第一部「風船」/第七話
第七に。
今にして思えば、とんでもない急展開だったと思うけれど、そして強引過ぎる出会いだったと思うけれど、とにもかくにも僕はそれから、
「面倒だからいい」
と言ったのだった。彼女のこういうところに、僕は好感が持てた。僕がイジ撲に入ろうというその理由を訊いてこないのもそうだが、彼女はこの年代の少女にしては珍しく、遠慮があった。噂好きの女子は、関係の無いことまで根掘り葉掘り訊いてくるものだが(その上それを多分にアレンジして流すというのだから
そう考えると、もしかしたら彼女のように健康的に欲求を叶えている体育会系、という、殆ど唯一さばさばできる女子っていうのは、相当に珍しいのではないか、という気がしてきた。するとますます僕の彼女に対する評価は高くなった。出会って数時間ではあるが、僕は彼女に殆ど尊敬のような感情を抱いていた。そして、この時は気付かなかったが、僕が尊敬した他人というのは、彼女が初めてだったのである。
「ありがとう」
僕は、気付けば再度お礼を述べていた。何について礼を述べたのかについては、心当たりが多すぎて、ここに列挙する気は無い。
さて、この日の主なイベントはそれで全て終了した。月摘のハードな連れ回しにすっかりへとへとになってしまった僕は、生徒玄関で月摘に別れの挨拶をして、それから自転車でゆっくりと帰宅することにした(本当はすぐにでも帰って布団に潜り込みたい気分であったが、ペダルを速く漕ごうにも、すっかり棒になってしまっていた僕の脚は、言うことを聞いてくれなかったのである)。月摘に一緒に帰りたいと言われたが、残念なことに家の位置が学校を挟んで正反対だったから、その話は叶わなかった。
僕は他の人と一緒にいようがいろいろ考えてしまうような性質だから、一人ならなおさらで、午後四時の畦道を進みながら、つい先ほどの出来事を思い返していた。裸の田の土の色や、その脇に茂る草々、そこにチラチラと見える色とりどりの花、温く甘い風、柔らかい日差し、鳥のさえずり、そういった外界からの刺激の全てが、僕の外界への意識をぼんやりとさせ、その分意識や思考のベクトルを、内面へと向けさせる。心地良い。月摘との会話が、頭の中で鮮明に再生された。――しかし不思議な人であった。こんなにも自然体で会話できた人は初めてであった。僕は家族以外の他人と話す時、発言する前にその目的と内容をしっかり吟味する癖があるが、彼女は僕のその癖を、あっという間に取り除いてしまった。分かりやすく言えば、彼女は僕と部活を回った短い時間の間に、僕の他人に対する警戒心を解いてしまったのだ。つまり、これは、僕が彼女を、たった数時間で姉と同じくらいに親しい人間だと認識した、ということを意味する。これは全く不思議だが――しかしその仕組みを解明することは無意味のように思えた。これは科学ではない、人と人の心の話である。それを普遍的な法則などで説明してたまるか、と僕は思った。なんとなく、それは彼女を貶める行為のような気がしたのだ。
明日も彼女に会える。そう思うと、僕の脚は妙に軽くなって、残り半分の帰路は、むしろいつもより速く自転車を漕げたのだった。
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