第七話 ホワイトシチュー

「なんだそりゃ」

「あぁ~グレイさんは食べたことないんですねぇ可哀想に」

 そもそもこの世界ではわけの分からない宇宙食のような味気ない食べ物しか出回っていないのだ。映画で主人公が合成じゃない肉を食べてびっくりするシーンを見たことがあるが、合成でも肉なだけ上等と思えるほどだ。カロリープレートや栄養粉末だけでは、様々な食物を求める私の腹を満たすことは到底できない。

「ソラさん、僕もありませんよ」

「ヒューイくん、私のことは先輩と呼ぶように言ったと思ったんですが?」

「ごめん……なさい。先輩殿」

「殿要らない!」

 私はヒューイに自分のことを先輩と呼ぶように言っていた。グレイさんに先生と呼ばれるのもそうだが、こうしていると学校に通っていた頃が思い出されて楽しい気分になれるので、止めさせたくない。ただ、思い出し過ぎることで悲しい気分になることもあるが、最近では現状を比較的ポジティブに受け入れることができていた。ヒューイもそんな私の雰囲気に飲まれたのか、最初の頃は想像できないほど馴染んでいた。初期段階では縮こまってコンテナの隅にいたヒューイも、最近ではグレイさんと論争を繰り広げたりと、随分と仲がいい。そんなこんなで、私達は数週間もの間、平和を満喫していた。

「あーあ、せめて塩と肉があれば活力になるのに……」

「そんな高級品を俺達みたいなジャンク屋風情が購入できるわけないだろう」

 グレイさんが至って真面目にツッコミを入れてくる。

「うぅ、故郷の味が恋しいよ……」

 実際、故郷の味どころか故郷そのものが恋しいのだ。

「ソラさ……先輩の故郷ってどこの地下居住区ジオフロントなんです?」

「私、地下居住区ジオフロント出身じゃないんだ」

「つくづく不思議な人ですね、文字は読めるけどLACSラクスに関する知識はなし、自分の出身も分からないだなんて。が躍起になって探してるぐらいだものなぁ」

 言った後で地雷を踏んだことに気がついたのか、ヒューイは慌てて別の話題を探そうとしている。イリーガルが私を狙ってくるのは、多額の報酬があるから提示されているから。しかしなぜがそこまで私にこだわるのか、心当たりがないだけに不気味だった。

「私は、日本の出身」

 私が口を開くと、ヒューイも整備作業中のグレイさんも揃ってこちらを見た。自分から自分のことについて話すのは初めてだったから、驚かれてしまったのかもしれない。

「ニホン? 不思議な響きだが、それは一体何なんだ?」

 地下居住区ジオフロントで生まれ育つのが当然のこの世界では国という概念はそう簡単には伝わりづらい。例の如く事典に頼らせてもらったが、二人は興味深そうに話を聞いてくれた。私は話した。学校のこと、友達のこと、両親のこと、夢のこと、食べ物や季節、娯楽に至るまで、私が知っている私がいた世界のことを話すだけ話してみた。そのうちにポジティブに捉えようと務めていた枷が外れて、その懐かしさと悲しさに飲み込まれるようにして私は涙をこぼしてしまっていた。ハンカチで拭う。これは数少ない前の世界から持ち込めたものだった。余計に辛くなる。

「決まったな。只今から俺達はニホンを目指すことになった」

「ふぇっ?!」

 私とヒューイがほぼ同時に声を出す。グレイさんが突然変なことを言い出したせいだ。

「ソラ、もし君が他の世界からの者だとして、ニホンがない世界だとは限らない」

「他の世界だなんてお伽話みたいですけどね」

 またしてもヒューイはしまったという風に自分の口に手を当てる。

「聞けば、それは東の方にあるっていうじゃないか。だったら簡単だ。日が昇る方へ向かえばいい」

「それって北半球だけの話なんじゃ……」

「うるせぇ坊主! アテルイのデータを使えば方角ぐらいわかるだろう」

 そう言って、グレイさんは私の肩を叩きながら

「実はどこへ向かうべきか、ずっと悩んでたんだ。それに、今までは俺のわがままに付き合ってもらった。今度はソラのわがままを俺が聞く番だと思うんだ」

 その言葉が私を傷つけないようにグレイさんの頭で選び抜かれたものだということがひしひしと伝わってきて嬉しかった。

「坊主も文句ねぇよな?」

「まぁ、ゆっくり寝てられるのはありがたいので、ついていきますよ」

 イリーガルではほぼ一日中ヒューイはLACSラクスの訓練をしていたという。部活をサボることを覚えた中学生のように、ヒューイはイリーガルに戻ることを放棄していた。私はひたすら二人に感謝して手を震わせながら何度も頭を下げた。


「それで、私が思うにここは私にとって未来世界で、私は二人から見て古代人なんだと思います」

 熱弁とともにテーブルに拳を打ち付けると、カップ内の湯が揺れた。

「根拠は何ですか! 根拠は!」

 ヒューイが話に食いついてくれたのか、テーブルをバンバンと叩いている。

「根拠その一、私は過去の文献――すなわちこれを解読できる」

 手元の事典に目を落とす。

「根拠その二、賊のところで妙な詰問を受けた際に読まされた文献に二一〇〇年という字があった」

「いや、そりゃそうでしょう。今、二一六四年なんですよ?」

 ヒューイが至って普通の顔で言ってくる。グレイさんも動揺の面持ちだ。

「えぇ……なんで今まで言ってくれなかったの……」

「そりゃ、当たり前ですから」

 二人が顔を見合わせて困っている。苦笑交じりって感じだ。少し腹立つ。

「私の前の世界における最後の記憶は二〇三四年……六角重工もその頃から存在しているはず」

「じゃあもう確定も同然だな」

「でもどうやって先輩はこの時代に来たんでしょう」

「気になるのはわかるがな、そこがわかってもどうしようもない」

 グレイさんはヒューイを遮る。

「つまり、一世紀近く経っているということになるがその程度で陸地が消滅するとは思えない。ニホンは今も同じ位置に存在しているはずだ」

「充分にその望みはありますね」

「日本が……ある、か」

「ソラ、行くことでさらに傷ついてしまう可能性もある。だから俺達が強制することはできない」

「先輩が、決めてください」

「わかった。行きましょう。二人共、私のためにお願いします」

 私は改めて頭を下げた。


「風が出てきたな」

 今の地球は原因不明だが氷河期に直面しているようで、吹雪に見舞われるのはさほど珍しくない。私がこの時代に来た時も、その定期的な吹雪の真っ最中だったようだ。こういう場合トレーラーも立ち往生、LACSラクスもレーダー類が駄目になり視界も確保できないためおとなしくするしかないらしい。しかし吹雪が害だけもたらすというわけではない。トレーラーに標準装備されている風力発電機を展開させて充電を行うことができる。おそらく石油や天然ガスといった化石燃料が枯渇ないしは採掘できないこの時代では、唯一のエネルギー確保手段と言える。風力発電機と言っても、羽が三つついた私のイメージ通りの物ではなく、縦棒に沿って数枚の羽が貼り付けられたような構造で、全方位からの風を受けることができるようになっていた。

「ちゃんとウイング出てるか?」

「出でまず~!!」

 グレイさんが手元のウォーキートーキーに語りかけると、ひどく情けない声が返ってきた。ヒューイが外で風力発電機の様子を見てきているようだ。一方私はアテルイに搭載されているシステムの全貌を理解しておくために、操縦席の掃除も兼ねてアテルイに再び乗っていた。そこで非戦闘モード時のモニタに多数のアプリケーションパネルを見つけ、物色しているところである。実際、スマートフォンを四六時中使っていた私にとっては懐かしい感触だった。

「これ、もしかしてGPSかも」

 タッチしてみるとモニタ全体に「全球測位装置」と表示された。指先で触れてみると綺麗な地球全体の映像が現れ、次第にワイヤーフレームからCGモデルへと変化していく。そのうち、一部にズームインしていきレーダーの時と同じく青三角のマーカーが中央に表示された。私は人差し指と親指を絞るように、ピンチアウトさせズームアウトした画面に変える。地球規模のサイズになるとここがどこなのか大体掴めそうだったが、いくらCGモデルを回転させても白い地球が映るだけでわかりやすい大陸が見えることはなかった。事典とこのデータの座標情報を信じるなら、私は東南アジア近辺にいるようだった。

「グレイさん、どうやら星を挟んで反対側って訳じゃなさそうです」

「おお、それはよかった」

 操縦席のハッチから乗り出して、足元のグレイさんに言う。

「しかし凄いですね。そんな装置がLACSラクスに積んであるなんて」

「文字が読めるからこそね」

 寒そうに口元を歪めながらタオルで頭に乗っかった雪を払っているヒューイ相手に鼻を鳴らしてみせるが、あちらはそれどころではないといった感じで、言うことだけ言ってすぐにコンテナと布でこしらえられた自分のスペースへ行ってしまった。


「俺はもう休むぞ」

「はい、おやすみなさい」

 気が付くと既に吹雪は止み、暗い空が到来していた。結局、全球測位装置ことGPSぐらいしか有用なアプリケーションは確認できなかった。他はLACSラクスメンテナンス時のための各部動作チェックアプリケーションや、姿勢制御用ジャイロセンサの調整、各部ダメージチェックといった私にはちんぷんかんぷんなものばかりだったのだ。

「さて」

 私の作戦オペレーションを始めよう。


・作戦[さくせん] operations

 -目標達成のための行動。また、そのためのはかりごと。


 こそこそと私の腰の高さぐらいまである塗料缶を運ぶ。女子高生一人で持ち運ぶには少し手に余るが、やっとの思いで外まで持ってきた。夜の余計に冷えた風がグレイさんにもらった分厚いコートと身体の間をすり抜け、一瞬で私の身体を縮こまらせる。手元の大きなローラーを握りしめつつ、塗料缶を開封する。前回の使用時の塗料がこびりついていて、開封するのにこれまた手間がかかった。やっとの思いでローラーに塗料を付着させる。グレイさんからLACSラクスに使う識別用塗料だと聞いている。LACSラクスの戦闘機動でも滅多に落ちないような塗料だ。流石に吹雪を相手にして落ちてしまうこともないだろう。

「よし。まずはWから」

 文字に関して不安になった自分に言い聞かせるようにして純白のトレーラーにローラーを置く。

「うぁ……、やっちゃった。こうなったらもう、ええい!」

 私は勢いに任せてアルファベットを書き連ねる。しばらくして、トレーラーの貨物部にWhiteStewの文字が完成した。塗料の垂れや跳ねのせいで綺麗なブロック体とはいかなかったが、それはそれで筆文字のような味を出している気がした。グレイさんに冬食べたいものの話をしてしまって以降、ホワイトシチューのことばかり頭に浮かんでいる。執着するほど好きだったというわけではないけど、身体が欲しているのか無性に食べたい。日本に辿り着けたら、なんとかして食材を手に入れて作ってみたいとも思う。勿論、作った経験はない。そして、LACSラクスに名前を付けたのだからトレーラーにもつけたっていいと勝手に考えていた私は、独断で決めたホワイトシチューという名をトレーラー名として定着させるべく、この行動に移ったのだった。昔「ホワイトなんちゃら」という戦艦のことを聞いたことも要因だったのかもしれないが、私はそれで良いと思ってしまっていた。


しかし次の日の朝、グレイさんが作業中に悲鳴に近い声を上げて私の黒くなった手を見てなにか察したようだった。結局ネーミングについては非常にダサいとの評を二人から頂き、私は数時間アテルイに籠もることになったのだった。

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