第三話 ここは戦場
「おはよう、よく眠れたかな?」
起きてぼーっとしている視界にニヤニヤした表情のグレイさんが入ってきた。
「おかげさまで」
一回出て行った手前少し後ろめたい。照れ隠しで笑いが入る。
「そう、名前を聞き忘れていた」
「佐藤ソラ、です」
「サトウソラか、随分と長いな」
そう言うほど長いだろうか。むしろ短い部類ではないかと思ってしまう。
「サトウソラに問いたい。君はこの先どう生きるつもりだ?」
グレイさんは痛いところを突く、惰性でなんとかなるつもりで今まではいた。けど、こんな足元のおぼつかないまま、この世界を生きることはできない。
「ふてぶてしいのを承知で、お願いします」
「?」
「私を養ってください!」
恐るべき勢いでグレイさんが口にしていた水を吹き出した。
「えーとですね! 私、家事得意なんですよ!」
口からでまかせを言ってしまっている。家庭分野は苦手だったのだ。
「あ、あとほら! その……」
「わかったわかった、寝床ぐらい貸してやるって」
器官に侵入した水を咳き込んで排除しつつ、グレイさんは答えた。
「しかしまぁ、養ってくださいとは恐ろしい掌返しもあったもんだ」
「うっ……最初の失礼はお詫びします」
次々痛いところを突かれて俯き気味になる。
「すまん、反応が面白くてついいろいろ言いたくなるんだ」
「す、すみません」
特に怒られたわけではないけどとりあえず謝ってしまう。日本人の悪い癖だ。
「じゃあこれから俺達はチームだ。互いが生き残るために全力を尽くす、いいね?」
グレイさんが急に私の肩を持ち、私の目をじっと見て、熱い調子で言う。痛っ。
「ごめん! 失念していた」
慌てて手を離される。少し温かくて心地よかったので残念な気もする。そういえば気がつかないうちに肩には包帯が巻かれていた。
私達はとりあえず朝食をとることになった。生憎、歯ブラシがなかったので布や木製棒のようなもので不快な感覚を取り除く。
「戦場における連携では、互いを知っておくことが重要になる」
進路指導の如き胡散臭さだが、グレイさんの方がキャリアがある以上、黙って聞く。
「なるほど」
板チョコのような食感でチーズのような味のカロリープレートを齧りながら応える。
グレイさんは栄養粉末と水ををカップに注ぎ込んでいた。
「名前はグレイ、出身はAm-11
「グレイさんって苗字はないんですか?」
空気が凍る。あっ、また地雷踏んじゃったかも。
「苗字とは?」
私の予想を見事にすり抜けた応えに拍子抜けする。
「えっ、佐藤ソラの佐藤とかの部分ですよ!」
「サトウソラのサトウ……?」
首を捻っている。話が通じていない?
「紙と何か書くもの! ありませんか?」
「そんな高い物は輸送依頼も受けたことがない」
私の常識はこの世界に通用しない。改めて思い知らされた。何かうまく伝える方法はないのか。あるアニメで確か、食事に出たゼリーにフォークで跡をつけてコンピュータの理論を説明するシーンがあった気がする。まだ大きく残っているカロリープレートにスプーンで文字を彫り込む。少々潰れてしまったが、比較的見やすい漢字が彫られていった。
「こう、佐藤 空ってあるじゃないですか」
「待った、読み書きができるのか?」
「馬鹿にしないでください。国語の成績は比較的良いんですよ?」
「コクゴ……?」
グレイさんは遠い目をしている。駄目だ。通じてない。私の常識はこの世界に通用しない。三度思い知らされた。
「それでサトウソラ、これを解読できるか?」
「なんと響きの悪い呼び方……で、これというのは?」
それは分厚い本だった。ひどく紙が劣化しているようだが、ハードカバーの背表紙にある文字を確かに読める。
「
「俺の何世代か前から受け継がれた物だが、親も俺も字が読めなくてなこれが何か知りたい」
私は机上事典を受け取り「事典」で引いてみた。その突然の動作にグレイさんは驚いた様子で覗きこんでくる。
・事典[じてん] encyclopaedia
-物事に関する知識を集め、言語順にまとめた書物。百科――。
そのままグレイさんに説明してあげる。
「わかるんだな? この文字が! 凄いぞサトウソラ!」
グレイさんはいつになく興奮しているようだった。なんだかこのままフルネームで言われ続けるのも語感が悪い上にむず痒い。ついでだから「苗字」も引いてしまおう。
・苗字[みょうじ] surname
-家や家系の名前。姓。
「えーと、家族であることを示す名前と、本人を示す名前があって、苗字は家族を示す方なんです」
「なるほど、俺は持ってないようだが」
「私にはあって、サトウまでが苗字なので、ソラが個人を表す名前ですね」
「既に俺達の間には文化的な隔たりができているという認識で正しいか?」
「そうですね、絶望的に」
グレイさんの表情が曇る。絶望的ってのは言い過ぎだったかな。
「でも今のところ私達は会話ができています。言葉まで違ったら会話なんてできません」
「確かに、訳の分からない言葉を話す奴もゴマンといる」
「だからどちらかと言えば会話出来てることを喜ぶべきです」
なんか先生になったみたいな気分で胸を張る。きっと凄いドヤ顔ができているに違いない。ドヤ顔という言葉がグレイさんに通じるかは別として。
「よし、決めた」
「?」
「俺専属の教師として雇わせてもらおう」
「ふぇっ?!」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。恥ずかしい。
「いや、養うっていうのは少し聞こえが悪いだろ?」
「そう、ですね」
勢いだったけど、さっき言ったこと思い出すと恥ずかしい。枕に顔うずめたい気分だ。
「雇用関係ってのも悪くない、そう思わないか?」
先生をやるのは自信がないけど、でも、グレイさんがくれた
「わかりました。受けます」
「じゃ、契約成立だ。ソラ、よろしく頼む」
「いきなり名前で呼ぶの反則です」
ちょっとだけドキッとした。生娘か私は。いや生娘なんだけども。
「ソラが個人を表す名前なんだろ? ならソラと呼んだほうがいい」
融通が効かないけど、やっぱり良い人みたいだ。
「あーあー! 聞こえますかそこのトレーラー!」
私達はギクッとして顔を見合わせる。
「えー現在、我がイリーガルの
グレイさんの目が鋭くなった。
「変わった娘を確保しているはずですよねー! 渡していただければ部隊下げますんでねー!」
変わった娘って誰だよ。
「適度なところで三分ほど待ちますんでー! よろしくお願いしますねー!」
「グレイさん……イリーガルって」
「
「そんな人達がどうして私なんかを」
「どこぞの誰かが血眼になってお前を探してる。いろんな噂が出回ってた。賞金も懸けられてる」
驚いた。賊の時の男達の妙な取り調べも気になったけど、そういうことだったのか。でも私を狙う理由がわからない。別世界から来たことがバレた可能性もある。
「俺は戦う。また、人殺しする。すまん」
つくづく私は悪いことを言ってしまった。後悔の念が広がる。
「でも、グレイさんは私を助ける時、誰一人殺してませんでしたよね」
「!」
「グレイさんのこと人殺しだなんて思ってません。自分で死に迫る体験をして、わかりました」
ここは戦場。
「不躾なお願いです。利己的なお願いです」
悪意を向けてくる相手に無抵抗で殺されるのは納得出来ない。人を殺すことは良いことではない。でも、だからといって自分が殺されていい道理にもならない。
「私が生きるために、お願いします」
グレイさんは私の目を見る。
「グレイさん、戦ってください」
「……頼まれた!」
私の名前はアルベルト。イリーガルの第三分隊の隊長をやっている。各地の遺跡での過去テクノロジーの回収し、解析することで収入を得る。高い技術を得られればイリーガルのトップは報酬を与えてくれ、それを頼りに生計を立てている。だが、今回は少し勝手が違った。気味の悪い通信があり、とある「人物」の捕獲を頼まれたのだ。彼は、いや、声が機械質で顔も見せなかったため性別の断定はできないが、とにかく「それ」は「人物」を生きて手に入れることができれば完全に復旧された遺跡の技術を提供すると言った。普段であれば怪しんで断っていたことだろうが、最近数少ない遺跡の損傷が激しくなり、困窮していた私達分隊は迷わずに飛びついた。人物がどこにいるかも割れていて、非常においしい仕事だった。
とりあえず丁寧な言葉と拡声器でその人物が乗るトレーラーに呼びかけた。時間になると、一番後ろの
「ここに、置きます」
奴はコンテナを中央に置く。
「3番機、コンテナの中身を確認して回収です」
「了解」
分隊長として命令を下す。部下は忠実だ。3番機は慎重にコンテナのロックに手を伸ばした――。
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