怒りではなく、どこか抑制されているような、発してなる感情ではなく、意志によるものとして。

 確かにそれは人なのだ。

 人の見せる顔なのだ。

 その面を見たから感じるのか、カラスの目にも、他人を威圧するようなそんな感情が篭っているような気がした。


「吽形の面」


 カルラが呟くのをセイリンは確かに聞いた。

 カルラはどうやらあの面を知っているらしい。

 その声には微かな震え。

 男はカルラにも、セイリンにも、天府にも興味がなく、まるで見ようともしないままに目前の魔獣へと動いた。

 男の手には小太刀が、そして面があった。

 そのことにやっとセイリンは気がついた。

 面があり、刃がある。

 これから男がすることは明らかだった。

 転変した魔獣を従え、目の前には未だ転変していない魔獣がいる。

 ならばすることはひとつしかない。


「……金剛」


 再びカルラが呟く。

 今度は震えはなく、はっきりとした声で。

 その声には感情が、意志が込められていた。

 私はお前を知っている。

 お前がしたことを知っている。

 敵意。

 カルラは今、獣や魔獣に向けるものとも違う敵意をはっきりと抱いていた。

 己の敵に警戒し、緊張すら覚えている。

 そんなカルラとは対照的に、男はあっさりとした物言いだった。

 緊張も、警戒もない。

 あるのは単純な不快感だけ。


「誰だか知らんが気軽に私を呼ばわるな。……なんだこの罠は。今にも糸が緩みそうではないか。こんな罠でよくも魔獣を捕らえようなどと考えたものだ」


 舌打ちしながらも、男は猿へと近づいていく。

 確かに銀糸は緩み始めていて、すぐにも猿が抜けだしてしまいそうにも見えた。

 だが、それは男の考え違いだった。

 セイリンの罠は、そこにセイリンがいて初めて完全に機能する。

 セイリンの罠はセイリンが操って作動させるものであり、言ってしまえば道具なのだ。だから、仕掛けられた銀糸そのものだけで、魔獣の動きを完全に封じ込めるものではない。

 男が知っている罠は、側に誰も立たず、ただ仕掛け、魔獣がかかるのを待つ。そういう罠だった。

 それは罠を作る者、面を作る者、実際に転変させる者、それぞれが分かれているが故に、それぞれの領分に口を出さず、それぞれが完璧を求めていった末にそうなった。

 確かにそれはそれで大したものなのだが、場所に応じて、魔獣に応じて対処することができず、決まった狩り場や既に把握されている場所でない限り、すぐに展開できるものではない。

 だが、セイリンのそれはセイリン自身がその場で対処するために即応性に優れ、どんな魔獣でも捕らえられる可能性がある。

 セイリンにはそんな違いなど分からなく、不足があると言われれば、確かに老爺と比べても未熟であると自覚している。

 だからこそ反論しなかったのだが、反論がないことに勝ち誇ったように男は告げる。


「罠は素人同然。しかし自分で転変させた魔獣を連れる。都から逃げ出した術士にでも教わったのか?田舎術士の素人術士め。お前の魔獣はマグレで転変させられただけだ。そこで見ていろ。黒曜、おさえろ」


 男の言葉に黒曜と呼ばれたカラスが羽ばたき飛んだ。

 黒曜はもがく猿の直上で、ふわりと静かに降り立つ。

 猿の頭を踏みつけるようにして。

 既にその身に銀糸がからまっていて、さらに頭を踏みつけられて猿の動きが止まる。

 黒曜の3本の足、その中央の1本が猿の頭をしっかりと捉えている。

 猿の頭が男の正面へと、黒曜の中央の足によって持ち上がる。

 そうして、男が呟いた。

 色は失望。

 苛立たしげに、自分が来たのは間違いだったとでも言うように。


「発牙させるために時を置いたのに、この程度とは」


 言葉にカルラが足を踏み出しかけた。

 黒曜の視線にぶつかって、カルラの足が止まる。

 カルラの顔には苛立ちが浮かんでいた。

 この男は誰が相手であっても容赦がない。

 このまま踏み出せば、どうなるのかは容易に想像できた。

 今、カルラはセイリンには見せたことのない顔をしている。

 だが、セイリンはそれを見ることはなかった。

 そんな余裕はなかった。

 側にいるカルラのことを気遣うような、そんな余裕はなかったのだ。


 発牙させるために時を置いた?

 男の言葉に衝撃を受けていた。

 わざわざ発牙させるために、この男はすぐには現れなかったというのか?

 時が経てば経つほどに、被害者は増える。

 被害は大きくなっていく。

 そうして魔獣はより強く、自らを発牙させていく

 被害に比例して。

 死んだ人間の数に比例して。

 捕らえず放置して発牙させる、それはつまり人間を魔獣に贄として捧げる行為に他ならない。

 人間が人間を餌としたのか?

 セイリンの身体から力が抜けた。

 この男は何を言っているのだ?

 この男は人ではないのか?

 術士ではないのか?

 いや、例え衛士や術士でなくとも、魔獣に襲われる人がいれば助ける、それこそが人ではないのか?

 セイリンが考える間にも、男は転変を進めていく。

 猿の顔から血が流れる。

 そうして、男は面をそこに押し付けた。

 面が示す相は黒曜と同じく、怒りを示している。

 違うのは、その口が開かれた形になっていることくらいだろうか。

 怒り。

 セイリン自身はそう怒ったことというのはない。

 自らの不甲斐なさに、それに近い感情というのは覚えたことがある。

 だが、誰かに対してそれをぶつけることというのはなかった。

 面が示す相が怒りであると分かる。

 分かるということは、つまり怒りを知っているということ。

 だからその相が怒りであると分かる。

 セイリンの心がざわついた。

 男は言った。


 この程度とは。


 それはつまり、十分に時を置いたはずなのに、まだこの程度しか人間を食べていないのかということに他ならない。

 この地には必死に民を守ろうと、働き続ける人間がいた。

 犠牲になったのは、民だけでない。衛士も随分犠牲になっている。

 それを、この程度とは?

 セイリンの心に火が灯った。

 それはセイリンにとっての初めての感情かもしれない。

 他者に対して、真実、怒りを覚えるのは。


 面は猿の顔よりもはるかに小さく、猿の目がしっかりと見える。

 魔獣としての、性が消えていく。

 どこか冴えたような、冷たい月を思わせる目だ。

 先程までの、暴力に浮かされたような熱はそこにはない。

 しかし、セイリンや老爺が転変させた魔獣とはどこか様子が違った。

 他者に対する圧力が残ったままだった。

 自らの他を威圧する、そんな光がこぼれているようだった。

 転変を終えたのか、猿は既に暴れてはいない。

 それを確認するよりも早く、男は手にしていた小太刀で銀糸を切り払っていく。

 セイリンの作った罠が、何の敬意もなく壊されていく。

 自身が作った罠ではなかったにも関わらず、まるでそれを自身が自由にして良いと、いや誰が作ったものなのかなど、最初から考えていないような振る舞い。

 セイリンは自らも知らないうちに足を踏み出していた。

 それに合わせるように、側にいた天府がセイリンの1歩前へと間を詰めた。

 自身を失いかけている主人を守るように。かばうように。

 セイリンのことよりも、そんな天府を警戒したのだろう。戒めから解き放たれた猿が男とセイリンの間に進み出る。

 天府が僅かに口の端に、その牙を見せた。

 主の怒りを代弁するように。

 猿がやや身を屈める。いつでも飛び出せると言わんばかりの姿勢。

 明らかに空気が変わった。

 そうして男がやっとセイリンをまともに見た。

 ずっと無視するように、ちらりとも目を向けなかった男が、金剛がはじめてセイリンの顔を、目を見た。

 視線がぶつかり、金剛の眉根にシワが寄る。

 セイリンの目、そこにある怒りを見て取り、セイリンがそこにいること自体が腹立たしいとでも言うべき表情で口を開いた。


「なんだ、横取りされたとでも言いたいのか?自分の実力も悟れない痴れ者だな。誰から教わったのか知らんが、貴様が魔獣を転変させようなど、億劫の時が必要と知れ。ちょっと罠が作れるだけで、いい気になるな。面もどうせどこぞの田舎術士からもらっただけであろう。琥珀、そんな雑魚に構うな。黒曜、用は済んだ。行くぞ」


 猿の魔獣、新たに琥珀と名付けられたそれが金剛を抱えると、黒曜は猿ともども掴みとり、そのまま暗いままの夜空へと舞い上がっていく。

 セイリンは動けなかった。

 天府も黙って見送った。

 セイリンはたったひとつの言葉すら、金剛に放てなかった。

 どこかで考えてしまったのかもしれない。

 2頭もの魔獣を従える相手に、何が出来るのかと。

 それでも後悔が残った。

 あの男には何を言っても、何をしても、響かない。

 それは目つきから、言葉から明らかだ。

 それでも何か言うべきだったのではないか?

 何を言えば良かったのか?

 答えは出ない。

 あの男に対する怒りと同様に、自身の不甲斐なさに悔しくなる。

 セイリンの心は乱れていた。

 あまりにも昂ぶった感情が、行き場もなく自分自身に襲いかかっていた。

 自らに灯った感情、それをどうしたら良いのかも分からず、空へと舞い上がった金剛たちをただただ睨んでいた。

 ずっと。

 夜の闇に紛れて消え、既にそこにはいないと分かっていても。


「金剛。都でも随一の影響力を持つ者だ。当然、個人で魔獣を従えている。あのふたつの面はそれぞれ、猿のを阿形の面、鳥のを吽形の面と呼ぶ。都に行けば、関わらずにはいられないかもしれないが、あなたはなるべくなら関り合いにならない方が良い……その理由は今のあなたになら分かるはずだ」


 今も感情のままに空を睨むセイリンからカルラは離れ、切られ、バラバラになった銀糸の中から長さが残っているものを拾い集める。


「酷いことをする。銀糸を手に入れなくてはならないな」


 セイリンの罠は、セイリン自身が解けば、再び使えるようになるのだが、こうなってはもうどうしようもない。

 話しかけられても、セイリンに言葉はなく、そしてカルラにも言葉はなくなった。

 カルラ自身にも考えることがあったのだ。

 金剛は都へとまっすぐに戻るだろう。

 そうして今回の顛末を上に報告するはずだ。

 そこで都の知らない術士を見たと。

 果たしてそうなった時に、どんな影響が出るだろうか?

 カルラ自身にも、金剛とは因縁がない訳ではない。

 向こうの様子では、カルラのことなどとうの昔に忘れたのだろうが、カルラの方は忘れるはずがない。

 きっとあの男はセイリンにとって、よくない影響をもたらすだろう。

 カルラが今までに見たことのない表情を空へと向けるセイリンを見て、カルラは決意した。

 すぐにでも都に行く必要がある。

 だが、セイリンがすぐに都に着くのは絶対に良くない。

 教えたいことはまだまだある。

 それ以上に、もっとセイリンと旅をしたいと思っていた。

 それでも、カルラは心に決めた。

 この里が、セイリンと別れるべき場所なのであると。

 暗い夜道をふたりで歩く。

 それがこの旅路で、ふたりで歩いた最後の道だった。





 少志たち、衛士隊を探して事の次第を説明し、魔獣の脅威が去ったことを告げ、少志の役宅へと戻った時には、夜明けまでの時間はそれほどなかった。

 それでも休もうと、床についたのだが、セイリンはなかなか眠りにつくことができなかった。

 未だにセイリンの中にくすぶっている思いがある。

 術士とはなんなのか。

 術士にとって、魔獣とはただの道具に過ぎないのか。

 その道具を得るためならば、何をしても良いというのか。

 心も体も少しも休まった気がしなかったが、それでも少しは眠っていたのか、朝には普通に起きて、少志とカルラと食事を共にした。

 少志からは改めて、礼を言われた。

 あの魔獣を捕らえたのは、別の術士だ。

 そう言っても、それでも、と頭を下げられた。

 謝礼として、少なくない報酬も貰っていた。

 そういえば、銀糸も手に入れなくてはならない。

 回収して、いくらか使える分はあったが、魔獣を捕らえる罠を一から作るにはあまりにも足りていない。

 少志に聞いたが、どうやらこの里では手に入れることは難しそうだ。

 物の流れも止まってしまっていたので、次の里に向かって手に入れるのが良いと思えた。


「それで、これからどうされる?しばらく留まられると言うのなら、歓待しよう」


 これからどうするのか。

 それを尋ねるかわりにカルラを見た。


「それはこれから話し合うのだが、そう長くはいないと思う」


 と、カルラは僅かに笑んで答えるだけだった。

 少志が里の被害を改めて調べるために出て行くと、セイリンとカルラは向かい合った。

 カルラの話はセイリンにとって、驚くべきものだった。


「急だが、この里であなたとは別れようと思う」


 一緒の道程、それが都まで続くものではなく、一時のものだというのは確かに聞いていた。

 しかし、それがこんな急なものだとは思いもよらなかった。

 驚き、どうしてなのかと聞くと、カルラは頭を下げて答えた。


「私にもやるべきことがある。それを思い出したのだ。あなたにはすまないことだと分かっている。だが、どうか許して欲しい」


 やるべきこと。

 不意に、昨日のあの男の顔が思い浮かんだ。

 昨日、あの男が現れるまで、カルラには何の異変もなかった。

 それがこうして急に別れを告げる。

 そこに、なんの関連もないとは、どうしてもセイリンには思えなかった。

 あの男のせいなのかと尋ねると、カルラは曖昧に笑った。

 それはあまりカルラらしくない笑い方だった。

 身体のどこかに棘が刺さっているような、そんな何かを気にする笑い方だ。


「今、私にはしなければならないことができた。今、それをしないと私は後悔する。どうか分かってほしい。私は先に都へと向かう。あなたは自分の足で、自分の歩調で都まで向かわれると良い。私が先に行くからとて、焦らずに、途中途中の人々の様子をきちんと見て。困っている人がいたら助け、迷ったら立ち止まりなさい。危ない時には逃げ、なるべくならそうなる前に逃げなさい。あなたはもう道の歩き方を知っているはずだ」


 これまでの道中だけでも、カルラからは多くのことを教わった。

 関所も通れるし、里に入り、宿を取ることも出来る。

 お金は十分にあるし、自分自身で稼ぐ方法もある。

 もしも、セイリンに分からないことがあるとしたら、それは人のことだ。

 多くの人が何を考え、どうやって暮らし、何を望んでいるのか。

 今まで接してこなかったが故に、誰もが当たり前に知っているそれをセイリンは知らない。


「昨日の一件で、色々と考えることがあったはず。それを考えなさい。その答えは誰も知らない。あなたが自身で考え、答えを出しなさい。あの男は力を持ち、それを自らの望む通りに使った。そして、それがあの男には許されている。これがどういうことなのか」


 都の術士。

 金剛。

 自らの望むままに力を振るえる者。

 同じ術士でありながら、セイリンと金剛とではあまりにも違っている。

 そして、セイリンにはそれを許せないと感じていた。

 こちらが相手を許せないと感じた時に、どうすれば良いのか。

 それが今、最もセイリンが分からないことだった。

 カルラは言った。

 セイリンには何もかもを力ずくに出来る、と。

 魔獣の力を借りれば、おおよそ出来ないことはないと。

 だが、相手も魔獣を持っていたらどうだ?

 こちらが力づくにする気がなくても、相手にあったら?

 相手がこちらを許せないと言ってきたら?

 どうしたら良いのか?

 どうしたら?

 カルラが、老爺が知っているというのならば、すぐにでも教えてほしいとセイリンは思った。

 しかし、カルラは言う。

 私ではそれは分からないと。

 誰もがそれで悩んでいるのだと。


「何が正しいか?誰もが当たり前のように持っているようで、実はそれはそれぞれが違っている。正直に私の心を話せば、私はあの男のことは正しくないと思っている。昨日の様子では、おそらくはあなたもそう思っているはずだ。だが、一方ではあの男は正しい。多くの魔獣を捕らえ、従え、そうして手に入れた力でさらに多くの魔獣を捕らえてきた。あの男がいなければ、あの男のやり方で手に入れた魔獣がいなければ、対処が出来なかった魔獣もたくさんいた。人が変われば見方も変わる。どうすれば誰にとっても正しくなるのか?それは誰にも分からない」


 カルラは言葉を切って、考えた。

 セイリンにどうしたら道を示せるのかと。

 共に歩むことが無くても、これからのセイリンの力になれるのかと。

 それを考え、慎重に言葉にする。


「だから、あなたは多くの人に会う必要がある。多くの人に会い、話をし、そして考えられよ。もしも、あなたがあの男を正しくないと思い、その思いになにかしらの結果を得たいと思うのなら、これしか方法はない。旅を続けられよ。そして、何よりもあなたの命を大切になされよ」


 そこまで語って、やっとカルラは笑った。

 目には優しさ。

 言葉は諭し。


「昨日のあなたは無謀だった。たった1本の銀糸で、天府を側に置かずに猿に挑んだのは最善ではなかった。もしも、あの時、私がいなければ、あなたは今、こうしていることはない。これからは私がいない。そのことを、もっとずっと慎重に考えて欲しい」


 セイリンはその言葉に、真剣な眼差しで頷いた。

 今ならばセイリンにも分かる。

 確かにあれでは駄目だった。

 もっと確かな方法を考えなければならなかった。

 あれで結局、セイリンが食べられていたら、魔獣がさらに発牙する。

 それでは何の意味もない。

 魔獣に対するならば、何よりもまず与えてはならないのは術士自身の命だ。

 それをセイリンは守れなかった。

 魔獣を捕らえるのに失敗すれば、それは次の犠牲者に繋がる。

 術士の命を得て、より発牙した魔獣が次の人間に襲いかかる。

 それは、最も避けねばならない。


「良し。なら、これで話は終わりだ。これからは場所は違えど、同じ空の下であなたの無事をいつでも願っている。次、会うのは都だな。どうか、それまで息災であられよ」


 カルラはいつの間にか準備していた、自らのまとめられた荷物を手に立ち上がる。

 セイリンは里の出口まで、天府と共に送った。

 また会える、そう言ってカルラはあっさりと背を向け、道を歩いて行った。

 セイリンはその背中をずっと見送ったが、カルラは一度も振り返ることがなかった。

 やがてその背中も見えなくなり、そうしてやっとセイリンは振り返った。

 そこにあるのは、いくつもの家々と青空だ。

 既に話が伝わり始めているのか、今まで見なかった人出が通りにあった。

 この里から災いは去ったのだ。

 これから段々と活気づいていくだろう。

 セイリンは、まずはそれを見たいと思った。

 通りにある声が段々と大きくなっていく。

 セイリンはその声をいつまでも聞いていた。

 いつまでも。

 楽しそうに。



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