第二話 淀む空

 グレイさんの車が入った駐車場エリアがこの地下居住区ジオフロント唯一の出入り口らしい。学校の体育館のように広いスペースが広がり、大きな跳ね上げ扉ハッチが静かに吹雪を防いでいる。賊が入ってくるのならこのハッチを使用するはず……よね。近くに積まれていたコンテナの裏に張り込む。金属製のコンテナが背中と触れて、上着の上から体温をじわじわと奪っていくのを感じながら待った。


 正確な時間はわからない。でも六〇分以上は経ったと思う。錆びついたジョイントが擦れ合う嫌な音が静かに響き始める。来た。完全に音が止むと、今度は複数の車の軽めのエンジン音が聞こえてくる。束になって行動してるあたり「賊」なのだろう。私は確信して、よくある映画みたいにコンテナの隅から顔だけそっと出して様子を伺う。まずは相手の戦力を確認しないと話にならない。進路指導でも言われたことだ。


 大型のトラックが二、防風板の付いた軽車両バギーが三、人は少しずつ降りてきてるけど全員ではなさそう。現在確認出来るだけで九名。こういう連中としては小規模なのだろうけど、女子高生が一人で相手取るには無謀な戦力だ。右手に持つ缶のフタを握りしめる。こんなのでも、今の私には貴重な「武器」だ。首に押し付ければ、脅すことぐらいできるかも。それにそのまま押し切ってしまえば……。


 私は自分も「自分が生きるため」に相手を殺してもいいような思考に陥っていると気づいた。これじゃグレイさんの元を去ったことが全くの無駄だ。少し手が震える。後悔もある。それでも今できることは作戦通りに車両を奪うこと。この世界を生きるための足を確保すること。私の、この世界での門出。道を踏み外すな、私。


 車両は不用心にもそのまま安置されるようだった。トラックからも人が降りきったようで、全員で奥へと向かっていく。全員の意識が車から離されている。少しずつ跳ね上げ扉ハッチが元の位置へ戻ろうとしている。今、車両を奪って脱出できれば、跳ね上げ扉ハッチがいい具合で閉じ、時間が稼げる。時間を稼げれば成功率は上がる。今しかない、その確かな確信があった。


 コンテナに背を沿わせて移動する。ゆっくり、確実に、歩みを進める。私の体はコンテナの陰から完全に離れたが、誰も気づく様子はない。いける。手前にあった軽車両バギーに目をつけ、数十センチ距離まで近づく。私は手をそのフレームに伸ばし――


 ――カラン。


 軽い金属質な音が響く。上着の大きなポケットへ突っ込んでいた缶本体が、見事に床と衝突ランデブーしていた。


 賊に面白いほど見事に見つかった私はトラックに貨物と一緒に放り込まれた。足と手の自由が利かない。猿轡もされているからまともに声も発せない。涙が滲んでいるのは感じているが拭き取ることすらできない。もらった上着は隅に投げ捨てられている。


 賊の男たちは英語を話していた。この世界でも流石にあらゆる人が「日本語」で通じるわけではないみたいだ。当然といえば当然、今まで運良く日本語圏の人と会えただけで、世界中の人が日本語しゃべるなんて想像できない。英語じゃなくポルトガル語とかイボ語とかだったら理解できなかっただろうけど、英語なら頑張れば「話せばわかる」こと犬養首相の精神でやり過ごせるかもしれない。猿轡から開放された時、それが戦機チャンスだ。


 貨物室に男が数名入ってきた。車が走る不愉快な振動も止んでいて、どうやら停止したようだ。男は全員拳銃を持っている。素人の私の目線ではどんなタイプかわからないけど、殺傷能力は確実に持っているだろう。普通に考えれば拉致されているこの状況、殺されてもおかしくない。その事実を不意に突きつけられた。手前にいた長身の男が近寄り、板のような電子端末を私に向ける。タブレット端末のようだが画面部分は薄く透明。黄色のワイヤーフレームで何かが表示されている。男はその太い指で触れ、表示物を切り替える。

「Read」

 読め、ということなのだろうか。私は涙の乾いた目を凝らす。日本語だ。日本語で書かれた文章だった。私は声に出してみせる。

「えぇ、と、大型武器運搬システムLACSラクス開発史、ならびに整備概要……?」

 長身男は目を見開き、続けるよう顎で促した。いちいち腹の立つ男である。

「二一〇〇年からと推定される深刻な寒冷化と雪上作業の需要の高まりから、機動性および作業汎用性を重視した人型重機が開発され、それがLACSラクスとして進化しました」

「Continue!!」

 私が内容に困惑して押し黙ってしまうと、奥の男が耐えかねたのか銃口を私の肩に押し付けた。私はハッとして文章に戻ろうとするが、男は指先に力を込め――


 ――拳銃の薬室内の炸裂音と、私の悲鳴が重なった。


 馬鹿だった。相手は情報が欲しいのだから情報源たる自分は殺されないと思っていた。甘過ぎる考えだった。生きていればどうなっても情報は引き出せる、それこそ四肢を全て引き裂いても。寒さから得るものとは全く違う痛みが骨肉に響く。右肩を撃ち抜かれた。痛い。暴れたかったが、縛られているのでもぞもぞと動くことしかできなかった。連動するように肩に空いた穴からドプドプと血が流れ出ているのを感じて、私は動くのを止めた。撃たれてからしばらくはずっと叫んでいたが、口に銃身を突っ込まれて黙るしかなった。


「Translate」

 今度は訳せ、と。一通り読まされてから、言われた。怒りも悔しさもあった。だけど、それを行使する余裕は肉体にも精神にも、ない。弱々しく単語を紡ぐ。高校レベルの英単語しか出なかったが、充分に時間をかけて、要訳をした。情報を絞ることもできたかもしれない。それでもただひたすら、背いた時にされることへの恐怖が膨らんでいて、私は言われたとおりにしていた。最初に考えていた「話せばわかる」もわからないことを話すことを強要されることで、頭から離れてしまった。


 全て話し終わると私を撃った男は銃を構え直してきたが、前の男が「まぁ待て」とばかりに制止した。用済みとなったのだろうと死を覚悟した私は、途端に救われた気分になっていた。が、男は私の胸に手を伸ばしてきた。賊と言われるだけのことはある。モラルなど期待するほうが間違っている。私は服を裂かれ、体力も奪われた状態で何かを注射された。ただでさえ疲れていたのに、余計に力が入らなくなる。そういう薬だろうか。徐々に意識も遠のくが、男達は今までの神妙な詰問が嘘のようにテンションが上がってきているようだった。


 頬に温かい線を感じる。はっきりとはわからないが、私は泣いているのだろう。今日は本当に疲れたよ。気づいたら雪の上にいてさ。寒くて死んじゃうかなって思ったら、グレイって人が……。グレイさんに人殺しって言って出てきちゃった。いろいろ面倒見てくれてたのに、全否定してきちゃった。そうしたらおばあちゃんに会って、話をしてね。それで、頑張ったんだけどね、見つかっちゃったんだ。はは、馬鹿だね。使いもしない缶なのに大事に持っちゃってさ。


 暗い。視覚で黒しか認識できない。

「佐藤! 起きろ!」

 英語科教師が、いた。

「お前な、この前の試験散々だったんだから授業ぐらいしっかり受けろ」

 教室の一部から笑い声が聞こえた気がした。こっちは疲れてるんだ。構わないでほしい。私は口を開かない。そのうち無限にも感じられる五分が経過していた。

「もういい、授業妨害だ。放課後になったら教務室まで来い」

 私はどうでもよくなって、その場で立ち上がって教室の外へ出た。

「おい待て!」

 授業中だろうと知ったことか。学校でこんなに感情的になったことはなかった。自分の行動に違和感がある。でもいい、今は逃げたい。少しでもこの空間から離れたい。駅まで走る。


 ホームに走りこんだところで電車も走り去った。この時間だからか、周囲には片手で数えられる程の主婦しかいない。制服でいることに後ろめたさを感じて、自販機の陰になるように移動した。その後、遅れてきた電車に乗り、ターミナル駅で快速に乗り換えようとした。

「只今、豪雨の影響により快速電車、帰律行きは運転を見合わせております」

 強い雨のせいで快速が運転見合わせされていた。思わず溜息をつく。移動できずに、時間が経つのを待つことしかできない私は無力だ。世界が色褪せて見える。


 諦めて自動販売機の水を買う。ボタンを押したが落ちてきたのは缶詰だった。私はそれに見覚えがあった。指でタブを引き、開く。中には白っぽいコンビーフみたいなものが入ってる。なぜだかスプーンが必要な気がして探してみる。だけど当然持ってるわけがない。仕方なく指を突っ込む。痛い。缶のフチ部分がとても薄くなっていて私の指の肉を切り裂いた。


「痛っ」


 私はそれで目を覚ました。見ると指を男に噛まれている。吸われているという方が近いだろうか。トラックの貨物室だ。私の拘束は解かれていたが、制服はほとんど脱がされていて半裸に近い。このままじゃ私の身が危ういのは充分にわかる。相手はまだ私が薬で朦朧としていると思っているようでやりたい放題だ。意識を取り戻したのが気づかれていないのは好都合。隅に置かれていた拳銃への距離は一メートルほど、隙を突いて急に立って動揺しているうちにそれを手に収める。


 映画みたいに超至近距離で男の額に銃口向ける。勝った。自分を守れた。その達成感に浸る……ことはできなかった。男もまた私の腹に別の銃口を向けている。どうしてこううまくいかないんだろう。全部自分で考えて、自分の力でやってきた。自分で勇気を出した。それでも失敗しかしなかった。もういっそこのまま引き金を引いてもいいとさえ思える。相打ちになれば上等だ。逃げられたとして、生き延びられる自信が、私にはもうない。男が指に力を込める。


「Drop dea...」


 唐突に貨物室の後部がポッカリと開いた。冷えた空気が流れ込む。瞬間、男にはもう一つ拳銃が突きつけられる。それは拳銃と言うにはいくらか大きすぎる気がした。機械の巨人の手に包まれたそれに比べれば、自分が手にしているものなどおもちゃのようなものだ。

「その娘を返してもらう」

 私のこの世界で唯一の知り合いの声が、聞こえた。

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