第八話 パワーバランス

「ソラぁ……いい加減元気出してくれって」

「そうですよ。僕達も納得しましたから~」

 数時間経ってもアテルイから降りようとしない私に二人が声をかけてくれている。正直なところ、もう降りて何か口にしたいほどお腹が空いてはいる。しかし、その場の雰囲気と自暴自棄になってアテルイに飛び込んで以降、一言も声を発していない。そんな手前降りるタイミングを失ってしまい全く微動だにしないままでいた。そんなこんなで時間が過ぎ、しびれを切らしたグレイさんがアテルイのハッチを開けた。

「ソラ」

「……ごめんなさい」

「それはもういいから」

「……お腹空きました」

「カロリープレートやるよ」

「プレーンは嫌です」

 折角差し出されていた最初のカロリープレートを払いのけてしまったが、グレイさんはポケットからしっかり私の好みだったチョコレート味のを出してくれた。チョコレート味とは言っても、私がそう主観的に感じているだけで、チョコレートの存在しないこの時代では証明する手立てがない。プレートのパッケージも味気ない銀紙のようなものだけだ。

「はいよ姫様。出られるか?」

 からかいの色が混じった言い方を聞いて、私はいじける前の雰囲気を取り戻す。

「ごめんね。心配かけて」

 アテルイから降りつつ、ヒューイにも声をかける。ヒューイはすぐ踵を返して行ってしまったが、安堵の表情が垣間見えた。


「では本日より、日本に向け進攻する!」

 グレイさんはノリノリだ。

「さて、トレーラー……ホワイトシチューの運転に関してだが」

「……やりたい人いるわけないですよね」

 ヒューイは至って普通の調子。むしろ暗い部類だ。

「ちなみに俺はもしもの時のためにアテルイを操縦しなくちゃならんので、体を休ませとくことにする!」

 グレイさんが妙にノリノリだったのはこのせいか。対するヒューイは明らかにフラストレーションが溜まっているという感じの顔だ。

「まぁグレイさんの言うことも一理あるよ。ヒューイ、私と交代でやろう」

 私のために日本を目指すようなものなのだから、私が全てやると宣言するのが筋だったのだろうが、そこまで精神的余裕はなかった。雪からの蒸留水生成や衣類管理、グレイさんの持っていた資料漁りなど、やることは沢山あったので体力をできるだけ温存しておきたい。結局、二時間ごとに私とヒューイで交代という形をとることになった。


 方角が合っていることを確かめ、アクセルペダルを踏み込む。足裏が厚めの靴底を通してペダルの、思ったよりも軽めの感触が伝わる。

「おっ、割りと楽に踏めるじゃない」

「そうじゃないと二時間も保ちませんよ?」

 隣のヒューイが私の純粋なコメントに真面目な返答をしてきた。

「と言っても、雪ばっかりで信号機があるわけでもないし全然楽だったわねこれ」

 障害物らしい障害物もなく、私の無免許初運転は比較的良いスタートを切っていた。しかし、平坦な景色は人をすぐに飽きさせるものだということを実感させられることになる。万が一正面に卓状氷や氷床面などがあればタイタニック号よろしく追突なんてこともあり得るため、私は常に前方とにらめっこを続けるという作業を強要されていた。

「ヒューイ……暇なんだけど」

「そうですねぇ」

 随分やる気のない答えだ。

「しりとりでもしない?」

「しりとり? なんですかそれは?」

 識字率が極端に低いこの世界。最後のを取るという長距離移動中や暇つぶしなどに日本で大活躍した伝家の宝刀「しりとり」が、この世界では概念レベルで存在しないのだ。この前母音と子音の区別をさせようと試みたがグレイさんより勉強熱心なヒューイも首をかしげる結果に終わった。やはり言語に関しては小さい頃に身につけないと非常に苦労する分野なのだろうと実感できる。私も英語得意じゃないし。


「ソラ! 一旦止まってくれ!」

 暇な時間がしばし流れると、かなり落ち着きのない様子でグレイさんの顔が無線通信機カーラジオの画面に映し出される。前のトレーラーのものと違い、テレビ電話のように使用できるようでこの車両ホワイトシチューはより設備がしっかりしているとわかる。

「どうかしたんですか?」

 私の意思を代弁するように、ヒューイがそれを聞いてくれる。グレイさんはホワイトシチューに備え付けられていた聴音装置グラウンドソナー試験運用テストしていたという。

「エンジンも切るんだ。前方にLACSラクスの駆動音がする」

 私は事前に教えられた方法に添い、黙ってエンジンを落とす。比較的弱めの吹雪が吹いている今であれば、隠れることも可能だろう。

「俺はLACSアテルイで行って話をしてくる。もし敵ならその場で倒す」

「わかりました。お気をつけて」

「僕、ハッチ開けに行きます」

 ヒューイが出ていってすぐ、大きな音とともに雪を巻き上げるようにして疾走していくLACSアテルイの姿が見えた。よく見ると何かを手にしている。それも両手にだ。

LACSラクス用の短機関砲ですよ、先輩」

 いつの間にか戻ってきていたヒューイが補足してくれた。

「砲身の短さから射程、初速からくる威力はあまりありませんが、速射力が高いのが売りです」

「軽そうだしグレイさんが好みそうな装備ね。拳銃に似てるかも」

「確かに近接格闘戦時の取り回しの良さも利点に入るでしょう」

「でも、威力は低いんでしょ? 威嚇程度にしかならないんじゃないかな?」

「いえ、威力が低いとは言ってもLACSラクスの装甲は人の使用する銃弾ぐらいしか防げませんし大丈夫でしょう」

 そう言われてみるとグレイさんは砲弾でも何でもないワイヤーアンカで頭部ばかりを狙っていたのを思い出した。まして得物がであれば普通に撃破ぐらいできるのだろう。すると、カーラジオにグレイさんの声が響いてきていた。


 初めて握るLACSラクス用装備の感触を、俺はアテルイを通して感じていた。まともに扱えるか不安はある。ホワイトシチューに残されていた物なので俺はまだ扱いがわからなかったが、ヒューイが動作保証はしてくれた。ヒューイはLACSラクス用装備の専攻で、俺がボコボコにした時も長砲の試験ということで無理に参入させてもらったのだという。あの年齢で装備をいじれるのであればなかなか重宝されたことだろうが、LACSラクスの操縦技術はイマイチだ。毎日のように操縦訓練に参加してうんざりだったと言っていた。ある意味では俺やソラが彼に装備を扱う自由と操縦の強制を行わなかったことで居心地が良いと感じるようになったのかもしれない。反抗心が皆無というわけではなく、まだ油断はできないが俺は使える奴として彼のことを気に入り始めていた。

「弾薬は片方だけで一〇はあるようだな」

 HMDヘッド・マウント・ディスプレイに表示されているハンドガンに似たアイコン横の漢数字を見やる。ソラに教えてもらって、俺は数字を辛うじて理解できるようになっていた。LACSラクス一機相手取るには充分過ぎる量だった。あれこれと考えているうちに敵LACSラクスが視界に入る。相手も気づいたようで操縦士のヘッドギアと連動して頭部が稼働するのが見えた。そのカメラがアテルイを、グレイを捉えている。右手の短機関砲を腰部にマウントしてやり、空いた腕を相手に向ける。拳から中指と人差し指だけを伸ばし、それを開いてみせる。この前ソラが生身でしてくれたサインだった。LACSラクス乗り達の間では「敵意ナシ」という意思疎通用のサインだ。ソラの行動には最初戸惑ったが、最初に確認した「文化的な隔たり」として理解している。こちらも同様にサインを返してやると満足したような顔をしていたので、機会があったら意味を聞いておくべきだろう。

「どうも」

 相手も拡声器を使い、両手保持の大型砲を片手に持ち替え、もう片方の手でサインに応じてくれた。しかしその声そのものは随分と無愛想だ。 

「女か?」

 声質から察するに女一人で搭乗しているようだった。女のLACSラクス乗りは別に珍しいわけではない。しかし、ここ近辺は何故か地下居住区ジオフロントもなくLACSラクスとはいえ単独で行動するのは非常に厳しい。途中でバッテリーが上がれば凍死するしか選択肢はないのだ。

「立ち話をしているほど余裕がない、失礼する」

「お、おい!」

 女はすぐに大型砲を持ち直すと脚部履帯を全速で使用。巻き上げた雪や氷をアテルイにぶつけるだけぶつけてすれ違っていった。


「あちゃー、相手にされてませんね」

 カーラジオから伝えられるあちらの様子を聞いてヒューイが頭を抱えるようなジェスチャーとともに言う。その格好とは裏腹になかなか馬鹿にしたような言い方だ。

「あれ、でもこの人こっちに来てるんじゃない?」

「大丈夫でしょう。敵対するようでもありませんでしたし、何より急いでるみたいだったじゃないですか」

「それもそうか……」

 私の安堵は数秒後に引き裂かれた。LACSラクスがホワイトシチューの真横で止まったのだ。LACSラクスは格納庫にいる時のように脚を曲げている。機動時とは違う、低い駆動音が響いてきていた。それに私達二人が戸惑っているうちに運転席のドアが開かれた。

「ここのクルーに黒髪の女はいないか?」

 唐突な第三者の出現と質問に私とヒューイが面食らっていると、相手も戸惑っている様子だったが数秒するとそれも収まり、懐から何かを取り出す。

「貴様、サトウソラだな。一緒に来てもらう」

 当たり前の如く銃が突きつけられる。ヒューイが仰天し、弱気な声を漏らす。またか。相手はおそらくグレイさんがさっき話していた女。分厚いコートを羽織っていたおり、フードも被っているため見た目が断定できない。それでもその鋭い眼光だけは私の姿を確実に射抜いていた。

「私は暴力に屈するつもりはありません」

 ヒューイもいる手前、私は強気に出てみた。人数的優勢はこちらにある。いくら相手が武器を持っていようとも、相手はまだ車外。うまくすれば乗りきれる可能性もある。グレイさんも戻ってきているだろう。

「ならば証明してみせろ。その意志を」

 銃口が私の脛に向けられた。振りかかる痛みを想像してしまった私のポーカーフェイスは面白いほど見事に崩れた。それを見て、女は満足したように笑みを浮かべる。私は耐えかねて抑えていた恐怖が溢れ出る。

「こんなの……理不尽……」

「やはり口先だけの小娘だ」

 女は手が冷えでもしたのか銃を握っていた方にもう片方の手を重ねた。小刻みに震えが見て取れる。その時、大きな駆動音が響いてきていた。

「先程の男か」

 女は私の頭に銃を突きつけ、運転席に乗り込んできた。ドアが閉められ、狭い密閉された空間に異様な空気が充満する。やはり大きな駆動音はホワイトシチューのすぐ近くで止まり、低い駆動音に変わる。

「さっきの女だな。銃をその場に捨て、ゆっくりと車外に出ろ。そうすれば殺しはしない」

 アテルイが短機関砲を車外から運転席に向けている。グレイさんが拡声器で呼びかけていた。

「小僧、無線機はあるのだろう? 繋げ」

 女はヒューイに指図すると、ヒューイがいじり始めたカーラジオに目を向けた。数秒後、グレイさんとの無線が確立する。

「男、貴様こそLACSラクスの腕を下げろ。その口径ではトレーラーが保たない。誘爆もありえるのだぞ?」

「女、あんたはLACSラクスの手で捻り潰されるのがお好みか?」

 カタ、と拳銃の微動する音が聞こえた。私と女の距離でなければ聞こえないであろう微弱な音。

「貴様が動けば私は撃つ」

「あんたが動きそうになれば俺は躊躇いなくトリガを引く」

「ッ!!」

 女は観念したのか、そこに拳銃を落とす。そして確実に後退してドアへ向かっていく。眼はまだ私を捉えているが、最初の貫くような鋭さが感じられなかった。空いた手でドアを開け、後に両手を上げるようにして車外へ出た。

「殺しはしないが!」

 グレイさんは短機関砲を両手とも投げ出すと女をアテルイの左手で掴んだ。女の頭からはフードが離れ、綺麗な長い髪が露わになっていた。女はジタバタしようとするが、アテルイの指がそれを許さない。

「卑怯な!」

「捕まえないとは一言も言ってない」

 ヒューイの時もそうだったが、流石にその言い分はどうだろうかと思い、私はその光景に笑ってしまった。さっきまでの緊迫していた状況との落差に頭がついていけていなかったのだ。見ると、ヒューイも同じ心境のようだった。グレイさんはそんな私達を見ると、運転席の方へ右手でピースサインをしてみせた。

「卑怯者ーッ!」

 女の叫びは吹雪の前に掻き消された。

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