第13話 ドール01

 郷にいる頃から、都のカルラからの文が届くようになった。

 文によれば、ひとつところに落ち着いたので、何かあればそこに宛ててくれれば届くとのことだった。

 セイリンはカルラと違って、ひとつところにいるとは限らない。それでもこうして文が届いたのは、都に通じる道の上にある里や郷でセイリンの噂を辿って届けさせれば、きっと届くと信じたようだ。

 都とは逆の方向から来る旅の術士で、ウサギのような魔獣を連れていれば嫌でも目立つし、人の間の噂にのぼる。

 カルラのその考えは当たり、こうしてセイリンの手元に手紙は届いた。


 そこでセイリンは別れてからのことを書いてカルラに出した。

 最初の文は色々と書いている内に、かなりの長文となってしまった。

 それに対するカルラの返事は端的でとても短いもので、セイリンはガッカリした。

 郷で色々とスオウから聞いたこともあり、都のことをあれこれ尋ねてみると、カルラから都の情勢のようなものが文の端々に書かれるようになった。

 カルラはあの荒廃した里にいたムカデの魔獣、房宿と、それを従えていた術士のことが気になったようで、文には直接は書かれていなかったが、どうやら調べているらしい。

 金剛のことについては特に書かれることはなく、セイリンもまた聞かなかった。

 やがて郷でのスオウやガンギからの教わり事にも区切りがつき、郷を去ってからも文のやりとりは続いた。

 再びセイリンは都を目指し、歩く。

 ひとつ郷を超え、いくつか里を超えればまた郷を超えて。

 郷を超える度に、都に近づいているという実感が湧いた。

 何しろ行き交う人々の様相がどんどんと変わっていくのだ。

 服装はきらびやかになっていく。

 背格好もがっしりとした者や、最初の里の付近では見なかった肥え太った者も多い。

 女は化粧というものをする者が増え、その容貌はセイリンを驚かせた。

 人々はそれを美しいと褒めているのだが、セイリンにはどういうふうにそれが良いのかはよく分からない。

 セイリンは少年のようでも成人した術士。それ故に旅の間に何度も妻にどうかと娘を薦められることもあったし、また女から言い寄られることもあった。

 その度に、旅の途中なのでと、これから都まで行かなくてはならないのでと言って、どうにかやり過ごした。実際に、セイリンは成人しているとはいえ、自身を大人であると捉えてはいない。妻や子という存在を、自身に縁深いものとしては捉えられていない。

 宿で食事を共にする女を勧められることもあった。どうやらそういう商売の女がいるらしい。一度、押し切られる形で食事を共にしたこともあったが、話を聞かれるばかりで相手から聞けることは何もなく、ただただ疲れるばかりだった。それ以来、何があっても断ってしまっている。

 人から話を聞くのは楽しい。知らないことを知れるし、考え方の違いに驚かされる。セイリンはそれを望むのだが、そうした女は、いや様々な里で会う男にしても、術士の自分に話を求めてくるばかりで、相手の話を聞こうとしても、自分には取り立てて話すことはない、ただの凡庸な人間だと話してくれないことが多かった。

 段々と新鮮な心持ちも落ち着き、そうすると同じようなことも多く起こるようになる。

 セイリンにはそれをどこか煩わしいとすら思うようになっていた。

 こういうのを世間ずれとでも言うのだろうか?

 そう思ってカルラへの手紙に書けば、まだまだ早いと、笑っている様子を思い起こさせる文面で返された。

 カルラからの文をしまって、里を出て、道を歩く。傍らには天府がいて、他にも道を行く者の姿もちらほらとある。

 もはやセイリンの暮らしていたあの山から、どれほど歩いたのか、どれほどの距離があるのか、実感として捉えることは難しい。ただ、遠くだと。遠くへ自分が来てしまったのだという思いだけが強く、セイリンはその思いを振り払うように進んだ。

 都に行けばカルラがいる。

 再びカルラに会うのだ。

 それを楽しみにして、セイリンは進んだ。






 相変わらず、視線を感じる時がある。

 それは郷を出てからも、ずっと続いている。

 見られている。そう感じて周囲を見回しても、誰もこちらを見てなどいない。

 奇妙なことだが、同じ視線だと分かるのだ。

 里の中が多いのだが、時折、道でも感じる時はある。

 例えば、今がそうだ。

 視線を感じる。

 後ろだ。

 今、すれ違ったばかりの夫婦だろうか?

 そう思って振り返っても、夫婦はこちらなど見てはいない。

 他に人の姿は無い。

 夫婦は天府の姿に驚いていた。

 だから、すれ違った後にも振り返ってその姿をもう一度確認したのかもしれない。

 そう納得する事もできる。

 本当に?

 違う。

 これはいつものあの視線だ。

 誰かがついてきているのだ。

 ずっと。

 あの郷から。

 いや、本当にそうだろうか?

 実はもっと前からついてきていたのではないだろうか?

 どこから?

 老爺と共に暮らしていたあの山から?

 あの虎の魔獣のいた里から?

 あるいは金剛に出会った里からかもしれない。

 いや、もしかしたら。

 セイリンは不意に、答えを得たような気になった。

 打ち捨てられた里に転変したムカデの魔獣と共に男がいた。

 男は深い傷を負っていた。

 共に魔獣がいるのに。

 誰かが傷を付けたのだ。

 セイリンは魔獣を倒した。

 しかし、その魔獣の面は半分だけになっていた。

 半分は消え、残った半分はセイリンが持っている。

 幾度か捨てようかとも考えたのだが、未だにそれは手元にある。

 それを持っている事で、いつかそれを持ち去った相手が再び取りに現れるのではないかと、そんな気がして。

 もしかしたら、そうなのではないのだろうか?

 最初からすべてを持ち去れば、そんなことはする必要がないのは明白だ。

 だが、その相手はそうしなかった。

 元々ひとつだったものを半分に分けて、お互いが持っている。

 それはまるで割り符のように、約束のように、いつか目前に現れる、その時のためなのではないだろうか。

 相手が視線を隠さなくなったのか、それともセイリンが鋭くなったのか。

 確かにセイリンは以前のセイリンとは違っている。

 命が掛かる、そんな状況が何度かあった。

 失敗すれば、たったひとつの大切な物を失う。

 いや、実際に失っていてもおかしくはなかった。

 セイリンはその度に助けられたのだ。

 そうして多くのことに気が付いたし、意識にも変化があった。

 色々なことを教わり、願った。

 自身の成長を。

 見る。聞く。動く。止まる。

 そうして感じる。

 己自身を。

 己のいる世界を。

 触り、嗅ぎ、覚える。

 想像する。

 すべての意味を。

 いくつもの経験の中で、セイリンは確かに成長している。

 そんなセイリンだからこそ、気付けるようになったのかもしれない。


 傍らの魔獣、天府は気にするなとでも言うように、長い尾でもってセイリンの背を軽く叩いた。どうやら特に危険は感じていないようだ。

 殺気や害意ではないということだろう。

 共に歩み、共に解り、共にある。

 天府は人ではない。

 だが、セイリンと共にここまで歩いてきた。

 セイリンは天府の判断を信じて、進んでいく。

 スオウやガンギのいた郷に滞在している間に冬は過ぎ去り、季節はもう春だ。

 不意に花の香りが強烈にセイリンの鼻孔を刺激する。

 春特有の強い風が運んできた香り。

 見れば新たな里が遠くに見えた。

 その里は、遠目にも分かるほどに桜の木が茂り、そして今まさに満開を迎えていた。





 里で宿を取ると、カルラからの新たな文が届いていた。

 今までの文とは違い、そこには警告のようなことが書いてあった。

 人形流に気を付けろ、と。

 聞いたことのある名前だ。

 魔獣を相手にするための剣術と、人を相手にする剣術とでは当然違う。

 それぞれに、それぞれの流派があり、衛士にせよ、検非違使にせよ、必ずそれを修めているという。

 だが、人形流というのは衛士も、検非違使も、その存在すら知ることがない流派らしい。

 では、この流派は何なのか?

 簡単に言ってしまえば、それは殺人のための技のみに特化している、暗殺剣だ。

 決して歴史の表に名を残すことのない、陰の技。

 なぜそれをセイリンが知っているのかというと、スオウが一度話してくれたことがあったからだ。

 セイリンに転変の術を教えてくれた老爺の先代にあたるミロクを殺したのがこの人形流を修めた人間、それもただの少女にしか見えない者だったという。

 人形流は、体のまだ出来上がっていない小さな子どもの全身に糸を括り、そうしてまるで操り人形のように無理矢理に体を動かし、その技を体に、すべての関節ひとつひとつに覚え込ませる。

 およそ普通の人間には不可能な、どんな体勢からでも必殺の一撃を放てる外法の技。

 今代から数えれば、先々代のミロクが亡くなった際にその流派を根絶しようとかなりの術士が暗躍し、実際に山の中にひっそりと隠されていた道場を叩き潰したらしい。

 そして、都ではその名を聞かなくなっていたのだが、人形流の人間は普段は普通の人間として暮らしている。つまり、完全にひとり残らずこの世から消し去ることは到底出来ないという訳だ。

 その人形流の残った者が、その当時の事件から今でも術士に恨みを持って暗躍しているという。

 都に近づけば近づくほど、魔獣よりも人に注意なされよ、とは、スオウの言葉だった。

 今では大分、都に近づいてきている。

 だからこそ、改めてカルラは警告してきたのかもしれない。

 文にはスオウから聞いたようなあらましは書いていなかった。

 人形流と、その技の特徴、そして特に子どもに気を付けろとだけ、書いてあった。

 場合によっては天府と共に寝ることも考えた方が良いのかもしれない。

 そう考えたのは、セイリンには対人での格闘の経験がまったくないと言って良いほどに、実は抗う術を持っていないからだ。

 魔獣と戦えるからといって、人と戦えるとは限らない。

 動きも、間合いも違う。それに人は嘘をつく。挙動に真偽織り交ぜて来られると、セイリンにはどうしたって対処が難しくなる。

 行くと見せかけて、行かず。

 行かないと見せかけて、行く。

 人は動きに罠を張ることが出来るのだ。

 そうした相手と戦う術というのは、実はセイリンには備わっていない。

 天府ほどの魔獣が側にいれば、さすがにそれを警戒しなくとも、正面からぶつかるだけで、人であれば簡単に制圧できてしまうので、普段はそれほど不安はない。

 問題は宿などではどうしたって、共にいることが難しいということだろう。

 宿に入って、既に天府とは離れてしまっている。

 気を付けろと言われても、具体的にはどうしたら良いものか。

 風呂に入りたかったのだが、それこそ風呂では無防備になる。

 どうしたものか、とセイリンはその日、おおいに悩むことになった。




 翌朝、何事もなくセイリンは目を覚ました。

 戸へと目をやれば、そこには幾筋もの銀糸が張り巡らされている。

 悩んだ結果として、セイリンはわざわざ罠を張ったのだ。

 起き上がって確認してみたが、特に異常はない。

 気を付けろと文が届いたその日の夜に襲われるなんて間の良さなどというのは早々起こらないということだろう。

 ガンギから教わっていた簡易で、短い間に括る術を用いていたので、銀糸は容易に元の1本糸へと戻る。それを糸コマへと巻き取り、顔を洗おうと部屋を出た。

 穏やかな春の日だった。

 気候は温かで、至る所に桜の花弁が舞っている。

 食事を終えて里を歩くことにした。

 誰もが明るい顔をしている。

 今、この時こそがこの世の春なのだと言うように。

 旅に必要な細々としたものを買って歩いていると、ひとりの子どもが手に桜の枝を持って、こちらへと走ってくる。

 ふざけたような笑い声を上げて、くるくると回るように踊るように。

 別れる頃には泣かれる程には親しくなっていたガンギの息子の顔を思い出して、顔をほころばせ、すぐに、はっとなった。

 子どもに気を付けろ。

 手にある桜の枝はただの枝だが、それでも目なり喉なりを突かれたら、それなりの殺傷力を持つ。

 セイリンは知らず険しい顔になり、子どもがその顔に気付いて表情を凍り付かせ、やがて逃げるように走り去っていった。

 どうやら人形流とは関係なかったらしい。

 思わず眉間を揉みしだいて、首を振る。

 人形流に襲われたくないのなら、すべての子どもを警戒すれば良い。

 だが、通りの前後を見回しただけでもかなりの子どもが目についた。

 これをすべて警戒しなくてはならないというのなら、それはもう里になど入らなければ良いということになってしまう。

 どうしたものか?

 立ち止まり、思案していたセイリンは急に振り向いた。

 またあの視線だ。

 これはいつものこと。

 視線を感じるのは。

 だが、いつもと違うことがその日は起こった。

 振り向いた先にひとりの少女がいる。

 里の他の子どもと変わらない、ややゆったりとした着物に身を包んだ、普通の少女。

 少女はじっと、セイリンを見ていた。

 どこか獣のような視線で。

 警戒するように。

 見定めるように。

 少女はそこでぱっと身を翻し、走り出す。

 セイリンもまた走り出していた。

 ついに目が合った。

 今まで、ただの一度もなかったことがついに起こった。

 追ってどうしようという考えはなかった。

 ただ、セイリンは知りたかったのだ。

 なぜ、じっとセイリンを見ていたのか。

 本当に人形流なのか。

 ここまで何をするでもなく、ただただ追ってきたのは何故なのか。

 この少女が今までの視線の主だという確信がセイリンを突き動かした。

 この少女で間違い無い。

 セイリンがそう断じたのは、少女の小さな手には、その手には大きく見える木の欠片がある。

 それはかつてセイリンに襲いかかった魔獣、房宿のしていた面、その失われた半欠けに他ならなかったのだから。

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