第2話 タイガー01

 再び少年が目覚めると、周囲は暗かった。

 穴の中だからという訳ではない。

 穴の外、上を見ると夜の深い蒼天が、木々の切れ間から白く輝く満月が見えた。

 少年が起きたことに気づいたように、魔獣が身を揺らした。


 おはよう。


 少年が微笑んで言うと、魔獣は再び身を揺らす。

 なんだろう?と考えを巡らせようとして、すぐに気づいた。

 己を縛り付ける銀糸を解いてくれと言いたいのだろう。

 幸い、月の光が差し込んでいるので、結んだそれらを解いていくのはそれほどに難しくなかった。

 さらに、穴の中の罠そのものも外していくと、影がさす。見れば穴の上にひとつの頭が覗いた。

 大きな頭、知っていなければ、さぞかし恐ろしいであろうそれに少年は笑いかける。


 巨門、見ていてくれたんですね。


 どうやら少年が眠っている間、穴の外を見張ってくれていたらしい。

 少年の言葉を聞いて安心したのか、巨門の頭が穴のふちへと消えていく。

 ウサギの魔獣のことも、もう大丈夫だと理解しているのだろう。

 特に心配している風でもなさそうだった。

 ウサギの角に捕まると、穴の外へと押し出してくれたので、そこでやっと少年は穴の外へと出る。ウサギが穴の壁に沿うように立つと、ちょうどの高さだった。

 ウサギ自身は軽やかに穴の底から跳ぶと、地響きを立てずに穴の外へと着地する。

 喉が乾いたな、と思っていると、巨門が爪の先に何かを引っ掛けて差し出してくる。

 それは魔獣と対峙して、荒らされることのないようにと、離しておいていた荷だった。

 ありがとうと礼を言って、中から水筒を出して一息つく。


 既にあたりは真っ暗だった。

 月明かりがあるとはいえ、木々に覆われた山の中だ。

 このまま歩いて帰るには、暗すぎた。

 滑落する危険だってある。

 巨門もそう判断したのか、巨門はそのままの位置で身体を横たえ、目を閉じてしまう。

 朝まで寝ろと言わんばかりに。

 巨門ほどの魔獣が間近にいれば、早々、他の魔獣に襲われることはないだろう。

 例え襲われたとしても、巨門ほどの魔獣が負ける姿を少年は想像できなかった。

 巨門に身体を寄せると、ウサギの魔獣も身を寄せてきた。

 既に夏の盛りを過ぎているので、夜にはぐっと冷える。

 それでも少年は2頭の魔獣に身を寄せて、まったく寒さを覚えずに、再び眠りについた。

 少年の寝顔は何か良い夢を見るように穏やかなそれだった。






 翌朝、陽が登るのと同時に少年は目を覚まし、持ってきていた干し肉をかじると、2頭の魔獣と共に山を下りた。

 家まで戻ると、まるで待っていたかのように、老爺が外で少年を出迎えた。

 そうして、まじまじと連れてきたウサギの魔獣を見る。


「名前を付けなくてはな」


 そう言って、手近にあったたきぎを拾って、地面にふたつの字を書いた。

 天府。

 豊かな土地を意味するという。

 老爺が込めたのは、少年と共に、これからのより多き実りを願ってのことだった。


「最初のものには師が名をつけるのが慣わしなのでな。これよりこの名で呼びなさい」


 老爺に言われるままに、ウサギの魔獣を見て、その名前を呼ぶ。

 天府、と。

 呼ばれた魔獣は自らの名として理解したというように、その頭を垂らし、四肢を揃えるようにうずくまった。


「あなたもこれで一人前。もう教えることは何もない。中に。あなたの名前を改める時が来た」


 老爺は巨門を山へと帰し、少年は天府をその場で待たせて、そろって家の中へと入った。

 名前を改める。

 それはひとり立ちを意味する。

 自らによって立ち、誰の保護も受けない成人の証。

 少年には予感があった。

 この試練を終えれば、きっと老爺は自分を認める。

 認めてしまうと。

 これまでずっと守り、育ててくれたかけがえのない大切な人だ。

 もしも許されるならば、ずっと共に暮らし、生涯を掛けても恩を返したいと思っていた。

 同時に、理解していた。


 老爺は絶対にそれを望まないことを。

 少年にとって老爺は、素晴らしい人間であり、理想像でもあった。

 面を作れば到底自らが及ぶことなど想像できない形をなし、従える魔獣は老爺を、少年を、家を、一度も身の危険を感じさせずに守ってきた。理を悟り、それを諭し、何事にもまっすぐに教えてくれた。

 それなのに、暮らすのは山の中。

 まるで他人を避けるように。

 まるで隠れるように。

 もしも、都に住めば、きっと多くの人々が老爺を慕い、敬うだろうに、老爺はそれをしない。

 かつてはそうしていたこともあったという。

 老爺はそれを過去としてしまった。

 老爺はきっと思っているのだ。


 自分の存在自体が過去であると。既にただ死を待つに過ぎないのだ。

 そんな自分にこれからのある子どもがいつまでも関わってはいけない。


 直接言われた訳ではなかった。ただし、言外にそう言っていると思える時がこれまでに幾度もあった。


 学ぶことはあっても、頼ってはいけない。

 学びなさい。

 自らの力で選び、進む道を見つけ、その道を歩きなさい。

 その道はひとりで行くもの。

 やがて伴侶を見つけ、暮らし、子をなし、ひとりでなくなる時が来る。

 それまではひとりで進みなさい。


 そう言った老爺は、どこか遠くを見ているようで、怖くなったのを覚えている。

 自分がひとりで進んでいかなくてはならないということも怖かった。

 それ以上に、その時に自分はいないと老爺が強く言っているような気がして。


 家の中に入り、向い合って座ると、老爺はいくつかの品を間に置いた。


「まずは名を決めよう。これよりはセイリンと名乗りなさい」


 正琳。

 少年は確認するように声にした。

 セイリン。それが己の新しい名前であると。

 老爺は置いた品からひとつを取って立ち上がり、セイリンの後ろに回ると、肩の辺りで切りそろえていた髪をひとつにまとめ、手にした帯で結った。

 髪を結うのは成人の証だという。

 そう言う老爺の髪は短く切りそろえられているので聞けば、既に自分は俗世を捨てた身なればこそ、と短く答えた。


「さて、転変を成功させたあなたは、一人前の術士だ。一人前となったら姓を得なくてはならない」


 姓とは技能を有し、職を得た者、あるいは自らが持つ職能を表すための名だ。

 魔獣を転変させ、人と共にあるものとし、人を守る破魔の術士。

 実際に転変させたセイリンには、既にその職能を示している。

 姓を得るに十分だった。

 転変を為せる術士には、その術士としての性がいくつかあるという。


「姓はシキとしなさい」


 識。

 セイリンは声にした。

 シキ。シキセイリン。それが己の名前であると。


「あなたは転変の術を知り、そのための道具を自ら作る術を知り、そしてその使い方を知っている。シキとは、識る者という意味。今ではこれを姓とする者はいなくなってしまったが、あなたにはこの姓が相応しい。とはいえ、知らねばならないことはまだまだある。これよりは自分自身で知らなくてはならない。さらなる転変の術を。周囲を。世界を」


 置かれた品のひとつが差し出される。

 それは黒い、親指2本分ほどの小さな金属の固まり。

 手に取ると、彫り物がされているのが分かった。

 面と紐の意匠があり、裏にはセイリンの名前が彫り込まれている。

 さらにもうひとつの名前が彫り込まれていた。

 七十三代弥勒ミロク

 老爺が都にいた頃の名前。

 セイリンがそれを確かめると、もうひとつが差し出された。

 それは折りたたまれた大判の厚地の布だった。

 広げると中央にひとつの紋がある。

 面と糸とがあしらわれたそれは、術士であることを示す。

 羽織っていれば、それで大体の人間はセイリンが術士であることを悟るはず。


「これは師が己が知るすべてを授けたという証。これを持って、山を下りなさい」


 セイリンはその言葉に衝撃を受けた。

 いつか来るとは分かっていた。それが、こんなにも早く来るとは思ってもみなかった。

 一瞬、首を振りかけて、耐えるように下を向く。

 離れたくないと思う。

 と、同時にそれがただのわがままなのではないかと思って。

 老爺が認めてくれたことは素直に嬉しい。

 認めてくれたからこそ、そんな認められた自分でありたいとも思った。

 それを壊すようなことは、老爺の思いを無駄にしてしまう気がしたのだ。

 セイリンのその様子に、老爺はいつになく柔らかな声で言葉を続けていく。

 セイリンのことは分かっていると言うように。


「世界を知りなさい。人を知りなさい。獣を知りなさい。大丈夫だ。あなたは知っている。生きる術を。ワタシのことはワタシがどうすれば良いか知っている。あなたはあなたを知りなさい」


 うつむいたままの視線に、一振りの山刀が差し出される。

 それは老爺から借り受け、天府を転変させるのにも使った山刀だった。


「これももうあなたの道具だ。あなたはこれが欲しかったはず。受け取りなさい。いや、どうか受け取って欲しい」


 腕の良い職人が作ったニオイガネの刃は希少だ。ニオイガネは誰でも扱えるようなものではない。

 確かに老爺のその山刀には憧れがあった。

 それでも、それを欲しいとは言わなかった。

 山刀以上に、老爺のことが好きだったからだ。

 セイリンは、老爺のなにひとつとして奪いたいとは決して思わなかった。


「あなたは優しい人だ。だが、知らなくてはいけないことがある。優しいだけの人間などいない。自らの心に魔獣と同じような獣性が宿っていることを、人とはそういう存在なのだということも知らなくてはならない。その上でなお、あなたが今の優しさを失わないことを願っている」


 その時に、きっとワタシでは到底及びもつかないような面を、あなたは形にするはずなのだから。

 そう続ける、老爺の顔をやっと見た。

 セイリンには分からなかった。

 どうすれば老爺の面に近づくことができるのか。

 老爺は言う。

 このままでは、このままなのだと。

 正琳。

 その名前は、例え傷つこうとも、己の心のありよう、その美しさを保ったままでいて欲しいという老爺の願いだ。


「ワタシはあなたの作る面が好きだ。どうか、今よりももっと先に、ワタシが及びもつかないような面を作り出して欲しい。それをワタシに見せるためではなく、あなた自身が見るために、どうか作って欲しい」


 その言葉は希望だった。

 セイリンのためではなく、老爺が老爺自身のために持っている希望だ。

 転変とは夢を見せること。

 人の意思を見せるもの。

 老爺は夢を見ている。

 やがて自分自身の行いに、満足するセイリンの姿を。

 ならば、セイリンはそれを叶えなくてはならない。

 大好きなおじいさんのために。

 これまで、守り、育ててくれた大切な人のために。

 セイリンは目の端に溜まっていた滴をぬぐい、頭を下げた。


 謹んで、頂戴いたします。


 その言葉に、老爺の目の端にも、滴が流れた。

 そして深く頭を下げる。


「良かった。これでワタシはいつまでもあなたと共にいることができる。良かった。ありがとう」






 その日からセイリンは旅立つための準備を始めた。

 旅立ちには案内が付くという。それまでセイリンは今まで通りに老爺と過ごした。

 案内人が現れたのは、作りかけていた面をふたつほど形にした頃のことだった。


 カルラさん。

 表で薪を割っていたセイリンが山を登ってくる相手に気づいて呼ぶ。

 呼ばれた相手は手を上げて答えた。

 結った髪が腰の辺りまで伸びている偉丈夫は、既にセイリンも見知った相手だ。

 胴や手足を革衣で覆った旅装に、大ぶりの衣を羽織って歩く姿は明らかな武人であり、それを証明するように見事な太刀がその背にある。手には大きな包みがあった。

 カルラはセイリンの近くまで来ると、セイリンの結った髪を見て、目を細めた。


「そうか。髪を結われたか。それで、名は?」


 髪を結うのは名を改める時。

 カルラの問いに、セイリンは少し胸をそらすようにして答えた。


「セイリン。シキ、セイリンか。そうか。良い名だ」


 そう言って、手を伸ばしかけて、途中で止めた。


「髪を結われたあなたの頭を撫でるのは、失礼だったな。済まない」


 そうですよ、と笑って返すセイリンに、カルラも笑って答えた。


「さて、まずは挨拶をせねば。ミロク様は?」


 太刀を鞘ごと下ろすカルラから、太刀を受け取ると、セイリンはカルラを中へと案内した。

 老爺とカルラが話し始めるのを見計らって、セイリンは茶を淹れに席を外した。

 戻ると、カルラが包みを開いているところだった。

 絹を編んだ銀糸をはじめとして、カルラは年に何度か、こうして老爺に必要な品を届けてくれるのだ。

 そして、この家へとセイリンを連れてきたのもカルラだった。

 カルラはセイリンの叔父にあたるという。

 つまり、カルラは老爺の息子なのだ。

 にも関わらず、カルラは老爺を父とは決して呼ばない。

 仲が悪い訳でもなく、絶縁された訳でもないのに不思議なことだったが、セイリンにとっては物心ついた頃からのことだったので疑問はない。

 品を老爺が見て、納得したところで話はセイリンのことになった。

 既にふたりの間では文のやり取りがあったようだ。

 カルラは座り直し、姿勢を正して老爺に言った。


「セイリン殿の案内、必ずや果たします」

「頼みます」


 たったそれだけのやり取りで終わってしまった。

 慌てるようにセイリンも姿勢を正して、ふたりに頭を下げた。


 よろしくお願いいたします。

 おじいさん、これまで本当にありがとうございました。

 

 老爺も、セイリンも既に決心はついている。

 これからは分かれ、別々の道を進む。

 顔を上げると老爺と目が合った。

 それは、セイリンが初めて見る表情。

 老爺は穏やかに頷いていた。その表情には満足気で、どこか笑っているようで。

 その表情は、老爺が作る面にとても似ていた。






 そして、セイリンは家を出て、山を出た。

 老爺は見送らなかった。ただ、遠くの山間に7頭の熊が顔を覗かせていた。

 セイリンは笑顔で手を振った。

 心の中で、ありがとう、と告げて。

 そうして天府と、カルラと共に山を下りた。


 最初の里までは距離があった。

 夕暮れまでには辿り着きたいと急ぐカルラの足を、セイリンは追うばかりで、道中は僅かばかりの言葉しか交わさなかった。

 ひとつの里に着き、宿を決め、落ち着いて話をしたのは完全に日が暮れてしばらく経った頃、遅い食事を終えてからだった。


「急がせてすまなかったな。足は大丈夫か?」


 カルラが足を伸ばすように言うと、セイリンは素直に従った。

 部屋の中にはカルラとセイリンだけだ。

 天府は部屋の中にはいない。

 今は表の旅人の馬を繋いでおく小屋の中にいる。

 ひと目で魔獣と分かる発牙した天府に里の人々は大層に驚き、衛士と検非違使が揃って飛んできた。

 セイリンが転変術士であることをカルラが説明して、老爺から貰った金属製の印を見せると、最初は紋付きの衣を羽織っているとはいえ子どもに見えるセイリンが術士であることには疑う心があったようだ。

 セイリンの側で静かな知性を感じさせる目でじっとしている天府を見て、やっと驚きつつも納得した。

 噂は小さな里の間にあっという間に広まって、人々が集まり、セイリンは困惑した。

 それを驚くことはない、心配するなと叫んで散開させてくれたのは検非違使だった。

 カルラが検非違使と衛士について説明してくれる。


「衛士は盗人や魔獣から人を守るべく戦う術を身につけた者、検非違使は罪を犯した者の取り締まりや周囲の里との情報をやり取りする者だな。つまりどちらも民を守るのが役目。転変させた魔獣を連れるあなたには、何かと詮索してくる面倒な相手かもしれないが、決して疎んだり、粗雑に対して良い相手ではない」


 その言葉にセイリンは伸ばした足を組み直し、神妙にうなずいた。

 その様子にカルラは笑う。


「ははっ、まあ、そう気負うことはない。困った時には印を見せて、自分のことをきちんと説明すれば良い」


 カルラから、印のことを改めて説明された。

 黒く輝く印、それはカラスダイトで出来ているという。

 光を反射し、青にも、紫にもその輝きを見せる暗色の不思議で、とても綺麗な金属だ。

 聞けば、それはニオイガネと等しく貴重で、手に入れるのは容易でなく、またそれを加工して印を刻むのも技術がいる。

 転変術士ならば必ず持っていて、偽造するのは困難な物だという。

 だから決して盗まれることのないように、と念を強く押された。

 まあ、印を出さずとも、転変しておとなしい魔獣を見れば、大抵は過度に恐れさせずに話を聞いてもらえるはずだとカルラは気軽に告げた。

 そうしてカルラは居住まいを正して話し始めた。


「さて、これは本来最初に確認しておくべきことだったのだが、私はミロク様より、あなたの旅路の安全を、そのための術を授けるようにと仰せつかった」


 カルラの様子に、セイリンも姿勢を正して話を聞く。


「あなたは自らのために旅をしなくてはならない。だが、あなたはこれからどこを目指し、どう旅していけば良いのかも分からないはず」


 頷くセイリンに僅かに笑んで、カルラも頷き、話を続けた。


「まずは都を目指しなさい。そこにはこの国で一番大きな術士の集まりがある。そこに行き、他の術士の面を、転変した魔獣を、そしてなによりも人を見なさい」


 都。

 それはこの国の中心と言って良かった。

 ここからは遥か西の地だ。

 セイリンは、そこには行ったことはない。少なくとも、その記憶はなかった。


「都はこの国で一番人が集まる地。あなたはミロク様と私の他に人を知らない。彼の地で多くの人と会い、己の糧とすれば新たな指針も得られるはず」


 言われて、これまでに知った相手を考える。

 両親は物心ついた時には既にいなかった。

 カルラに連れられて、あの老爺の家を目指した時にも、誰かに会い、話もしただろう。

 しかし、既にセイリンにはその記憶の断片すらも残っていなかった。


「私はそうして都を目指すための旅のコツを話そう。ここよりしばらくは共に旅し、共に世界を見て歩こう」


 道を歩き、里から里へ。

 そうして歩いていけば、何かはきっと起こる。

 困難に座り込む人がいるかもしれない。

 逆に、騙し、盗もうとする人がいるかもしれない。

 そうした人たちに対して、セイリンは常に考え、悩むことだろう。

 カルラはそうした時に、何を考えるべきなのか、それを教えてくれるという。


「ただし、これはセイリン、私が同行することを、あなたが許してくれたらだ。もしも私を疎ましいと思うのなら、私は明日よりあなたの前から消えよう。どうだろうか、許してくれるか?」


 カルラからは今までにも色々と物事を教わった。

 かつて、釣りを教わったこともある。その時には怒られてばかりだった。

 濡れた石を安易に踏んではいけない。影を水面に落としてはいけない。

 あれをしては駄目。これをしてはいけない。

 そんなカルラがこうして可否を尋ねて、自分の意思を尊重してくれる。

 セイリンにはそれが、きちんと成人した相手として敬ってくれているようで、こそばゆくて嬉しかった。

 セイリンはカルラの言葉に、はにかむように笑い、しっかりと頷いた。

 セイリンの答えに、カルラは破顔した。


「そうか。良かった。私も成長されたあなたと共に歩けることを嬉しく思う。これで真面目な話はお終いだ。さて、あなたは酒は飲まれたか?これから人に勧められることもあるだろう。ない?ミロク様は真面目な方だからなぁ。では、まずは私より酒の飲み方をお教えしよう」


 カルラが宿の者を呼んで、酒を持ってこさせると、ふたりは酒盃を交わした。

 セイリンは一気に飲んで、目を白黒させる。


「ははっ!水ではないのだ。そう焦って飲むな。気持ちが悪くなったり、眠くなったら言いなさい。酒を飲むのに一番寛容なのは、無茶をしないということだ」


 それから何杯かの酒を舐めるようにしながら飲んでいくと、やがて眠くなったとカルラに告げる。

 カルラがそれに何かを返していたが、セイリンはその言葉を理解するよりも先に眠りに落ちた。

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