第4話 モンキー01

 道はなだらかに続いていき、そこを行き交う人の姿は多い。

 この道はやがて大きくなっていき、そして都にまで伸びるという。

 今も都を目指す人や、自分の里へと戻る人など、大勢の人がどこかを目指して歩いている。

 ひとつ、ふたつと宿場を越え、罪人がまぎれていないか確認するための関所を超えた。里に入れば休み、適度に疲れを抜いてはまた道の上へ。

 カルラからたくさんのことを教わり、ひとつ里へ入れば、また次の里に入るのが楽しみになる。

 ずっとそうしたことが続いていくのかとセイリンは考えていたのだが、その関所を超えると人の数は驚くほどに減った。

 その関所の前の関所でも言われていたことではあったのだが、実際に見ると気が引き締まった。


 行くなら次の里までにしておきなさい。

 その次の里には今、魔獣が出るから。


 聞けば大物の魔獣が出ているという。

 転変した魔獣を連れるセイリンと、見事な太刀を持っているカルラを見ても、そう言うからには余程の大物なのだろう。


「セイリンはどう思う?」


 宿を取り、食事を終えて、落ち着いた頃にカルラが切り出した。

 関所で詳しく話を聞いていた。

 出る魔獣は巨大な猿なのだという。

 そして、関所の検非違使が話したのは、かつて老爺から語って聞かされた脅威そのものだった。

 魔獣において、特に警戒するべき厄介な種がある。

 そのひとつが猿だ。

 その多くが発達した腕を持ち、そしてその怪力でもって物を投げてくるという。

 老爺の記憶では、大木を引き抜いて投げてきたものもあったという。

 そうした巨大で重い物を投げられると、人間には為す術がない。

 近寄ることが出来ず、こちらが死ぬまで、周囲に動くものがなくなるまで近寄ってこない。

 その場で食べることをせず、そうして動かなくなった人間を攫って逃げるのだ。食事をするのは安心できる自分の縄張りでだけ。

 動きは機敏で、家屋の屋根などの高い場所の移動を好む。

 罠を仕掛けにくい場所を移動されれば、罠にかけるのも難しい。

 魔獣同士で戦わせようにも、地の利を活かされれば地を移動する魔獣ではまともに戦うこと自体が難しい。

 もしも猿の魔獣に挑みたいなら、必ず鳥の魔獣を用意するようにと言われていた。

 鳥に限らず、羽を持つ魔獣もまた特に警戒が必要な厄介な種。

 こちらはそもそも地上を移動しない。

 空には罠は仕掛けられず、人が扱う矢では到底落とせない。

 太陽に等しき高所から一気に降下して襲う羽持つ魔獣は、魔獣も含めたあらゆる生き物にとっての脅威だ。

 捕らえるのは難しいが、一度捕らえられればこれ以上ない味方となり、こちらは人を襲う瞬間には確実に地の上に現れる。

 人里に現れることが多いのは、じつは羽持つ魔獣だという。あらゆる防備も空を飛翔する相手には効果がないということだろう。

 今、セイリンの手元にいるのは、発牙したウサギの魔獣がただの1体だけ。

 今から猿の魔獣に対抗できる魔獣を探したところで、早々都合の良い魔獣が見つかるとは限らない。

 既に手配されているという都からの新たな衛士が派遣されてくる方が早いに決まっている。

 魔獣は人を好んで襲う。

 だからといって、人里を襲ってくる魔獣というのは実際にはそれほど多くはない。

 それは、魔獣たちも今まで里に現れた人間がどうなったのかを知っているのかもしれない。

 人がまとまって住んでいれば、魔獣にとってはそれだけ敵が多いということでもある。

 いくら獲物が多くても、次から次に衛士が現れてはゆっくり食事というわけにはいかない。

 個としては、魔獣と人とでは比べるべくもない力の差がある。

 それを群れとして上回る。

 そのための里なのだ。

 人を食べて発牙した魔獣は脅威だ。

 だからこそ人は、人を食べた魔獣はなんとしても必ず殺すべく動く。

 時に野へと逃げたそれを追いかけ、殺すことすらあるという。

 里には大勢の衛士が詰め、里の周囲を警戒し、時に見回り、成長する前に殺そうと努めている。

 長年ただ追われるだけだった人々が、やっと手に入れた縄張りが里なのだ。

 それが今、乱されている。

 セイリンは考えた末に、しばらくこの里で待つことを提案した。

 猿の魔獣の天敵のような魔獣がこちらにいるのなら、力になれるかもしれないが、天府でどこまで戦えるのかは分からない。罠をしかけるにも、街の至るところに大規模なものを仕掛けないと効果はないだろう。それほどの罠の用意はない。

 カルラはセイリンの言葉に安心したようだった。

 義憤にかられて挑もうとするのではないかと心配されたようだった。

 セイリンは僅かに笑ってそんなことはしないと言った。

 セイリンは魔獣の恐ろしさを知っている。

 人が魔獣に挑んで良いのは準備がある時だけだ。

 あの試練の時だって、巨門がいなければ、老爺の魔獣がいなければ決して挑戦していないし、老爺も許可しなかっただろう。

 あれほどに簡単だったのは、あの場所では老爺がすべてを万事整えていたからに他ならない。

 とはいえ、なにか出来ることがあればしたいとは思っていた。

 なので、セイリンはカルラにひとつのことを提案した。







 里から一番近い山を目指す。

 そこは人の力の及ばざる地だ。

 魔獣の地といっても過言ではない。

 セイリンはしっかりと罠の用意をして、天府とカルラと共に道のない荒れた地を進む。

 天府が先行して邪魔な藪は開いてくれるので、歩けないことはない。

 夕暮れ近くまで進み、山がだいぶ近くなってきた頃にそれは現れた。

 それは巨大な岩だ。

 背の高いカルラが10人はいないと抱えられないような岩がそこにはあった。

 見渡すと、それは大きさに多少の違いがあるとはいえ、同じような岩がいくつも転がっている。

 そして、岩まではだいぶ距離があるというのに臭いがした。

 何かを焦がすような、そんな決して良い香りとは言えない臭いが。

 天府はそれが嫌なようで、岩に近づく度に足取りが重くなる。

 セイリンは笑って、天府の鼻を持っていた布で覆ってやった。

 岩には魔獣が嫌がる臭いが込められている。

 里から出る人の臭いを消すためというのもあるが、これがあると魔獣は嫌って近づいてこないのだ。

 これを要石という。

 勿論、要石があるからといって、魔獣が必ず近づいてこないとは言えず、成長し、発牙した魔獣は意に介さずに飛び越えるものもある。天府にしても、嫌がりはしているが、近づくことができない訳ではない。

 以前に里の近くにいた虎は要石から離れた内側にいた。

 要石の敷設ができるまで里を守り、要石が十分に置かれ、男が死んでからはそこで要石を超えてきた魔獣を退治していたのだろう。

 多くの人が住む里の周辺には必ずこうした要石があるという。

 セイリンたちはその日は無理をせずに、その要石の近く、天府が嫌がるので要石が見える離れた場所で野営をした。

 うずくまる天府の側で目をつぶりながらセイリンは考える。

 天府も見事に発牙している。それはもしかしたら、どこかで人を襲い、食い殺したことがあるのかもしれない。

 そうじゃないとすれば、どこかで人を食べた魔獣を食べたのだろう。

 発牙した魔獣を食べるということは、その魔獣が今までに食べてきた人間を食べるということに等しいのだから。

 老爺は言った。

 恨んではいけないと。憎んではいけないと。

 魔獣は生きるためではなく、ただ己を発達させるために人を殺し、食べる。

 それでも恨んではいけないと言った。

 かつての天府の姿を思い返す。

 怒りや苛立ちに支配されているようなそんなかつての姿を。

 セイリンが思い返しているのを感じ取ったかのように、天府が身じろぎして、セイリンの体が揺れた。

 セイリンは笑って天府の体を軽く叩いた。

 人を殺した魔獣を殺すか、転変させるか。

 これは術士にとって、大きな問題だと聞かされた。

 人を殺した魔獣は当然、人から恨まれる。

 そんな魔獣を従えると、術士自身も恨まれることがあるという。

 今、里を襲っているという猿の魔獣を仮に捕らえられたとしても、きっと街では殺せと叫ばれることだろう。

 例え、その心根が転変する前と後とでまったく変わっていたとしても、姿が同じものが目の前に現れれば恨まれるに違いない。

 もし、自分が老爺を傷つけた魔獣が目の前に現れて、それで何も感じない訳がないのだから。

 転変している魔獣は強い力を持ち、そして他の魔獣を狩るのにとても有用だ。

 だから、術士はなるべく人里以外で転変させるのが良いとされる。

 どこか遠くでフクロウの鳴き声が響く。

 その鳴き声を数えている内に、いつの間にかセイリンは眠りに落ちた。





 翌朝も良く晴れていた。

 日が昇る少し前には起きだして、山の中へと向かう。

 要石の側を通る時だけは、天府は勢い良く跳ねて先へと向かってしまったのに、セイリンとカルラは顔を見合わせて笑った。余程、嫌なのだろう。

 だいぶ進んだところで待っていた天府は、何にもなかったかのようにすました様子でふたりを見て、またふたりは笑った。

 山の中に入ると、空気が変わったのを感じた。

 時折、リスやネズミのような小さな獣を見かけたが、シカや猪、熊のような大きな獣の姿はない。


 腹が空かなくとも、動いている獲物を見つければ魔獣はそれを襲う。

 魔獣が住み着けば、獣の数は減るし、獣も襲われれば当然逃げる。

 これは魔獣がいるかもしれない。


 沢を見つけたところでふたりは一度体を清めた。

 要石の臭いが体に付いていると、魔獣が寄り付かなくなってしまう。

 天府も水を掛けるまでもなく、自分から水浴びをしていた。

 終わってからは念入りに体をなめまわしていた。

 乾くのを待つ間に、老爺のところから幾ばくか持ってきていた香を炊こうとして、やめた。

 まずは罠を仕掛けられる場所を探すべきだろう。

 ここではどんなに叫んでも人の助けは得られない。魔獣に襲われ、叫び、それで寄ってくるものがあるとすれば更なる魔獣だけ。どれだけ注意を払っても、払い過ぎるということはない。

 散歩気分で歩き回って良い場所ではないし、不用意に魔獣を寄せ付けるのも良くない。

 身を清めた後なので、人のにおいもしばらくは気にしなくて大丈夫だろう。

 沢を中心に、罠を仕掛けられる場所を探し、魔獣の痕跡を探した。

 探すのは主に足跡だ。

 後は不自然に折られた枝や木、掻き分けられた跡のある茂みなど。

 それにないとは思うが、巨大な羽根。

 途中、動き回るのによさそうな平地を見つけたので、天府に頼んで穴を掘ってもらった。

 多くの魔獣は四足で動くものが多い。そうした相手の足場を奪うというのは有効だ。

 深い穴をあっという間に掘っていく天府を見ながらセイリンは考えた。

 もしも魔獣がいるのなら、この場が良い。他にも良い場所があるかもしれないが、探して歩きまわっている時間が増えれば、魔獣に出くわす可能性も高くなる。

 幾度かそれらしい足跡も見つけていたので、肉食の何かがいるのは間違いない。

 間違いないのだが、ただの獣なのか魔獣なのか、その判断が難しいところだった。

 獣ならば大物だが、それはあくまでも獣の範疇であり、魔獣の範疇で考えるならば小物に違いない。

 天府がいる以上、発牙もしていないような小物ならば、捕らえる必要は無い。

 穴を掘り終えた天府に代わって、今度はセイリンがその穴の中に入る。

 罠にも色々あって、しっかりとしたそれを用意しようと思えば当然、時間はどれだけあっても足りない。

 老爺の山にあった穴には、すぐに罠が仕掛けられるような仕組みが整えられていた。だからこそ、短時間でしっかりとした罠が準備できた。

 だが、この穴には当然そんな仕組みは何もない。

 天府と同じくらい、それ以上の魔獣が相手ならば、仕組みがなくともしっかりとした罠は絶対に必要になる。

 日のある内にある程度まで進め、夜には要石の辺りまで戻り、翌日にまた罠を準備する。そうやって幾日か掛けるのが安全だというのは誰に言われなくてもセイリンは分かっている。

 分かっているにも関わらず、セイリンはそこまでしっかりとした罠は仕掛けなかった。

 この山には大物はいない。

 それは小さい頃から山に暮らし、巨門をはじめとした大物の魔獣と接してきたセイリンの経験から導き出された結論だった。

 夕暮れよりも早く罠を作り終え、そのあまその場所を拠点とすることにして夜を待った。





 夜。

 セイリンは火を起こして眠らずに魔獣が現れるのを待っていた。

 山刀、面、糸コマと必要なものは既に身に着けている。

 カルラはセイリンと火を挟んだ反対側で身を横たえている。交代で休む手筈となっていた。

 天府の姿は側にはない。

 辺りには虫の声が響き渡っている。

 もう季節は秋と言って良い。

 もう少しすれば冬が来る。

 カルラと共に行動するのはいつまでなのだろうかと、ふと思った。

 なんとなく冬にはひとりで動いているような気がする。

 そんなことを考えていると、不意に虫の音が止んだ。

 静寂が訪れる。

 そんな中、確かに息づかいを聞いた気がした。

 天府のものではない。

 荒く、音に生臭さが混じっているようなそんな不吉な気配。

 身を起こし、山刀を抜いた。

 カルラを起こそうか迷った時には、それは既に火の光の届く範囲に現れる。

 それは1頭の熊だった。

 セイリンが気付くのと同時に威嚇するように一瞬、身を起こし、牙をむく。

 その目には暴力の光が灯っているようだった。

 その目を見て確信する。

 これは魔獣だ。

 しかし、巨門に比べればあまりにも小さい。

 普通の熊と同じか、やや大きいか。

 なによりも発牙している器官が見えない。

 全身を覆う毛は細く、身体のどこかが異常発達しているということもない。

 角も牙も鱗もない。

 その爪はやや普通の熊よりは長く、鋭利なように見える。

 でも、それだけだ。

 これを捕らえたところで、天府に比べれば、発牙した魔獣と戦うにはあまりにも不足だ。

 そっと左手を口元にやり、息を鋭く吹く。

 甲高い音が響く。

 熊はその音を挑発と勘違いしたのか、唸り声を上げた。

 セイリンも油断なく山刀を構える。

 熊が走りだそうと飛び出すのと同時だった。

 熊が押し潰されたのは。

 まるで飛翔するように暗がりから飛び込んできた天府、その四足に押しつぶされ、その爪が熊の背に深々と食い込んでいた。

 押しつぶされた熊は叫び、もがき、自らを押しつぶしている魔獣を跳ね除けようとしたのかもしれない。

 その時には天府の縦に開いたアギトが、その牙が熊の頭を噛み砕いていた。

 血がはねた。

 熊の身が痙攣するように震える。

 それでも天府は噛み付いたまま動かなかった。

 大量の血が痙攣する身体に合わせるように、地に流れ出す。

 すぐに何もなかったかのように、虫の音が響きだす。

 熊はもうぴくりとも言わない身体になっていた。


「残念だったな」


 声に振り向くと、カルラが身体を横たえたまま、肩肘で頭を起こし、もう片方の手で口を押さえてあくびをしていた。

 声を掛けるまでもなく、起きていたようだ。


「さて、その熊だが天府に食べさせるのでなければ、売れると思うがどうする?」


 魔獣の肉や毛皮は高値で取引されているという。

 例え発牙していなくとも、ただの獣のそれよりは利用価値があり、またそれを好んで食べる人間もいるという話だった。

 発牙していない魔獣を天府に食べさせても意味は無いだろう。

 金銭もあって困るものではない。

 セイリンはカルラの言葉に従って、里へと持ち帰ることに決めた。

 食べるのであれば、血抜きが必要なのだが、その血が必要とされる場合も多いとカルラが言う。

 味がどうこうよりも、身体を精強に保つのに良いとされているらしい。

 なので、特に血抜きなどをしたりはせずに、そのままで置いておいた。

 流れ出していた魔獣の血の臭い、本来ならば濃密なはずのそれも、しばらく側にいれば鼻が慣れてしまう。

 そうすると気にしなければ気にならなくなるのだが、臭いは今もそこにあり、風に流れ、山の中に広がっているのか。

 日が明ける前に狼たちが寄ってきた。

 全部で7頭の狼、それがまるで取り囲むように、小躍りするように駆けまわり、時折跳ねる。

 セイリンは油断なく右手で山刀を構え、左手で銀糸を繰り出していた。

 火の光があるとはいえ、昼の日光に比べれば、明らかに弱い。暗がりからまだ見ぬ獣が飛び出してくるとも限らない。

 カルラもさすがに身を起こしていたが、太刀を手に取っただけで、抜き放たず、まるで踊りを見るのを楽しむように笑っていた。


「獣が魔獣の肉を食べれば、魔獣になる、なんて話もあるが、私はどうもそんなことはないと思う。そうでなければ人の魔獣がいないとおかしい。あなたはどう思われる?」


 まるで里の中で、酔っぱらいの喧嘩を眺めてでもいるような暢気さで話していた。

 セイリンはそれに呆れるように、なんと返したものかと考える。

 それを気の緩みと見たのか、1頭の狼が飛びかかってきた。

 どうしたものか?

 そんなことを一瞬考えるほどに、セイリンには余裕があった。

 俊敏な肉食の獣とはいえ、灯りの不十分な状態でも、魔獣と対するのとはあまりにも迫力が違いすぎる。

 瞬時に山刀を逆手に持ち替え、狼から身をかわし、手にしていた銀糸でもって、その足を絡めとる。

 括り、結ぶ。

 それを両手で行った。右手は刃で半ば塞がっていたのだが、セイリンにとってはそれはなんでもないくらいに簡単な行為だった。

 すべては一瞬。

 結んだ直後に逆手の刃で銀糸を切り離す余裕すらある。

 狼は足を封じられて、地に転がり落ちた。

 その時には続くように、もう1頭の狼が飛びかかってきている。

 今度は持ち替えていた山刀で、その顎の腱を断ち切るつもりだった。

 いかに強力な顎を持っていたとしても、鋭い牙があったとしても、腱を切られれば閉じることはできなくなる。

 そうして山刀を振るう前に、一陣の風がよぎった。

 カルラだ。

 そう思った時には、刃は振り切られていた。

 カルラが血を払うと同時に、飛びかかってきていた狼は二枚に断ち切られている。

 正確に開かれた口の中から、その体の後ろ足に抜けるように。

 濡れた布袋を投げ捨てるように、二枚におろされた狼だったものは、ただの死体となって血を辺り一面の地に撒き散らした。


「余計なことだったか?」


 カルラが戦うところというのは、これまでセイリンは見たことがなかった。

 その腕前は、セイリンが想像するよりもかなりのものだった。

 抜き放たれた太刀は優美な曲線を描き、火の光を受けて赤く輝いている。

 まるで重さなどないと言うように、カルラはそれで肩を叩くように軽く振る。

 もしかすると、それもニオイガネのように、何かしらの特殊な金属なのかもしれない。

 あっさりと無力化された2頭に、残った5頭が距離を広げた。

 その時だ。

 今までじっとカルラとセイリンの背で頭だけを起こして伏せっていた天府が身を起こした。

 特に吠えることもなく、ただ身を起こしただけ。

 それだけで、残った狼は吠え声をあげつつ、再び闇の中へと散っていった。

 休んでくれてても良かったのに。

 そうセイリンが言いつつ、天府に寄ると、天府はその鼻先をセイリンに押し付けた。

 大丈夫か?と言うように、しきりにセイリンの匂いを確かめ、セイリンはそれをくすぐったそうに受け入れる。

 未だ、足を括られて暴れていた1頭はカルラが心臓をひと突きにして、とどめをさした。

 その頃には日が登る間近なのか。

 山の中にも徐々に明るさが戻りつつあった。

 本当は、有用な魔獣を転変させられれば、という思いはあった。

 多くの魔獣を従えれば、それだけ出来ることは増える。

 しかし、事前にどこそこの山にはこういう魔獣が住み着いているというような噂のひとつもなしではこんなものなのだろう。






 里へと戻ると、狼1頭と、熊の魔獣1頭はかなりの値段で売れた。

 カルラが断ち切ってしまった狼は、天府が食べ尽くした。

 狼は主に毛皮が重宝されるので、断ち切ってしまったあれではそれほどの値段にならないし、また熊の魔獣だけでも持ち運ぶには手間だったのだ。

 天府に空腹はないはずなのだが、それでも食べれば満足感があるのか、熊の魔獣を運ぶのに背に乗せても不満そうではなかった。

 セイリンにとっては十分な収入になったし、それはセイリンが自身で初めて稼いだお金だった。

 再び予め取ってあった宿へと戻り、その夜はささやかながらの祝杯となった。


「さて、どうやら収入を得る方法も、あなたは十分手にしていることが証明された訳だ。ただ、山にはなるべく誰かと入られたほうが良いだろう。天府がいても、人の手でなくてはならないことも起こり得る。あるいは、もう1頭くらい魔獣を転変されていれば良いのだが、それも様子を見ながら……まあ、その辺りの判断も、あなたなら大丈夫だろう」


 他にも収入を得る方法はある。

 例えば里から里への護衛や、荷役だ。

 ただ、いくら重い荷物を運ぶことが出来るからといって、そればっかり引き受けたら天府は良い顔をしないにきまっているだろう。そう思ってセイリンは僅かに笑った。

 その想像をカルラにも話すと、カルラも笑う。


「旅は道連れという言葉もある。共に歩くものを気遣うのは大切なことだ。あなたの魔獣にせよ、人にせよ」


 そういえば、とセイリンは思い出したように、カルラの太刀について尋ねた。


「ああ、これか。これはシャクギンという金属でできている。カラスダイト、ニオイガネ、それにシャクギン。これを三宝刃金と呼んだりもするな」


 そう言って、カルラは手元に合った太刀を手にとって、僅かに引きぬいた。

 輝くような灰銀が姿を現す。

 長く長大なそれを、カルラはいかにも軽そうに扱った。

 聞けば、シャクギンはただの鋼などと比べても、驚くほどに軽いのだという。

 それによって、長大な刀身でも扱いやすく、大物の魔獣相手でも十分に刃を通すことができる。

 衛士が持つ太刀に使われるが、その多くは鋼と混ぜ合わせたものがほとんど。刃というものは刃自体の重みで切るということもあるので、軽すぎるよりは多少重いほうが良いというのと、その金属自体が希少であるためでもあった。

 だからこそ、カルラのもののように純粋なシャクギンのみによる太刀は珍しい。

 何か謂れがあるのかと聞くと、カルラは僅かに笑んだ。


「さて、どうだったかな?」


 語りたくないのか、語れないのか。

 セイリンもそれ以上は聞かなかった。

 セイリンは、カルラが元々は都で衛士をしていたということくらいしか聞いていない。

 それをやめ、老爺の使い走りのようなことをしているのも不思議といえば不思議だ。

 老爺にせよ、カルラにせよ、そのどちらも常人などではあり得ない。

 山を出て、人を見るようになってから、セイリンには一層そう思われた。

 セイリンは知らない。

 なぜ知らないのかと言えば、彼らが話さないからだ。

 セイリンには遠慮がある。

 彼らはとても良い人だが、しかし本当の両親や兄弟のようには甘えることは、どうしてもできなかった。

 それがどこか引け目にも似た思いを抱かせ、自ら話してくれないことは、聞かなかった。

 カルラはそんなセイリンをどこか、寂しげな笑みで見ていた。





 翌日、これからどうするべきか、それを宿で話し合っていると、来客があった。

 来たのはこの里の衛士を束ねる者だった。

 話の内容は、あの猿の魔獣についてだった。


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