第十四幕 女心とあきのそら

 月が明けて九月の九日になった。


 既に季節は晩秋に差し掛かっている。なお、この日は俺の誕生日である。


 稲荷社いなりやしろの西の六畳間から見える軒先から覗く、曇天模様どんてんもようの空の下、絶え間なく続く地雨じあめがざぁざぁと降っている。


 午前中にすずさんは手習い所の子供達に指南しなんを、徳三郎さんは本殿で神官として重陽ちょうよう節句せっくに係る祭礼の神事をり行っている。


 今日は朝から雨だったので洗濯もなく、掃除も家の中だけで済んだので、家事が早く終わった。


 おあきちゃんに草書体の崩し漢数字の読み方を教えて貰おうとしたところ、未来の数字の話になった。


 おあきちゃんは、俺が半紙に書く未来の算用数字に興味を示したので、俺はスポーツバッグの中からトランプを出して桁上がりを説明しようとした。


 おあきちゃんは、俺が出したトランプを見て「こんな歌留多かるたでも花札はなふだでもないあそふだことい! どうやってあそぶの!?」と興味津々な様子で尋ねてきたので、西洋で使われている算用数字の概念を教えるついでに、簡単なトランプの遊び方を教えることにした。


 とりあえず、初心者にもわかりやすい『21』を教えた。なお、絵札の説明の際には解り易いように、ジャック若君わかぎみクイーン御后おきさきキング殿様とのさま、ジョーカーは道化どうけということにした。間違ってはいないはずだ。


 そして一刻いっとき(二時間ほど)が経過して現在昼四つ半(午前十一時ごろ)になったが、おあきちゃんはトランプに飽きた様子が見えない。文字通りに、新しい玩具おもちゃを与えられた子供のごとく夢中になっている。


 そして今、俺の向かい側に座ったおあきちゃんが、笑いながら手札を開いて軽快に喋る。

「りょう兄ぃ! 二十一だよ!」

「俺は、十九だね。おあきちゃん強いな」


 俺の言葉に、おあきちゃんの目が輝く。


「未来には、こんな歌留多かるたでも、花札はなふだでもない面白いふだ遊びがあるんだね! ひょっとして、他にも色々な遊び方があるの!?」


「うん。もっと多種多様な遊び方があるよ。例えば三人以上になったら『七並べ』とか『大富豪』とか『ばば抜き』とかもできるかな」


「教えて教えて! あたし、すず姉ぇや父さまとも一緒にしてみたい!」


 おあきちゃんがせがむので、俺は『七並べ』や『大富豪』や『ばば抜き』のルールを説明した。子供はやはり、飲み込みが早いようだった。


 すると、外の遠くの方から時の鐘が鳴るのが聞こえた。捨て鐘が三つ、そして九つ。正午になったということだ。


 俺たちは、いつも食事を取る座敷に移動した。おあきちゃんは、トランプに余程よほど愛着が沸いたのか、座敷まで持ち運んでいる。


 戻ってきたすずさんが手招きをしたので、俺は台所に共に行く。すずさんは四つの茶碗に朝炊いた飯を盛り、汁物やおかずと共に膳に載せ、俺が次々と運ぶ。


 そしていつもの座敷で、それぞれのぜんに載った飯を四人一緒に食べる。もう三ヶ月近く繰り返している、いつもの日常であった。


 座敷にて四人で座布団の上で正座して食事をしていると、ふすまかべの向こう、講堂のほうから子供の声が聞こえてくる。


 下座しもざに座っている俺は、箸を右手で持ちつつ味噌汁の椀を左手に持ち、向かい側に座るすずさんに話しかける。


「やっぱり、昼に手習いの子供の声がすると、雨の日なんだって気がしますね」


 手習い所の子供達は、基本的に昼になったら昼飯を食べに家に帰る。手習い所と家はすぐ近くなので、そういうことができるのである。


 しかし、雨の日には昼にわざわざ帰らず、あらかじめ家から持ってきた笹折りに包んでもらったおにぎりを食べる。


 俺の言葉にすずさんが応える。

「まあね。雨の日はみんなささにぎめし包んで持ってくるからさ。まあ、今日みたいに朝から雨が降っていたら頭にかさをかぶって来ているからまだましさ。朝はれていて午前うまのまえに雨が降ったら、ずぶ濡れになってでも昼飯を食べに帰るか、きっ腹を我慢するしかないからね」


 江戸では、まだ広くは『握り飯』を『おむすび』とは言わないらしい。『おむすび』とは上方かみがたの言葉で、知識人や少々気取った人が使う言葉なのだとか。江戸の庶民は『おにぎり』と言う。


「給食がないですからね。せめて、小腹を満たす為に甘酒くらい飲めると良いんでしょうけどね」


 俺は、そう言い人参や大根の入った味噌汁を飲む。江戸時代の青菜あおなつまり野菜は、近代的品種改良も規格品選別も近代的促成栽培もされていない完璧な有機野菜なので、野性味溢れた強烈な香りがし、味がねっとりと濃い。


 しかし、青菜あおなの生育には人糞を発酵させた肥料を用いているので、食べる際には必ず加熱しなければならない。


 以前すずさんに、未来には青菜あおなを生のまま食べる『サラダ』という料理があるという事を教えたところ、「虫じゃないんだからさ」と苦い顔でにべもなく返された事がある。


 なまでばりばり野菜を食べるという言葉のイメージは、どうやら江戸の人には青虫が菜っ葉を食い荒らす情景しか想起させないらしい。


 昼飯を食べている最中に、おあきちゃんがトランプの話をする。すると、すずさんも徳三郎さんも興味を示したようだ。


 昼八つ(午後二時ごろ)になったらすずさんは、俺たちと一緒に遊んでくれるとのことだ。


 それにしても、おあきちゃんは普段、どんな遊びをしているのだろうかと気になったが、浮かんだ疑問は白米と味噌汁と共に飲み下した。





 手習いの指南が終わったすずさんは、俺たちと一緒に『婆抜き』をしてくれた。


 湯屋ゆやに行って、晩御飯を食べてからは、今度は徳三郎さんとも一緒に『大富豪』までやってしまった。


 徳三郎さんは見慣れない札の模様に最初は戸惑っていたが、慣れたとたんに凄まじく強くなった。途中からは手加減さえしてたような気もする。


 そして、夜が更けて、すずさんも徳三郎さんも退出した。


 行灯の明かりで照らされた部屋で俺とあおきちゃんの二人で『ダウト』を行い、夜四つ(午後十時ごろ)になって、ようやくおあきちゃんが「そろそろやめようか」と言ってくれた。


 もう既にすずさんと徳三郎さんは寝床に就いている。


 外の方から雨音に遮られて、小さく時の鐘が鳴っているのが聞こえる。一日中トランプをしてしまった事になる。


 俺はつぶやく。

「今日は一日中トランプしてたなぁ、せっかくの誕生日たんじょうびだったってのに」


 俺の言葉に、おあきちゃんが返す。


「りょう兄ぃ、『誕生日たんじょうび』って『生誕日せいたんび』のことだよね? それがどうかしたの?」

「ああ、そうそう。実は今日の九月九日は俺が生まれた日なんだ。だから、俺は今日十六歳になったってことで……」


 俺はそこで言葉を止める。


 確かに九月九日は俺の誕生日だが、今日をもって俺は十六歳になったといえるのだろうか?


 俺がこの時代、江戸時代に迷い込んだのは東京の暦で七月下旬であり、そこから江戸の暦の六月十六日に飛ばされたのだから、江戸の暦での八月ごろにはもう十六歳になっていたと言えなくもない。


 俺が思案していると、おあきちゃんが不思議そうな顔をして口を開く。


「今日に十六歳になったってどういうこと? としを取るのは生誕日せいたんびでなくてお正月だよ?」


「え? 普通、年を取るのは誕生日だと思ってたんだけど……違うの?」


「りょう兄ぃ、としってのはお正月に取るものじゃないの? どういうこと?」

 おあきちゃんが戸惑っているので、俺は返す。


「俺のいた時代では、生まれてから誕生日ごとに一歳ずつ齢を取るんだよ。だから、俺は生まれてから十六年経ったことになるんだけど……」


「え? よわい十六って生まれてから十六年目のとしってことだよ? だから、生まれてからなら十五年じゃないの?」


 なんだか、年齢の数え方に食い違いがあるようであることに俺は気付く。


 おあきちゃんと色々話し合ったところ、江戸での年齢のカウント方式は平成のものと異なるようだった。


 江戸時代では平成の世で『数え年』と呼ばれる年齢、つまり今年が生まれてから何年目の年であるかが、そのまま年齢になるらしい。つまり江戸時代では、生まれた年は大晦日まで一歳として、そこからは正月元日ごとに一つずつとしを取っていくのだとか。


 謎が解け、おあきちゃんがすっきりした感じで話す。


「なぁんだ。じゃあ、りょう兄ぃはよわい十五じゃなくて、よわい十七だったんだね」


「そうなるね。おあきちゃん達、江戸の人達は自分の誕生日って知らないの?」


「そんなの大方おおかたはみんな知らないよ。あたしは丁巳ひのとみの年のあき最中さなかに生まれたってのを、すず姉ぇに聞いたことがあるだけ」


 おあきちゃんの言葉を聞いて、俺はおあきちゃんの名前の由来を把握した。


――そうか、あき最中さなかに生まれたからおあきちゃんなのか。


 俺は深く考えずに言葉を返す。

「おあきちゃん、ところで『ひのとみ』の年って何年前なの?」


 何気ない一言だった。おあきちゃんは、しばらく宙を見て考えていた様子を見せ、いきなり顔を耳まで真っ赤に染めた。


「知らない! りょう兄ぃの馬鹿!」


 おあきちゃんは恥ずかしそうな、照れたような様子で大きく叫び、襖の向こうに急いで去ってしまった。


 何故なぜ怒られたかわからなかった俺は、呆然としたまま行灯の明かり照らす畳敷きの部屋の中に取り残された。






 夜が明けて九月十日の朝、俺は眠い目をこすりながら布団から起き上がる。布団を畳み、寝巻きのまま朝の定例行事を済ませようとする。


 雨戸を開けると、あお水硝子みずがらすのように澄んだ雨上がりの青空が目に飛び込んできた。雨は昨夜の内に止んだらしい。


 この時代に来た際にスポーツバッグの中に入ってあった歯ブラシを持った俺は、歯を磨こうと東の出口から出て、井戸から塩水を汲み桶に入れ、どぶみぞそばで歯を磨く。


 そろそろ平成から持ってきた歯磨き粉がなくなりそうだということに気付く。


 気配を感じたので後を見ると、薄い藍色の寝巻きを着たすずさんが欠伸あくびをして、短い柳の枝と薬包紙の袋を持ってどぶみぞの傍に来ていた。そこで俺は挨拶をする。


「すずさん、お早うございます」

「ああ、おはよう、りょうぞう。良い旻天びんてん模様になって良かったねぇ」


 すずさんは俺の隣に来て、薬包紙のような袋に入っている白い粉に、先が裂かれた短い柳の枝をつけて歯を磨く。これは江戸時代の歯磨き粉と歯ブラシだ。江戸時代にも歯磨き粉はあり、塩などに香料を混ぜたものであるらしい。


「すずさん、そろそろ俺の歯磨き粉がなくなりそうなんで、なくなったら分けてもらえませんか?」


 俺が尋ねたところ、すずさんが眠たそうに返す。


「ああ、別にいいよ。ところでりょうぞう、昨晩遅かったようだけど、おあきとなんかあったのかい?」


「え? そういえば、途中で怒られてそのままなんですが……どうかしたんですか?」


「朝起きておあきを歯磨きに誘ったらさ、りょうぞうと一緒に磨きたくないなんて駄々をこねるんだよ。なんか遊びでまずいことでもあったとかかい?」

 そうすずさんが、柳の枝で歯を磨きながら尋ねる。


「俺にもわからないんですよ。ただ、おあきちゃんが『ひのとみ』の年に生まれたってことを聞いて、それが何年前かを尋ねたらいきなり怒り出したんです」


 俺の言葉に、すずさんが納得をしたような顔をする。


「……あー、なるほどねぇ……りょうぞう、そりゃおまいさんが悪いよ」

「どういうことですか?」


「そりゃ、女にとしを訊いたんだ。怒られて当然さ」

 その説明に俺は戸惑う。おあきちゃんは、まだ五、六歳ってとこなのに。


「おあきちゃんの年齢としでも、そんなこと気にするんですか?」

「そりゃね、りょうぞうにはまだ判らないかもしれないけどさ、女ってのは胎児はらごの頃から灰になるまでずぅっと女なのさ。そこんとこをよぉく判っとかなきゃ、未来にいるとかいう惚れた女にも逃げられちまうよ」


 俺は葉月の顔を思い出して、ぎくりとした。


 懸念けねん払拭ふっしょくするように水桶から手で水をすくい、口をゆすぐ。


 口をゆすいだ水を、どぶ溝に吐き出した俺は、すずさんに伝える。

「気をつけます。でも、おあきちゃんはどうしましょうか?」


「まあ、様子を見とけばいいよ。そのうち仲直りするだろさ」

 すずさんも、歯を磨き終わると手桶から水を手ですくい口に含み、色気ある仕草で口から水をどぶ溝に吐き出し流す。


 それにしても、あんな小さな子でも年齢を訊かれるのは嫌なものなのか。俺は自分の未熟さを痛感した。






 昨夜に降り止んだ雨は、やしろの前の赤茶けた道の土に水溜みずたまりの足跡を残していた。


 神職の白衣袴に着替えた俺は、手水ちょうずの水を汲みかえる。まず、溜まっていた昨日の手水ちょうず桶の水を、どぶに流してから桶を定位置に置き、そして手桶を持って井戸を何往復かして、桶を綺麗な水で満たす。これが中々重労働なのである。


 最後の一杯を、手水ちょうず桶に入れたところ、講堂の影から小さな人影が覗いているのが見えた。頭には、ビー玉のかんざしが朝日を反射してきらきらきらめいている。俺は声を掛ける。


「おあきちゃん? 昨日はごめん」

 ところが、俺が声を掛けたらおあきちゃんは、恥ずかしそうに逃げてしまった。


 それから朝食の時も、昼食の時も、結局一言も話さないままになってしまった。昨日あんなにトランプで仲良く遊んでいたのが嘘みたいだ。


 昼八つ(午後二時ごろ)になって、すずさんが手習いを終えた。俺は子供がいなくなって講堂に座っているすずさんに近寄り、鉄瓶からお茶を湯呑に注いでねぎらった。


「ご苦労様です」

「ああ、すまないね。酒だったらもっと嬉しいんだけどねぇ」

 すずさんは、お茶の入った湯呑を手に取りつつ笑う。


 そして言葉を続ける。

「で、りょうぞう。おあきと仲直りしたのかい?」

「それが、まだなんです。近寄ると逃げられます」


 すずさんが、お茶をすすりながら目を瞑る。そして、一息つくと目を開いて口を開く。

「まぁ、りょうぞうのことが嫌いになったのなら、りょうぞうに貰ったビイドロのかんざしも身に付けてないよ。事苦ことにがくなって、なかなか話しかける切っ掛けが掴めないんだろうねぇ」


「そうですか……どうしたらいいんでしょうか……」

 俺は、ため息をつく。


 すずさんは気を配ったように、息を吐き出す。

「まぁ、おあきも何だかんだで心は幼いからさ、うまく気持ちを言葉で表せないんだよ。悟って欲しい、わかって欲しい、っていう叶えられない願いを心で求めてなげいているのさ。人は覚神さとりがみなんかじゃないのにさ」


 すずさんが再びお茶をすする。俺は応える。

「難しいですね……本当に……」


「りょうぞう。念のため訊くけどさ、おあきの機嫌を損ねたるのはからぬことって思うのはおあきのためかい? それとも己のためかい?」

「そりゃ、おあきちゃんのためですよ」


 俺の間髪いれぬ返答を聞いてすずさんは満足したような顔をした。

「ふむ、そうだねぇ。じゃあ、昨日みたいに未来の遊びを何か新しく教えてやったらどうだい? おあきは、珍しいものが好きだからねぇ」


 その言葉に、俺は考える。花火という手もあるが、江戸の町で手持ち花火は禁じられているので使えなさそうだ。


 そこに、道のほうから物売りの声が聞こえてきた。

「ふきたまやぁ、ふきたまやぁ」


 そこで、俺はおあきちゃんに見せるべき遊びを思いつく。すずさんに尋ねる。

「すずさん! 松脂まつやにって手に入りますか?」

「え? 松脂まつやになら父さまのびん付けのがあるけど、どうする気だい?」


 すずさんのきょとんとした顔を気にせず、俺は講堂の土間段から、やしろの前の道を歩いている物売りに声を掛けて呼び止めた。






 秋の夕暮れの空は、夕日の赤で染まっていた。


 俺は、西の六畳間の縁側に座り、手にはストロー状の葦管あしのくだと液体の入った茶碗を持っていた。


 後の柱から、おあきちゃんがひょいと顔半分を出しているのが見える。俺は、葦管あしのくだの片側を手に持つ茶碗の液体につけ、反対側から息を吹く。


 ぷくぅっと、大きな丸いシャボン玉が現れ、宙に浮かぶ。


 おあきちゃんは、俺の目の端で、ゆっくりゆっくり俺に近づく。


 俺はもう一度、葦管あしのくだを液体につけ、今度は勢いよく噴き出す。十何個ものシャボン玉が庭先に明るい夕焼けの光を浴びて、宝石のようにきらきらと乱舞する。


 俺は、近寄ってきたおあきちゃんにゆっくり振り向き、話しかける。

「おあきちゃんもする? シャボン玉?」


 おあきちゃんは、何も言わずにこくこくと頷き、俺が持っていたもう一本の葦管あしのくだを受け取る。この葦管あしのくだは吹き玉屋、つまりシャボン玉売りから譲ってもらったものだ。


 そして、俺が持っていた茶碗の液体にくだをつけ、ゆっくりと大きく、子供の肺活量で懸命に吹く。


 おあきちゃんの心に溜めていた言い切れない思いが抜け出ていくかのように、シャボン玉は大きくなる。そして一瞬だけ葦管あしのくだから離れたと思ったら、夕日の光を球面全体で浴びながら、夕日の方へ混じるかのように弾けて消えていった。


 俺と、おあきちゃんは何も言わずに顔を合わせ、微笑みあう。

「りょう兄ぃ、きえちゃったね」

「そうだね、消えちゃったね」


 互いに微笑み合いながら何かが解けるような感触を心の肌で感じる。


「りょう兄ぃ、昨日はごめんね。いきなり怒っちゃって」

「ううん、俺こそごめん。訊かれたくないこと訊いちゃって」


 夕日が俺達の顔を照らす。おあきちゃんはもう一回管を液体につけ、シャボン玉を吹く。


 今度はまるでビイドロの珠のように見事に綺麗な真球のシャボン玉が五個、宙に浮かんだ。


「あたし、こんなに大きなシャボン玉作ったことないよ。どんなもの混ぜたの?」


「この茶碗の中に入ってる液体はね、シャンプーっていうものと松脂まつやにを水で溶いたものなんだよ」


 俺の言葉に、おあきちゃんは、わかったようなわからないような、むしろそんなことどうでもよいかのように、シャボン玉を吹いている。そして、真正面の夕日を受けてシャボン玉がつくる影を顔に受けながら、話す。


「また、『とらんぷ』で遊ぼうね、りょう兄ぃ!」

「うん、そうだね」


 俺も、自分の分の葦管あしのくだで、シャボン玉を吹き飛ばす。


 一部始終を見ていたのだろう、すずさんが俺たちに近寄り、声をかける。


「おやおや、ようやく仲直りできたのかい? よかったねぇ」


 その言葉に、おあきちゃんが応える。

「うん!」


 そして、すずさんは口を開く。

「まぁ、『男心と秋の空』とはよく言うがねぇ。この場合、『女心とあきのそら』ってとこかい?」


 その言葉に、おあきちゃんは少し頬を膨らませる。

「もう、すず姉ぇ。そんな風に言わないでよ!」


 俺は、何を言っているかわからなかったが、おあきちゃんが言いたい事を消化できて良かったと、心の底から思った。


 夕日が沈むまで、俺たちは縁側に座っていた。それは、昨日まで雨が続いていたからこそ透明度を増す湧き水のように、清らかに澄んだ綺麗な夕焼け空だった。


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