第14話 ドール02

 一瞬、天府の顔がちらりと頭をよぎる。

 もしも人形流ならば、共にいた方が良い。

 セイリンは人形流を知らない。

 あらましだけは聞いていたが、聞くのと見るのとではまるで違う。

 本気で襲いかかられた時、セイリンでは自分自身を守りきれないかもしれない。

 だが、天府を呼びにいって、戻った時に果たして自分はあの少女を再び追えるだろうか?天府に追わせるのは難しいだろう。一度離れてしまえば、ここには多くの子どもがいる。

 セイリンには、この匂いを追え、なんて具体的な指示は出しようがない。

 少女が角を折れて、その姿がセイリンの目から消える。

 やはり迷っている時間は無い。

 セイリンが同じ角を曲がった時には、少女はその先の角に姿を消すところだった。

 距離は縮まっているのだが、向こうはそれを分かっていて、それで逃げているようにしか思えない。

 自分ひとりで少女を追おう。

 セイリンはそう決めて、走り続けた。





「っと、ごめんよ」


 ひとつの角を曲がった時、その先にはひとりの女がいた。

 セイリンは咄嗟に避けきれず、と言うよりも女は驚きながらもセイリンを抱きとめようと思ったようで、その両腕を広げていて、結果としてその腕の中に飛び込むような形になった。

 すみません、そう謝罪しながらも、突き飛ばして進む訳にもいかずにセイリンは飛び退くように後ろにさがった。

 そうして通りの先を見た時には、既に少女の姿は消えていた。

 右に折れたのか、左に折れたのか。

 いや、それどころか通りの中にいくつもある脇道のいずれへと飛び込んでいったのか。

 もはやセイリンにはそれを判断する術はない。

 もしかしたら、どこか適当な店の中に入ったのかもしれないし、そうしてそのひとつひとつを確かめて回ったところで逃げ切られてしまうに決まっていた。


「なんだい?そんな焦ったような顔をして?大事な物でも落としたのかい?」


 改めて女の姿を見て、セイリンは戸惑った。

 女の姿は今さっきまで追っていた少女の印象にとても良く似ていたのだ。

 年の頃はセイリンよりは上だろう。だが、カルラほどではない。

 あの少女はセイリンよりもかなり下に見えたので、このふたりを同じ人間として見間違えるなど有り得ない。

 だが、その結わずに短く切りそろえられた髪は、今まさに追っていた少女と同じであったし、ややだらしなく見える胸元がゆるい着物も少女の着ていたものに近い印象を持った。何よりもその色が同じ浅葱色であるというのも奇妙な偶然の一致である。

 女はセイリンよりはやや高い背であり、僅かにだが見上げるかたちになる。

 訝しげな視線を返すセイリンに、女は戸惑ったような笑みを浮かべる。


「えぇっと、なんだか分からないけど、邪魔しちまったかい?それじゃあ私は行くよ。悪かったね?」


 そう言って手を振りかけた女にセイリンは声を掛けた。

 少なくとも女は少女の消えた先から来たのだ。

 ならば女は少女を見ているはず。

 そのことに気が付いて尋ねると、女は笑みを浮かべたまま困ったように返した。


「女の子?確かにそんなのが走っていったような気もするが、いちいち最初から最後まで姿を追ったりなんてしてないからねえ。なんか悪さでもされたのかい?」


 この里にはスリを働くような子どもはいないらしいのだが、それでも悪戯ていどに悪さをする子どもというのはどこの里にだっているものだ。

 まがりなりにも成人しているセイリンが理由も無く少女を追うというのは外聞が悪過ぎるし、だからといって本当の理由など話せるはずがない。

 旅の間中ずっと視線を感じていて、その主が年端も行かない少女だったなどと、いきなり見ず知らずの人間から言われて、それを信じられはしないだろう。

 以前の山を下りたばかりのセイリンであれば、正直に話したかもしれないのだが、今のセイリンには人がどういう話を信じ、どういう話ならば疑うのか、そういう判断がつくようになっている。

 それでも人に物を尋ねておきながら、自分が尋ねられれば答えずに逃げるというのもしたくないという心根は残っている。

 どうしたものか、と考え、すぐにセイリンは答えに至った。

 面の半欠け、それを持っていかれたのだと、セイリンは嘘ではないものの、真実すべてではない答えを女に告げた。

 それを聞いて、女の笑みが曇る。

 どうやら子どもの悪戯で大切な物を盗られたセイリンを、本気で哀れんでいるようだ。


「そうかい……良し、それじゃあ私がその女の子を捜すのを手伝おう。ひとりよりはふたりの方が探しやすい、だろう?」





 女はキョウと名乗った。

 姓などない。ただのキョウだと。

 とっくに成人していてもおかしくない年頃なのだが、女は髪を結ってはいない。

 男も女も成人すれば髪を結う。

 男は背に垂らすように、女は頭の上でまとめあげるように。

 理由を聞けば、キョウは笑って言った。


「私はまだ子どもみたいなもんだからさ。成人したってんなら、大人にならないと。だけれど、私は大人になんてなれないのさ」


 職人だったり、何らかの職能を必要とされる徒弟ならば、親方に認められれば一人前。商人だったらひとりで店に立てるようになれば、農民ならば田畑を持てば、それぞれ成人として認められるという。

 これは男の場合だ。

 女の場合はもっと単純で生まれた時からいくつ季節が巡ったかで決まる。

 女でもなれる職というのはなくはないのだが、多くの女は他の家に入り、子をなし、育てることが第一なのだ。

 だから年頃になれば、縁談を勧められるし、成人となる頃には大抵の女が嫁いでいく。

 そういう風に里はなっている。理や仕組みとして。

 以前に食事を共にする女を勧められたのは、つまりは成人したにも関わらず、同じ里の中で縁を結べなかった女が里の外の人間と縁を結ぶため、そういう一面があっての商売なのだ。

 だから、キョウくらいの年頃で嫁いでいくでもなく、それどころか成人することすら否定する女というのはセイリンは初めて見た。

 都にいけばまた話は違うらしい。都はまた都で人があふれていて、今いる小さな里などとは全く別の理が敷かれている。

 キョウの身にまとう雰囲気というのは、話に聞いていた都の女、というのを連想させた。

 大人になんてなれない。

 その言葉がセイリンの胸に引っかかる。

 セイリン自身も同じようなことを考えていたからだ。

 成人と大人。

 似ているようでまったく違う。

 セイリンは成人している。しかし、大人なのかと問われれば、首を傾げたくなる。

 セイリンにとっての大人とは、老爺であり、カルラであり、あるいはスオウやガンギのことだ。そうした人間と自分とを比べても、どうしても自分が同じであるとは思えない。

 自分はまだ成人していても、まだ子どもなのだ。

 実際に、郷ではスオウにも、特にガンギにはそんな風に扱われているところはあったのだ。

 成人したなら大人にならないと。

 その言葉がセイリンの胸に引っかかりを、いや胸を突いていた。

 思わず、意味を問う。それはどういう意味なのかと。

 女は笑んでいるだけで、視線をセイリンの上へと向けた。

 そこには桜が咲いている。満開の花。散る花びら。

 花びらがキョウの頬を撫でるように落ちた。


「なあに、単に区切りの問題さ。少し踏み出せば、大人になれるって分かっちゃいる。でも私にはそれは絶対に出来ないとも分かっている。いや、思っちまってるんだ。出来なくて良い。大人になんてなれないのが、結局私なんだってさ」


 キョウが手を伸ばす。

 キョウの手は震えていた。

 それに、手の色が異様に青い。

 まるで血が通っていないような、そんな手だった。

 桜の枝に手が届く。

 枝をつかみ、力をこめた。

 枝がたわみ、きしむ。

 あともう少し力を込めれば枝は折れる。

 しかし、キョウはきしむ僅かな音を聞いて、枝を離した。

 揺れた枝から花びらが散る。

 キョウの頬を花びらが落ちる。

 それはどこか涙のようで。

 セイリンはその様を美しいと思った。

 セイリンが女を美しいと思ったのは、これが始めてのことだった。





 結局、少女の姿は見つからなかった。

 キョウと別れる時、セイリンはしばらくはまだこの里に留まると告げた。

 もう少しばかり桜を見て回りたいと思っていたし、それに一度姿を現したのならば、またもう一度、あの少女が姿を現すかもしれない。

 今までになかったことが、この里では起きた。

 もしかすると、次の里では起きないかもしれない。

 それならば、この里で確かめたいと思っていた。

 キョウは一度助けたことで義理は果たしたと思ったのか、セイリンのことを手伝おうとも、里を案内しようとも言わず、そうかいと告げて、またあの笑みを浮かべたまま、さっと手を振って去っていった。

 天府のところ、あてがわれた使われなくなっていた馬小屋へと顔を出すと、最初、いつものように不満げに小さくセイリンへと息を吹きかけ、その後にはしきりにセイリンの匂いを嗅いだ。

 何かを確かめるようにセイリンの匂いを嗅ぐのもいつものことなのだが、この日は少ししつこいきらいがあるほどだった。

 もういいだろう?と実際に口にしながら天府の鼻をぽんと軽く叩くと、それでやっと天府はセイリンから身を離すように、嗅ぐのをやめた。

 様子を見るに、どうやら天府の方には変わったことはなかったらしい。

 何かを警戒している素振りもないし、小屋の周りにも変な足跡などもない。

 あの少女が姿を現したのは、セイリンの方にだけだった。

 そのことを確認して、部屋へと戻り、日は暮れ、そしてまた何事も起きずに朝が来る。

 セイリンは里の中を見て歩いた。

 満開の桜が咲き誇る。

 日の当たり方の問題なのか、既にだいぶ散ってしまっている木もあった。

 少女は姿を現さない。

 それにキョウの姿も見えなかった。

 それほど大きな里ではない。

 ばったりと道で行き会ってもおかしくないのだが、そう思えば不思議なほどに影も形もなかった。

 時折、視線を感じることはあったが、それは里の誰かの好奇のそれか、それともセイリンの気のせいか。穏やかな里で穏やかに時間が過ぎていく。

 何も起こらない。

 数度、里の者にキョウのことを尋ねてみた。

 しかし、キョウはこの里の者では無かったらしい。

 誰もそんな女は知らないと言う。

 旅芸者の中にそんなものがいたような気がするという男もいた。だが、確かなことは何も分からない。

 もしかすると、もうこの里の中にはいないのかもしれない。

 そういえば、と気が付いたことがあったのだが、それはキョウと別れてからだった。

 もしかすると、もう二度と会えないのかもしれない。

 そう思うと、セイリンの胸はわずかに痛んだ。

 既に旅の支度は済んでいる。

 必要なものは揃っているし、疲れも十分に抜けている。

 そう思いながらも、里での時間が過ぎていく。

 桜が散っていた。

 もう既にほとんどの木が、花びらを落としている。

 つい少し前の華やいだ里の雰囲気が、いつの間にか遠くなっていた。

 そろそろ天府も暇に飽いて、セイリンを急かすようになっている。

 ここにはもう満開の桜はない。

 もうないのだ。

 それを思って、やっとセイリンは里を出ることにした。

 既に花びらを残している桜はただの1本もなかった。





 天府を連れて里の出口に向かう。

 見送りはない。

 とても綺麗な桜は見事だったが、誰かに必要とされることもなく、静かで何事もなかった里だ。

 何もなかった。

 それが少しだけセイリンに寂しさを覚えさせる。

 里から離れ、やがて見えなくなり、セイリンはひたすらに進んでいった。

 最初は同じように次の里へと向かう人の姿や、逆に向こうから来る人の姿も多かったが、歩く速度の違いでやがてはそれも減っていき、いつしかセイリンはひとり、天府と共に進んでいた。

 日は暮れていく。

 途中、宿場があったのだが、セイリンはそこに泊まる気になれず、通り過ぎていた。

 この近くに泊まれる所はない。

 今日は野宿しなければならないだろう。

 と、そこにひとりの女の姿があった。

 誰彼時だ。

 遠目には男か女かも分からなくなるような時分なのに、不思議とセイリンにはそれが誰なのかが分かった。

 キョウ。

 一度だけ会い、話した女。

 女は笑っていた。

 そう言えば、この女はずっと笑っていた。

 どこか人をからかうような笑み。

 そして、どこか泣いているような笑み。


「やあ。待ってたよ。意外に早かったね。会うのは明日になると思ってたのに」


 ここから先に泊まる所はない。良い所があるから、こっちにおいで。

 そう、キョウに伴われて向かうと、道の外れに小さな小屋があった。

 戸を開き、キョウが中へと消える。

 セイリンも後について入ろうとして、入り口の外で足を止めた。

 そして、天府が頭だけをセイリンの前に突き入れる。

 どこかかばうように。

 小屋の中にはキョウ以外に人の姿があった。

 子どもが横たわっている。

 死んでいるのか、生きているのか、小屋の中の小さな灯りでは子どもの顔は影になっていて見えない。

 見覚えのある髪型。

 見覚えのある着物。

 それはどこかキョウに似ている。

 それはいつか見た、あの少女だった。


「入らないのかい?……まあ、そうだね。きっとキミには不審があるだろう。この子にはね。いや、今となっては私にもか」


 そう言って、キョウは懐からひとつの面を出した。

 半欠けの面。

 いつかムカデの魔獣が付けていた、怒りを示す転変の印。

 それをかぶるように掲げた。


「話を聞いてくれないかい?ずっと誰かに話したかったんだ。でも、聞いてくれる誰かなんて、私にはいなかったからね。キミがその最初になってくれると、私はとても嬉しい」


 そう言って笑う様は、とても異様で。

 半分は怒りの面に覆われて。

 そしてもう半分は泣くように笑っていた。

 セイリンは、それを見て、やっぱりと思う。


 やっぱり、この女の人は美しい、と。

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